十三夜
櫛を通す度に長い髪がふんわり輝く。梳かした髪を今日は友人に編み込んでもらうことにした。
「――うん、それで前回約束したの。明日の夜に差し掛かる頃にぜひ来て、って」
「良かった。彼が夜市のお祭りの日に来ないんじゃお互い勿体無いわよ。きっと来るのももうすぐね」
後ろで彼女がふふっと笑っているのが分かる。面白がっているような、何かに思いを馳せているような。
「彼、初めて見た時は驚いたけれど、気さくだし格好いいよね。服も、あれが西の都の方の今の流行のスタイルなのかしら」
「あ、心変わり?」
「それはそれ、これはこれ。少しぐらい憧れてもいいでしょう、私だってこの町の外に出たことないんだから」
イリスには想い人がいる。夜市の時には私も忙しくなってしまうだろうし、彼と一緒にお店や出し物を見て回るのだろうか。
髪を編み込んでもらってイリスの家を出てから、これからどうしようと考えた後、夜市の通りの方ではなく境の湖の方へ行くことにした。サミュエルを町で待つより、迎えに行ったほうがいい気がしたから。仲間に声を掛けられる度に、私は笑って手を振り返す。
出会ってそう日は経っていないのに、待つということ、彼に出会うということになんだかどきどきしてしまってきている。これが、きっと楽しみを待つという気持ちなのかもしれない。
賑やかで美しい夜市も楽しみだけれど、彼に会うのも楽しみの一つになってきていた。
この町は、独特の暮らしやルールを持つ。外の暮らしにとことん疎かったり、町に敵意を向けて疑り深く近づく人に怯えている一方で、旅人や行商人や異邦人を受け入れようという暗黙の了解も町にはあり、色々な生い立ちや事情を抱えた人も住んでいる。サミュエルはそんな町の雰囲気を面白がっているみたいだ。そういえば、前に彼に町へ来る理由を聞いたけれど、それもあるだろうか。
この町を気に入ってくれているなら、何でもいいけどね。
彼はいつも通り自分の馬に乗って現れた。いつもと違うのは、商い人の馬の後に続いて現れたこと。
私に気が付くと商人に礼をしてからこちらにやって来た。
「こんばんは。言われた通り夕刻にお邪魔しましたよ。夜道で迷うかと思いきや、確かに今日は同じ道を辿る人がいて首尾よく着くことが出来た」
「来てくれて本当にありがとう。連日来たら大変でしょう」
「ほんとですよ。貴方は知らないでしょうけれど、来ようとしても全然来れなかったこともあるんですからね。霧が出てくることもあるし、想像以上だ」
そう言ってから安心させるようにサミュエルが微笑む。
「そんな顔しないでください。来たくて来ているだけです。しばらくは父上の別荘を借りていることですし、私自身気楽に過ごせるのです。それより、今日はまた髪型がいつもと違いますね。髪の色も月の光で一層輝いてみえるようだ。貴方も夜市の準備ですか?」
「何だ、もう聞いているのね」
満月が昇る日、夜の始まりと共に開かれる夜市。大体今日から準備やちょっとした前夜祭のようなものが始まる。満日の度に行われるから、大々的な催し物という訳ではなく、町の中だけで行われるちょっとしたお祭りのようなものだ。でも、一年の中で最も暑い季節の頃の夜市は特に賑わうから、彼にはぜひとも準備の様子から見て欲しかった。
期待した通り、彼は出店の準備や飾りつけがなされる様子を目を丸くして見ていた。少し達観した目つきや人を小馬鹿にするような表情は見慣れているけれど、こんな表情も出来るのね。
「何だか甘い香りがしますね」
「多分、花の香りじゃないかしら。遠い国に旅した人の手から渡ってきた、白粉花という花の種を皆で育てたら花を咲かせてね。気が付けばこの時期色々な場所で花を咲かせるようになっているの」
「あれは? 何かの儀式ですか」
「簡単なものよ。この町の人との友好の証として、外から来る人は銀杯で境の湖に流れる湧き水を一口含んでみせる、というものがあるの。もし良からぬ心を持ってやって来た人は、その水を飲んだ途端に眠りに落ちてしまって町の記憶を失くしてしまうらしいわ。あ、絶対にやらなければならないという訳ではないし、貴方のことは私が保証するから大丈夫」
境の湖が枯れずに澄み渡っている限り、この町は湖に守られているという言い伝えがあることから、水を飲む儀式が始まったという。でも、その湖で引き合わせられるように出会ったのだから、私にとってはそんな儀式より遥かに彼に特別なものを感じていた。
「この近くに住んでいるというのに、見たことが無いものばかりだ」
「ルナ! こっち手伝ってくれないかしら」
「ルナ、その方どちら様?」
通りに出るともう仲間が通りのあちらこちらに出て来ていた。色んな人から好奇の目で見られて狼狽えるサミュエルがこちらに耳打ちしてきた。
「あの人達は貴方の知り合いですか。その……普通の人間ではないような見た目の者もいるようですが」
躊躇いがちに問いかけるサミュエルの視線の先には私の仲間がいる。
「今最後に声を掛けてきたのがフルール。その隣にいる眠そうな奴がソレイユ。二人とも精霊ね。普段は普通の人間の姿をしているけれど、祭りの日は精霊の力を隠さず本来の姿で歩き回っているの」
「――精霊?」
「どうして? 私も月の精霊なのに。……もしかして今初めて気が付いた?」
彼は仰天するというより、少しの間口を半開きにして固まっていた。その反応からすると、彼にとって精霊はとても珍しいもののようだった。精霊が遊びに来ている町は何もここだけではないし、沢山精霊がいる町で暮らしている身としてはそれほど珍しいものだとも思わない。けれどいずれも精霊がいるのは人里離れた場所だから、都会育ちの彼には初めて見るものなのかもしれない。
「じゃあ、何だと思ってたの?」
「ああ、いえ……世間知らずで少し変わった所のある人間、ですかね」
「そうやってまた誤魔化す」
溜息をついた私の手を両手で包んで、微笑みと共に彼が誘う。
「失礼。今夜は貴方の行きたい場所へ一緒に行きますから、ね?」
「……分かった。行きましょう。貴方に合いそうなものもあるかもしれないし、夜市には珍しいお酒だって売っているから、きっと気に入ると思う」
私からすれば、やはり彼の方が精霊よりよほど謎めいている。




