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8話 焦点を合わせる

8 焦点を合わせる


 次の日は久子が家の前まで迎えに来ていた。

 え、久子?

 これはモヨコの視界を悩ます『よくないもの』の新たなバージョンではないのかと思わずモヨコは目をこすってしまったあとでこれは犬神久子だ、間違いないってなった。

 わざわざお家まで来てくれた理由が全く分からなかったがそこはクールにポーカーフェイスでうまいこと

「びっくりしすぎだし…どうせなら登校中から誰についてるか教えてもらった方がデータが集まるって思ったってわけ」

 ごまかせていなかったのだ。

「え、ああ犬神さんと一緒に学校行くのってどれぐらいぶりかと思うと…

 おはようございます」

「オッスオッス、っていうことでさっそく行くし。

 ってなんでよそよそしいわけ!?おかしくない?」

「あ、朝は弱いもので…」

「…ったく。

 今なら結構早い時間だから校門あたりでゆっくりしていると誰に黒いのがついているか大体わかるっしょ。

 ちなみに今日の久子ちゃんには?」

 久子はぐっと顔をモヨコに近づける。

 たぶん自分によくないものがついているのかどうかということだ。

「大丈夫昨日と変わりないわ。お洗濯のCMみたいにシミ一つないわ。

 たしかにいちいち休み時間一緒に行動するよりもそっちの方が手っ取り早くていいかもしれないわね」

「は?」

「え?」

 なにかよくないことを言ってしまったかしら、なんだかんだで橋はかかったもののモヨコと久子の間にある溝は埋まったわけではないのだ、とちょっとおどおどしてしまう。

「休み時間も一緒にやるに決まってるし。そんなの当然ってわけ。

 だってデータはいくらあったって困らないっしょ?」

「犬神さんが困らないならそれでいいけれど」

「困らないからやる、やるってわけ!

 おわかり?どぅゆあんだすたん?」

「え、ええ心中お察しします」

「ちょいまち、それってなんかウチに悪いこと起こった時に使う言葉じゃないの?ねぇ、ねぇ」

「あ、あまり近寄らないで。辛いわ、ちょっと動揺が漏れただけだから、ちょっと動揺が漏れただけだから」」

 ガックンガックン揺らされながらうぇーってモヨコが絞り出した言葉が久子はこの世の終わりみたいに受け取ってうぐぅっとなったところで国交回復を告げる歴史的会談は終了した。学校が始まるまでの時間は無限じゃないからね。


「あれ、珍しい組み合わせじゃん」

 校門の近くで二人で並んで立っていると絢香もやってきた。

「あんたもう大丈夫なの?休んでた方がよかったんじゃないの?」

「ええ、わたしも無理しない方がいいと思うわ」

 7月も近づきセミの声がうるさい。周りも半そでの夏服にすでになっている。モヨコとしては不健康なほどに肌が白い美少女こそがお兄様の好みだと妄信しているので本来なら日傘でもさしたいところだがそれは無理なのでお母さんをあの手この手でご機嫌を取って買ってもらった日焼け止めをしっかり塗っている。

「あの後すぐ寝たから大丈夫だよ」

「その割には顔色が悪いわ。本当に体調の方は大丈夫なの?」

 モヨコは絢香の上に浮かぶ呪いを確認する。昨日とさほど変わりないようには見える。

「とりあえずさっさと教室に行った方がいいって思うな。ここは陽射しが強いっしょ」

「いやいやそれよりなんで二人とも校門に立っているの?風紀委員でも自主的に始めたってわけじゃないでしょ?」

 そこで二人は昨日話し合ったモヨコに見えるよくないもの、が一体何なのかを調べるためだという説明をする。

「なるほど…で、実際何人ぐらい今のところ見えてるの?」

「そうね、男子が3人といったところかしら。やっぱりみんな同じ小学校から上がってきた子ばかりよ」

「モヨコたちの小学校が怪しいってわけか」

「いえ、そうではないと思うわ。だって中学生男子がわざわざ小学校まで遊びに行くかしら?年下にしか相手にされない、なんて同級生に知られたら心豊かな学園生活は平穏に幕を閉じるわ。

 とりあえず今はサンプルを集めて確度の高い推測を作ることに専念しようと思うの。

 正直愛さんを殺した犯人なんて全くとっかかりがないのだから直接呪いの解き方、を調べるしかないもの」

「正木さんがいるじゃん。あのノートを書いたさ。

 あの人も幽霊とクラスメイトでしかもあんな怪しいノートが幽霊の部屋から出てくるってことは今一番の最有力容疑者じゃないの?」

「わたしもそう思っていたけれどみどりさんの話を全面的に信用するなら愛さんが殺される前にはもう病気にかかって学校を休んでいたことになるわ。

 2年前の歴史的豪雨、たぶんこの町に過ごしている人ならだれでも覚えていると思うのだけど。川の水が道路上まで流れてきたのってあの一回だけだもの。

 その前に正木さんは病気を学校で休んで、その後に愛さんは殺された。

 わたしたちが見た寝たきりの姿にその当時からなっていたのだったらとても殺人は無理だと思うのだけれど…」

「でもそれってわからなくない?

 幽霊を殺すための事前準備で学校を休んで、幽霊を殺した後にわたしが受けてるような呪いを受けて寝たきりになった。

 そっちの方がわたしはすっきりするしわかりやすいんだけど。

 だってモヨコは見たんでしょ?正木さんにもよくないもの…呪い?どっちでもいいけどそれがさ」

「それははっきりさせておいた方がいいわよね…といっても」

「ちょっと待つし!昨日は聞きそびれてたけどその正木さんって結局誰なん?

 っていうのもあるけどさ、モヨコと絢香が長話するつもりならもう教室行こう。

 平気平気っていうけど絢香の顔色見てたらこのままここで立ちっぱなしなんてやりづらくてたまらないってわけ」

「え、あ、そうね、気が利かなくてごめんなさい…」

 昨日に引き続いて絢香の体調を真っ先に慮ったのは久子だ。ズゥゥンとまた気分が沈んでしまうがそうなってはいけない。絢香の呪いを解くまでは凹みたガールになってはいられないのだ。

「でもここで調べものがあるんでしょ?」

「そんなの休み時間に1階から3階まで歩けば大体すむことっしょ。

 早く知りたかったからここに立っていただけで別にここに立たなきゃいけない理由なんてないって。

 どうせ学校終わるまでは次のアクション起こせないんだからほらさっさと教室行く」

「そっか、なんかわるいな」

「いいからとっととカバン渡すし」

 と絢香の言葉も待たずに学生カバンを奪う久子。なんだかんだでおせっかい焼きだし面倒見はいいのだ。

 そして更なる気遣いチャンスを奪われたモヨコはへこんではだめだへこんではだめだと言い聞かせるマシーンになっていた。


 教室に着くなり絢香はべたっと机に倒れる。

「アンタ本当に大丈夫なわけ?

 どう見たってその様子じゃ昨日より悪くなってるってしか思えないんだけど」

「無理しない方がいいわ、早退して病院にでも行った方がいいんじゃないかしら」

「呪いって病院で直してもらえるのかなー」

 なんて力なくつぶやいて絢香は天井の切れそうな蛍光灯を眺める。

 公立中学のはずなのに今や絶滅したはずの木造校舎で設備も古い。この学校に本当に未来はあるのだろうか。

「病院で呪いは直せないかもしれないけどそれが呪いのせいだって決まったわけではないわ」

「こんなになってるのに?」

 と言って人差し指を上に向ける。もちろん呪いのことだ。

 いくら前向きを務めていても体調不良っていうのは容赦なく精神もむしばんでいく。

 当事者の絢香が弱気になるということは協力している二人にとって最も不義理なことだ。

 絢香もそれは十分に自覚しているつもりなのだがいまだ14歳の絢香では頭が理解していてもそうふるまえない時もある。

 頭上に浮かぶ呪い、体調不良、その二つがまぁ長くて3か月ぐらい?なんて曖昧になされた人生の終わりカウントダウンが始まったようにしか思えないのだ。

 おまけにそのカウントはなんだが予想以上に早く進んでいる。

「ふーっ、とりあえずアンタ、保健室で休んどきなさいよ。先生には言っとくから」

「保健室に行ったからってどうにもならないって」

「そんなのどうでもいいし。やる気ないんならこっちの気が散るだけだから邪魔だっつってんの。

 教室にいるつもりだったら嘘でもネガティブは口にしない。

 どうしても無理なら保健室なり家なりに引っ込んどいてほしいってわけ。

 おわかり?」

「いや、保健室に行くとどうせ早退させられるよね…

 家にはあの幽霊がいるんだよ。

 気のせいかもしれないけどそばにいればいるほど呪いの進行が早かったらとか思ったら家にはなるべくいたくないっていうか」

「だったらシャキッとしろとまではいわないけどこっちのやる気そぐようなことは言わないでよね。」

「うん、ごめん、久子、モヨコ」

「わかればいいし」

「気にしないで、井ノ口さん。やっぱり当事者にはわたしたちにはわからない苦痛があると思うもの。

 さてとりあえずまとめておきたいんだけど井ノ口さんのお家を今まで見たいに作戦会議に使うのはあまりいい手段のようには思えないわ。だから学校や他の場所を利用した方がいいと思うの。

 といってもHRがすぐ始まるから次の相談は昼休みか放課後になるのだけれど二人はどちらがいいかしら」

「放課後はなるべくすぐ小学校の調査に行きたいし。

 うまくいけば安浜小によったあとに丸島小ってはしごできるっしょ?」

「そうね、そうすればわたしの見えてるものについての推理がはかどるわね。

 小学生に特有のものでそれがいまだ中学生になっても見えるのか。あるいは別の要因なのか。

 あとは授業間の休み時間は当初の予定通り各学年のクラスを見て回ることにしましょう。

 その間は井ノ口さんは教室で休んでいて。昼休みにこれからの方針を決めるからそのことに関しての意見でもまとめてくれていると助かるわ」

「ごめんね、それまでにはちゃんと元気出すよ」

「ええ、あなたがその調子だとこっちまで調子が出ないわ。

 大丈夫、あなたの呪いは絶対にわたしが解くわ。

 呉モヨコは約束を守るわ。なぜならお兄様がこの世で最も唾棄すべきもの、それが不義と言っていたのだから」


 休み時間になると久子が現れたことで教室内はざわつき始める。少し前までの久子の執拗な(小学生男子的な)モヨコへの嫌がらせは公然の事実となっていたのだ。一部は久子がちょい悪に足を踏み込んでいるせいか同調していた。

 が、大半は気が滅入るものを見せないでくれっていう消極的無視だったのだがその原因の久子がモヨコの手を引いて教室から連れ出すものだから女子トイレにはいったりきたりする男子や間違えたふりをして入る女子が続出した。

 なぜならいつだってえげつない行為はトイレで行われるからだ。野次馬たちは足が軽いのである。

 この中学に通う者たちにとってトイレに呼び出されるということはシメられるということと同義だった。

 呼び出された側は不良のターゲットにされた、というこの学校で最も下のレッテルを貼られることになる。

 が実際は二人はよくないもの調査で校舎中をうろついていただけなのでトイレには何もない。

 チャイムが鳴る前には笑顔とは言えないが普通に会話を交わす二人が帰ってきてクラス中肩透かしを食らうのである。

 そして昼休み。

 モヨコも小食なのだが今日の絢香はそれ以上に食が進んでいない。

 男子は完食しないと許されない風潮があるのだが幸いにも女子にはあまり適用されていないのでモヨコはいつも少し給食を残していた。が、絢香はまんべんなく少しつまんだ、という程度でほとんど残している。

 そのころには周りも絢香に心配する声をかける。

 絢香はダイエット中だからなんて無難なことを言っていると野球部の男子がじゃあもらってもいい?と声をかけてくるのでこれ幸いと押し付けて教室を出ることにした。

 今日はハンバーグだったからね。

 あまり教室内でやるのがふさわしい、という会話でもなかったので当初久子と打ち合わせていた通りに校舎内では最も人が来ないであろう3階から屋上に上る階段の踊り場へ向かう。

 屋上は鍵がかかっているため授業か何かの理由がないとはいることはできないしこのスポットはもともと中学代々受け継がれるヤンキースポットの一つである。

 マジメちゃんフマジメちゃん問わずヤンキーに縁のない生徒はまず来ないしヤンキーネットワークのお約束の一つで階段に上がる手前に上履きの片方を置いておくとそれは取り込み中の合図、ということで上がってこないようになっている。

 ヤンキーの方にはヤンキーの方のめんどくさいルールがあるんだなぁと思ったもののそれは助かる。

 そして踊り場に集った3人のJCは、はしたないのだが床にそのままぺたんと腰を下ろした。

「とりあえず現状をまとめていきましょう、二人ともそれで大丈夫よね?」

 切り出したモヨコに久子と絢香はうなずく。

「まず最初の始まりは井ノ口さんが引っ越してきてから。そこで愛さんから呪われた井ノ口さんはその解決としてクラスで変なもの見える扱いされていたわたしに協力を求めてきたところから始まるわ。

 当初の愛さんの要求は自分を殺した犯人を捜すこと。

 そしてその犯人を連れてきて自分に殺させること。

 それをもって恨みつらみが消え成仏ができる。そして呪いも消える。

 こういう話だったわ。

 そこからわたしたちはネットで事件を調べてみたもののどうにも進まない。

 女子高生が殴られて死んだ。現場には豆腐が落ちていた。女子高生の頭蓋骨の傷と豆腐の形が一致していた。

 凶器は豆腐である。

 得られた情報はこの程度ね。

 一応これは死神が保証している、という愛さんの現地はあるのだけれど死神…本当にいるのかしら。

 次は凶器から犯人を絞ると思ったものの正直豆腐が凶器なんて言われて犯人の絞り込みなんてできなかったわ。

 豆腐なんてどこのスーパーでも売っているし鋸やバールをホームセンターで買うのと違ってスーパーの店員がいちいち誰が豆腐を買ったなんてふつう覚えていないもの。

 そしてそこから犬神さんが捜査に参加。犬神さんの発案による元愛さんの部屋を調べることで謎のノートを手に入れた」

 そこで久子はまんざらでもない顔をする。いわゆるどや顔だ。

「おさらいだけどこれがその時見つかったノート、悪魔祈祷書ね」

 と、モヨコはセーラー服のお腹からずるりとノートを取り出す。

「モヨコ、あんたいつもそれ持ち歩いてんの…?」

「なんで引いてるのよ。井ノ口さんが気味悪がって持ち帰りたがらないからしょうがなく持ってるんでしょうが。

 とまぁ見ての通りいまだ内容はまったくわからないけれどわたしたちはノートに名前が書いてあるのに気づいたの。

 赤いノートに赤ペンで書いてあったから気づきづらかったけどね」

『正木 ●●』

「なるほど、でこれが例の正木さんってわけだし。でもこれだけじゃ名前わかんなくない?塗りつぶされてるっしょ」

「ええ、だからわたしたちはダメ元でテレパルで正木さんのお宅を捜したわ。

 そして幸いなことにこの町に住む正木さんは一人しかいなかったから二人で正木さんのお宅を訪ねたの」

「あーこの前の土曜日か。ウチがちょうど捜査に参加していなかった日」

「ええ、いくら読んでも返事もないし鍵もかかっていたのだけれど中から何か音がするから裏口?と言っていいのかしら、とにかく裏側から強行したの。

 そこには枯れ枝みたいに痩せた女性が布団に寝かされていたわ。その人はよくないもの…なのかしら?

 はっきりと見えたわ。真っ白い、蛇?綱?とにかくそういうものがまるで全身を締め上げるように巻き付けていたの。

 ただよくないもの、悪いものはいつも黒い靄としてあらわれていたからあれが一体何なのかはわからないわ」

「ちなみに動画もあるよ…消したいんだけどモヨコが何かのヒントが絶対あるって言ってきかないんだもん」

「当たり前でしょ。わたしはスマホ持ってないんだからそれぐらい協力してよね。

 で、その女性と少しお話をしたの。

 正木敬子、というのはその時女性が語った名前よ。

 そして彼女は愛さんのことをよく知っている風だった。

 でも愛さんはノートも正木さんのことも知らないって言い張る。

 だからわたしはきっと愛さんは何か隠している、と疑い始めた。

 正木さんと面識があってあんなノートが部屋に隠されていたら普通は正木さんを犯人と疑うものじゃないかしら?もちろんなんでわざわざあんなノートを隠す必要があるのかっていうのはあるけれど。

 なのに初めてノートを見つけた時なにも言わなかったわ。

 だからわたしは目標を犯人探しから呪いを解くことに完全に切り替えたの。

 あとは昨日起きた出来事だからおさらいする必要はないわよね」

「そうそう、それで帰り道で疑問がわいたんだっけ。

 モヨコはよくないものや、呪い、幽霊が見える。

 ウチらはそう思っていたんだけど」

「ええ、わたしは愛さん以外の幽霊を見たことがない。

 ならば本当はわたしが見えているのはすべて同じものじゃないのかってことね。

 呪いも幽霊と化した愛さんもよくないもの、つまり黒い靄も実は同じものじゃないかって。

 もしそうならそこをとっかかりに呪いの正体を突き詰めることができるかもしれない」

「ってことで今日はいったい誰によくないものがついているのかまずこの学校から調べていたってわけ」

「なるほどね…腑に落ちないことをいちいち調べるのは後からでもできるもんね。

 でもやっぱり正木さんが幽霊を殺した犯人の可能性はあるよね。だったら正木さんを幽霊の前に連れて行けば万事解決…とかなんないかな」

「あの状態の正木さんでは外出なんて到底無理だと思うのだけれどね。

 でも確かに2年前から正木さんがそうだったなんて証拠はないし本人に聞いてみてもそれが嘘か本当なんて判定はできないわ…

 お手上げになるのかしら?」

「病気ならいったん入院して自宅療養に切り替えたってパターンは?

 もし幽霊が殺された時期に入院してたらそれは限りなくシロだよね」

「ええそうね、青空病院、市立河畔病院、町民が行く可能性がある病院はあといくつかあるけれどそのいくつが入院記録なんて教えてくれるのかしら?一介の中学生にはおおよそ不可能だと思うわ」

 そう一番のネックは3人が中学生だってことだ。行動範囲も時間も資金も限られすぎている。満足のいく調査などおよそできそうにもない。

「ってことは今できることはやっぱりモヨコの能力の秘密を探ることしかないってワケ?」

「あとはこのノートの解読もあるのだけれど。正直いまいち…とっかかりがいまだにわからないわ」

「あ、そういえばその正木さんの映像っていうのは?」

「そういえばあれも多分何かのヒントよね。井ノ口さん、再生してもらえる?」

「いいけど…スマホ貸すから二人で勝手に見てよ」

「は?アンタ当事者でしょ。なにビビってんのよ」

 グイっと久子は絢香と肩を組む。どうやら見ずに済むっていう選択肢はないらしい。

 そして3人で改めて映像を見た。

「これ…やっぱり何かのヒントとしか思えないわよね」

 それは映像の最後、手のひらが映る部分だ。

「なんかの数字かな?」

「それがミスリードで実は左手と右手の指の差だとか実は曲げている指が関係あるとかいろいろあるけれど」

「ここまで来ていったい誰にひっかけなんてやるし…だったらこの人性格悪すぎっしょ」

「でも指の曲げ方って別に普通だよね、子供がこう、数字を出す指そのまんまじゃない?」

 絢香は手のひらを突き出して見せる。小学校低学年までがよくやる、僕〇才!みたいな感じだ。

「ええそうね、とりあえず数字、としてメモしておきましょう」

 絢香のスマホを手のひらのシーンで一時停止を繰り返しながらモヨコはガラケーに数字を打ち込んでいく。数字は9桁だ。

『95×××××××』

 こうやって一列の文字としてみてみるそれはすごく見覚えがある。

「これって頭の数字がもしかして足りていないだけなのかしら…?」

「どういうこと?」

「いえ、この数字、頭に0を足すと095×になるでしょう?」

「あ!」

「なにが?」

 ピンと来たのは久子。全くついていけてないのが絢香。

「絢香、自分の家の電話番号考えればわかるし」

「うち固定電話ないよ。だってスマホあるのにわざわざ必要ある?」

 そう、現代っ子であった。がこの町は基本田舎。というまでもなくどう見たって田舎。

 どの家にも固定電話があるのだ。さすがにぐるぐる回す黒電話ではないが。

「市外局番、よ。このあたりの」

 モヨコはさっさと答えを言ってしまう。

「なるほど…って電話番号?」

「ええ、もう一度正木さんの映像を振り返ってみましょう。

 気づかなかっただけで0を意味する…例えば指をすべて曲げた状態から始まったかどうかとかそういうものが確認することができるかもしれないわ」

 再び再生される絢香のスマホ。

「ここから、ね」

 コマ送りで用心深く指の動きの始まりを見守る。そこにはモヨコの予想通り、軽く握られた両のてから始まった。

 もちろんこれはただの予備動作にすぎない可能性もあるが、0ととらえることも十分に可能だった。

「ってことは電話番号と思って問題ないようね」

「とりあえずググってみる?個人の家じゃなかったら大体調べられるよね?」

「ええよろしく」

「べ、別に絢香のスマホじゃなくってうちのスマホでやったっていいし」

「どちらでも構わないわ…結果さえ教えてもらえれば」

 絢香が撃ち込み始めるのを見て久子も競い合うように隣で打ち込む。

「どうだし!」

 と先に画面を見せつけてきたのは久子の方だ。

「…神社?」

 表示されたのは『用津比命神社』だ。

「あそこ…?」

「二人とも知っているの?」

「ええ、小学校の近くのスケッチ大会とかでよく言った場所だわ」

「この用津ひめ…?なんだか聞いたことあるんだけど」

「ああ、お豆腐買いに行ったときじゃない?このあたりに伝わる昔話のお姫様よ」

「ふーん、重要なのかな」

「かもしれないわね。でも今日は先に小学校の方の調査に行くことにしましょう。

 犬神さんは一緒に行くとして…井ノ口さんは体調の方が心配だわ」

「でも家に帰りたくない…」

「そんな家出少女みたいなこと言わないでよ。愛さんとは部屋別にできないの?鍵かけるとか」

「壁すり抜ける相手に鍵なんてかけても意味ないって」

「それもそうね、でも一緒の部屋っていうのも酷だし。井ノ口さんの言う通り近くにいたら進行が早いとかだったら」

「…心配かけてごめん。でもわたしいたら気を使いそうだからやっぱり今日は素直に帰るよ。

 幽霊には体調悪いから別の部屋にいてって頼んでみる」

「愛さんの性格だと心配してここぞとばかり付きまといそうだけれどね」

「それなんだよね、疑ってるいまだとそれが計算づくの悪意に見えてほんと怖いよ…

 でも3か月ぐらい、にはまだ時間があるから多分大丈夫だよ」

 弱弱しく絢香は胸をたたく。

「ええ、なるべく早く呪いを解いて見せるわ」

「ま、久子ちゃんとモヨコにお任せして今日はゆっくり休みなよ」


 放課後になると絢香と別れて二人はさっそく安浜小学校に向かう。

 安浜小学校は町に3つある小学校の中で最も大きい小学校で学年当たり2クラスもある。

 対してモヨコたちが通っていた丸島小学校は全校生徒合わせても60人程度と過疎化の煽りをまともに受けていた。

 安浜小学校は中学校からも比較的近く歩いて20分もあればたどり着く。

 4時に近い時間になるがこの時期だ、まだまだ空は明るくきっとグラウンドには子供たちがたくさんいるだろう。

「よく考えると安浜小学校に行くのって初めてかも…」

「ウチも」

「グラウンドとか眺めてたら不審者として通報されたりしないかしら」

「大丈夫っしょ。無職のおっさんってわけでもないんだし。

 制服着たJCだよ?通報されるわけがないって思うな!」

 幸い安浜小学校のグラウンドは目の前を通る道路から見渡すことができる。

 グラウンドではサッカーをやっている。皆が皆同じ格好をしているからサッカークラブでもやっているのかもしれない。

「で、モヨコ、何人ぐらい見える?」

「ちょっと待って…」

 カバンの中からモヨコはピンクの眼鏡ケースを取り出す。外で眼鏡をかける。全く持って不本意でかわいいかわいい妹キャラを貫くモヨコにとっては苦渋の決断である。

 が、絢香の呪いを解くためだ。わがままは言ってられない。

「あの、今からわたし、眼鏡をかけるのだけれどあまり見ないで欲しいの」

「別に今どき誰だって眼鏡ぐらいかけるっしょ。気にしなくてよくない?」

「周りが気にしないのとわたしが恥ずかしいと思うのはまったく別の問題だわ。今まで絶対人前では眼鏡をかけないようにしていたのに…」

 ケースを開けるとそこには赤い眼鏡。モヨコはそれをかけると横から覗かれないように手のひらで顔をガードしながらグラウンドを見下ろした。

 グラウンドのほとんどはサッカーボールを追いかける男子ばかり。そのわきには指導に当たっているであろう男の先生。隅の方ではまだサッカー部に入れてもらえないような小さな男の子たち、そして女の子たちが走り回っている。無軌道なカオス運動に見えて何の遊びをしているのか全く分からない。花壇の周りをうろうろしている女の子たちもいる。

 ひとしきり見回すとふぅと小さなため息をついて眼鏡をまたケースに戻す。

「いないわ」

「え、マジで?誰一人?まったく?ノーワン?」

 習ったばかりの英語を思わず用いる久子。

「ええ、グラウンド内での男子と女子、誰一人よくないものを身にまとってなんていなかったわ」

「ということはやっぱり年齢は関係ないってことか」

「そのようね、あとは丸島小学校の方、だれか残っているうちに間に合うかしら?」

「どうする?走っていく?」

「いえ、汗まみれの姿なんてお兄様に見せることなんてできないわ。

 お兄様はJCの汗に興奮するような異常性欲者ではないからお家に帰った時にそんなみっともないにおいをまき散らすことなんて耐えられない。

 だからここは可及的速やかにしかし汗はかかないように心拍数を上げすぎないように最適の速度で早歩きで向かうことにしましょう」

「本気で言ってる?」

「…どうせすぐ疲れて歩き出すのが目に見えてるわ」

「モヨコ、体力ないもんね。わかったし。誰かチャリ貸してくれると助かるんだけどな」

「でも今から丸島小に向かっても5時前ぐらいでしょう?

 どうせエーデルワイスが鳴るまではみんな遊んでるわよ。

 それに今日は少年野球の日だしだったら大人もいるから6時ぐらいまではグラウンド使ってるんじゃないのかしら?」

 モヨコたちの通っていた丸島小学校は3年生になると男子は野球部、女子はバレー部へと半強制的に入部させられる。

 △△町には3つの小学校が存在するがその3つの小学校は定期的に野球とバレーの対抗戦を行うことになっている。これが割と歴史のある大会ですでに50回を超えている。

 そして半強制的に参加させられる理由もここにある。

 丸島小学校は3つの中で一番児童が少ない。野球なんかは5,6年生の男子すべてを集めてもチームが組めない時があるくらいだ。

 そして子供が部に所属していたらその保護者が交代で練習の面倒を見ることになっている。そして練習日は月水金、今日は月曜だから練習しているはずだ。

 ちなみにモヨコは半強制的な部活を自主的にさぼり練習のある日は近所の川で河川工事ごっこという名の砂遊びをして時間をつぶしていたらある日畑帰りの親御さんに見つかってしまいもうあきらめられてしまった。

「そうか、野球の日だったし。じゃあそんな急がなくてもいいか」

 一応エーデルワイスが鳴る前には丸島小学校にたどり着く。

 丸島小は校門から中に入らないとグラウンドを見ることはできないのだがそこは卒業生なのだ。たぶんそんなに気にされないだろう。ただモヨコとしては親御さんとか現役児童に話しかけられたくないなぁ、と思いはするがさすがにそれぐらいは我慢しなければならない。

 記憶よりいろんなものが小さく見えるのはたぶん2年のモヨコの成長というものだろう。

 グラウンドでは予想通り少年野球の練習が行われている。

 保護者の中でもまだ若い部類に入るおじさんが守備練習のためノックをしているところだった。

 ベンチなどはないのでグラウンドの端にあるシーソーに腰かけた。

「で、今回はどう?モヨコ」

「ええ、はっきりと見えるわ。半分ぐらいの子にはよくないものがついているのが見える…といってもそんなに大きくはないようね。大怪我はしないみたいでよかった」

 実際よくないもの、が起こすケガは些細なものだった。転んで膝をすりむく、突き指する、ごくごく些細なもので一番ひどいものでも彫刻刀で指をケガする程度だ。縫ったり入院したりするような大怪我に見舞われた子はモヨコの知る限り久子しかいない。

 その怪我の痕もぱっつんの前髪に隠れてしまっているのだけど。

「これでほとんど確定ね。

 わたしが見えるよくないものは特定の地域に主に発生するものだわ。

 多分このあたりによくないものを振りまくなにか、がある」

「ちなみによくないものがついているのはどの子?」

 モヨコにとって野球の知識は屈強な男たちが固い玉を長い棒でしばいたり掴んだりする野蛮なスポーツ、という偏見に満ち溢れた知識しかないのでポジションなどというものはわからない。

 なので指をさしてどの子についているか示す。

 本当なら名前を知っている子が何人もいるはずなのだが眼鏡をはずしたままのモヨコでは顔まではよく見えない。

「あとはあそこで交代待ちしてる子たちの列があるわよね。右から2番目、5番目の子にもあるわ」

「ふむ、じゃあやっぱり用津比命神社ってことになるし」

「もちろんそこが全く無関係だとは思わないけれどなにか根拠はあるのかしら?」

「行けば一番はっきりすると思うな!

 でもそれにしたってモヨコ、だれについていたか覚えてる?あとモヨコが指さした子たち。

 ほとんどが主座地区の子ばっかりだし。主座地区って神社があるところっしょ。

 つまり神社で遊んだ時にそれを拾ってきたってしか思えないって」

「あ…!」

 いわれてみればその通りだ。サンプル数が増えた結果最もまっとうなことだった。

 中学生に少なくなるのも結局中学生になって神社で遊ぶ機会が減っている。ただそれだけなのだ。

「まだ神社、行くの間に合うわ」

「ウチもここまできてまた明日っていうのはもうさすがに待ちきれないってわけ。

 モヨコ、行くよ」

「ええ、事実をはっきりさせましょう」

 用津比命神社はスケッチ大会で授業で行くこともあるぐらい、つまり小学校からは非常に近い。小学生の足でも10分ほどでたどり着けるのだ。

 空にはやっとで夕暮れの色が見えかけていた。

 そしていざ神社に入ると敷地内に植えられたたくさんの木々のせいで一気に暗くなった。

 特に入り口すぐの大きな木は樹齢で考えると気が遠くなるほど太く高く幹には立派なしめ縄がまかれている。

 葉っぱと葉っぱの隙間からわずかに光が差し込む。

 セミの鳴き声に包まれた空間は今日は野球の練習があったせいかモヨコたち以外誰もいない。

 日常から切り取られたような空気は人間の世界から少し外れてしまったかのような感触に陥ってしまう。

 とりあえずは鳥居をくぐり本堂に向かうことにした。

 本堂への道は石畳で舗装されていたのだろうがろくに手入れも予算もかけられていないせいで半分ほど土に埋もれて隠れ、地表に顔をのぞかせている部分も苔がうっすら生えている。

 本堂は雨風に晒された濃い茶色、入り口には二匹の狛犬が待ち構えていた。

 左側の狛犬はしっかりと口を閉じお座りのポーズだがその前足で玉を抑え込んでいる。

 右側の犬も同じくお座りのポーズだがこちらは左と違って玉を抑えていない。その代わり口を開いている。

 狛犬もあまり手入れをされていないのかくすんだ灰色となって苔が表面にところどころこびりついていた。

 そこでモヨコは足を止めた。

 隣を歩く久子もつられて足を止める。

「どうしたってわけ…?」

「…なるほど。これがよくないものの正体…というか発生源だったのね」

「ということは、見つけたってわけ?」

「ええ。左側の狛犬が抑えている玉、あれに黒い靄がまとわりついている…と思う。

 あまりにも色が濃くってわたしには狛犬が無理やりよくないものを押さえつけて封印しているみたいに見えるわ」

「へぇ」

「あ、犬神さん、あまり近づかない方がいいと思うわ。

 多分周りの子たちはこの神社で遊んだ時にその玉からよくないものをもらったかもしれないもの」

「でも絢香の呪いを解くためには放置するってわけにはいかないっしょ?

 あの正木さんだってこの神社の電話番号を伝えたってことはここに何かあるのは確実なんだし目の前に呪いの塊があるっていうならそれが最大のヒントだって思うわけ」

 久子が言っていることはわかる。けれどあれが呪いの塊といわれるとモヨコは疑問が残った。

 明らかに目の前にあるものより絢香の頭の上に浮かぶ呪いの方が質量も大きさも勝っている。

 あそこにあるのはあくまでよくないものをかき集めて無理やり押し込んだ、というようなありさまだ。

 ようはパンパンに膨らんだ風船のようなもの。

 対して絢香の頭の上に浮かぶのは練りこまれたよくないものを質量そのままによりその悪意をハッキリできるように加工されたようなものにに思える。

 あれが呪いの発生源だとするならばそれが絢香の呪いより弱いなんてことはあり得るのだろうか。

「まぁちょっとケガするぐらいならもう覚悟完了しているしもう少し近づいてみる」

 止める暇もなく久子は次の一歩を踏み出す。

「ウチの目からしたら特に変わったところってないって感じかな」

「でも直接触ったりはしない方がいいと思うわ。特にその玉、それが呪いの中心かもしれないから」

「わかってるって。久子ちゃんだって調子乗って地雷踏み抜くような真似はしたくないっつの。

 でもほんと狛犬怪しいところ全然ないな。

 っていうか狛犬ってなんだっけ」

「主な用途は魔除けとかだったと思うわ。天皇家を守護するために作られたのが最初ともいわれていたはず。

 あとは富とか子孫繁栄とかいわゆる縁起物としての役割ね。

 ちなみに想像上の生物よ。現実には存在しないわ」

「こんな生き物がいないってことぐらい知ってるっつうの。モヨコ、ウチのことバカにしてない?」

「い、いえそういうつもりではないのだけれど。

 あとは左右に並んだ狛犬は阿形と吽形なんて区別されることもあるわ。

 阿と吽はサンスクリット語の始まりと終わりの言葉、つまり宇宙のすべてを包括していることを象徴しているとか」

「ごめん、それは急にスケールがでかすぎてついていけないっしょ。

 絢香に向けられた呪いが宇宙パワーっていうなら全然太刀打ちできないって」

「ええ、あくまで数ある説の一つだからあまり気にすることはないと思うわ。

 これは普遍的に狛犬という存在全般に言えることだもの。

 注目すべきはこの用津比命神社であることの特異性だと思うの。

 この神社でないと呪いが発生しない、何らかの理由があるのだと思うわ。

 あとわたしの見えてる範囲で言えばこの神社の狛犬は特に魔除け、としての能力に特化しているのではないのかしら。

 何かしらのよくないものを集め凝縮し、玉に込めて押さえつけて飛び散るのを防いでいる、とか」

 なんとなく小学生のスケッチ大会でここに来た時を思い出した。

 その時ほとんどみんなは境内から見えるこの本堂を題材に選んでいたけれどそのころもう浮いていたモヨコは一人だけ入り口の大きなご神木を写生していた。

 男子たちは大きな声でなんかつまらない度胸試しをしてはしゃいでいた。

『触れるか』『呪われるかもしれないよ』『んなわけないだろこんなの触ったってどうってことないって』『うわ、ばちあたりだ』

 なんてゲラゲラ笑ったり本気で怖がっているような声がまじりあっていたのだ。

 それはなんだ。そう、違和感だ。なぜ左側、いわゆる阿形の狛犬の玉にだけよくないものが見えるのだろうか?

 おかしいのだ。これは絶対におかしい。

「モヨコ、どうしたし?」

「犬神さん、ここでスケッチした時のことって覚えてる?」

「あー覚えてるし。なんか男子がつまんないことで盛り上がってたよね。んなことありえないって。

 とはもう今は言えなくなったんだな」

「それって度胸試し、よね。

 狛犬の口の中の…」

 そう、右側、いわゆる吽形とされる狛犬は口を開けている。

 その中にも玉が入っている。用津比命神社の狛犬は口の中に玉が入っていてそれは指で押せば動かせる。どうやって少ししか開いてない口の中に押し込んだのか子供心に不思議に思ったものだ。

 口の中から取り出せない玉は虚言妄言をはいて人を惑わしてはいけない、という意味があるとか言われている。

 逆に言えばそれは口の中によくないものをため込んで外に漏れないように封印している、ということなのだ。

 それは阿形の狛犬が玉を押さえつけるよりもっと呪いを抑える封印という意味に近しいのではないのだろうか。

 少なくとも吽形の狛犬に全く呪いが見えないのはおかしい。

「そうそう、その玉を触ったら呪われるとか言い合って誰が触れるかと下んないことやってたし」

「今もその玉って」

 二人は吽形の狛犬に駆け寄る。

 開いた口の中を覗き込んだ。

 やっぱりそこには玉はもうなかった。

 薄暗くて見えないだけかもしれないともう一度覗き込んだが野球ボールほどの大きさもあった球を見逃すはずがない。

「モヨコ、これ見て」

 久子が指さしたところは狛犬の歯が欠けている。自然と、ではなく明らかに人の手でだ。その分のスペースを考えれば中から球を取り出すのはさほど苦労しないだろう。

 狛犬といえどしょせんは石、ハンマーとたがねでも準備しておけば罰当たりな、という気持ちさえ無視すれば破壊はそう難しくなさそうに思えた。ましてやこのあたりに住んでいるのは農家なせいかどの家でも簡単な大工道具はそろってしまっている。容疑を絞るどころか誰でも可能。また手さぐりに逆戻りだ。

「誰かが盗んだってことね」

「まぁ普通に考えるとそうなるし。問題はこれがいつ行われたかってことだけど」

「あの電話番号にかければ管理している人とつながるのではないかしら。

 というかほかに知ってそうな人に心当たりがないもの」

「まぁ普通に考えればそれしかないし、といってももう電話かけてもつながらないだろうし中に誰かいないかなぁ」

「そこは本堂だからご神体しかないと思うわよ。

 こういうのって社務所?に務めてるものじゃないの?」

「じゃあその社務所っていうのはどこにあるっていうわけ」

「それが分からないのよね…

 わきにある小さな建物、あれ絶対掃除道具とかだけで人が住むほどではないにしても待機するような場所に思えないし…そもそもここって電話とかなさそうなのだけれどあの番号っていったいどこにつながるのかしら」

「たしかに」

「一応もう少しだれか残っていないか探してみましょうか。本堂の裏とかにも別に建物があるかもしれないわ」

 が、本堂の裏は木々が立ち並んでいるだけでなにもない。小さな神社だ。住み込みで誰かいるとは思ってはいなかったけれどこれ以上を聞き出すのは明日お昼休みにでも電話してみるしかないのだろう、という結論に至った。


 神社から二人は帰り道につき始めた。さすがに空ももう暗くなり始めるがまだ怒られるような時間帯ではない。

 でもこれ以上の寄り道は今日は無理だった。

「ねぇ、犬神さん。このことって井ノ口さんに伝えた方がいいのかしら…」

「そりゃ絢香だって気になってるんだろうから教えた方がいいに決まってるっしょ?」

「でもそれって愛さんにも伝わるって思うのよね」

「あー…」

「愛さんが正直何ができるのかってわからないわ。井ノ口邸から離れることもができないってなってるけれどそれが本当かもわからないし。

 愛さんが犯人探しなんて考えていなくて別の目的があったとしてこのことでそれを早めようとしたら…?

 犬神さん、このノートの絵、井ノ口さんの呪いと多分同じものが書かれているの。

 わたしは愛さんの目的がこの呪いを完成させることにあるんじゃないかって思うのよ」

 そういってカバンから取り出した悪魔祈祷書を見せる。

「じゃあなんで犯人探しなんてさせようとさせてるわけ?勝手に放置してれば3か月ぐらいで絢香が死んじゃうってことはそこで呪いが完成するってことじゃないの?」

「そこなのよね。だったらノーヒントで右往左往してれば勝手に完成する呪いなんだから。

 そう考えると呪いの完成には何か足りないってことになるんじゃないかしら?

 呪いを完成させるにはタイムリミットがあって、それが来てしまえばそのために必要な依り代…この場合だと井ノ口さんね。

 彼女が死んでしまう。だからその前に呪いに必要なものを見つけさせてそれを持ってきてもらう。

 そういうことではないのかって思うのだけれど」

「それが狛犬から盗まれた玉っていうわけ?」

「今のところ一番怪しいのはそれしかないもの。

 だからその玉を見つけた時にどうするべきかってことも考えておいた方がいいのではないのかしら」

「それっておかしくない?

 だったら犯人を探せじゃなくって玉を見つけて持って来いっていう方がよっぽどわかりやすいっしょ」

「ええ、だから愛さんは玉が必要とは知らないのよ」

「?よくわかんないし」

「ええっと…だから、愛さんには呪いを完成させたい理由があって…それは一人でやってたわけじゃないって思うの。

 協力者はたぶん正木さん…で、呪いの完成直前に正木さんはその最後に必要なものを持って逃げたんじゃないのかしら?

 だから、自分を殺した犯人として正木さんを探して連れてこさせて…正木さんに最後に必要な何かを持ってこさせる…みたいな?

 ごめんなさい、自分でも何を言いたいかよくわからなくなってきたわ」

「それだとその絶妙なタイミングで愛さんを殺したのは誰ってことになるし」

「…顔の…ない男の人」

 それは小学生の時の記憶。

「は?」

「なんでもないわ」

 モヨコは犯人であろう人物を見ている、はずなのだが笑い声ばかりが耳にこびりついていて顔は真っ黒に塗りつぶされていた。ただこの事件の登場人物がほとんど女子高生ばっかりだったことでそのどれにも当てはまらないので幻覚、あるいは無関係と無視している。

 本当は直視することを避けていた。


 自宅に帰ってからは夕食を取って部屋にこもるといつものように勉強を始めようと思ったのだけれどさすがにもう手につかない。

 モヨコの机の上に広げられているのは教科書や参考書ではなく『悪魔祈祷書』いまだ謎の解けない漢字ばかりが書き連ねられたページ。

 このページを見るたびにここに書かれている文字たちはただのでたらめではない、そう直感が告げているのだがいまだに法則が見つけられない。

『子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥

 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸◯◯』

 解読のヒントになりそうなものはこれしかないのだが十干十二支と同じ漢字をノートの中から探し出す、なんてことは真っ先にやっている。がその配置にも意味がありそうには思えなかった。

 ヒントが足りないか、ヒントの読み方が間違っているのだ。

 ノートをもって近づけたり離したりする。

 何かしらぼんやりと浮かび上がりそうなのだがいまだ決定的なものには至っていない。

 改めて漢字の群れを一ページ目からなぞってみる。

 文章ではない、と思う。

 意味のつながらない文字の群れをひたすら追うというのはかなりの苦痛を伴う作業だ。

 がこの文字に何の意味もないというはずはない。

 一ページをめくるのに小説を読むのに何倍もの時間と集中力を要する。

 そうやって数ページ進むころにはいつもの勉強を辞める時間にもうなってしまった。

 これ以上電気をつけていると早く寝なさいと怒られる可能性が高まってしまう。

 モヨコの両親は11時には就寝するのだがお年のせいか午前1時までに一度トイレに部屋を出ることが多かった。

 モヨコの部屋はちょうどトイレへの通り道なのでその時によく怒られてしまうのだ。

 文字のページもちょうど半分に差し掛かったころだ。

 いつもなら寝る時間で最後まで読んでしまおうと思うと明日起きるのがつらすぎる。

 寝てしまうか迷っているころにそれは目に留まった。

『神社』

 それはこの漢字の海の中で初めて見つけた意味のある言葉だ。

 ほかのページは丁寧に意味がある言葉同士が隣り合わないように必死に避け続けたのではないか、というぐらいに意味のつながらなさは顕著だった。その中で現れたこの言葉に何もないということはあり得ない。

 そしてまた神社。

 あの時正木嬢が示したヒントも神社。

 すべてが神社を示していた。

 用津比命のお話にも何か意味があるのかもしれない。改めてモヨコはケータイで用津比命を調べてみたのだがガラケーには対応していないページばっかりだ。

 ブラウザモードに切り替えると通信料がやばいことになるのは親のすねをかじる身では重々承知していたのでこれも明日絢香か久子に代わりに調べてもらうしかない。

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