表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夕碧センチメンタル  作者: 晴曇空
第一幕:Absurd Buried
10/29

#1-6-2.明日への逃亡Ⅱ

 矢風さん――いや、矢風との会話の後、暢気に矢風は眠ってしまったけれど、一方の私は、そんな簡単に眠れるはずもなく、暗くなった客室の中で、 一人悶々としていた。

 この人を置いて、鎮守府に帰るべきなのではないか――それはもう何十回と考えた。けれど、いきなり連れ出されたものだから、手持ちのお金なんてあるはずもないし、帰って「矢風に拉致された」と説明したとて、あの上層部がおいそれと信じてくれるわけもない。 そうなると、やっぱり矢風の言う通り、私が帰る手段なんかないし、矢風が心変わりでもしてくれない限り、あそこに戻る方法もない。

 もしそこまで考えて、この逃避行を実行したのだとしたら、相当の策士だ。駆逐艦として出撃していたなら、きっと今頃最前線に立っていたっておかしくない。

 それにしても、私もまんまと矢風の思惑に嵌められたもんだな、と一人嗤う。土佐と会う前は話す対象は選んでいたから、その時から考えたら、よっぽどお人好しになりすぎてしまったなあ、と思う。いつまであるか分かない命だけど、まだこの命が続くなら、考え直さなければならない。

 そんな事ばかり考えていると、余計眠れなくなってしまった。これからどうなるんだろう、っていう不安に心が押しつぶされそうになって、今の唯一の心の拠り所である、土佐に貰ったつつじの髪飾りを外して、そっと抱きしめた。

 そんな私を乗せた電車は次の日の朝早くに、東京駅に到着した。

「本当に、帰す気は無いんですか」

 一晩経って、心変わりしていないかな、と思って矢風にそう声かけてみるも、「えぇ。これっぽっちもありません」と、あっさり言われてしまった。

 このまま駅員や誰かに、「矢風に誘拐されている」と助けを求める、という手段もあったのかもしれない。でも、これ以上大事にしたくない、という気持ちが勝って、そうしなかった。

 それから、迷いなく歩いていく矢風の後についていくと、青森行きのホームに辿り着いた。

「これに……乗るんですか?」

「えぇ。……少し乗り気になりました?」

 お茶らけたように聞いてくる矢風に、「そんな訳無いでしょう」と言い放つ。

「何かあったときの責任は、しっかり取って頂けるんでしょうね?」

「はい。それはもちろん」

 私の問いかけに頷く矢風は、どことなく創作によく出てくる悪役のように見えた。


+++


 十二時二分前に東京駅から出発した列車に揺られながら、「ところで矢風さん」と車窓をぼーっと眺める矢風に声をかけた。

「はい? 何でしょう」

「あなたの指示通り乗りましたが……どこまで行くつもりですか?」

 すると、矢風は少し嬉しそうに「ほら、やっぱり乗り気なんじゃないですか」と笑った。それに「だから、そういう訳ない、と先ほど言ったはずですが」ともう一度言っておく。

「ただ、こうなってしまった以上、巻き込まれた私にも、それを知る権利はあると思うのですが」

 それを聞いた矢風は「まあ確かに。それはあなたの言う通りですね」と頷いて、私に向き直った。

「分かりました。ひとまず今日は、泊るところを確保してありますので、そこに向かいます。それからの事については、そこで詳しくお話します。ここでは、誰が聞いているか分からないので」

「……分かりました」

 なんだか釈然としないながらも、詳しく話してくれること自体には頷いてくれたので、とりあえず今はそれで良しとする。それすら破られるようなら、流石に出るところは出よう。

 ひとまず、何も出来ない以上、目の前にいるこのいけ好かない船の後についていくしかない。

 そんな矢風と、諦めを背負いこんだ私を乗せた電車は、陽が沈んだ頃、仙台駅に到着した。それまでの間、私も矢風も一言も喋らなかった。ただ、車窓を眺めている矢風の横顔は、どことなく寂しそうに見えた。

「それじゃあ、宿まで案内しますね……と言っても、そう離れたところではありませんが」

 駅前から少し歩いたところに、ひっそりと佇んでいる民宿が、矢風の言う今日の宿だった。受付を矢風が済ませてくれて、そうして入った部屋は、畳敷きに布団が敷いてあって、端っこの方にちゃぶ台が置いてあるだけの、質素なものだった。

「それで、お話頂けるんでしょうね?」

 入って早々、矢風に問いかけると、「えぇ、そうですね」と頷いた。そして、矢風に促されるまま布団の上に座ると、矢風は話し始めた。

「明日はもう少し北――青森に向かいます。そして、そこでもう一泊したのち、船を使って北海道、函館を経由して、内陸に向かいます。そこで、隠居しようと考えています」

「隠居って……それじゃあ、もう帰る気は無いと?」

「そういうことになりますね」

「そんな」

 まさか矢風の考えている逃亡劇が、そんな終わりのないものと思わなかったから、驚いてしまった。

「まあもちろん、全てが上手くいけばの話です。函館には、要港はありませんが、それでも陸軍の施設がありますから、そこで捕らえられる可能性も無いわけではありません。もしくは、もうすでに、この民宿にいる……なんて事も考えられなくはないですしね」

「……怖いことを言わないでください」

「あはは。でも、実際ある話でしょう?」

 相変わらずの笑顔で、さらりと怖いことを矢風が言う。一体どういう生き方をしたら、そういう事をそういう風に言えるようになるのか、疑問で不思議でならない。

 でも、確かに矢風の言う通りではある。どこかで、最後まで逃げ切ってしまうんじゃないか――なんて、どこかで思っていたのは否定できない。というより、そう思わせるぐらいには、この二日間、怖いほど順調なのだ。矢風のこの飄々とした感じもあって、余計に。

 でも、捕まった時の事を考えるとぞっとする。巻き込まれた側とはいえ、脱走したことには変わりない。最悪の場合は解体も考えられるし。

「そんな怖い表情しないで下さいよ。言ったでしょう? 万一の時の責任は、しっかり取らせていただきますよ」

 矢風はそう言うけれど、未だにどこまで矢風の事を信じていいものか、決めかねているのは変わりない。そもそも出会ってばかりの船を、どんな理由であれ誘拐するような船を、そう簡単に信じられるわけがない。

「……本当に、頼みますよ?」

「えぇ」

……やっぱり、この薄っぺらい笑いに、私の信頼を預けることは出来ない。しばらく眠れない夜が続きそうだなと、内心ため息を吐いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ