#1-6-1.明日への逃亡Ⅰ
それからも、航空隊の訓練は続いた。私はその度に、矢風さんの指示に沿って動いて、毎日、いつかの土佐みたいに、煤だらけになって部屋に帰る日々を送った。
日に日に航空隊の皆の練度も高くなっていって、私に訓練弾が当たる割合も増えてきて、いくら訓練弾とは言え、痛みも相当あるけれど、でも土佐も同じ思いをしていたって考えれば、どうってことはなかった。それでも。
「……くぅ」
部屋に帰って、畳の上に寝転がる。何回も改修はされているとはいえ、やっぱりガタは来る。それに、相変わらず無線を聞いて動いていると、昔以上に自分が自分じゃないような――そんな感覚が増してきていて、そういう所も大変だった。
気付けば、この訓練を始めてからかなりの時間が経った。加賀が気を遣ってくれてか、いつか私が土佐にしていたように、上官からは言われない、「こういう所で役に立った」っていう報告をしてくれて、それが心の支えにもなっていた。でも、そろそろ限界だった。
そんな夜。この時間に珍しく部屋のノックがされた。
「はい?」
上官かな、と思いながら立ち上がりながら声を上げると、返ってきたのは、「矢風です。夜分遅くすみません」という、そんな声だった。
「……どうされたんですか、こんな時間に」
部屋の扉を開けて聞くと、「少し、明日の訓練についてのご相談がありまして。お時間、よろしいでしょうか」と、相変わらず読めない笑顔を浮かべて聞き返してきた。
「時間は大丈夫ですが……しかし、明日は午後からですし、午前中でも良いのでは?」
「いえ、少し急用でして……」
「はあ……まあ、そういう事でしたら」
矢風さんは事ある毎、話があるときは至って別のところに連れて行きたがる。最初の頃は、そういう所に少し違和感があったり、恐怖感を覚えたりしたけれど、それなりの付き合いになって、それもある程度なくなってきた。「あぁ、またか」ぐらいの、そんな感覚。
「今日は空が良く澄んで、星が綺麗なんですよ。もう冬だなあと」
「そうなんですね」
そんな矢風さんの雑談もそこそこに聞き流しながら、矢風さんの後をついていく。すると、段々と、今回ばかりはどこかおかしい、って思い始めてきた。
矢風さんは基本的に、言ってもそれほど鎮守府本館――私たちの部屋がある棟――から離れることはなかった。一番遠くても、土佐が沈んでばかりの頃に、矢風さんと話したあの護岸くらいだった。
「矢風さん、どこに行くおつもりですか? 話なら、ここまで来なくても出来ますよね? 時間も遅いですし、本題なら早めに入って頂きたいのですが」
そう言うと、矢風さんは足を止めて、「すみません、つい無我夢中でここまで来てしまいました」と振り返った。そんな矢風さんが浮かべていた笑顔は、月明かりのせいか、どこか不気味だった。でも、と矢風さんは続ける。
「すみません。もう少しだけ移動しますので、摂津さんは少し休んでてください」
そんな矢風さんの言葉を聞いた瞬間、スッと意識が抜け落ちた。
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遠くから、電車のような、ガタンゴトン、という音が聞こえてきて、そこで私ははっと意識を取り戻した。すっかり暗い車窓に、天井の白熱灯が落ち着いた橙色の光が、車内を温かく照らしている。けれど、私の内心はそれとは裏腹に、何が起きたのか分からなかった。
――そうだ、確か、夜遅くに矢風さんが部屋に訪ねてきて、そして話があるって連れ出されて。それで、なんか様子がおかしいと思ったら――
「あら、お目覚めですか、摂津さん」
目の前に座っている矢風さんが、飄々と笑っている。
「……一体、どういうつもりですか」
睨みつけると、「そんな怖い顔をしないでください」と、反省した色もなしに言う。
「許可のない外出は海軍要綱で禁止されていたはずです。今すぐ帰してください」
そんな矢風さんに詰め寄ると、「もう遅いですよ」と変わらない態度で言う。
「この電車は夜行列車です。次に止まるのは東京、その間止まることはありません」
「あなたは、何を、言って……?」
現実を受け止めきれていない私に、「悪く思わないで下さいよ」と矢風さんは言う。
「土佐さんの件があって、そして日に日に続く訓練で、あなたが疲弊しているのは目に見えていました」
「だから連れ出したと言うんですか?」
「えぇ」
そう頷く矢風さんは、やっぱり反省していないようだった。寧ろ、して当然、というような態度にすら見えた。
「ふざけないでください! あなたはもう少し、私たちが『船』である自覚を持つべきですッ!! それに、私がその目に合うのは当然ですッ!! なぜなら私は――」
「土佐さんの代わりだから、ですか?」
言おうとしたことを、矢風さんに先走られた。
「確かに、それが本当にその通りなら、あなたが擦り減らしてまで体を張る理由にも頷けます。ですが、あなたはどこかで気付いていますよね? それが土佐さんの代わりでも何でもなく、スクラップ当然だから、そういう風に扱われているんだって」
「っ……」
そんな矢風さんの言葉に、すぐに返せない私がいた。
「土佐さんの代わりだ、というのは単なる言い訳に過ぎないのではないですか。あなた自身が置かれている、今の扱いに対しての。元々戦うために生まれた存在でありながら、上層部の都合でその役目を剥奪された挙句、練習弾とはいえ、味方から爆撃を受け続けるだけの日々――嫌でないはずが無いですよね?」
矢風さんにそう言われた瞬間、加賀と話をした時の、加賀の表情が頭を過った。確かに矢風さんの言う通りのところはある。だけど、その言い草に腹が立った。
「何も知らない癖に、知った口を利かないで頂けますかッ?! 遠くから指令を飛ばすああなたには分からないでしょうけど、加賀や赤城、蒼龍に飛龍――その他の航空隊の皆さんだって、今後を担う大切な船たちです!! そんな船たちを放っておくなど出来ませんッ!!」
「それなら、他の空母の方たちが、あなたに対して何も思ってない、と知っても同じことが言えますか?」
「……っ、どういう、ことですか」
聞くと、矢風さんは、少し白味の強い目で、私のじっと見つめて言う。こんな矢風さんを見るのは初めてだった。
「あなたの言葉を借りるなら、あなたが爆撃を受ける側しか知らないなら、こちらにだってあなたの知らない話があります。あなたが懇意にしている加賀さんは、確かに良い船だと思います。僕なんかにも、しっかり敬意を払ってくれますから。ただ、他の船の方々は、どこか疎外的です。表立って出さないようにはしてくれていますがね」
「だからと言って、任務を放棄していい理由にはならないと思いますが」
そう言い返すも、「とはいえ、そんな船たちの為に、あなたが命を張る必要もないと思いますが」と言い返された。
「少なくとも、今回の任務は、私と摂津さんに課されたものです。私が戻らない限り、任務を遂行することは出来ません。それに、今のあなたの身体で、任務を遂行するのはもう無理です。一緒に来て頂きますよ」
「……誘拐犯が言わないでください」
睨みつけてやるも、読めない表情を浮かべた矢風さんから、言葉が返ってくることはなかった。
もうどうしようもない。きっと今鎮守府に帰ったとて、逃亡罪で詰められて、どういう扱いを受けるのか目に見えて、それが怖かった私は、今この状況をただ受け入れるしかなかった。そうして、私と矢風さんの逃亡生活は、幕を開けたのだった。