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月の町へでも行きましょう  作者: 浅黄 悠
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そしていつかの満月

 

 濁る雲から雷雨の闇へ。さらにもっと黒い夜を湛える水の底へ墜ちている。

 鉱石よりも深い沈黙。星の息吹よりも冷たく。

 やがて全てが止まってしまうかのように思えた寸前、夜の湖に太陽が落ちたように、眩しい光の塊が目を射る。

 光の塊はやがて解け、ほつれることなく糸のような細い線になり、シンプルな円の模様を描き出した。

 あとはもう腕を伸ばしてその糸を引けばいいだけ。

 それが始まりの合図。






※※

 

 ルナが消えた瞬間、森の中だというのに耳の痛くなる静けさが辺りを包んだ。えも言われぬ恐怖に襲われて、その日は逃げるように私は森を後にした。

 次の日、森の奥へと進んだ私が目にしたのは廃墟と化した町だった。

 例によって森で迷うかとも思ったが、そんなことは承知だった。真昼の青空には雲一つ見えなかった。

 だからそれほど時間も経たないうちに湖から流れる小川の音を聞いた時は、心臓を鷲掴みにされるような思いがした。

 町は誰もいなくなって相当時間が経っているようで、同じ町とは思えないほど変わり果てていた。町の中心の通りは道なき道になっていた。蔦が絡み、若木が壁の割れ目を突き破り、町の屋根には苔がむしていた。小川の流れも変わっていたし、湖には倒木が倒れていた。澄んだ水だけがそのままで、昼の光をきらきらと反射する湖の前でしばし茫然と立ち尽くしていたことを覚えている。

 ほどなく、次の月がやってきて……すぐに私は、一つの仮説にたどり着いた。




 気付けば、彼女と出会った月から一年ほどの時間が経つ。


 いくら別邸から行動を起こし、信頼できる従者だけ傍に置いていたとはいえ、頻繁に森に行こうとすると身内に怪しまれることは分かっていた。何しろこの辺りの土地は誰がどう見ても僻地。今まで都に入り浸っていたのだから、本邸にいたくないという理由だけでは弱い。従者の少なさにも、多分気が付かれている。

 とりあえず怪我による療養のためということにしたが、それも長い間続けば都での生活を勧める父からいよいよ不審に思われることになる。下手をすると都の医師でも差し向けられかねない。



 血筋と歴史を重んずるローラン家。母も古くからの貴族の家系だった。

 三男だった私はとりあえず騎士になるように育てられたが、病気で八つに長男が夭逝した。以来、次男を大切に育ててきた母や母方の家系の貴族と、私を特に可愛がる父の関係に亀裂が入り、家の空気が度々ぐらついている。

 歴史より家の発展や存続を望む父は、私が都で上手い具合に爵位を頂いてくることなどを期待しているのだろう。今は騎士になるために教えられてきたことを忘れて、貴族としての振る舞いをもっと完璧に身に着けるようにと言ってくる。父自身、最近はほぼ都に腰を据えている。


 熱気を含んだ風を感じる度、ここへやって来たばかりの頃を思い出す。

 あの頃は、こんな気持ちになる夜が来るなんて思いもしなかった。

 星の輝きや月の巡りなど、女性を口説くための口上としか見ていなかった。これほど冷酷で、心を奪われるようなものだとは思っていなかった。


 今日は一年で最も暑い月の満月。黄昏時に支度を整えて森へ発つ。

 きっとこの機を逃せばもう二度は無い。

 随分時間がかかってしまったが、今日はあの日からの全てを彼女に話すつもりだった。




 

「今日は来てくれてありがとう。夜市は楽しかったでしょ?」

「ええとても。何より貴方の演奏を聞けて嬉しかったです」

「ふふ、ローランさんって優しいわね」

「だから、サミュエルでいいですよ。それより、二人で話したいことがあります。白百合の野原に行きたいのですが、いかがですか」

 彼女が優しい銀色の髪を揺らして驚いたように振り向く。薄紅色のドレスがふんわりと闇夜に光る。

「いいけど、どうして知ってるの? 町の誰かに案内してもらったの」

 私は誤魔化すように笑って彼女の手を引く。出来るならば、先程から見えていた人影にルナが気付く前に連れ出したかった。




 野原では、白百合が月を向いて咲いていた。夜露が花弁の上に乗っていて、いつかの夜を思い出す。

「話したいことって、何?」

 彼女が微笑む。この笑顔を壊してしまうかもしれないと思うと苦しいけれど、言わなければならない。

「私は……本来この町に受け入れてもらえるはずのない人間です」

 ひとつ深呼吸をしてから、私は言葉を継いだ。



 ――昨年の夏、この森に何かがいるという噂を聞きつけて、私はやって来たのです。

 魔女の仕業か怪異のせいか、とにかく不可思議なことが起きると言われていて、それを退けるために従者と銃を持って森へ乗り込んで行く時にも、数人からは止められました。

 ……そう、貴方を湖で初めて見た時、私は貴方を殺そうとしていたのです。

 でも貴方は怪異や魔女というにはあまりにも無防備すぎた。森の湖畔で一人微睡んでいる貴方は、翼を休める白い鳥のようで、指を引き金にかける気がそがれてしまった。

 それからも、いつか尻尾を出さないかという気持ちはあったけれど、そのうちその考えがどんなに馬鹿げているか思い知らされただけでした。私は精霊の何たるかを全く知りませんが、それでも貴方とこの町の存在に魅せられていた。


 町の何もかもが失われた時、私がどれほどの喪失を味わったか。

 しかしその数日後には、ここは何事もなかったかのように以前の姿を取り戻していました。本当に何事も無かったかのように、です。一度聞いたような会話が町のそこかしこで交わされ、精霊達はまた真夏の夜市を心待ちにしていた。貴方は全く私のことを覚えていなかった。

 月が変わるごとに町と貴方の記憶が消えること、精霊や庶民の服ならともかく、領主の息子の出で立ちがかなり古風であること。新月に近づくにつれ、静まり返っていく町の中でいつも最後に貴方が消えずに残っていること。


 あくまで想像の域を出ませんが、おそらく、この町全体が貴方の精霊の力がなせるものだと私は思うのです。

 一月、月の満ち欠けの一巡を区切りに、同じ真夏を繰り返す。冬に来ても、やはりこの町の季節は夏でした。


「……じゃあ、私は気が付かないうちに誰かに悪さをしていたの? 確かに意識せずに力を使ってしまうことはあるけれど、なぜそんな大がかりな幻を作る必要があるというの? 本当は何が起こっているの? ……私は消えるべきなの」

 突然の話に戸惑いながらも、ルナが愕然とした表情で私を見上げる。言うべきかどうか迷ったが、次の言葉を待っている彼女に、ここまで言ったのだから話さなければと心を決めた。

 己の生い立ちについて、町の外の様子について。新月の町の様子について話していく。


「外の世界では、もう精霊を本当に信じている人間はほとんどいないのです。何かとの結びつきが精霊に力を与えるというのであれば、きっと信じる者がいないから、精霊は消えてしまったのでしょう。もしかしたら新月の頃に貴方が消えてしまうのも、昔より精霊の力が安定しなくなっているためなのかもしれません」

 ここらについて調べた限りでは、1世紀前にはすでにほとんど住む人がいなくなってしまったという。精霊の噂が完全に魔物の災い話になる以前に当の精霊達が消えたのだとすれば、彼女が一人になったのはずいぶん昔のことになるだろう。




「……そうだったのね。……いえ……そう、ね」

 しばらく黙った後、少しだけ悲しそうに目を伏せてルナは言った。

「私も分かっていたのかもしれない。もう誰もいないって」

「そうなのですか?」

「待って――少し思い出させて」

 手で顔を覆い、ルナは俯く。野原に差していた月の光が少し翳る。

 次の言葉を待っていると、ふと周りの白百合が闇の中でも輪郭まではっきり見えることに気が付いた。ルナの身体全体もいっそう輝きだしている。

「……みんな精霊の町へ帰ったのね、きっと。私はただあの方の言葉に縋ったのかな」

「あの方とは、領主の……?」

「たぶん」


 これからもこの町を護ってほしい。

 精霊を受け入れてくれる人が減って、外からの悪意にこの地が弱り、仲間が姿を消す中、それだけの言葉が気がかりで。

 私なんて結局、歌うことと幻を見せることぐらいしかできなかったのに。

 誰も戻ってくることのない町で、護るべきものもなかったのに。


 諦めに満ちていくルナの声を聞いて、私はそっと彼女を抱きしめた。

「……この森に何かがあるのかと、私が何かに惑わされてはいないかと怪しまれることがとにかく怖かった。兄はそのうち私の領地を剥奪してどこかに追い払ってしまえないかなどと考えているようですし、従者が父上に私の様子を報告するのも時間の問題です」 

 腕を下ろすとルナの視線を受け止める。

「こうして真実を告げなければ、貴方はもう少し幸福でいられた。少しぐらいの招かれざる訪問者をあしらえる力もあることです。いつか、この森が精霊など信じない人間に暴かれでもしない限り。……でも、私は真実を告げてしまった。精霊の時の中で生きる貴方を忘れ、遠い地で生きていくことなど考えられなかったから。精霊を名乗る癖に、普通の人間と変わらず話をし簡単に笑ったり怒ったり寂しがったりする貴方を知ってしまったから」

 語気を強めて声を張り上げているのに、語尾が震える。

 これでは駄目だと思うのに、平静を装って語り掛けることもできない。


「正直、まだよく呑み込めていない部分はあるけれど、貴方は私を受け入れてくれているってことは分かる。……今はもうそれだけで十分な気がする」

 ルナが細い指で私の手を取った。私もその手を握り返す。

「聞いて下さい。私は貴方の存在を信じています。精霊が人との結びつきによって力を得るなら、私がいる限り貴方は消えないでしょう?」


 ここに貴方がいられないというのなら、精霊の街へでも、あるいは貴方が作り出す月の街へでも行きましょう。

 二人で遠い世界に生きるのも悪くない、そう思うのです。




「――精霊の町への行き方など、とうの昔に忘れてしまったのに」

「思い出せるに決まっているでしょう。精霊の町でなくてもいい。如何でしょう? それとも私は意地悪だから嫌ですか? 恋の相手ではないから不足ですか?」

 驚いたように目を見開いてから、ルナが破顔した。

 握り返した彼女の手が俄かに芯から熱を持ち始める。



「……あなたはやっぱり、ここへ来るべくして来たのね。いいわ、行きましょう――サミュエル」







 目が眩むような光。

 暖かい風が野原に波を立てたかと思うと、次の瞬間には全ての音が消えた。





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― 新着の感想 ―
[一言] 香月よう子様の「夏の夜の恋物語企画」から拝読させていただきました。 幻想的で儚く、そして、優しい恋物語。 堪能させていただき、ありがとうございました。
[一言] 企画から参りました。 幻想的で、切ない感じがするお話ですね。 精霊の存在を信じる人達が減ってしまったことで、町は消えてしまった。そして、最後に残った精霊が、見せる幻。 サミュエルはどうする…
[良い点] 完結お疲れ様でした! ああ……。 なんという美しく幻想的な恋物語……。 読み進めるごとに胸に染み入るようでした。 設定も凝られており、且つ、描写が素晴らしい! 何より、 >二人で遠い…
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