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銀色の北十字 壱  作者: たき
1/10

(1)

「姫様、これをお持ちください」

 薄暗がりの中、岩壁にもたれて座り込んでいた天鵝(てんが)の前で膝を折り、少年が匂い袋を押しつけた。かすかに鼻をつくのだが、何の匂いだとははっきりわからない、不思議な香りだった。

「目くらましの効果があります。あまり派手に動かなければ気づかれません」

 そこでようやく理解した。なぜ少年の存在がずっと、彼らに忘れられたままだったのか。

 誰かがいるとき、身動き一つしない少年に話しかけてはならなかったのか。

「姫様は必ずここからお救いいたします」

「……ならば、お前にはこれを」

 天鵝は自分の耳飾りを片方取った。天鵝の瞳と同じ青紫色の玉の小さな耳飾りは、信頼の証。帝室の者が常に側近くあることを許す、この世でただ一人の存在。

 意味を知っているのだろう、少年が緑色の双眸を見開いた。少年が言葉を発する前に、天鵝は少年の手を両手で包んで耳飾りをにぎらせた。

「お前を信じている。牛宿(いなみ)

 余裕のさまで、きちんと笑えたという自信はない。それでも、目の前の少年はきっと自分を助け出してくれるはずだ。

 一度きゅっと唇を引き結び、少年がうなずく。天鵝から与えられた耳飾りを大事そうに懐にしまい、牛宿はそこでじっとしているよう天鵝に告げ、牢の中央で横たわった。

 まもなく足音が響き、格子の向こう側で驚きの声が上がった。

「娘がいない!?」

「なんだ、あいつは? いったいどこから入った!?」

 慌てたさまで鍵を開けて男たちが入ってくるのを、天鵝は息を殺し、身を縮めて見つめた。

「こいつ、そういえば娘と一緒に運び込んだ奴じゃなかったか?」

「そんな奴いたか?」

「顔立ちがいいから高く売れそうだと、統領が喜んでいた気がするぞ」

 二人の男は言い合いながら、倒れ伏した牛宿を抱き起して顔をのぞき込み――いきなり吹き飛んだ。

 自分よりはるかに大柄な男二人を蹴りと手刀であっさりのした牛宿は、もはや興味はないとばかりに彼らを一瞥すらせず、天鵝に歩み寄った。

 差し出された手を取って、天鵝も腰を浮かす。兄と同じくらいの背丈がある牛宿を見上げると、牛宿が静かに微笑んだ。そのまなざしのやわらかさに、胸がトクリと鳴る。

「参りましょう」

 岩屋の外の気配に耳をすませ、呼吸を整えた牛宿が、先に一歩を踏み出した。



 丸みをおびた月が皓々と照り光る中、星座キグヌスを出た二頭立ての黒馬の馬車は、前後で馬に乗る四名の護衛とともに、ゆったりとした速さで宙を駆けていた。規則正しい車輪の音を聞くともなく聞きながら、馬車の窓からぼんやりと外を眺めるのは、銀色の髪をまっすぐ腰骨のあたりまでのばした少女。

(また、夢を見た……)

 もう一度会いたくて、しかし二度と会うことがなかった少年の、記憶から薄れつつある面影を思い、天鵝は小さく息をついた。

 片方だけになった青紫色の玉の耳飾りに指をはわせ、目を閉じる。

 兄や姉からは、新しいものを作ればよいと何度も言われた。探すのはあきらめろと、叔父からもなだめられた。

 しかし、天鵝は決して首を縦に振らなかった。こうして身につけていれば、いつか再会できるかもしれない。今も変わらず天鵝が待ち続けていることを、少年が気づいてくれるかもしれない。

 名前はわかっているのに、どうして見つからなかったのだろう。宰相の叔父なら捜索は可能なはずだったのに。それなのに、その名を口にすることさえ、叔父である猟戸皇子(りょうこのみこ)は禁じたのだ。

 いったい何者だったのか。あのとき自分を助けてくれた、涼やかな目をした少年は。

 馬車が星座ウルサ・ミノルの星座門をくぐり抜けた。ここからはしっかりとした大地に足がつく。滑るように走っていた馬車に乱れた振動が加わったことで、天鵝は夢想から引き戻された。

 今からおよそ一万年前、この世界は誕生した。はじめ無数の光が散らばるだけだった空間は、やがて光の粒をかき集め、星座という地盤を形成した。

 光はまたそこに生命をも生み出した。草が生え、木が育ち、動物が生まれ、最後には地上に生きる人間と姿形を同じくする『星』たちが現れたのだ。

 彼らの中から選ばれた初代星帝(せいてい)の名は北極帝。以来歴代星帝のもと発展してきたこの世界は、月界(げっかい)という。

 現在月界を統べる仙王帝(せんおうてい)は天鵝の兄皇子である。仙王帝の住まう星宮(せいきゅう)は星座ケフェウスの首都アルデラミンにあるが、宰相府は初代星帝の御代から変わらず、星座ウルサ・ミノルの首都ポラリスで歴史を刻んでいる。

 まもなく馬車の前方に、二階建ての茶色い建物が見えてきた。すぐ脇の高い塔の最上階には、月界の時を告げる鐘がついている。

 開かれていた宰相府の大門を抜け、天鵝の乗った馬車は石畳に上がって停車した。護衛のうちの一人が扉を開け、降りる天鵝に手を貸す。

 そのまま宰相府の入口へと歩きかけた天鵝は、ふと視界の端に見えたものに興味をひかれた。

 石畳でつながれもせず、白馬が一頭立っていた。

 主の姿はない。天鵝が慎重に近づくと、ゆらりゆらりと尾を払っていた白馬がふり返った。警戒の目を向けられ、はっとこわばった天鵝に、護衛が慌てたさまで走り寄った。

「姫様、衛士(えじ)の馬に近づかれてはなりません。おけがをなさいます」

「……わかっている」

 天鵝がそれ以上接近する気がないのが伝わったのか、白馬は顔をそらした。逃げるそぶりもなく、悠然とたたずんでいる。

 気難しさでは並ぶものがないと評されている白馬は、足の速さもまた月界一だという。性質の穏やかな黒馬とは対照的な美しい白毛の馬に、天鵝は見とれた。

「天鵝、何をしているの?」

 背後から呼びかけられ、天鵝は「おはようございます、姉上」と声の主に微笑で返した。

 肩のあたりで外巻きにされた金の髪に、赤紫色の瞳。天鵝と同じく白い長衣の上に緑色の袖なし衣を重ねた天琴皇女(てんきんのひめみこ)は、天鵝の肩に手を置いた。

「衛士が来ているのね。視察の護衛の挨拶かしら」

 言われて初めて天鵝も思い当たった。近々顔合わせをすると宰相である叔父から聞いていた。

 宰相府は毎年、各星座の統治が正しく行われているか視察に赴く。そして視察者の身の安全を守るため、また時には星司(せいし)の逮捕に踏み切ることがあるため、衛士が毎回同行するのだ。

「それならば急ぎます」

 あまり待たせるのも悪い。身をひるがえした天鵝に、天琴が目をみはった。

「今年の担当はあんたなの? 来月から司法省に移るのに?」

「だからこそです。移籍の前に経験しておきたいと、叔父上にお願いしていたんです」

「物好きね。何も自分から面倒な仕事を引き受けなくていいのに」

 少し早足になる天鵝を天琴が追う。視察の注意点を天琴に教えてもらいながら、天鵝は一般の者が入ることはできない奥の大部屋へと向かった。 



 最奥の部屋の扉を開けると、予想どおり、宰相の大机の前に衛士らしき人物がいた。肩より少し長い褐色の髪を後ろで一つに束ね、白い服の上に黄色い布地の胴着を着ている。

 宰相の席に座っていた叔父の猟戸皇子が、天鵝に気づいて手招きした。天琴と別れて猟戸のほうへ進んだ天鵝は、ふり向いた衛士を見た瞬間、呼吸を忘れた。

 年は兄帝と同じくらいだろうか。左目が紺青色、右目が緑色という色違いの瞳に見据えられ、動けなくなる。

 不思議なくらい動揺が押してきて、天鵝は胸の前でこぶしをにぎった。あと数歩の距離で立ちどまったままの天鵝の片方しかない耳飾りに、青年の視線が触れてそれた。

「天鵝、今年の視察の護衛をする地使(ちし)団の団長、摩羯(まかつ)だ」

「お初にお目にかかります、天鵝皇女。地使団長の摩羯と申します」

 猟戸に紹介され、洗練された所作で挨拶をした摩羯が、いぶかしげに眉をひそめた。

「姫様?」

 意識が摩羯の顔から離れない。天鵝の執拗な凝視に、摩羯が口の端に冷えた苦笑を浮かべた。

「お目汚しをいたしました。本日は私がご挨拶にうかがいましたが、姫様の護衛は副団長の室女(しつじょ)が中心となって務めさせていただきます」

 そこでようやく天鵝は失態に気づいた。

「ああ、すまない。お前の目が気になって……いや、珍しいとか不快だとかではなく」

 あせる天鵝に、「お気づかいは無用にございます」と摩羯が幾分そっけなく答える。その低い響きに、胸の奥がきしんだ。

 違うんだ、とつぶやいたものの、言葉が続かない。どう説明すればわかってもらえるだろう。

 鼓動が速すぎて、耳が熱い。制御できない奇妙な思いがとめどなくあふれかけた。

「それでは、失礼いたします」

 軽く頭を下げて、摩羯が身をひるがえす。

 いなくなってしまう。

 無意識にのびた天鵝の手が、摩羯の腕をつかんだ。

 びくりと、そのたくましい腕が震えた気がした。

 やがて摩羯が一つため息を吐き出した。

「姫様、本当に……お気になさらず」

 丁寧に天鵝の手をほどく摩羯に、天鵝は泣きそうになった。

「摩羯、お前の手があいているときは、視察に同行してやってほしい」

 口をはさんできた猟戸に、摩羯の眉間のしわが深くなった。

「前例がありません。それに私は、先ほど宰相から承った行方不明事件について、他の団長たちと捜査の連携を――」

「その件も天鵝に担当させる」と、猟戸が摩羯の反論を遮った。

「天鵝は来月から司法省に移籍する。慣らしておいたほうがよかろう」

 摩羯が唖然としたさまで猟戸を見つめる。天鵝も初めて耳にした話にとまどった。

「叔父上、視察担当者に他の仕事も兼務させるなんて無茶だわ」

 いつの間にか、天琴が天鵝の後ろに立っていた。天鵝の両肩を背後から抱くようにして、猟戸に抗議する。

「天鵝、お前はどうしたい? 別の者に任せるか?」

 机の上で指を組み、猟戸が天鵝に視線をそそぐ。

「――やります」

 考えるより先にするりと答えていた。

「天鵝、だめよ。視察はそれだけで病気になる者がいるくらいなのに」

「統轄は天鵝だが、捜査の進行は衛士に一任する。基本的には、天鵝は報告を受けるだけでいい」

「叔父上!」

 いかにも簡単な仕事だと言わんばかりの猟戸に、天琴がかみつく。

「負担が大きすぎるわ。叔父上は天鵝をつぶすつもりなの?」

「心配ない、衛士は優秀だ。そうだろう、摩羯?」

 話を振ってから、猟戸は「お前に返しておく」と小さな木箱を摩羯の目の前に押し出した。とたん、摩羯がはっきりと身をこわばらせたのが天鵝にもわかった。

「いい機会だ、ここでかたをつけろ」

「しかし、宰相――」

「これ以上引きのばすことは、天鵝の叔父として許さぬ」

 叔父とにらみあうほど胆力のある者がいるとは思わなかった。だが猟戸は、摩羯を不遜とそしることもせず、その鋭いまなざしを正面から受けとめている。

「……公私混同は問題かと存じます」

 色違いの瞳に怒りをにじませ、摩羯は木箱を手に取ると、「承知いたしました」と吐き捨てるようにして退出していった。   



 星座ペルセウスに入り、衛府に戻った摩羯は、まず中央棟へと爪先を向けた。

 衛府は門をくぐると、敷地内の中心にある中央棟まで広い道が一本通っている。その道をはさむ形で衛士団の詰め所と厩舎が並び、さらに中央棟の右斜め前には広い練兵場。左側には衛士全員が入れる大会堂、そして中央棟の奥には高い柵に囲まれた監獄がある。

「よう、お疲れさん」

 中央棟一階の奥にある団長共同執務室の扉を開いた摩羯に、赤い布地の胴着を着た大柄な男が陽気な口調で声をかけた。火使(かし)団長の獅子(しし)だ。

 部屋にいた他の二人も手元の書類から顔を上げ、口々に摩羯にねぎらいの言葉を発する。

「宰相から事件の調査を依頼された。集まってくれ」

 隅に置かれた打ち合わせ用の長椅子に摩羯が荒々しく腰を落とすと、三人が各々の席を離れて寄ってきた。

「なんだ、機嫌が悪いな。そんなやっかいな事件か?」

「いや、ぱっと見はただの行方不明者の捜索だ」

 衛士は月界の治安を管轄している。それぞれが団長として率いる衛士は、各団約百名。

 星座ごとに警備団は配置されているが、皇族が出席する式典の警護や、宰相府より依頼された事件の調査、追跡などは衛士に任される。

 獅子の隣に座った白緑色の胴着の男――風使(ふうし)団長の双子(そうし)が疑問を投げた。

「行方不明者は一人か? 衛士が担当するなど、よほど重要な人物か」

「依頼書を読むかぎり、普通の十六歳の少年だな」

 そういえば、天鵝もたしか今年で十六歳になると、摩羯は思い出した。

 よりによって行方不明事件の仕事を天鵝に割り振るなど、猟戸皇子は何を考えているのか。万が一、誘拐だった場合、どうするつもりなのか。

「お前にしては珍しいくらい苛ついているな。捜査が原因でないなら、視察者に問題があるのか?」

 摩羯が長机に放り投げた書類を最初に手にして目を通した青い胴着の男、水使(すいし)団長の天蝎(てんかつ)が、濃い青緑色の双眸に苦笑を浮かべる。ツンツンと立っている灰茶色の髪をなでながら、獅子がぼやいた。

「時々、本当に宰相府の試験に合格したのかと疑いたくなるような奴がいるからな。それで、今年の視察者は誰なんだ?」

「銀の姫様だ」

 ほう、と三人の目が摩羯に集まった。

 猟戸皇子の跡を継いで宰相となるのは、天鵝皇女の姉皇女である天琴だと言われている。月界一難関と評される宰相府の試験を一度で合格した才女は、容姿の面でも月界一とうたわれ、そのまばゆい金の髪が目をひくことから『金の姫』と称されていた。そして天琴と並び美しさをほめたたえられている天鵝は、しっとりとした輝きを放つ銀の髪から、『銀の姫』と呼ばれている。天鵝も宰相府の試験に一回で合格した英邁な姫として、世に知られていた。

「いつもより気が張るが、銀の姫様なら滞りなく完遂なさるだろう。それとも、姫様には人に知られていない困った悪癖でもあるのか?」

「おっと、俺の知らない情報があったか? もし真実なら、ずいぶんそそられる話だが」

 首をかしげる双子に、獅子がにやりと笑う。摩羯は反応を避けて続けた。

「それから、今回の事件の統轄も姫様がされることになった」

「ああ、姫様は来月、司法省へ異動されるんだったな。ならば慣らしといったところか」

 訳知り顔でうなずく獅子に、天蝎が呆れ気味に言った。

「まったく、お前は……今度はいったいどこから情報を仕入れてきたんだ」 

「司法省の男どもが大喜びしていたという世間話をちらっと聞いただけだぞ。別にいかがわしいこともやましいこともしていない」

 交際範囲が広い獅子は主に、というよりほぼ女官から話を仕入れてくる。単なる噂もあれば、核心をついた裏事情もあり、そのおかげで解決した事件も少なくはない。少なくはないが、三人はどうしても毎回閉口してしまう。

「まあ、お手並み拝見といこうじゃないか。どうせなら、やたらめったらややこしい事件であってほしいものだな」

 すぐに片付いてしまうのはおもしろくないと口の端を上げる獅子に、「不謹慎な奴だ」と天蝎がため息をついた。



 団長四人がそろって天鵝のもとへ挨拶に行くのは明日と決まり、共同執務室を出た摩羯は、地使団の詰め所の前まで来たところで、やけに騒々しい気配に眉根を寄せた。

 そっと扉を開けると、地使団に所属する衛士たちが興奮したさまで言い争っていた。胸ぐらをつかみ、今にも殴り合いに発展しそうな者たちまでいる。

 何事にもまじめすぎるくらい実直に取り組む水使団ほどではないにしても、地使団は四つの団の中では落ち着いているほうだ。それが、気性の激しい者が多い火使団のような雰囲気になっている。

「あ、団長。お帰りなさい」

「お疲れさまです」

 扉を閉めた摩羯に気づいた団員たちが、慌てた様子でさっと身を引く。それでも妙な熱気が消える様子はない。

「詰め所を間違えたかと思ったぞ。いったい何の騒ぎだ?」

 団員たちに取り囲まれていた小さな円卓には、副団長の室女が腰かけていた。ゆるやかにうねる赤茶色の長い髪の室女は、いつも思慮深い光をたたえている緋色の瞳に疲れの色を映していた。

「視察の同行者が決まらないんです」

 同行者の任命については室女に任せていた。仲裁もうまくこなす室女が頭を悩ますとは珍しい。

「志願する者がいないのか?」

 まさかと思いながら尋ねると、室女はかぶりを振った。

「逆です。行きたい者が多すぎて喧嘩になっているんです。今年の視察者が銀の姫様だとわかったとたん、この有り様で」

 摩羯が団員たちをふり返ると、皆決まり悪そうにうつむいたり目をそらしたり、開き直って照れ笑いをした。

 相手が皇女だけに何か粗相があっては大変だと、室女ははじめ信頼のおける女性団員を着任させようとしたのだが、男たちが猛反発したのだ。自分たちにも権利があるはずだと。

 完全に浮き足立っている団員たちに、「地使団ともあろうものが情けない」と室女がぼやく。

 過去に天琴皇女が視察の任に就いたときも、同行者の件でかなりもめたと聞く。あのときは火使団だったが、あやうく刃傷騒ぎになりかけたという。

 しばし考え込んでから、摩羯はもう一度団員たちを見た。

 皆がいっせいに姿勢を正す。だがどの顔も「どうか自分を選んでください」と書いてある。小隊長たちですら、小鼻をふくらませていた。

 通常、視察の同行者は五名だが、皇女の護衛となると少し心もとないかもしれない。そこで摩羯は男女四名ずつの八名をその場で選んだ。いつもであれば同行者は順番に変えていくが、今回は決まった者だけが付き添うことにする。摩羯がそう伝えると、呼ばれた八人は誇らしげな顔つきになり、他の者たちはがっくりとうなだれた。

「それから、私も同行する」

「ええーっ」と団員たちから悲鳴があがった。

「団長まで?」

「そんなあっ、別枠なんてずるいですよーっ」

 口々に不満を言い募る団員たちの横で、室女も驚惑の表情を浮かべている。団長たちとの打ち合わせの間にやっと払いのけた苛立ちが再燃し、摩羯は苦い顔でこめかみを押さえた。

「宰相のご指示だ。私が出られない日は室女に入ってもらう。もう一つ、先ほど宰相府より調査依頼を受けた。統括は天鵝様だ」

 不平の声が喜びに変わった。急にやる気を取り戻した地使団員たちに、室女が円卓に突っ伏す。もはや叱咤する気力すら失ったらしい。

 摩羯は全員に聞こえるように、行方不明事件の調査依頼について簡単に説明した。

 一月半前、星座ルプスで少年が一人、行方不明になったという。母親と二人暮らしで、近所の料亭に勤めていたが、仕事場を出てから帰宅していないのだ。

 最初母親は星座ルプスを統治する星司に申し出たが、いっこうに捜索する気配がないので、宰相府に直談判に来たとのことだった。

「ありがちな捜査希望ですね」

 わざわざ衛士や皇女が受け持つ事件ではなさそうですが、と室女が不思議がる。

「姫様は来月から司法省に移られるそうだから、手始めにといったところだと思うが、油断はするな。衛士としての気構えを忘れず、早期解決を目指す」

 できるだけ長引かせたいという獅子の希望を叶えるつもりはまったくなかった。むしろさっさと終わらせて距離を置きたい。 

 自分は天鵝と関わるわけにはいかないのだ。今はまだ……あるいは、これから先も。

 それなのに、事情を知っていながら、なぜ宰相が接触させたがるのか理解できない。よりによって、どうして今()()を突き返してきたのか。

 あまりにも時間をかけすぎた罰だというなら、己だけを別の形で責めればよいのだ。

 姫の身をおびやかすなど、叔父としても宰相としてもあってはならないはず。

(どこにいる……)

 こうなってしまっては、急ぐより他ない。

 天鵝の耳で淡く輝く青紫色の玉。

 片方だけしかない耳飾りを間近で見たときに心の底からわき上がったうめきをかみ殺し、摩羯はこぶしをにぎりしめた。


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