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月の町へでも行きましょう  作者: 浅黄 悠
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満月

 満月、夜市の日。

 夜が来る頃に目覚めた私はあの曙色のドレスを身に着けた。宵闇の中だと動く度に仄かな薄紅色に光るのが分かって、思わずはしゃぎたくなってしまう。でもまずは町の通りではなくて湖に行く。これが日課のようになってしまったのだからしょうがない。

 湖では町の人達が来て祈りを捧げていた。先頭には一際背の高い、湖を護る精霊がいた。白い衣を着ている。

 毎月こうして、夜市の日には湖に祈りを捧げる人達が来る。いつまでも湖が枯れることの無いように。そしていつまでも町に幸いあれ、人間と精霊の前途に幸福あれ、と。

 輝き出した星の下で、高い音と低い音のコーラスが歌となって紡がれる。歌詞は無く、コーラスは混ざり合うことなく。簡素な旋律が雲一つない空に溶けていく。少し離れた場所にいた私も空を見上げながら、目を閉じて祈っていた。



 ――どうかこの町が幸せなままでありますように。精霊達も人間も、笑って穏やかな時間を過ごせますように。それと――



 結論から言えば、願いは叶うことなく、待ち人は来なかった。

 今日も、いや、今日こそサミュエルには来てほしかった。なんだかんだいってこれだけ仲良くなったのだから、私も主役の一人である夜市の催しを見てほしかった。

 通りを一人歩き続けながら、賑やかさに浮かれる心と共に少しずつ不安な気持ちが膨らんでいった。彼はいつ来るのだろう。彼も貴族の身で忙しいとは分かっているけれど、きっと来るに違いないはず。

 絶え間ない寿ぎの言葉や、商人の呼び声に微笑みを装い続けながらも、物足りない思いは膨らむ。

 ――サミュエルだったら、絶対質問攻めにしてくるだろうな。精霊の暮らしに慣れていない彼はどんな顔をするんだろう。

 貴族というより庶民に近い親しみやすさの明るい口調や、彼が好んで身に着けている緑色のコートが思い浮かぶ。

 どうして、ただ一人この場にいないだけなのに。ここには沢山の知り合いがいて、一人で夜市を回ることも何の苦でも無かったはずなのに。こんな気持ちの夜市は初めてだった。


 内心落ち着かない様子のまま、町の中心の広場に来てしまった。

「ルナ。時間には少し早いけれど、いつものものを頼む」

 夜市を取りしきる青年が、広場の中心にある椅子を指す。椅子の傍にはいつものハープがあった。

「……どうしたの?」

「ううん、何でもない」

 深呼吸して気持ちを切り替えると、私は椅子に着いた。観客が集まってくるのもいつものこと。

 ハープは、この夜市のため、もっと言えば私のためのものだった。この竪琴には普通のものと違って弦が無い。弦を作りだして奏でるのは、私にしかできない。綺麗な音の弦を作り出さなければ、それはもう聞くに堪えないことになってしまう。


 もう一度深呼吸して、変に気張らないように力を抜く。

 集中。

 まずハミングのように声を出してから、ハープを使わずに私は歌い始める。湖で歌われていたものに詞を付けたものだ。歌詞は精霊の世界の古い古い言語と言われていて、その言語を知っている人はこの町にもいるかどうか分からない。


 真夏がもたらす熱は大地に残り、森は大地の唸りを聞いている。

 誰かが湖に石を投げ込む、澄んだ暗がりには水紋が広がる。

 水紋は月の光を受けて輝く――絹糸のように細く、美しく。

 いつか実りの季節は忘れられるだろうか、貴方は私の捧げた花を私と共に忘れ去るだろうか。

 だがそれは今では無い。どうか月の光よ、今は全てのものを優しく包んで欲しい。



 私に竪琴の奏で方を教えてくれた精霊が、竪琴を奏でる度口にしていた祈りの言葉を思い出す。 

 今は自分の力を信じて歌えばいい。いつも通りに。

 少し低い音から、爪弾いた弦が鳴り出す。私は息をついて、月光に照らされてのみ輝く白い弦を歌の広がりと共に紡いでいった。



 

 夜市の祭りでは私の竪琴も一つの無くてはならないものになっている。竪琴を鳴らすことは他の精霊にもできるけれど、それを私がすることが重要らしい。

 ああ、聞いて欲しかったな。

 演奏を終え、人の波が引いていく中、未だ私はぼんやりと思っていた。

 この後はどうしよう。まだお祭りの夜は深まっていない。

「ルナ」

 はっと声がした方へ顔を向けると、領主様の一人息子が従者を連れて立っていた。

「アンドレ様。聞いていらしたのですか」

「ああ。いつもながら美しい音色だった」

「あの……いなくなってしまうって本当ですか」

 口をついて出た言葉に、彼は小さく肯う。

「たまには戻ってくるよ。僕にとってもこの町を忘れ去ることなどできないし、ルナの演奏も聞けるからね」

「……光栄、です」

 聞きたかった言葉が出てくるのを押しとどめて感謝の言葉を述べると、彼は言った。


「どうか、その美しい音色と歌声でこれからもこの町を護っていってほしい」

 その言葉に、私の中で何かがすとんと地に落ちるような、欠けていたものが合わさるような感覚がした。


 

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