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ペンション『キャビン』物語(第一稿)  作者: 空花(沢 渉)
4/12

第三日目・終日

今日もまた新しいお客さんが一人やってきます。

 まだ外は真っ暗だった。

 揺さぶられて目を覚ますと、俳優が覗き込んでいた。

 そしてにっこりと笑うと、

「ほらっ、いつまで寝てるの。もう起きないと間に合わないわよ」

「間に合うって……」

「今日の、私のリサイタルよ」

「えっ、まさか……」

「そう、そのまさかよ」

 当然のように言い放つ。

「でも、着替え……」

「何でもいいわ。とりあえず着替えて降りてらっしゃい」

 言われた通りにして降りていくと、既に俳優は外套を着込んでいた。そのそばには熊もいる。おねーさんの姿は見当たらない。

「上着は持ってきたわね。ん、上等」

 言いながらちょっと小首を傾げる。

「マフラー、しなくていいのかしら」

「ええ、寒さには結構強いですから」

「そう……でも、この辺りの寒さは結構厳しいわよ」

「まあ、いいじゃないか。どうせあんまり外は出歩かないだろうし」

「そう……ね。じゃあ行きましょうか」

 そうして一行は出掛けて行った。

 午後を随分すぎて、熊が客を一人連れて帰ってきた。

「お帰りなさい」

「ただいま。何かあったか」

「別に何も。外はどう。雪、まだひどいの」

「ああ、結構激しい」

「あら、そういえばお客さんは」

「外にいる」

 熊が低く笑い声を立てる。おねーさんの眼が、きょとんと熊を見上げる。

「心配要らない。ただ雪が珍しいから、しばらく見て居たいんだと」

「そういえば、確か南の……」

「おう、だからだろ。なんか温かい物でも用意しとこう」

「そういえば昨日のケーキ、まだ一杯残ってたね。でもお昼は……」

「済ませて来たそうだ」

「あなたは」

「まだだ」

「じゃあ、何か軽く作るね」

 おねーさんは台所へ消えて行った。

 しばらくして、一人の客が入って来た。

「また後でね、ワンワン」

その後ろで、ハスキーがしきりに吠えている。客はそれに向かって軽く手を振って、ドアを閉めた。

「人懐っこいですね、あのワンちゃん」

「そうですね。でも、結構人見知りする所もありますけど」

「そうなんですか。その割にはシッポ振ってましたけど」

「犬は好きでいらっしゃいますか」

「だーい好きです」

「ははは」

 熊が明るく笑うと、

「へえ、よく通る声ですね」

「よく言われますよ」

「でしょう」

 そう言ってまた笑い合う。

 おねーさんがお茶を運んできた。

「いらっしゃい。外は寒かったでしょう」

「ええ、とても。でも雪が降っていて、とっても綺麗です」

「雪が積もったのを見るのは、初めてですか」

「前に一度だけ。例年に無い大雪のときに。凄かったんですよ。もう、辺り一面真っ白で、おまけに停電までしちゃって」

「えーっ、停電したんですか」

「南なものだから、慣れていないんですよね。でも、お陰でその夜、とても綺麗なものが見られました」

「綺麗なもの……」

「ほらほら、お嬢さん。話し込んでいたらお茶が冷めるぞ」

 言われて、おねーさんは頭をぽんとたたく。

「きゃーっ、忘れてた」

「はいはい……紅茶でいいですか」

「わ、有り難うございます」

 いい香りを立てて、ミルクティーが入った。それを啜りながら人心地つくと、

「こちらへ……一応宿帳だけ書いてもらえますか」

「あ……」

「お客は間抜けた声を出した。そしてすぐに吹き出した。

「そういえばここ、ペンションでしたね。すいません、うっかりしちゃって」

 熊とおねーさんが、顔を見合わせて笑う。

「そんなのは気にしなくていいですよ。ペンションなんて、もともとはそれが目的でもあるんだし」

 客はくすくす笑いながら住所と名前を書き込んでいく。職業の欄になって、お客の手が、ふと止まった。

「どうしましたか。何かわからない事でも」

「いいえ。けど、困ったなぁ……一応職業はあるんだけど……」

「書けないような、職業って……」

 おねーさんは既に相手がお客であることを忘れているようだ。客は困ったように笑って見せた。

「やくざやさんとか」

「何ですか、そのやくざやさん、て言うのは」

 言ってちょっと考え込むと、

「まぁ、いいか」

 さらさらと書き込んだ。

「何だ、小説家ですか」

 少しがっかりしたようにおねーさんが言うと、

「何を期待してたんだ」

 熊が呆れたように、おねーさんの頭をぽんぽんとたたく。

「だってぇ、書き渋るから」

 物書きさんは、くすくす笑うと、

「ほんと、仲がいいんですね」

「まあ、夫婦ですから。好きじゃなきゃお嫁になんかしてません」

「ハーイ、どうもどうも」

 そして急に思いついたように、

「あ、そうだ。しばらくお世話になります」

「堅い挨拶は抜きにしましょ。まだ、ケーキはたくさんあるから、遠慮しないでね」

 日が暮れた。まだ雪は降っていた。

「わぁ、日が暮れるのが早い」

「今日は特に曇ってるから」

「だいぶ積もってきてますよ。確か、他にお客さんがいるんでしょ」

 心配そうに物書きさんが言う。熊が時計を見上げた時、フロントの電話が鳴った。

「はい、ペンション『キャビン』でございます……おー、で、どうするんだ……今から本番か……で何時に……」

それからしばらく熊は何かを話してから電話を切った。

「今の、俳優さんからだったの」

「おー」

「何ですって」

「今から本番なんだと」

「で、夕食はどうするって」

「要らないそうだ。ボーやともども」

「あらあら」

「じゃあ、こっちも夕食にするか」

「そうね」

「大丈夫ですか」

「何がですか」

物書きさんは窓の外を見ていた。

「ああ、雪ですか。心配要りませんよ。この程度だったら、毎年のことですから」

「なら、いいんですけど……」

「もうすぐ食事ですから……」

 おねーさんがにっこり笑った。

「お風呂、入りませんか。料金の内だから、入らないと損ですよ」

 極めて真面目な調子で言われて、物書きさんは頷くしかなった。

 物書きさんが夕食を終え、しばらく談笑していると、もう一度電話がかかってきた。

「迎えに行ってくる」

 そう言って熊が出て行くと、おねーさんが少し寂しそうな顔をした。

 しばらくはお互い口も開かず、物書きさんは、積もっていく雪を見つめていた。

「なんかここ、日本じゃないみたい」

 ポツリと物書きさんが呟いた。

「日本ですよ、間違いない無く」

 おねーさんが答える。

「確かにそれはそうですけどね」

 物書きさんが、肩を竦めて笑う。おねーさんも一緒に笑う。二人はかなり長いこと笑い合っていた。

「静かですね、この辺りは」

「何もありませんから。人里も遠いし」

「寂しくありませんか」

「うーん……」

 おねーさんは考え込んでしまった。

「悩まなくても、別にいいですよ」

 笑いを堪えて物書きさんが紅茶を啜った。盛り付けてあるお菓子に手を伸ばす。

「あら、これ変わった形ですね」

 いびつな形のクッキー。一応真ん中にはドライフルーツが飾ってある。

「ああ、それ」

 見た途端、おねーさんは思いっきり吹き出した。

「かわいいでしょぉ。あのね、本人は絶対人に見せるなって言ってたんだけど」

「……確かに、ひどくユニークで」

 言葉は最後まで続かなかった。

「でも、慣れてないところが、なんともかわいい」

「ね、そうでしょ」

「でも、怒りませんか、その子」

「だって、なんか宝くじみたいで面白いから……」

「……なるほど。と、言うことは、もちろん断ってないでしょう」

「当たり前ですよ。教えちゃったらつまんないもの」

「……はいはい」

 言って、ふと首を傾げる。

「でも、よく見つかりませんでしたね。このクッキー、自由に食べていいんでしょう。その子、クッキー食べないんですか」

「あんまり食べないみたい。ま、男の子だし」

「男の子……お客さん……じゃないですよね」

「お客さんですよ、もちろん。これ、昨日お客さんたちと一緒に焼いたんですから」

「ははあ……で、その人たちは今日もここに……」

「泊まりますよ。もうすぐ帰ってくるんじゃないかしら」

 外で音がして、車が止まった。

「うわー、寒い。早く中に入りましょ」

「先に入っておけ」

「有り難う、おじさん」

 賑やかな声が聞こえて、続いてドアが開けられた。

「ただいまぁ」

 ハスキーな声。遠くではハスキーが吠えている。

「お帰りなさい。どうでした、リサイタルは」

「うーん、結構乗ったかしら。客の入りもまずまずだったし」

「あっさり言うけど……」

 少年らしさの抜けない声が、笑いを含んで言う。

「帰るとき、大変だったんですよ。奥様方が詰め掛けて……」

「あら、そう」

「もう、凄かったですよ……マダム、外套はお部屋にお持ちしますか」

「あらあら、すっかり紳士が板についちゃったわね」

 俳優は笑いながら外套を手渡した。

「入り口のコート掛けに掛けておいて下さったらいいわ」

「ウィ、マダム」

 にこやかな笑みを交わして、少年が二階へ上がっていく。

「お茶、入れましょうか」

 おねーさんの声に、ちょっと立ち止まると、

「はい、頂きます」

 サロンは賑やかになった。彼と俳優はそれぞれココアと珈琲を啜り、物書きさんはもう何杯目かのハーブティーを飲んでいた。

 ハスキーも今夜は特別に家の中に入っている。それは玄関のドアの所でうずくまっていた。時折、ぴくりと頭を上げる。そしてそのまま、また元に戻る。

 物書きさんは、ずっと雪を見ていた。

「雪が、好きなんですか」

「ええ、好きよ。こんなに積もったら、わくわくしない」

「そうですね。僕もこんなに積もるの見たのは、初めてです」

「へえ、君もなの。でもいいと思わない。季節が感じられて」

「あ、それ、解ります」

「でしょう。私が育った町は、特に雪が降らなくて」

「暖かいんですか」

「ううん……どうかな。氷は張ってたから、寒いのは寒かったかもね」

「……そういえば、氷が張るなんて見たこと無い……」

「都会に住んでるのね」

「なぜ、判るんですか」

「垢抜けてるのよ」

 まるで冗談のように言って、物書きさんが笑った。彼は、物書きさんの隣に座を占めた。

自分も窓の外を覗き込む。

「明るいですね」

「そうね。雪明りって言うんでしょう」

 それに答えたのは、おねーさんだった。

「そうですよ。いい時に来ましたね」

「感謝しなきゃです」

 物書きさんがおどけて言うと、みんなが笑った。


 部屋へ引き上げて、着替えを済ませた頃、彼の部屋のドアをノックするものがあった。

「ボーヤ、もう寝ちゃった」

 ドアを開けると、俳優がお酒のボトルを持って立っていた。

「どうしたんですか、マダム」

「今から、お部屋にいらっしゃい」

「今から……ですか」

「もう寝るならいいけど」

 彼はちょっと考えた。もう、寝巻きに着替えてしまっている。

「この恰好じゃ……」

「だからいいのよ。それにすぐには眠れそうに無いし」

「何か不安なことでもあるんですか」

「……ボーヤは本当に優しい子ね」

「そ、そうですか」

 照れる彼を見ながら、俳優は微笑んだ。

「私はただ、カーニバルを楽しみたいだけ。こんな夜だから、寝るの勿体無いのよ」

 その言葉に彼はその眼を輝かせた。

「あはは、マダムらしいですね。解りました。すぐに伺います」

「そのままでいいわ。すぐにいらっしゃい」

俳優の部屋には、先客がいた。

「あ、君も来たの」

「こんばんは」

「いいな、こんな感じ。カーニバルの夜みたいで」

「マダムと同じ事を言いますね」

「マダム、って、誰」

「あ、そうか」

 俳優と彼が、顔を見合わせて笑った。

「ね、ムシュウ」

「ウィ、マダム」

「ああ、なるほど。じゃあ私はマドモアゼル、ってわけだ」

「飲み込みの良い子……でも、あなたはマドモアゼルよりも、レディかも知れないわね」

「……『マイ・フェア・レディ』、なーんて」

「そうね、確かにあなた、顔は幼いけど、多分心まではそんなに幼くない……」

「そうですかぁ。私、かなり子供っぽいってよく言われますよ。特に行動とか」

「外見はね……でも、どうでもいい事よ。その人自身でありさえすれば、それが一番魅力的。私はそう思っている」

「……さすがに凄いですね。今、思い出しましたよ、マダム。確かに貴方ならそれを言えるでしょうね」

「有り難う……さあ、飲みましょう。まだまだ宵の口。夜はまさに今からよ」

 三人は円座になった。

 ペンション『キャビン』の夜は、今からが本番だった……

クッキーの型抜き、慣れないと案外難しいですよね……

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