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ペンション『キャビン』物語(第一稿)  作者: 空花(沢 渉)
7/12

第五日目・朝

『キャビン』に珍客が……さて、一体何でしょう。

 翌朝は打って変わって青空が広がっていた。

「ねぇ、見て見て」

 物書きさんが、サロンではしゃいでいる。何事か、と、彼と俳優が寄ってきた。

「ほら、見て見て」

 物書きさんが大きな窓から身体を除ける。

「どうしたの。一体なにをそんなに喜んでいるの」

「軒下を見てくださいよ」

「何も無いですよ」

「もっと下……ほら、ハスキー君の餌の近く……そう、そこから林の方に眼を向けて……ね、居るでしょ」

 いつの間にかささやき声になっている。二人も見を堅くして言われた通りにその眼を走らせていく。

「あ……」

 彼が指をさした。

「もしかして、あれ、イタチじゃないですか」

「そう、そう」

「え、どこにいるの」

「ほら、今は林と小屋の間……走ったっ」

「……あっ、ホンと……へぇ、珍しい。あれ、テンじゃないかしら」

「あんなに小さいんですかぁ」

「ええ……この辺りの山の中にいるらしいわ。私も、ここではまだ一度もお眼にかかったことは無いけど」

「ええっ、じゃあ僕らは運が良かったって訳ですね」

「そうなるわねぇ」

「……なにを窓際ではしゃいでいるんだ」

「あ、おはようございます」

「テンが、今そこに来てたんだ」

「ほう……テンとは珍しいな」

「やっぱり、おじさんでも珍しいのかい」

「ああ、そうだな。あれは夜行性だから、普段、昼の間は出てこないんだがな」

「ハスキー君の餌を狙って来たのでしょうか」

「さぁ……でも確かに、冬の間は食べ物も減りますしね」

「……そうですか」

 物書きさんの眉根が一瞬曇った。しかし、それをすぐに笑顔にすり替える。

「まぁ、あの子は運良く今日の糧を得たわけで……私達も、今日の糧を得なければ」

「はい、後ちょっと待ってて下さいね」

熊が調子に乗る。俳優は呆れた顔をした。

彼は物書きさんの横顔をじっと見つめていた。肩を叩かれ、我に返る。

「そろそろ席に行かない」

 俳優がそう言って笑いかけた。

「雪、解けちゃうのかな」

 物書きさんが心配そうに外を見ていた。

「大丈夫よ、レディ。外は相当寒いし」

「解けて欲しくないけど……でも、ここが大変ですよね」

 その言葉を、熊が聞いていた。

「うちは、雪ぐらいだったらそんなに困りませんよ」

「そうですか」

「ええ。むしろそれ以上に厄介なことは多いですからね」

「そんなにですか」

「何かとですね。中でもとりわけ厄介なのが……」

「厄介なのが……」

「お客が全く来ない事ですね」

「……」

「……」

「…ぷっ、やだぁ」

「あははははは」

「うん、確かに客が来ない事には、何も始まらないわね」

「マダム、そこで納得しないで下さいよ」

「あら、でも本当の事ですよぉ。ねぇ、あなた」

 そう言ったおねーさんはワゴン車を押していた。

「ルームサービスもするんですか」

 彼と物書きさんが顔を見合わせる。

「ええ、しますよ」

「それはあの老夫婦のかしら」

「いいえ。あのご夫婦はもうとっくに朝食は終わってますよ。これはもう一組のお客さんのですよ」

「いらっしゃったんですか、後一組」

「それって、昨日、夕方に自分の車で来た人達じゃないですか」

「あら、ボーヤ知ってたの」

「ええ、僕の部屋の前を通って行ったから」

「そうよ。その人達」

 おねーさんは階段の下までワゴンを運んで行った。

「後は俺がやるから、皆さんの食事の用意を頼むよ」

 熊が横合いから銀盆を取り上げる。

「はぁい」

 おねーさんは素直に台所に消えていく。食事を盆に載せ、熊は二階に上がる。

「みんなで食事しないのかな」

 物書きさんが首を傾げる。

「誰にも干渉されたくないんでしょ、きっと」

 俳優が言う。

「それに否が応でも会えるわよ。どうせディナーはここでいただくんだから」

「そうですね」

 朝食は、約束通りワカメに豆腐の味噌汁がついていた。

「げっ……」

「好き嫌いは許さないわよ」

「そう言われても……」

「あ、おいしい」

 早速物書きさんが味噌汁を啜っている。

「ね、一口でいいから食べてごらんよ。ほんとにおいしいから」

「そ、そうですか」

 彼は眼を瞑って一口啜った。そして、

「あ……ほんとだ」

「ね」

 彼は味噌汁を二杯おかわりした。

「こんなに味噌汁がおいしいなんて、初めて知りました」

「あら、その言い方、まるで味噌汁そのものが嫌いだった見たいな言い方じゃない」

 俳優がそう言って笑うと、彼はちょっとだけばつが悪そうに、

「正直言って、あまり好んで飲んではいなかったですね」

「勿体無いなぁ、こんなにおいしいのに。やっぱり現代っ子って違うのかなぁ」

「そういうレディだって、僕とそんなに歳変わらないじゃないですか」

「そうだったか」

 そう言って物書きさんは舌を出す。俳優がそれを見て笑った。

「もしかしてボーヤは、コーンスープとかの方が舌に馴染んでるんじゃない」

「どっちかと言うと……母はあんまり味噌汁は作りませんから」

「ふぅん。うちなんかそれこそ毎日だったな。それが結構辛くて……一時期減塩にも凝ってたけど、結局長続きしなかったな」

「あら、高血圧とかは心配じゃないの」

「それでもだいぶ薄味になりましたから。あのままだったら危なかったかも」

「おやおや」

「でも、確か塩分の取り過ぎだって、バナナ食べれば大丈夫なんでしょ」

「……」

彼は二人の会話を聞きながら、ただ黙って味噌汁を飲んでいた。既に二人の会話は彼のついていけない次元に達している。

「もう、いいのか」

部屋に食事を持って行った熊が、彼の後ろから声をかけた。

「あ、ああ。もういいよ。おなか一杯だ」

「で、どうだった。ワカメの味噌汁は」

「おいしかったよ」

「ならよかった」

 そう言いつつ、熊は思い出したようにニヤリと笑う。

「でも好き嫌いは良くないな。そんなんじゃ大きくなれないぞ」

「もう遅いよ」

「ばかやろ。根性入れればまだ大きくなる」

「根性でどうにかなるものかなぁ」

 彼が呆れて言うと、

「あら、そうでもないかもよ。ボーヤは確かまだ高校生でしょ」

「と言っても、もう三年生ですけど」

「なら、まだまだだわ。私なんて二十歳過ぎまで背が伸び続けたから」

「マダム、そんなに遅くまで成長期があったんですか」

 物書きさんは、ちょっとだけ首を傾げて、

「何かスポーツでもやってたんですか」

「ただ芝居の稽古をやっていただけよ」

「そんなにハードだったんですか」

「さぁ、どうかしらね。でもたまにいるわよ。たいして何もしていなくても」

 物書きさんは、もう一度首を傾げてから、

「あ、でもそう言えば私も、二十歳過ぎて一センチ伸びたっけ」

「あら、根性あるわね」

「いやぁ、それほどでも」

「……照れますか、それで」

彼は少し呆れ顔で笑う。物書きさんはそれを涼しげに受け流して、

「あら、だって誉められれば嬉しいじゃない」

 しかし、すまし顔は長く続かない。俳優が初めに吹き出すと、笑いが一気に広がる。

「本当にたいした子だこと」

「いいんじゃないか、このくらいあった方が」

 熊までが調子に乗って言う。

 彼だけが結局ついて行けず、しばらく呆れて見ていたが、やがて、

「これが大人なのかな」

 その呟きが更なる爆笑を引き起こした。

「そんなに笑わないで下さいよ」

 ちょっと唇を尖らせる。が、結局、彼もまた笑いの仲間に入った。

ペンション『キャビン』の朝は、いつものように過ぎて行った……

答えはテンでした。


わかめの味噌汁、好きなんですよね。

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