翠の約束「お守りの結界」
「あれはそう、数刻前の事だ」
そんな風に昔を懐かしむように言われてもどこも共感できない。
数刻前…と言われても正直よくわからないが、とりあえず相槌をうつ。
「夏芽達の学校で、なんといったかな……祭があっただろう」
「祭……文化祭の事?」
「そうそれだ」
文化祭が思いつかないっておじいさんか。物忘れが激しいのか。
「そこで夏芽達は暗い部屋に入っただろう?」
「……もしかして、お化け屋敷の事……?」
「それそれ」
どうしよう、本当にとぼけたおじいさんと会話している感覚に陥ってくる。とてもゆったりとした会話をしている……。
そんなことを考えながらも引き続き相槌を打っていると、目が座っていることを指摘されハッとした。
「それで、そこにいたんだよ。妖が。本当はもう少し後に始末する予定だったのだけどね」
「……?でもそれとこのお守りがボロボロなのは関係なくない?」
「あるよ、大ありだ。このお守りはね、普段夏芽を囲むように結界を張っていて、邪気を近づけないように、通さないようにしているんだ。でも、お守りももう古いから効果が弱くなってしまって……。思った以上に力をつけてしまった妖が夏芽を食べようとして攻撃した時、お守りは残りの力を使ってしまった。これはその時結界が受けた傷を知らせるため、お守りの効果がなくなったことを示すための跡かな」
驚きだ。結界なんて、そんなもの初耳だったし、第一あのお化け屋敷でそんな凶悪そうな妖見かけなかった。いや、見かけても困るけど。
でも、死んだ祖母がお守りを気にかけていた理由がわかった気がする。
祖母は私の身を案じていたのだ。私自身、そんな危険な妖を見たことがなかったからお守りを重要視する意味が理解できなかったけど、確かにお守りは結界として私を守ってくれていた。
「夏芽、すごく納得した顔をしているけど話が全て終わった訳じゃないからね」
「えっ、でもお守りがボロボロになった経緯はわかって……」
少し考えて怖くなった。お守りは残された力を使って私を守った。守っただけ。
傷をつけた、私を食べようとしていた妖は今、いったいどこにいるのだろう。
まだ生きていてそばにいるのだとしたら。私に隙ができるのを虎視眈々と見ているのだとしたら…。
もしかしてすぐ近くに____
そこまで考えて顔から血が引いていくのを感じたが、なんとも軽い声が、とても軽い謝罪が彼の口から出てくるのは秒で、私はすぐさま元の顔色を取り戻す。
「あ、ごめんね、意地悪な言い方をした。そんな怖がらなくていいよ。その妖は今、ふたりの腹の中だ」
そういった彼は両脇にひっついているふたりの少年を交互に見た。
妖はこのふたりの腹の中?
頭上にはてなマークを浮かべている私に、ふたりはひょいと近ずいて腕を大きく広げた。
「ふふん!夏芽を守ったの僕たちだもんね!」
「こんなふっるいお守りよりも僕たちの方が強いもん!」
「まあ、あんまり美味しくなかったけど」
「だってあれ蜘蛛なんだもん、ちょっと戻しそうだった」
一瞬とんでもない言葉が聞こえた気がした。
そうかぁ、美味しくなかったかぁ。と頬を緩めて会話できるほど私のキャパは大きくないのだ。
今この2匹がジェスチャーで示した蜘蛛の大きさは2メートルくらいあった。
それを美味しくなかった、要約すると食べたと言った。
自分の体の何倍もある蜘蛛を。
そもそも蜘蛛って食べるものではないのではないか。
「だからね!翠蓮様ー!たぁっくさん褒めて〜!」
「あーずるい!僕も僕も!」
「あぁ、今夜は質の良い蛙を用意するから楽しみにしていてくれ」
「「やったぁ!!!」」
ふたりの少年は彼の周りをくるくると跳ねまわり、綺麗な瞳を爛々と輝かせている。
「ほら、夏芽も褒めてあげて。その為に話したんだから」
「え!夏芽が!?」
「ほんと!?」
さっきと変わらないキラキラとした目が私の顔に集中する。
その綺麗な顔とも相まってなんとも言いづらい圧を感じるのは気のせいではないのだ。
目の前でこの光景を微笑ましく見守る彼は、この子達を褒めてもらおうと思ってあの話をした。
妖を食べ、たとえそれがマズかったとしてもそれは私を守るため。
この子達が蜘蛛の妖を放置していれば食べられていたのは確実に私の方だ。それは感謝している。
「夏芽……?」
「頭よしよしは……?」
「僕たちあんなに頑張ったのに……」
「残さず跡形もなく食べたのに……」
結局、泣き落としと圧に負けた私は小さいふたつの頭に軽く手を載せるのだった。
「まあ、それはそれとして、夏芽には別件で話さないといけないことがあるからね。とりあえず行こうか」
<翡翠神社には近づいてはいけないよ。
そこの神様は随分と夏芽ちゃんを気に入ってるからねえ。>
こっちの世界に連れてこられて嫌な予感は何度目か。
私より幾分冷たい手が重なり、驚いて彼を見上げた。私の方をチラリとも見ずに前を進む彼は遠い存在だと直感か、そう感じる。
ひらり
季節外れの桜に気づいたのは、落ちてくる花弁が彼の端正な顔を横切ってからだ。
ここは私が今までいたところとは全く別の世界なのだと、漸く、はっきりと思う。
周りを見渡せば、あたり一面薄桃色で満ちている。今まで目に留まらなかった、存在すら気付かなかった満開の桜が身が弥立つほど神秘的で恐ろしかった。