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誠の話

-1-

 初恋だった。目が大きくてまっすぐな長い髪の毛を後ろでまとめていて、いつもニコニコと優しい笑顔をしている女の子。その子は俺と同じクラスの男の子の手を握りながら毎日仲良く二人で学校に通っていた。

「たっくん」

女の子は優しい声であの男の子の名前を呼ぶ。呼ばれるたびに嬉しそうに笑うたっくんを見ているだけで心の奥で怒りにも似た言葉に出来ない感情が溜まる。それが何なのか分からなくて、その感情をどうにか発散させたくてたっくんをいじめるようになった。体が小さいことや足が遅いことを気にしているたっくんを周りのみんなと一緒に馬鹿にした。それで心が晴れるかと聞かれればそんなわけない。だって、たっくんが泣いて家に帰るとあの優しい笑顔の女の子がたっくんの心を癒していると知っているから。どれだけたっくんを馬鹿にしたって、意味がない。意味がないと分かっていてもなかなかいじめを止めることなど出来なかった。そんなある日、クラスの男子数人がたっくんをいじめているのを見かけた。俺は暴力が嫌いだから絶対に手だけは上げないようにしていたのに、いじめていた奴はたっくんを何の躊躇いもなく叩き、そしてプロレスをしようと言って何回かたっくんに暴力をふるっていた。たっくんは今にも泣きそうな顔でそいつを睨んで何度も反撃をしようと頑張っていたけど、体が小さいせいかうまくいかず何度も転んでいた。それを見ては馬鹿にしたように笑いまた攻撃をする。そうか、俺もあいつらと同じなんだ。自分の心が晴れる気がして毎日たっくんをいじめていたけど、どれだけたっくんをいじめたって俺の心が晴れることなんてないんだ。もうこんな意味のないことを続けるのはやめよう。

「おい!お前ら何やってんだよ!」

そう思った瞬間、たっくんのもとへ大声を出しながら走って向かっていた。たっくんはすごく驚いた表情をして、いじめていた数人はもっと驚いた表情をしていて少しだけ笑いそうになる。たっくんをいじめていた数人に「こいつをいじめていいのは俺だけだ」と脅して、たっくんを連れてすぐにその場から離れた。ずっと下を向いて俺の横を歩いているたっくんが今にも消えそうな声で「ありがとう」と言う。俺はそれに「おう」とだけ返して二人で歩いた。なんとなく見上げた空がいつもと変わらないはずなのにとても綺麗で笑みがこぼれた。何度もこの道を歩いているのに、たっくんと二人で歩くこの道は今までと違っていて特別な気分になる。そうだった、俺はたっくんと二人でこの道を歩きたかったのか。心に空いた穴がふさがるような感覚だ。

「友達になろうぜ。」

思いもよらない言葉が出る。でも不思議と心が晴れやかだ。たっくんの顔を見ると少し困ったような変な顔をしていた。次の日から俺はたっくんをいじめるのを止めて学校では他のクラスメイトにいじめられないようにずっと一緒にいた。好きな漫画の交換をしたりゲームをしたり、運動が苦手なら俺が教えてやると一緒にバスケだって始めた。いじめが悪いことだって自覚していたからちゃんとたっくんに謝罪だってした。いじめは許されないことくらい分かるから、もしここで謝罪を断られたらもうたっくんに近づかないくらいの覚悟だってある。でもたっくんは受け入れてくれた。

「いじめることが悪いことだって知っていてやったんだ。ごめん。謝って許されることじゃないと思うけど、俺はたっくんと友達になりたい。もし嫌なら断ってくれてもいい。」

頭を下げながら震える声で言うとたっくんは俺の両手をとって「許すよ」と小さく呟いた。思わず顔をあげてたっくんを見ると、あの女の子と同じくらい優しい笑顔がそこにはあった。その笑顔が眩しくて思わず目を細める。たっくんをまっすぐ見ると少しだけ胸が痛い。でもその痛みは嫌なものではなくとても心地良いものだった。

「いじめられるのは本当に嫌だったけど、誠とたくさん遊べて楽しかったし嬉しかったから友達になろう!」

このまぶしい笑顔をずっとずっと守っていこうって、その時俺は決めたんだ。これから先もたっくんの隣で良き友達としてずっとずっと側にいると誓った。これは誰にも言えない初めての恋。好きな子だからあんなにいじめた。あの女の子に向ける嬉しそうな笑顔を俺にも向けてほしかった。いや、向けていなくてもずっと笑っていてほしかった。でもいつからか卓也は笑顔が少なくなっていった。成長するごとに、体が大人に近づくごとに優しい笑顔はいつの間にか張り付いたような顔になり、真白さんの話を嬉しそうにたくさん話していたのにそれも少なくなって今じゃ真白さんのまの字も出ない。高校だって真白さんと同じ学校に行くと思っていたのに、何故か俺と同じ実業高校の推薦を受けた。高校に合格した時はさすがに嬉しそうに笑うかと思ったけれどそんなことはなく、卓也は今にも泣きそうな顔だった。それでもバスケをしている時だけは本当に楽しそうにしていて、俺もそれが嬉しくて部活中にも関わらず卓也にちょっかいを出して一緒に顧問の先生に怒られて二人で笑った。でも部活以外での卓也はどこか遠くを見てクラスメイトと話すことも少なくなった。寝不足なのか目の下のクマが目立つようになったときは心配して話を聞こうをしたけど、卓也は「大丈夫」「なんでもない」と言葉を繰り返し頑なに自分のことを話そうとはしなかった。でもいつかは限界が来る。あの日特に卓也はひどい顔をしていた。高校に入学してまだ二週間程度の面識しかないクラスメイトから心配されるほどだ。卓也はそんなクラスメイトの心配する言葉も耳には届いていないらしい。授業中や休み時間には窓から学校の近くにある海の方向をただじっと眺めていて、他の人が話しかけてもずっと空返事を繰り返すばかりだ。それはずっと続き帰りのバスでもずっと上の空。いつものように気づいていないふりをしようとしたけれど、この日ばかりはそんなこと出来なかった。だってもう卓也に限界が来ているような気がしたから。さすがにバスには人がいて聞くことは出来ずバスを降りてすぐに卓也に「最近は大丈夫か」と質問をした。卓也はいつもの張り付いた笑顔をしながら「大丈夫」と言う。それにムカついてつい声を荒げながら「大丈夫じゃないだろ!」と言ってしまった。昔は友達だからずっと一緒にいて楽しいことや悔しいことを二人で分かち合っていた。でも今は卓也が遠い。毎日一緒に登下校していつも隣にいて一番の友達のはずなのに、今目の前にいるのに、遠く感じて思わず泣きそうになる。卓也は俺をまっすぐに見た。そして「なあ、普通って何だと思う?」と俺に質問を投げた。意味が分からず思わず眉間にしわが寄る。

「どういうことだよ。」

卓也の張り付いた笑顔がどんどん消えていく。

「そのままの意味だよ。普通の恋愛ってさ、何だと思う?」

初めてだった。卓也のこんな感情のない顔を見るのは。

「…人を好きになることが普通の恋愛じゃないのか?」

卓也の表情は変わらない。

「じゃあさ、俺が真白のことを本気で好きなのは普通だと思う?」

「え…?」

俺と卓也の間に冷たい風が流れ時間が止まる。

「…ごめん、急にこんなこと言われても困るよな…。」

言葉が出てこない。鳩が豆鉄砲を食ったような顔がふと思い浮かぶ。多分、俺は今そんな表情をしている。俺をみて卓也が吹き出して大きな声をだして笑った。そして力尽きたようにその場にうずくまる。卓也が今までずっと誰にも言わず一人で抱え込んでいたものはこれか。全てに納得がいった。優しそうに笑う真白さんの顔が浮かぶ。真白さんならどうするだろう。多分たっくんを優しく抱きしめてそれから「大丈夫だよ」と言うのだろうか。俺はうずくまる卓也の肩を強くつかんだ。

「普通だよ!」

自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。そして卓也を覆いかぶさるように抱きしめる。普通だよ。男が女の子を好きになる感情は普通だよ。それすらも普通じゃないなら俺の初恋は。

「真白さん優しいし可愛いし好きになるのは普通にきまってんじゃん!卓也は普通だよ!」

出来るだけ大きな声で言う。卓也に伝えるためだけじゃない。自分に言い聞かせるためだ。人を好きになるのに普通も異常もないんだよ。卓也の体が震え小さな嗚咽が聞こえた。卓也の顔は見えないけど、今、卓也は沢山の涙を流しているのだろう。

「…真白への思いもこの涙と一緒に流れ落ちてしまえば楽になれるのに…。」

震える声で卓也が言う。俺は何も言えず、ただ抱きしめる力を強めることしか出来なかった。真白さんならどうするんだろう。分からない。今の卓也を救えるのは真白さんだけだ。俺は何も出来ない。ただ卓也の感情を肯定することしか俺は出来ない。

 俺は少女漫画とか恋愛小説とかは全然読まないし興味もない。恋人がいる未来も想像できないし、恋人がほしいともあまり思わない。隣には卓也がいて、学校ではみんながいて、家に帰ったら口が悪い弟や料理が得意なお母さんがいて、それだけで満足しているから。……なんてそんなの嘘だ。満足した気になって、毎日が輝いているように思いこんで、本当の気持ちを見ないようにしている。卓也は俺よりも普通だよ。だってさ、恋愛対象が異性なんだから。昔は心が痛くなる時は決まって卓也の笑顔がそこにあった。心が痛くても卓也の笑顔を見るだけで幸せだった。でも、今とても心が痛いのに、あるのは卓也の嗚咽だけ。心が痛いって、こんなに辛いことだったんだ。

 卓也が海に行きたいといったから俺は彼の手を取り全速力で海まで走った。海に着くと彼はますます涙を溜めてゆっくりと瞳を閉じた。

「…本当に好きなんだ…真白のことが本当に好きで、好きで、でもこの感情が普通じゃないって知っているから…でも諦めることも出来ないんだ…。」

彼がぼそりと言う。普通だよ、俺よりかよっぽど。そんな言葉を心中で吐き、握っている手をますます強く握った。

「言っただろ普通だって!俺が普通って言ったら普通なんだよ。これからため込まず俺に話せよ。俺はいつだって卓也の味方なんだから。」

出来るだけ大きな声でそして出来るだけ笑顔で言う。そう、卓也が好きな真白さんみたいに。卓也が瞳を開き地平線を眺める。俺も卓也と同じ地平線を見る。きっと卓也は真白さんを思いながらこのキラキラと輝く地平線を見ていんだろう。奥歯を強く噛み、届くことのない想いを海に投げ捨てた。俺だって少女漫画のヒロインみたいに恋愛をして好きな人と結ばれたい。恋人になったらたくさんデートをしたり抱きしめあったりキスをしたり、そんな夢を心の片隅に置きながら何も起こらない生活を送っている。卓也もこんなことを思っていたのだろうか。でもそんな夢物語は現実には起こらないことは俺も卓也も知っている。この島から出ない限り、自分たちが望む生活なんてすることが出来ない。だってこの島は、普通の人が集まって普通の生活している場所なのだから。

 繋いでいる手の力を少しだけ緩めた。卓也は相変わらず遠い地平線を見ながら綺麗な涙を流している。卓也は俺の手を握りながら真白さんのことを考えているのだろうか。きっとそうに違いない。涙が流れそうになるのを必死で抑えて奥歯をますます強く噛みしめる。投げ捨てたはずの思いはいつの間にか心に戻っていた。捨てることなんて出来ないんだ。人を好きになる感情は簡単に捨てることなど出来ないんだ。俺と卓也はこの誰にも言えない思いを心に隠して、これから先もずっと生きていかなければならない。心が痛いな。このままずっと時が止まってしまえばいいのにと願う。そんなことを願っても太陽はゆっくりと地平線へ消えていき辺りはだんだんと暗くなる。卓也の涙はいつの間にか乾いていて、逆に俺の瞳に涙が溜まっていた。二人で海を背に手を繋いで走ってきた道を歩いて帰る。空を見上げると満天の星空が広がっていた。より一層輝く星を見ながらもう叶うことのない初恋を投げて零れそうになる涙を拭う。さようなら俺の初恋。そう恰好つけながら心に何度も言い聞かせ繋いでいる手を放した。


-2-

 辺りは暗く時計を見ると夜の七時半。面白い番組もやっていないテレビをただぼーっと眺めていた。弟の奏多は隣で俺のゲーム機で何かのゲームをしている。奏多は昨日ゲームのやりすぎで注意されて一週間ゲーム禁止を言い渡された。けどお母さんは夕飯づくりに没頭しているのか弟がゲームをしていることに気付いてないらしい。お母さんからはもし奏多が隠れてゲームをしていたら取り上げろと言われたけど、それをすると喧嘩になることは目に見えている。取り上げるもの面倒だからゲームに関してはいつも放置を決めている。まあたまにそれでお母さんに怒られるけど。

「ゲームをやりすぎるんじゃねえぞ、怒られるのこっちなんだから。」

とりあえず釘をさす。奏多は「はいはい」と返事をしてゲームを続けた。それを聞きながら俺はテレビのチャンネルを変える。でも中途半端な時間のせいでどの番組もニュースしかやっていない。テレビで番組表を見るけど、面白そうな番組はすべて八時からだ。

「はあ…。」

ため息をつきてきとうなチャンネルをテレビに映して携帯を手に取った。誰かにメールでもして暇つぶしをしようと思った瞬間、電話を知らせる音楽が鳴った。相手を見るとそこには“卓也”の文字。卓也は電話をしないタイプの人間だ。電話をするということは切羽詰まっているのだろうか。話を聞かれるのが嫌で、すぐに立ち上がり部屋に行く。

「彼女からかー。」

後ろから奏多の冷やかしの声が聞こえる。

「卓也からだよ。」

そうすぐに返し、通話ボタンを押し耳に当てた。

「もしもし誠だけど、どうしたー?」

いつも通り何もない風を装って話す。

『…卓也だけど…今日泊めてくれないか…?無理ならいいんだけど…』

震える声だ。

「それはいいんだけど、卓也は大丈夫か?」

『……。』

「…今どこにいる?迎えに行くから。」

『……。』

なかなか答えない卓也に少しだけ怒りの感情が出てくる。

「……真白さん関係だろ。」

『…うん、ごめん…どうしたらいいのか分かんなくて……もう駄目かもしれない…。』

「わかったから今どこにいるか教えろ。直ぐに行くから。」

『…いつもバスケする公園…。』

「わかった。直ぐに行く。」

卓也が返事をする前に通話を切って携帯をポケットに入れてすぐにお母さんのいる台所に向かう。夕飯を作っている背中に声をかける。

「お母さん、今日卓也泊めてもいい?」

「最近卓也くんに会ってないからいいよー。」

「じゃあ今から卓也連れてくるな。」

「はいはい、いってらっしゃーい。」

お母さんは次の日が休みであれば友達を家に泊めることに抵抗が無い。でも勝手に泊めるとすごく怒るから、誰かを家に泊めるときは必ずそのことを言わなければいけない。俺はすぐに玄関を出て走りながら公園に向かった。

 公園に着いて辺りを見回して卓也を探すと、街灯の下にあるベンチに誰かが座っている。じっと見ると相手が俺に気付いたのか、立ち上がり俺の方へゆっくりと歩いてきた。卓也だ。目を真っ赤に腫らし、顔が涙でぐちゃぐちゃになっている卓也だ。

「…急にごめん…。」

卓也の声は相変わらず震えて今にも消えそうなか細いものだった。

「いや、それはいいんだけど、大丈夫か?」

卓也はゆっくりと首を横に振り下を向く。こういう時真白さんはどうするのだろうと頭の中が真白さんの行動を思い出す。けれど、どんな行動が何が正解なのか分からない。

「…そうか……今すぐうちに来る?」

当たり障りのない言葉しか出てこない。暗いせいで卓也の顔も分からない。

「…もう、駄目だ…。抑えきれなくて、真白を触ってしまったんだ…あの海で、久しぶりに二人で行って…気づかれたかもしれない…どうしたらいいのか分からなくて……。」

顔をずっと伏せたまま卓也が言う。

「とりあえず座ろう。」

そう言うと卓也は小さく頷いて、俺が来る前に座っていたベンチに向かう。俺もそれに続いて二人でベンチに座る。卓也はずっと下を向いたままだ。でも時折嗚咽を漏らしているから、今も涙を流していることは分かった。

「…それで、何があったんだよ。」

出来るだけ優しい声色で言う。

「うん…二人であの秘密基地に行ったんだ…なんか今日はすごく気分が良くて……久しぶりに真白と手を繋いで、それで海まで歩いたんだ…。」

「うん。」

震える声で、でもとても幸せそうに卓也が話す。

「楽しかった…こんなに話すこと自体久しぶりだったし…でも真白が言ったんだ、友達と恋愛の話をするのが普通の事だって…それがどうしても受け入れられなくて…駄目だった…真白にとっては俺はいつか恋人が出来る存在なんだって…。」

「そっか…。」

卓也がまっすぐと俺を見た。いくつもの涙が頬を流れて瞳には光が無い。こんな卓也の顔初めて見た。

「なあ、俺って普通か?」

「……。」

何も答えることが出来なかった。卓也がここまで追い詰められているなんて思わなかった。「普通だよ」と言うことは簡単だけど、今の卓也には何を言って届かないだろう。冷たい潮風が吹く。卓也の涙はとどまることを知らないようで、ずっと変わらず流れ続けている。

「…ごめん、今の卓也が普通かどうかは分からない。」

俺もまっすぐと卓也を見ながら言う。

「だってさ、普通の基準って分かんないじゃん。何か基準があるなら分かるんだけど、俺はそれを知らない。だから、卓也が世間一般で言う普通なのかは分からない。」

「…そうだよな…うん、そうだよ…。」

卓也は両手で顔を覆い声を殺してますます泣く。ハンカチなんて持っていない俺は卓也の涙をふくことが出来ない。卓也の手の隙間から零れ落ちる涙が街灯に照らされてキラキラと輝く。卓也に肩を寄せた。すると卓也も俺に肩を寄せる。空を見るといつも通り星は力強く輝いて少しだけ泣きたくなった。こんなに卓也の心を揺さぶる真白さんが羨ましい。でもそれと同じくらいの憤りもある。なんで真白さんはこんなになるまで卓也を放っておいたのか。ずっと隣で俺以上に卓也と過ごしてきたのに、なんで真白さんは何もしないのだろう。卓也のことだから真白さんに気付かれないようにしていたかもしれないけど。いや、もしかしたら逆なのかもしれない。もし真白さんが卓也の気持ちに気付いていたら。真白さんは優しいからそれに気づかないふりをして、卓也が何かを言ってくるのを待っているのだとしたら。卓也は何も言わず嗚咽をこぼす。俺も何も言わず、ただ卓也の隣に寄り添う。どれだけ時間が経ったのかは分からない。時間だけでも確認しようと思った瞬間、卓也の携帯から音楽が鳴る。卓也がびくっと小さく体を震わせる。

「…真白からメールだ…。」

「なんで画面も見ないで分かるの?」

「…真白から来たらすぐに分かるように、曲を変えてる。」

卓也は携帯を取り出したもののなかなかメールを見ようとしない。

「…俺がそのメール確認するか?」

そう聞くと卓也は首を横に振り携帯をぎゅっと強く握り震える手で操作した。

「…えっ…。」

卓也が小さい声を漏らす。すぐに顔を青くしながらじっと画面を見つめた。

「大丈夫か?」

「…。」

卓也は何も言わずただじっと画面を見る。なんとなく察しがついた。やっぱり真白さんは卓也の気持ちに気付いていたんだ。真白さんからどんなメールが届いたのかは分からないけど、卓也がここまで顔を青くする理由はそれくらいしか思い浮かばない。どう声を掛けたらいいのだろう。頭をフル回転させるけど、言葉は何も見つからない。俺はただじっと卓也を見つめた。卓也は震える手で携帯をポケットにしまった。それからまた両手で顔を覆い隠す。今度は涙も震える声も漏らすことなくただじっと体を震わせながら何かに耐えているようだった。俺は卓也にますます体を寄せて空を見上げた。いつもと変わらない満天の星空だ。潮風が吹き俺たち二人を優しく包みこむ。このまま時が止まってしまえば卓也はこれ以上傷つくことが無いのに。そう思って目を閉じた。卓也の体は寒くもないのにずっと震えていて、俺までそれが移りそうだ。卓也の鼓動が聞こえる。それが嬉しくて、じっと彼の鼓動に耳を傾けた。

 お母さんからの着信で俺たちは我に返り、二人で肩を並べて俺の家へとゆっくり歩いた。卓也の体はずっと震えていて顔色もそんなに良くない。このまま俺に落ちてしまえと願いながら手を繋ごうとしたけど、そんなことをしても卓也が俺を見ることなんてない。右手に力を込めて俺はずっと遠くにある自宅を見た。虚しさを心の引き出しに隠して歩く足を少しだけ早める。一秒でも早く卓也から離れるために。


-3-

 海に響くのはみんなの叫び声。何度も卓也の名前が辺り一面に広がる。救急車のサイレン音と共に目を閉じたまま冷たくなった卓也は病院へと吸い込まれていった。

「あなたたちは悪くない。」

そう卓也のお母さんが何度も何度も言う。目が真っ赤に染まり顔が涙で濡れていた。直ぐに卓也のお父さんもやってきて、卓也が運び込まれた病室を卓也のお母さんと二人でにらむように見ていた。少しして病室から医者が表れてゆっくりと首を横に振った。その瞬間、卓也のお母さんは今まで以上に大声で泣きその場に座り込んだ。俺たちはただそれをじっと見ていることしか出来なかった。

 卓也を元気づけるためにバスケ部数人で遊びに行くことが決まった。行先は海。こんな小さな島じゃ遊びに行くテーマパークなんて無いから満場一致で海に決まった。行く海は卓也に決めてもらって、俺たちの家から一番近い綺麗な海。顧問が「子供の日くらい部活から離れて遊べ」と部活が休みになった五月五日に行くことが決まった。海に行く前にみんなでコンビニに寄ってジュースやお菓子をたくさん買ってから俺たちは自転車をこいで海に向かった。海はコンビニから少し離れた場所にあるけど自転車だから十分程度で着いた。駐車場に自転車を止めて、買ったお菓子と荷物を一つにまとめて俺たちは走りながら海い飛び込んだ。日差しが強くて肌が少し痛いけど、海の冷たさがそれを癒す。みんなで泳いだり濡れた砂で団子を作って泳いでいるメンバーに投げたり、そんなくだらないことをしていた。卓也を見ると楽しそうに笑っていて少しだけ安心した。

 あの日、卓也は俺の家に泊まった日から卓也は外で過ごすことが多くなった。理由を聞いたら出来るだけ家にいたくないからだと言われた。卓也は真白さんから離れることを選んで、俺はそんな卓也を受け入れた。今まで以上に俺に家に泊まることが増えて嬉しかったけど、そう思う自分に気持ち悪さを感じていた。

「真白を思う気持ちは捨てられない。」

あの日の夜、二人並んで布団で寝転がっている時に卓也が言った。

「うん、知ってる。」

俺は漫画を見ながら言う。

「こんな俺を気持ち悪いと思うかな。」

卓也はずっと天井を眺めている。それを通して誰を見ているのか、そして誰に対して言っているのかなんて考えなくても分かることだ。

「俺は気持ち悪いとは思わない。」

「…そっか…。」

卓也はそう言って瞳を閉じた。真白さんの名前を出さなかったのはちょっとした意地悪だ。真白さんなら気持ち悪いなんて思わない、真白さんなら卓也を否定しない、真白さんなら、真白さんなら。俺は漫画を本棚に戻して電気を消す。隣に卓也の寝息を感じながらゆっくりと目を閉じた。

 コンビニで買ったジュースを一気に飲む。

「おい誠!飲みすぎ!」

マサヒロが俺の背中を叩き笑いながら言う。海ではコウジとユウタが泳いでいる。マサヒロが俺の手からジュースを取り残り全部を飲み干した。

「おい、まじかよ。」

「まだあるんだしいいだろ。」

マサヒロはそう言いながら空になったペットボトルをゴミ袋に入れた。そしてコンビニの袋からポテトチップスを取り出した。

「誠も食べる?」

「食べる。」

そう言うとマサヒロはポテトチップスの封を開けて一枚とり俺の方に袋を向けた。俺もそれから一枚とり口に運ぶ。

「あ!俺が買ったやつ食べんなよ!」

ユウタが海から上がり走りながら俺たちの方に近づいてくる。砂場だから足がうまく走れないのか何度もつまづいている姿がおかしくて笑いそうになった。ユウタの後ろには歩きながらこちらに来るコウジがいる。コウジは何度もつまづくユウタを笑っている。そんな二人を見てマサヒロは笑いながらポテトチップスを頬張っている。マサヒロにつられて笑いそうになった時に気付いた。

「卓也はどこ?」

思った瞬間に言葉が出た。

「海にまだ入ってるんじゃね?」

そうユウタが言う。コウジが振り返り海を見渡す。俺もじっと海を見るが卓也らしい人影は見つからない。

「もしかしたら沖まで行ったのかも。」

マサヒロがポテトチップスの袋を置き海へと歩いていった。俺もそのあとに続き海まで歩く。

「たーくーやー。」

ユウタが大声で名前を呼ぶ。けれど卓也の姿はおろか声も聞こえない。

「もしかしたらトイレかも!俺ちょっとトイレ見てくる!」

ユウタがそう言いながら公衆トイレの方に向かって走る。俺とマサヒロとコウジで海まで行き卓也の名前を大声で呼びながら探す。けど卓也は見つからない。きっとトイレにいるんだ。そう信じながら公衆トイレをちらちらと見るが誰も出てくる気配がない。俺たちの行動に周りにいる人たちもざわざわと騒ぎ始める。

「どうしたんだ?」

観光客と思わしき風貌の男性が俺に話しかけてきた。

「友達がいなくなったんですけど、身長が俺と同じくらいで、えっと、赤のシャツに黒の短パンの男子ってみませんでしたか?」

少し早口になってしまった。その男性は少し考えてから「分からない」と言った。

「暇だから探すのを手伝うよ。」

そう男性が笑顔で行った時だった。沖の方で女性の「キャー」と言う叫び声が聞こえる。俺とその男性が同時に置きの方を見た。そこには何か大きいものを引きながら陸の方へ向かうマサヒロと顔を青くした女性がいる。マサヒロの顔色は女性以上に青いように感じた。嫌な冷たい汗が背中を流れる。違う、きっと違う。心で何度も叫びながらマサヒロをただじっと見た。

「マサヒロ!」

そう大声をあげながらコウジがマサヒロの方へ走っていく。いつ公衆トイレから出てきたのか分からないがユウタも何度も転びそうになりながらコウジの方へ走っていく。俺だけが動けないでいた。隣にいた観光客らしい男性が何かを察したのか俺の手を引く。

「ほら!君も行かないと!」

力強い手が俺を無理矢理彼らの場所へと連れていく。いつもはさらりとしている白い砂が嫌に何もつけていない足に張り付いてくる。気持ちが悪い。近づくにつれ、海に浮いていたものの正体が分かる。マサヒロが引いてきた大きいものは、まぎれもなく卓也本人だった。

「救急車!救急車よんで!」

ユウタが隣にいる携帯を持っている女性に大声で言う。女性は慌てながらもすぐに電話をした。マサヒロは息を切らしながらも卓也を仰向けに寝かせて人工呼吸をする。でも卓也が息を吹き返すことはなかった。隣にいたコウジが疲れているマサヒロに代わって心臓マッサージをして人工呼吸をする。それを何度も繰り返し行った。俺は何もできずただ茫然と立ちすくむことしか出来なかった。

 卓也の葬式にはたくさんの人たちが来た。中学の同級生や親戚、それからバスケ部のメンバーや学校の先生たち。いろんな人たちが卓也の死を悲しんで多くの涙がこの場所で流れた。卓也の両親は赤く目を腫らせながら参列した一人一人にきちんと挨拶をしていた。俺を見ると悲しそうに笑い、そして何度も「君のせいじゃない」「誰も悪くない」と言葉をこぼした。棺桶に入った卓也を見るととても綺麗な顔で死んでいるなんてとても思えなかった。彼の頬を触るととても冷たくて、冷たくて、もう彼がこの世にいないんだと思い知らされる。

「…卓也…。」

彼の名前を呼ぶ。当たり前だけど彼は閉じた瞳を開けようとはしない。

「卓也。」

もう一度呼ぶ。彼の頬に一滴の水がぽたりと落ちた。それを指先でふき取るとまた一滴、また一滴と水は落ちてくる。雨なんて降っていないのに、部屋の中なのに不思議だななんて思いながら、俺は卓也の頬に落ちてくる水たちを何度も何度も拭いた。

「…誠くん…。」

後ろから俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。振り返るとそこには感情が顔から消えた真白さんがいて、その手にはティッシュが数枚握られていた。知っている、卓也の頬に落ちる水たちが俺の瞳から流れ落ちた涙だってことくらい。それでも泣いていることを認めたくなくて、認めたら本当に彼がこの世界からいなくなってしまうような気がして、俺は彼の頬を拭き続けた。

「これで涙拭いていいよ。」

真白さんは相変わらずの優しい声で言う。真白さんからティッシュを受け取りそれでどくどくと溢れ出てくる涙を拭いた。真白さんが手を引いて卓也から俺を離していく。その手があまりにも温かくてますます涙が溢れ出てきた。真白さんの手を強く握った。真白さんもそれにこたえるようにより一層に握る力が強くなる。

「…誠君たちのせいじゃないよ…誰も、誰も悪くない…。」

真白さんが言う。

「…俺が…俺が卓也を海に誘ったから…だから卓也は……。」

「ううん、誠君のせいじゃないよ。」

真白さんが歩く足を止めて俺の方を振り向いた。そしてゆっくりと俺を抱きしめてまるで赤ちゃんをあやすかのように背中を優しく叩く。

「誠君のせいじゃない…誰も悪くない…。」

「ごめん、なさい…でも…こう思わないと…俺は…俺は…。」

「そうだね、責められる方がずっと楽だもんね。でもね、たっくんはそれを望んでないと思う。これは不幸な事故だったんだよ…だから誠君も自分を責めないで…って言っても無理だよね…。」

真白さんはますます抱きしめる力を強めた。真白さんの腕の中がとても温かくて涙がますます溢れ出てくる。卓也はこの温かさを知っているからこそ真白さんのことを好きになったのかな。

「…ごめんなさい……ごめん…救えなくて……。」

届くことのない言葉を繰り返す。真白さんはずっと俺の側にいて優しいその手で俺の背中をさすっていた。俺はそれに甘えて、真白さんの温もりに包まれていた。

 さようなら、俺の初恋。伝えるつもりもなかったこの気持ちはいつか消えて綺麗な思い出になると信じていた。だから卓也の隣で自分を偽っては何も考えないように笑って過ごした。自分を偽らなければ、この思いを伝えていれば、そんな言葉を反復して出る答えは何も無い。だってもう彼はいないのだから。こんな終末になるのならと後悔の念が体中を巡る。でも、もしこの未来を知っていたとしても俺は卓也に思いを伝えず何度も後悔を繰り返すのだろう。俺はこんなに弱いのだから。さようなら、俺の初恋。



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