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ペンション『キャビン』物語(第一稿)  作者: 空花(沢 渉)
8/12

第五日目・昼

たまには身体を動かしましょう。

昼過ぎになって、急に空は掻き曇り始めた。

「うわぁ、急に寒くなってきた」

 外でハスキーと遊んでいた物書きさんが、そう言いながら家の中に飛び込んできた。

「急にって、朝からも結構寒かったわよ」

 暖炉のそばに座を占めた俳優が、お茶を啜りながら苦笑する。

「だって、さっきまで日が照っていたから、少しはましだったんですよ」

「結構寒さに強いのねぇ」

「そりゃ、まだ若いですから」

「……たいした根性だわ」

「でも私なんて、到底敵わないかもしんない」

 物書きさんはにっこりと苦笑する。

「……どう言う意味」

「こういう事です」

 招かれるまま、玄関から外を覗く。

「……ほんと、あれは根性あるわ」

「ね」

 二人の視線の先で、おじぃちゃんと彼が向き合っていた。

「何か、まるで修行中、って感じねぇ」

 そう言って身震いをして、俳優はドアを閉めた。物書きさんはくすくすと笑っている。

「レディ、何であんな事になったの」

「それがですねぇ……」

 言いかけて、思い出し、くすくす笑いがひどくなる。

「ごめんなさぁい……で、あのですね、二人でハスキーくんと遊んでいたら、おじぃちゃんが出てきて、何か始めたんですよ……こう、こんな感じかな……何かの型の練習みたいな。で、一時見てたんだけど、これが結構様になってて……」

「それでボーヤが、それをやってみたくなってきた……なんて言わないわよね」

「あはは……まさか。引っ張り込まれちゃったんですよ。ボーヤって付き合いいいから」

「……納得」

「でも結構嵌っちゃってるかも。いまや真剣そのもの……本物の修行みたい」

「そりゃ、そうもなるでしょうよ」

「……どう言う意味です、マダム」

「……まぁ、知らなくても無理ないかしらね」

「えっ、えっ、どう言う意味」

 俳優は、物書きさんの目が真ん丸になるのを楽しげに見つめていた。その視線をそっと階段のほうにずらす。

「ね、そうですわよね……先生」

「いやだわ、あなたからそう言う呼ばれ方をすると」

 階段の側におばぁちゃんが立っていた。にこにこと柔和な笑みを湛えている。

「先生って……」

「いえね、書道をちょっとばかり教えているものですからねぇ」

 物書きさんは、しばらく呆気に取られていた。

 妙に威勢のいい掛け声が、外から聞こえてきた。

「あらあら、しょうがないわねぇ。家のおじぃさんときたら」

「あ……そう言えば、ねぇ、マダム、さっきの意味……」

「あの人……いいえ、あの方は私の先生よ」

「はぁっ」

「そうですわよね、先生」

「ほほほ……」

 おばぁちゃんは柔和な笑みのまま。ただその眼が懐かしげに細められる。

「そうなるのかしらねぇ。でも、もう随分昔のこと」

「その頃の私ときたら……随分生意気で……」

「そんな事ありませんでしたよ。礼儀を弁えた、本当に良い子で」

「それも先生方のお陰ですわ」

「へぇ、マダムにもそんな時代があったんだ」

「なに、妙なところに感心してんの」

「だって、肝心なところが見えないんだもの。マダムったら意外に秘密主義」

「当てて御覧なさい」

「おばぁちゃんが書道の先生なのは、この前なんとなく話しに出てたけど……おじぃちゃんの正体も、もうなんとなく分かっちゃってたんですよね。でも、それじゃあ、あんまり話が出来過ぎてると言うか、何と言うか……」

「いいから言って御覧なさい。話の尾を引くことにかけては、レディも相当なものだわ」

「そりゃ、小説書いてますから……こうなったら結論見えてるでしょ。おじぃちゃんは何かの武道の先生、ってところじゃないですか。何かは判らないけど」

「何だと思う」

「いじめないで下さいってば。私、探偵の素質ゼロなんですから」

「でも、そこまで読めれば話は早いわね。そう、ちゃんと道場も構えていらっしゃるわ。その筋では結構有名な道場よ」

「なるほど、納得しました……でも、好きだな。そう言う夫婦って」

 物書きさんは屈託の無い笑顔。

「そう……どうして」

優しい光を瞳に湛えて、俳優が尋ねる。

「言葉にしちゃったら、雰囲気壊れるでしょ……それよりここに新たな謎が生まれたわ」

「なぁに、新たな謎って」

「マダムが何故、道場に通っていたのか……」

「手ごわい子だこと」

「だぁって、そっちの方が謎じゃないですか。多分おばぁちゃんだって薙刀か合気道くらいやってそうだし」

「あら、何故そう思うの」

 驚いた様子で俳優が物書きさんを見つめる。その表情に、かえって物書きさんの方が驚いてしまった。

「うーん、ただ何となくだったんだけど……あえて言うなら腰が伸びてるから、かな。失礼な話しかも知れないけど、私のおばぁちゃん、腰が曲がっていたんですよ。でもそんなに歳が変わらないようなのに、ぴんと背筋が伸びてて。それに足音がしないんだもの」

「……たいしたものだわ。私ちょっとレディを見くびっていたみたい」

「あのですねぇ」

「ほほほ」

「おばぁちゃんも、笑わないで下さいよ」

「いえねぇ、昔の話なんですよ。女学校時代の薙刀の稽古がそのまま身についてしまって、結局そのまま……でも、もう随分と薙刀は触っていないわ」

「では、あれから……」

「ええ……あなたにお教えしたのが最後……今は若い人が後を継いで下さっているのですよ」

「へぇ、マダム、薙刀習ってたんですか」

「演技に必要だったのよ」

「じゃあ、直接の先生っておばぁちゃん……ううん、この先生の方なんですか」

「いいのよ、おばぁちゃんで。それに薙刀だって、おじぃさんの方での修行の次いでみたいなものだったんですから」

「え、じゃあマダムが本当に習っていたのは……」

「空手と薙刀、そして書道よ」

「でもおじぃちゃん、マダムの事全然気付かなかったみたいでしたけど」

「無理はないわ……あの時は私、男の格好をしていたし、歳を取って雰囲気も変わってしまったから……」

「そんな事はありませんよ。おじぃさんも、ちゃんと覚えていましたとも」

「え、でも、マダムの事を別品さんって……」

 物書きさんの言葉に、おばぁちゃんは口元を隠しながら、

「おじぃさんは芝居好きだから」

 そう言ってほほほ、と笑った。

「お茶目なおじぃちゃん」

 物書きさんの率直な感想。他の二人は、目を見合わせて笑い合った。

 外では、いまだ威勢のいい掛け声が続いている。

「よく続くなぁ」

 外を見つめる物書きさんの眼が、心持心配げに細められている。

「ほんと、困った人だこと……他人様を無理やり……」

笑みを絶やさずそう言って、おばぁちゃんは奥の部屋へと消える。二人が呆然としているとすぐに戻って来た。手に二枚のバスタオルを持っている。

「身体が冷え切ってしまいますからねぇ。帰って来たらさっさと二人を浴室に放り込んじゃいましょう」

 そう言いながらにこにこと笑っている。

「あ、何だかうらやましいな」

「……そうね。私も何だか久しぶりに汗をかきたくなってきたわ」

 俳優はそう言うとセーターを脱ぎ始めた。その下は薄手の半袖シャツ一枚。

「うわぁ、それで外に出るんですか……寒そう」

「初めのうちだけよ……下はこれでいいわね」

 物書きさんは呆気に取られて凝視している。

「じゃあ、行ってくるわね」

 外の声は相変わらず続いている。俳優は、優雅な物腰のまま外へ出て行った。

 二人はそれを黙って見送っていたが、やがて夢から醒めた様に物書きさんが、

「忘れてたわ……マダムって男だったんだ」

「鍛錬を怠っていなかったんですねぇ」

 事も無げにおばぁちゃん。そのままもう一枚タオルを取りに行こうとして、物書きさんの様子に気付く。

「心配ないですよ。ああ見えても無茶はしない人ですから」

 その言葉に振り向いて、物書きさんは苦笑した。

「いえ、それは何も心配していませんが……」

「……が」

 にこにこと聴き返すおばぁちゃんに、照れたように笑って、

「みんなが羨ましいなぁ、って」

 数十分後……

 熊が呆れていた。

「おい、いつからここは道場になったんだ」

 外ではおじぃちゃんを筆頭に、彼と俳優が映画のアクションシーンさながらのことをやっている。その近くでは女性軍が威勢のいい掛け声を発していた。

「さぁ、知らない」

 食事の支度をしながら、おねーさんがおっとりと答える。

「知らないって……」

「あなたもしたいの」

「……おいおい」

「もう一組のお客さんなら大丈夫よ。あの部屋一番遠いし、防音も効いてるし」

「……そう言う問題か」

「あ、そうそう。あなた、浴場の湯加減、見てくれない」

「湯加減……なんで」

「だってぇ、外から帰ってすぐ入ったら熱いでしょ」

「……わかりました」

 結局、熊の負け。そのまま何も言わず、熊は湯加減を見に行った。


「あつ……あつつ」

 物書きさんはお湯と格闘していた。手先が冷え切っていて、お湯が熱くて触れない。

「慌てないで。少しづつ慣れていけばいいですよ」

「はーい。でも、こんなにお湯が熱く感じた事、今まであまり無かったかも知れない」

「外はものすごく寒かったですからねぇ」

「終わってすぐは、身体がホカホカしてたからそんなに感じなかったけど」

「でもね、手足は冷え切っているものなのですよ」

「そうみたいです」

 そう言いながら物書きさんは一旦湯船を諦め、シャワーで身体を洗い始めた。

「うわーっっっっっっ、な、何するんですか、マダムっ」

 妙に威勢のいいような、悲鳴のような声が壁の向こうから聞こえてきた。

「あら、背中を流してあげてるんじゃないの」

意地悪で楽しげな声が、ややくぐもって聞こえる。

「男じゃろ、このくらい我慢せい」

 そう言って豪快に笑うのは、間違いなくおじぃちゃんだ。

「あちっ、あちちちっ」

「すぐに慣れるわよ、ほら」

「……何だか、男湯は妙に楽しそうですね」

 呆れて物書きさんが言う。その間も男湯での会話は筒抜けになっている。

「ほんに、おじぃさんったら……まぁ、あれがあの人の良い所でもありますけどねぇ」

「……おばぁちゃん、お湯、熱くないんですか」

「ちょうど良い湯加減ですよ」

 身体を洗い終わったおばぁちゃんは、もう湯船に身を沈めていた。

「おばぁちゃんって……」

 言いかけて、物書きさんは言葉を止めた。

「何ですか」

「あ、いや、その……怒りませんか」

「何です……遠慮せずに言って御覧なさい。私は大抵の事は気にしませんから」

 おばぁちゃんはそう言ってにっこり笑う。物書きさんは安心したように笑うと、

「おばぁちゃんって、可愛いなぁって、そう思ったんです」

「おやまぁ、ほほほ」

 おばぁちゃんが楽しげに笑った。

「へへへ」

 ちょっと甘えるような笑みを浮かべながら、物書きさんはおばぁちゃんと並んで湯船に浸かった。

「綺麗な景色……でも、まだお昼だと言うのに、なんだか薄暗くなってきましたね」

「そうですねぇ。雲も厚くなって」

「こんなお昼からお風呂に入るの、随分久しぶり」

「たまには良いものですねぇ。私はこういうのは結構好きですよ」

「私もです。……あ、私ったら、おばぁちゃんのお背中流して差し上げればよかった」

「いいんですよ。こんな小さな背中じゃ流しにくいでしょうし」

「……私、そういうの、した事が無いんです」

「おばぁちゃん、早くにお亡くなりになったの」

「いいえ、何年か前まで……でも、疎遠で、結局何もしてあげなくて……」

「後悔してらっしゃるの」

「どうでしょうか……自分でもよく判りません。ただ、おばぁちゃんの死に顔を見た時、妙に小さく思えて……特に寝たきりだったおばぁちゃんの方は……」

 そこでしばらく言葉が途切れる。物書きさんの眼はどこか遠くを見ていた。

「私、おばぁちゃんって、あまり関心が無かったんですよね。何も考えてなかったんです……どんなに孤独だったか、なんて」

「病院に入ってらしたの」

「ええ、その寝たきりのおばぁちゃんの方は……最後まで独りぼっちで」

「本当に独りぼっちだったの」

「……母は、よくお見舞いに行ってました。それをとても喜んでいて……でも私は……」

 物書きさんの言葉が震えて途切れた。おばぁちゃんは、しばらく何も言わず外を見ていたが、やがて、

「背中を流していただけるかしら」

 そう言って湯船から立ち上がった。物書きさんを見下ろす眼が暖かい。

「……はい」

 物書きさんがはなをグスグス言わせたまま、にっこりと笑った。

外では、いつの間にかまた雪が降り始めていた。

ペンション『キャビン』は、静かに薄く暮れていた……

冷え切った手足にお風呂のお湯はなかなかに容赦ないです。

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