翠の約束「一難去って」
「どーんっ!翠蓮様、結衣食べちゃうの〜?」
「……紅緒、起きたんだ、おはよう」
突如、陽気な声が聞こえたかと思うと、彼の顔の横にひょこっと少年の顔が覗いた。
見慣れた小さな姿ではなく、白髪の少年の姿だ。純白に混ざる濃い色に先程まで気付かなかったのはなぜか。青い髪飾りが軽く揺れている。
何はともあれ、私にとっての救世主が来てくれたようだ。
……はたして救世主だと呼べるのかわからない第一声だったが。
「ねえねえ!食べるんだったら僕も久しぶりに欲しいな〜!夏芽のお肉美味しそうだもんね!小指1本だけでも、あ、でも欲を言えばふくらはぎがいいな!」
「こらこら、夏芽を食べたりはしないよ。紅緒も人間は食べてはいけない、葵にも示しがつかないだろう?」
救世主だと思った矢先、彼らの会話に顔の血がサーッと勢いよく引いていくのが嫌でもわかる。
獲物を狩る目をしているのは気のせいだと思いたい。
それを察してか、上から私の頭にふわりと手が伸びる。
緋色が飛び乗って来たと同時に起き上がった彼は、未だに放心状態の私の背中を起こしてそのまま座らせた。
何事も無かったかの様な雰囲気に、ほっと胸を撫で下ろしたが、緋色との会話の途中に、コソッと「また今度」と微笑まれ、顔に熱が戻ったのは言うまでもないだろう。
「さて、邪魔は入ってしまったが、夏芽を嫁にもらうのは決定事項であり君に拒否権はない。一応ここで生活してもらうし世話係も付ける予定だけれど、何か心配事とかはある?」
さらっととんでも無いことを言われるのは慣れてきたとはいえ、許容するにはまだ時間がかかりそうだ。
人里……?って言っていたか、元の世界に特に思うところもないし。強いていえば、置いてきた友人や家族にはどう思われるのだろうか。突然いなくなったことで騒ぎになってはいないだろうか。いつまでも騒がれているというのは非常に後味が悪い。なんか申し訳ない。
そのことを尋ねれば、ああ、なんだ、そんなことかと。何も問題はないという。
「夏芽を隠里に連れてきた時点でその場にいた友人の記憶は上書きをしておいたし、家族にしても特に問題はない。一日二日こちらにいれば夏芽に関しての記憶も存在ごと人里からは消えるからね。まあ、その間は仕事も休みを取るし隠里の案内でもしようか」
もう何があっても驚かないぞ。そう思いながらも表情筋というのは正直なものである。まさに開いた口が塞がらない。そんな都合が良くていいのだろうか。
「なんかもう、なんでもありっていうか……」
「夏芽、目の前の私はなんだと思う?」
「……神様じゃん」
「人里も言わば神が作った世界だ。私にはできないけど、理に干渉し捻じ曲げることが許されている神は少なくないんだよ」
妙に親しげに会話をしていたが、そうだ、目の前の彼は神様だ。いや、決して忘れていたというわけではない。忘れていたわけではないんだけど。
綺麗な成人男性の姿をしていて実感があまり湧かないのである。それはそれは現実では絶対にありえないだろう現象はいくつも見たし体験してきたが、正直なところあまりすごい神様にはどうしても感じないのだ。
基本的に優しいけど脅迫が趣味のお兄さんという印象である。もちろん褒めてはいない。
「翠蓮様、夏芽絶対信じてないよ!」
「ふふ、そうだね。でも仕事が始まればすぐに理解するだろう」
「でもお仕事しばらくお休みなんでしょ?」
「えっそうなの!?」
不意に視界の隅で鮮やかな赤が揺れた。しっかりと見据えれば、それは飛び起きたもうひとりの白蛇、葵の髪飾りであることがわかる。
「葵、起きたんだね。おはよう」
「翠蓮様!おはよう!お仕事お休みなの?」
「人里から夏芽の存在が消えるまではね。ついでに紅緒と葵も頑張ってくれてるし、いつもお疲れ様会しようか」
「「やったあ!!!」」
恐ろしい単語が飛び交いつつ、こんな親子みたいな会話が繰り広げられる中、私は先ほどから一つの単語に思うことがある。
「あの、さっきから言ってる仕事っていうのは?」
一瞬の沈黙。私は言ってはいけないことを言ってしまったのだろうかと、そんな不安に駆られる。しかし、それは杞憂だったようだ。
「ああ、ごめんね夏芽。仕事の話をするのすっかり忘れていたよ」
どうやら忘れていただけだったらしい。この分だとまだ忘れていることがありそうだけれど、今言われたところでどうにもできないのだ。その都度、彼が思い出した時にでも話してくれるだろう。どうせ私が知るべきことなんてあまりないのだから。
「私たちはね、ここで退治屋を営んでいるんだ。どうせ夏芽は嫁に来たところで何もする事はないのだし、少し手伝ってもらおうと思ってね」
言葉の節々に棘を感じる。なぜ。さっきまでのいろいろあれこれで気が回らなかったが、もしかして、もしかすると、彼は私が嫁ぐことを望んでいないのでは……ないだろうか。優しい笑顔のまま言われるので悪意があるかないか見当もつかないが。
「本当は危ない仕事を夏芽にやらせたくはないけど、異類婚姻届を出す際に面倒臭い規則があってね。上がうるさいんだ」
「婚姻届……」
「格上の神達はいまだに異類同士の婚姻に反対する奴が多い。だから婚姻する際、1日のおよそ3分の2は共有する時間を確保しろということだ。言ってしまえば監視をつけろということだね」
私の頭によぎったのは「婚姻届」という絶大なインパクトの文字列だが、彼は別の言葉に対しての疑問を汲み取ったらしい。それにしても3分の2。自由時間は8時間。自由時間はトイレとお風呂と睡眠ということになるか。
いや、もうちょっとひとりの時間欲しいのだけど。
「仕事に同行するのはいいんだけど……」
「食事と睡眠と風呂を共にすれば大丈夫だろう」
「全く良くないんだけど」
「何もしないから大丈夫だ」
「嫌だ」
穏やかな顔で危ない橋を渡らそうとしないで、提案するんじゃない。それから両方ともなかなか折れずにいたため、飽きた緋色と葵により決断を急かされることになり、結局、妥協に妥協を重ね、共に寝ることになった。何と言っても、お風呂の時間を勝ち取ったことが一番嬉しい。
喜んで一息つき、すでに冷めたココアを飲み干すと、秋だというのにぽかぽかと暖かい。
そういえばと、開け放たれた障子から見える景色はここに連れてこられた時と同様、桜が咲き誇っている。
それに見とれていた私は、「夏芽」と、桜のように柔らかい声で呼ばれたことに心臓が少し高鳴った。
視線を戻せば、今までで一番優しい顔で微笑んでいる。彼も、双子の白蛇も。
「私は夏芽のことが好きだ。昔、君の先祖と約束をした時には、なんて馬鹿なことをしたんだろうと後悔したけどね、全く学んでいないみたいだ」
そういって彼は座ったままの私に覆いかぶさり背中に手を回した。さらさらの銀髪が頰をかすめ、思ったよりも声が近くてくすぐったい。
「もう一度約束をしよう。ずっと夏芽を愛するよ。この先、私が後悔することはもうきっとない」
ここで十数分前、彼は私が嫁ぐことを望んでいないのでは、と考えたのを訂正しなければいけない。
この神様、多分、私のこと大好きだと思う。
私は肩越しに見えた桜を、温かな空気の中、人より冷たい彼の手を一生忘れることはないだろう。
第一章完結です!!!ふうううううううう!!!
一章書き終えたことにまず達成感……
世界観の説明とか、新キャラが出てくるのもこれからなんですがとりあえず一区切り。
初めて小説書いて改めて作家さんてすごいなって思いました。
いや、難しいなぁ。難しいけど、書いててとても楽しい。
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これから二章に入ります。
二章は隠里と、本題ですね、神様のお仕事に同行してお手伝い(?)させられます。
新キャラも初っ端からフル稼働していきますのでお楽しみに。
夏芽ちゃん神経が図太いし適応力も半端なく高いので応援してあげてくださいね!
(キャラデザがすでにあって、すでに声を脳内で当てているところまで来てるの末期症状すぎて恥ずかしい)
これからも「神様のおしごと」よろしくお願いします!