7話 きのこ会議
7話 きのこ会議
次の日の予定は決める前に絢香からメールが舞い込んだ。
犬神久子から呼び出しがあった、という内容だ。
久子には一応声はかけていたのに昨日は来なかったのでやはりこの事件を手に負えないとさじを投げたのかと思ったのだけれどそうではなかった。
彼女は自分の姉に聞いてくれていたのだ。久子の姉、博子は若林愛は同学年だった、ということでそのつてで若林愛の高校の同級生を調べてくれている。おまけにアポイントメントまで取ってくれていた。
若林愛が通っていたのは私立福亀高校、△△町に隣接する市内にある高校だ。ただそこは公立の進学校に落ちた人たちが滑り止めで行く、という少し残念な高校でもある。
つまりそこそこの成績と親から反対されなければ無理なく通える高校ということだ。
ちなみに久子と絢香はラインで詳しい内容をやり取りしていたようだが、ガラケー使いのモヨコにとってラインアプリは非常に重く、リアルタイム性に著しくかけるため結局モヨコはよくわからないまま井ノ口邸に行くことになった。詳しい集合場所とかはそこで絢香に聞くってことだ。
スマホを通してのやり取り、それがモヨコには少し引っかかる。考えすぎだったらいいのだけれど、一度もたげた疑問は振り切れない。
昨日の経験を活かし今日は事前に絢香をうちから出るように説得していた。
6月とはいえ10時ですでに太陽は高く高く、あたりに陽射しを遮るようなものもないのだからセミの鳴き声が響くたびに温度が増していくような錯覚を覚えた。
そんな中絢香はゆったりとしたフリルがあしらわれた白シャツに淡い色のスカートという涼しげな装いをしていても手でパタパタと仰いですでにげんなりしているようだ。
モヨコの姿を見つけるとすぐさま駆け寄ってくる。
「なんで家の前で待ち合わせなの…ぎりぎりまでクーラーで涼んでいたかったのに!」
「それは悪いことをしたわね、ご家族と万が一でも顔を合わせたくないっていうわたしの個人的信条よ」
「もう何回もウチに来てるんだからいい加減慣れてよ!」
「いくらわかっていても大きな音や花火にはついビクってしてしまう…それと同じよ、わかるでしょう?あなたが言ったことだものね。
ところで愛さんは?」
「客間の扇風機に向かってあ~~っていうやつやってる。ほんっとむかつく!誰のために動いているって思ってるのよ!何なのこの温度差!」
「なるほど、冷房が効いた室内とこのうだるような外のこともその温度差って言葉にひっかけているわけね」
「なに言ってるのモヨコ?大丈夫?やられちゃってない?」
「ええ少しばかり…暑さにも参っているしこれからの展開にもね…」
「そうそう、それで忘れてた、久子から待ち合わせ場所指定されたんだけどさ」
「ちょっと待って、その前に…昨日犬神さんとラインでやり取りしていたのよね?その時愛さんは?」
「後ろからスマホ覗き込んでたけどなんで?」
「なんでって…昨日の正木邸のこと、覚えていないの?愛さんはこっちに何か隠し事しているのは確実なのになんでそう無防備なのかわからないわ…少しは警戒したら?やり取りするときは基本外に出て愛さんに見えないようにとか…と思ったけれどそれもそれで怪しいわね、愛さんに何かに勘付いているって気づかれてしまうし…とりあえず帰るまでに何か対策を考えておかないと」
正木邸のやり取りのことを考えれば悪魔祈祷書』のことを知っているということだし、むしろノートを正木氏から強奪したことにすらなる。つまりなにがしかの価値があのノートにはあるはずなのだが今のところどう見ても不気味さを演出するために作った厨二ノート、という判断しかできない。
ページを埋める文字にもしかしたら何かしらの意味が隠されているのかもしれないけれど今のところ法則性も見つかっていない。ただの偏執狂の仕業だとしか言いようがない。
「それで思い出した、本当にノートのこと、幽霊に聞かなくてよかったの?幽霊が隠していたってことになるなら幽霊はあのノートの意味が分かるってことでしょ」
「知らないふりしてたのに素直にその内容を話すって思う?さすがにおめでたすぎないかしら。ずいぶんとハッピハッピーな世界にお住まいのようね」
「問い詰めれば観念して話す可能性もあるかもしれないじゃん!もうばれてるんだから隠す必要もないってことに」
「あれが本当に大事なものなら逆にうその情報をつかまされそうな気がするし証拠隠滅みたいなことされたらどうするのよ」
「幽霊はモノに触ることができないから証拠隠滅なんて無理でしょー」
「そうだったらいいけどね…わたしたちの知らない何かを使う可能性もあるわ」
「は?たとえばどんな?」
「それが分かれば苦労しないわよ。ただ切り札として人智の及ばない意志の力をもって何らかのリアクションを起こせるかもしれないでしょう」
「???意味が分からないんだけど」
「人の意思は物理法則も常識も超越できる、わたしはずっとそう信じているしならば肉体を捨て去った意思そのものとなった愛さんが何かを起こすことができたとしても不思議じゃないわ。
古今東西ありとあらゆる書物を紐解けばいくらでもそういう話は転がっているのよ。生霊だとか怨念だとか呪いだとか…あるいは身を捧げて自然現象というおよそいまだ人間が太刀打ちできないことだって沈めてしまう話だとか。
それを全部ありきたりの物語装置、あり得ないっ切り捨てるのも自由だけれど人間の発想なんて経験のないところからは沸いてこないわ。何かしらそう思わせるだけの事実がその周りにあったってことだもの。
だからわたしは今もこの世界には人智の及ばない意志の力が降り注いでいるのを確信している。
実際今もあなたを呪うという非常識なことをやってのけてるわけでしょう」
絢香は頭上に目をやりいまだ自らの上に存在する球体を見上げる。
ため息とともに上げていた目を下ろす。
「…そうだね」
「ところで井ノ口さん、身体の調子の方はどうなの?呪われてもう2週間ぐらいでしょう?体調に変化とか…」
モヨコが初めて見たときは黒い靄の塊であったそれは今はノートに書かれていたあの球体のように表面を縦横無尽に走る赤い筋がうっすらと見え始めていた。
それは呪いの進行を示しているようにしか思えない。この禍々しい球が完全に色づき、ノートに書かれた通りの外見を手に入れたとき、絢香は死んでしまうのだ。
「朝起きるのがちょっと辛いとか少し体が重いぐらいはあるけどそれがここ最近歩きまくったり幽霊からのストレスのせいか、呪いのせいなのかどっちかわからないんだよね。
モヨコから見てどう?顔色悪いとかやつれたとかある?」
「わたし、人の顔色をうかがうこともできないからあまりわからないわ…」
「ならまだ今すぐ危ないってこともないんじゃないかな。ま、正直久子に期待してなかったけどもしかしたら一番の収穫になるかもしれないね。なにしろ生きてた頃の幽霊を知っている人と会えるっていうんだから」
「そうね、愛さんが高校生になってからは朝早く夕方遅い通学のせいでほとんど見かけたことなかったからわたしもわからないし」
「で、そのキララって場所で待ち合わせらしいんだけどわかる?」
「キララ?なにそれ、聞いたことがないわ」
「なんかピザ屋さん?らしいけど」
「たぶんわたしが通っていた小学校とは別の区域だわ。あまりそっちの方に出かけることはないからそういうこじんまりしたお店だったら知らないかもしれない。検索しても地図は出なかったの?」
「あ、それなら大丈夫。久子がちゃんとグークルマップを提供してくれました!」
「ならそれをすぐに見せてよ…」
絢香のスマホの画面をのぞき込む。『国道〇号線』、近くに『中央公民館』、そして『肉のフクヤマ』。これだけ記入されていればモヨコの脳内地図ともかちりとはまり込む。
「なるほど、これなら問題ないわね。たどり着けると思うわ。
そして例のごとく自転車がないとつらい距離だけれど大丈夫?まだ持ってないならまたうちの予備自転車を使ってもいいのだけれど」
「あ、そっか、ならモヨコのうち待ち合わせ場所にした方がよかったかも」
「それともう一つ心配事があるの」
「どうしたの?あ、もしかして知らない人と会うのが?それなら基本わたしがしゃべるから大丈夫だよ」
「あ、そうね、それもあるのだけれど…ピッツア屋さんっておいくらほどお金持っていけばいいのわかる…?今月のお小遣いあと500円しかなくって。ジュースだけ頼んでも怒られたりしないかしら?」
「あー確かにあまり500円以下でメニュー出してるってないかも。いつもお世話になってるしなんならモヨコの分ぐらいわたし出すよ」
「嫌よ。別にお金のためにあなたのお手伝いをしているわけではないわ。」
「だからそういうかたっくるしく考えなくていいからさ、お礼だよお礼」
「いらないわ、あなたがどうこうじゃなくてわたしがもらいたくないの。どうせ一度うちに帰るのだしお母さんにお小遣い追加でもらうようにするわ、可愛い娘の頼みですもの、きっと喜んで聞いてくれるはずだもの。
…それにお金を挟むと今までのわたし達の歴史が浅ましいものに代わってしまいそうなのもいや」
という後半のつぶやきはほとんど聴き取れなくって絢香はなんだって?と聞き返すことも顔色を変えることだってなかった。
正木邸に向かった時と比べればほぼ平坦な道を延々と漕ぐだけだ。そのことに絢香は心底ほっとしたように息を吐いた。
キララは自称△△町商店街、と名付けられた国道沿いにたたずんでいた。が、この商店街、衰退する地方都市の例にもれず日曜の午前中なのに買い物らしい買い物客なんていやしない。むしろ商店街と名乗っているのにお店と店の間の間隔が長すぎるのだ。駐車場に少しばかり車が停まっているだけだ。
キララも一見してはお店とは思えないこじんまりとしたコンクリートの1階建ての建物だ。
小さな看板と申し訳程度のレンガ風のタイルの飾りつけが入り口のドアに施されている。
そしてそのドアの前には仁王立ちでたたずむ茶髪のケバい少女が仁王立ちしていた。
「犬神さんにお化粧教えるんじゃなかったの?」
とモヨコがささやくと絢香は困ったようにハハハと曖昧な笑みを浮かべる。
「ま、それはまた今度…」
などとやり取りしているところでケバい少女久子に見つかった。
「ちょっと早く来るし!いつまでもここにいるのも暑いんだからね!」
「自転車止めるからちょっと待ってよ」
「あ、お、おはよう、犬神さん」
「う、うん、おはよ、モヨコ」
などとこんにちわの方がふさわしい時間なのにぎこちない挨拶を交わす二人。
絢香とモヨコは店の裏手に自転車を並べて止める。
「じゃ、早く入るし、待ち合わせまでそんなに時間もないんだからね」
子供だけで外食、という経験が初めてのモヨコは久子と絢香の間に隠れるようにお店に入る。
からからとドアにつけられたベルが鳴る中二人の足取りは堂々としたものだ。
外見にたがわず内装もこじんまりとしている。
木目調で統一された店内には5人ほど座れるカウンターと2人掛けのテーブルが2つ、4人掛けのテーブルが二つ。
カウンターにおばさんが二人座っているだけだ。
一歩足を踏み入れるとなんだかおしゃれっぽい謎の音楽が鳴っている。クラシックでもない、ジャズでもない、柔らかな音の向こうで女性が外国の言語で歌うゆったりとした音楽は英語かどうかすらわからなかったがひたすらこのお店が外見と違ってとんでもないスペックなのだと知らしめされ、モヨコは自らの装備を確認した。
こんな服で大丈夫か?カウンターおばさんもこの町のどこで生息しているのだ?うちのお母さんやその周りの人たちは謎の花柄の上着をよく羽織っているけれどなんだかそんなものとは違う、おばさんっていうよりも大人って感じの服でまとまっているのだ。
「こ、これがおしゃれなお店というものなのね…」
動揺のあまりモヨコは声が震えているが絢香といえば何でもない風に店内を見渡した。
「ふーん、結構よさそうだね」
「なんでそんなに普通なの。絶対普通中学生だけで入るようなお店じゃないじゃない!こう、オーラを感じるわ、落ち着いた、大人たちに許されそうなオーラが。わたし達本当にこのお店に入っていいの?」
「大丈夫だって、別に普通じゃん。
こういうところは言ったことないってことはモヨコ友達と遊びに行ったときとかどこでご飯食べてるの?」
「友達がいないのにご飯をどこに食べに行くも何もないでしょう。それに外食は高いのよ。ならお昼ご飯はおうちに帰って食べるべきだわ。12時になればサイレンがお昼の時間を知らせてくれるもの」
田舎特有の町中に鳴り響く時報である。ちなみにモヨコはお兄様好みの色白美少女を目指している節もあるのでこの時期は早朝か夕暮れしかあまり外に出ない。
「そっかーじゃぁ今日は初友達とごはんか、記念になるな。まぁ相手が来るまでは普通にごはん食べようよ。せっかくの機会だからね」
「いつまでも入り口で話してるんじゃなくてさっさと席に着くし。そそそそそれに初友達ごはんっていちゃついてるけど別に絢香がモヨコを独り占めってわけじゃなくて久子ちゃんだっているんだからね!」
「お、おう」
「犬神さん…今日はよろしくお願いします」
話しかけるといつもかしこまってしまうモヨコを久子は恨みがましそうに見た。目つきの悪い久子なせいでモヨコはそれを睨まれた、と感じて一歩下がってしまう。無理やり手を握って久子は4人掛けのテーブルに向かう。
テーブルに置かれたメニュー表がぺらっぺらじゃなくて少し集めの布表紙なのに感動してしまった。
お父さんがいつも連れてってくれるのは地元チェーンのうどん屋でメニュー表なんてペラペラした紙一枚だし、子供会の打ち上げでよく使われるファミレスだってカラー写真満載であってもこんな表紙はない。
「久子ってここは初めてなの?慣れた感じだったけど」
「お姉ちゃんがバイト代が入った日はよく食べに連れてきてくれるからね。常連だし!」
「へーじゃ、おススメ教えてよ」
「はぁ?好きなの食べればいいし。ウチはおススメしてなんかこれじゃないって言われるのいやなんだよね」
モヨコはピザのページを眺めているのだが普段のファミレスはピザはピザとしか書いてないし写真も載ってないのでどれが一体いいのかわからない。
ケチだなぁってつぶやきながら同じく隣でメニューを見ている絢香の袖を引っ張った。
「…井ノ口さん、メニューだけだとどんなのかわからないのだけれど…」
「モヨコってなんか食べられないやつあるの?」
「ネバネバしたものとすっぱいものは苦手だわ。納豆とかオクラとかお酢で味付けしたものとか」
「ならどれ頼んでも大丈夫だと思うよ。いいじゃんチャレンジで。わたしはモヨコと違うの頼むから半分こしようよ。お友達シェアってやつ」
「そ、そうね、じゃあわたしは」
「ちょい待つし。だったらみんな違うやつにして交換しよ」
「…えっと、犬神さん、わたしと交換してもいいの?」
「いいよべつに」
「あのさー久子、もうちょっと素直になれないわけ?モヨコは絶対気づかないよ」
「…うるさい。どうせならみんなでやった方が楽しいって言ってるだけだし」
その言葉にモヨコは目を丸くした。久子はぷいっと顔をそらしている。
「ありがとう」
「お礼言われるようなことじゃなくない?空気読んだだけだし」
「でも、犬神さんがわたしと交換するの楽しいって言ってくれたから」
「なんでそんなこというの!そんなこと言われたらウチほんといたたまれなくなるじゃん」
「だって犬神さん、あれからずっとわたしを避けてたから」
「…あれはウチが悪かったよ。八つ当たりだったよね。ごめん」
「仲直りタイム終わった?注文しようよ」
ピザ交換会というキャッキャうふふなイベントも半ばになったころ、カランカランというベルの音とともに待ち人は入ってきた。ゆるくウェーブのかかったボブカットの女性。白い襟元の黒いワンピースでガーリーにまとめられたコーディネート。ブロンドアッシュの色が入った髪は朝のニュースの占いの前にやってる都会の世界の女子がそのまま飛び出してきたようでモヨコはすごいショックを受けた。
そう、こんなおしゃれなピザ屋でランチをするのはそもそもこんなタイプの女子なのだ。
「あーもうご飯食べちゃってるのかな?遅れてごめんなさいね」
その女性は迷わずモヨコたちのテーブルにやってくる。まぁ他に子供たちはいないので初対面でも迷うことがないのだろう。空いている席に座ると店員さんにとりあえずお水ください、と声をかけると3人の顔を見回してにっこり笑った。
「えっとわたしを呼んだ久子ちゃんはあなた、だよね?」
「え、えどうしてわかるんですか」
「いや、そりゃだって一人は外国の方みたいだしそうなると二択だよね。博子ちゃんそっくりだもんね、やっぱり姉妹っていいねー。と、わたしご飯まだだから注文してからでお話はいい?」
「あ、はい、今日はよろしくお願いします」
絢香がかしこまってこたえる。国籍はジャパンというタイミングを逃した。
「やだな、とりあえずリラックスしてよ」
とメニューを一瞥して、どれが一番おいしかった?とテーブルの上のピザを眺める。モヨコがしどろもどろしていると絢香と久子であれこれやり取りをしてくれたのでほっと息をついた。
「そっちの黒髪ロングの子はあまりしゃべらないんだね」
「え、あ、すいません」
「謝らなくていいよ別に。同じ授業取ってる子にも人見知りっているし。仲良くなれたらいいね。今日はよろしくね」
その笑顔にモヨコはこれが大人のコミュ力…とちょっと骨抜きにされかけていた。
結局本題に入るのは4人がピザを食べ終わってからになった。なにしろ死人の話を食事中にするというのは気が滅入る。絢香とモヨコにとっては現在進行形で死人という感じはしないのだが久子とお姉さんにとっては違う。
「あ、そういえばまだお姉さんの名前、聞いてませんでしたけどなんてお呼びしたらいいですか?」
こいつ実はこんなにめっちゃ敬語使えるのか!?とモヨコが驚愕に目を見開き絢香を見つめる。
「お姉さん呼びでもわたしは全然いいんだよ?一人っ子だったからなんかくすぐったい感じもするけどちょっと嬉しい。
名前は香具土 緑。みどりさんでもみどりちゃんでも、もちろんお姉さんだって全然いいよ」
「えっと、みどりさんは若林愛さんのこと、覚えていますか?」
言葉を選ぼうにも他にも聞き方はない。が、あっけらかんと緑は答えた。
「殺されちゃった子だよね。覚えてるよ。クラスメイトみんなでお葬式に出た方がいいんじゃないかって話もあったけどちょっと遠かったしわたしはいかなったんだけどね。そんなに話した方でもなかったし。
で、若林さんのなにが聞きたいの?」
もしかしたら嫌な記憶や、悲しみなんてものを刺激するかもしれないなどといろいろと考えてみたものの緑にとって愛はモブの一人にすぎなかったようだ。まぁそれに関してモヨコもどうのこうの文句を言う筋合いはない。
クラスメイトの誰かがもし殺されても、神妙な面持ちになれど誰かれ構わず取り乱して泣きじゃくる自分なんて想像できそうにない。
「その、何でもいいから覚えていることを教えてもらっていいですか?」
「なるほど、それはなかなか難しいっていうか長くなるかも。ところでみんなまだ中学生だよね?どの学校受験するとかはもう考えてるの?」
「全然まだです」
「同じく」
「わたしは小堀高校を」
「え、モヨコちゃんは頭いいんだ。小堀かーわたしたちの時は誰も受験辞退してなかったよ」
「モヨコ、小堀なの?え、市内の高校にしないの?」
「久子、ダジャレを言っている暇はないって」
「ダジャレじゃないって!」
ダン、とテーブルをたたく。水の入ったグラスが揺れる。
「ひっ」
モヨコは小さく身構える。二人の顔を交互に見つめて緑は苦笑いを浮かべる。
「なんか友情に水を差す質問しちゃったかな、ごめんね。どうしようか、続き話す?それとももう少し待った方がいいかな?」
「…モヨコ、そこは後で詳しく聞くから。すいません、先にお願いします」
「えっとまぁとりあえず若林さんとわたしは福亀高校で一緒だったんだよね。それの普通科の特進コース。
で、特進コースってわかる?まぁたんに成績上位グループってだけなんだけど。
基本一クラスしかなくって授業料が安い代わりに成績落としちゃダメなの。
逆に言うと成績落とさない限りずっと同じクラスなんだけどね。
だから若林さんとわたしは3年間、殺されるまでずっと一緒のクラスだったんだよ。
初めて会ったのは入学してすぐってことになるのかな。いきなり自己紹介で『愛でもペンネームのラヴリでも好きな方で読んでください』なんてことを言って盛大に滑ってたなぁ」
あーそれはやっぱり愛さんだ、と絢香とモヨコはしきりにうなずく。
特進クラスということで運動系などの部活に所属する人間もほとんどいなかったのだが、それでもやっぱりクラス内ではヒエラルキーというかグループはできてしまう。
勉強一筋のグループ。ほどほどの成績だけ維持して遊びと恋愛に精を出すグループ。アイドルやバンドの追っかけなど趣味で固まるグループ。そんな中で若林愛が所属しているのは地味目な女の子たちが集ういわゆるオタクグループだった。
ただその中でも盛大に滑った自己紹介のせいでラヴリラブリとからかわれつつもそれなりに平穏な生活が続いていた。
「まーそんなラヴリちゃんだったんだけどクラスでちょっとしたトラブルがあったんだよね。内容は…中学生にはちょっと早いかなぁ、どうなんだろう?でも最近の中学生はそういうの早いっていうし…
っていうかご飯食べるところでこんな話もどうだろうって感じだよね。
ちょっとみんな顔を寄せてくれる?」
そして4人がテーブルの中央で頭が引っ付きそうなほどに顔を寄せるとみどりは囁いた。
3人ともいわれたことに理解が追い付かなくて思わず問い返してしまったのだけれどご飯食べるところだからねー、と二度目は言わなかった。
いわゆるクラスのボス的女子の机に落書きがされていたらしい。
…それも、男の人の体液と思われるもので。
もちろんそれが本当にそうなのかは誰もわからない。
ただ色合い、テカリ、粘着き、そして何よりも放たれる異臭にクラスの男子が真っ先にこれってアレじゃね、と言い出したのだ。その瞬間女子の悲鳴が響き渡った。
机の持ち主の女子はブチ切れてひっくり返した後にどすの利いた声でハッキリ宣言した。
犯人は絶対に殺す。
クラス中その剣幕に静まり返って誰も何も言えなくなる。一応写メだけ取ると男子がいやいやその机を拭かされた挙句机の交換をさせられていた。
同情的な雰囲気は確かにあった。が、それだけで誰がそんな机を使いたいというのだ。つまりそれだけの横暴と権力が女子には許されていたということだ。
落書きは文字でも図形でもなかった。いわゆるおまじないやお札に書かれているような、もの。後でネットでググってみればそれは『ルーン文字』と称されるものだということが分かった。
そしてそのルーン文字、をよく知っているのが若林愛だった。ポエムに限らず、占いやおまじないも好きだった彼女は成績アップのおまじないとか称してノートの表書きには科目以外にもその文字を使った落書きや魔方陣っぽいものを書き込んでいたからだ。
ましてやその体育の授業中若林愛は都合が悪く重い生理痛で保健室で休んでいたのがなおさら災いした。
あっという間に犯人に認定された若林愛の学校生活がそこから転がり落ちるさまはライクアローリングストーンで止まるどころか加速していく。
寄らば同罪、関われば断罪といった有様だった。
「いじめの内容っていうのは正直気分悪くなるから言わないでおくね」
「あの、みどりさんは…愛さんを助けようとかは思わなかったんですか?」
「止めないのも同罪って思ってるんだろうけれど…正直わたしと若林さんの間にはクラスメイト以上のなにもなかったからね。一緒に遊んだこともクラス委員の用事以外でおしゃべりしたこともほとんどない。だから身を張って止めなきゃってならなかったししそれに怖かったんだよね。あの子に逆らうのが。
だからわたしは見てみないふりしてた。こっそり片付けたりしてあげることもしなかったし裏で励ましてあげたりなんてこともしなかった。幻滅した?」
3人とも何と言っていいのか沈黙が支配した。正義感を振りかざすのは簡単なようでとても難しい。いざヒーローの立場に立つなんてことは…
「確かに決定的な証拠はなかったよ。でも状況証拠がね…若林さんが使ってる文字で、若林さんだけがいなかった体育の時間に起きた事件。もちろん不審者だとか、他のクラスだとかの可能性もあるわけだけど、あの時はみんながそうだって決めつけてそれ以上誰も調べようなんて思わなかった。庇おうとして自分に火の粉が降りかかるのももっての外だったしね。
担任も見回りを増やしたり守衛さんにも話を通すって言っていたけれどまぁそこからは何もなかったよ。
またクラスで同じことは起きなかったし似たような出来事も変わったような何かもなかった。
平穏無事だったんだよね。若林さん以外は。
ここで残念なのが特進クラスは一クラスしかないこと。リセットがされないのだからその女の子と若林さんはずっと同じクラス、つまりずっといじめ続けられることになるわけ。
こっちが見てても感心するほどあの子の怒りは収まることがなくってあざが残るような直接的な暴力以外は何でもやるってぐらい徹底してた。
無視とかモノを隠すとかそんなのが笑えちゃうぐらいにね。」
言葉が出なかった。幽霊はなぜにのほほんとあんな顔ができるのか。
ただ初めて捜査線上に容疑者が浮かび上がるのは喜ばしいことなのかもしれない。その女の子は誤解かはたまた事実かはわからないが若林愛を恨んでいる、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
「とまぁざっくりとここまで話したんだし今度はお姉さんの方からも聞いていいかな。
なんでこんなことをきくの?
その様子じゃみんな若林さんがいじめられてたことも知らなかったんだよね?
もし知ってたら若林さんをいじめてた主犯を知りたかったのかな、とかいろいろあるけどそうじゃないよね?」
緑の言葉に3人は顔を見合わせてしまった。今までの流れを正直に言ってしまったところで怪しさしかないのだけれどそこは子供が言うことだから、と流してもらえるのだろうか?ただいろいろ聞いたからには何も答えないというのも居心地が悪い。
「その、わたしたち、愛さんの事件を調べているんです」
最初に口を開いたのは絢香だった。みどりは首をかしげる。なんで?の意思表示だ。
「その、わたしの引っ越してきた家というのがその愛さんの家らしくってだから気になるというか」
「え、もしかしてって思ってたけど愛さんのうちこの辺なんだ」
の後に小さく付け加えられた道理で田舎なわけだ。と言葉がモヨコには聞こえた。
彼女は自分自身は傍観者でいることしかしなかった、と言っていたが今の言葉はどう聞いたって若林愛を見下している。なんなら本当は彼女もそのいじめに参加していたのかもしれない、そんな疑いすらわいてくる。
いや、実際のところいじめていてるつもりすらなかったのかもしれない。自分に都合がいいようにいくらでも記憶なんて修正されていくのだから。
「じゃあ絢香ちゃんって殺人現場に住んでることになるよね。へー、どんな気持ち?やっぱり幽霊とか出たりするの?いまだに警察が来るとか」
「わたしも言われるまで知らなかったんで、どんな人が住んでたか気になっているだけです」
言葉遣いこそ丁寧なものの絢香のが機嫌が目に見えて下がっているのはモヨコにも分かった。モヨコも何なら今すぐ会話を切り上げて帰ってしまいたかったが聞くべきことはまだ二つほどある。
「…あ、あの」
自分の言葉は慣れない間はほんとに蚊が鳴くほどの音しかしないことを重々理解しているモヨコはそっと小さく手を挙げて、アピールする。
「いじめていた人もじゃあ愛さんの住所は知らないってことですか?」
「知らないと思うよ。っていうか知っててもわざわざここまで来ないって思うなぁ。わたしも初めて聞いたけどここって博子ちゃんに聞いてた以上に何にもないよね。今日遅れちゃったのも全然駅からどのへんがお店が並んでる通りっていうのが分からなかったの。結局スマホのナビがないとたどり着けなかったんじゃないかなぁ。
高校の周りだと駅の周りに一通り何でもそろってるから遊ぶならそれで十分なんだよね。結局休みの日でも定期でその駅に行っちゃうぐらい。
あのこもそうだと思うな。高校生には時間とお金がかかりすぎだからこんな何にもない場所までわざわざ来ないよ」
モヨコはいじめの主犯格が犯人説、というのを少し考えていたがよくよく考えれば彼女の怒りやストレスは十二分に学校内で発散されており、仮に犯人だったとしてもそれはいじめの延長線上での事故、つまり校内で起きる可能性の方がよっぽど高いように思えた。
緑の言葉を借りればわざわざこんな町までやってきてばれないように侵入し謎の方法で豆腐で頭を殴りつけて殺す。そんなオカルト、あるいは空前絶後の奇犯罪を起こせそうには到底思えない。
「そう、ですか。あともう一つお聞きしたいのですが…クラス、もしくは愛さんの近くに正木さんって方はいました?」
「正木?ん~ちょっと待って、思い出すから。
下の名前とかもわかると教えてもらえれば助かるなぁ」
こめかみに人差し指を充てるしぐさがわざとらしくあざとく、数分前だったら大人なのにかわいい!と思えていたのだがたった今、悪意の有無は別として若林愛へのいじめのスルーや、モヨコたちの住む△△町へのナチュラルなディスをきいた後ではいらだちを覚えるだけだ。
「正木、敬子さんだと思うんですが」
「その人も愛さんの事件に何か関係があるのかな?
正木、敬子ちゃんね。
いたよ。すっごく頭がいい子だった。なんでうちみたいなところの特進かに交じってたのかわかんないぐらい頭がよくって推薦で××大学も間違いなしって言われてたぐらい。
でも3年生の1学期の途中でやめていっちゃったんだよね。
なんか時代がかった変なしゃべり方する子だったよ。
若林さんと仲が良かったかどうかは知らないけど。
さっきも言ったけど、若林さん、あの事件以来クラスで孤立してたから教室内では誰とも話していなかったよ。
教室の外で仲良くしてるんだったらそれはもうわたしにはわからないなぁ」
変なしゃべり方、それはあの寝たきりの状態のぼろぼろとしか形容のないほどやせこけた少女と一致する。モヨコはてっきり同い年か少し年下と思っていたのだが若林愛のクラスメイトということは彼女も20歳だということだ。それだけに彼女を蝕む呪いの重さを感じた。
ちなみに久子は突然出てきた正木敬子という名前に全くついていけてなかったが口を挟めるような空気ではなかったので神妙な顔を作りうなずいていた。
「もしよかったら学校を辞めた理由とか分かりますか?」
「理由も何もある日突然休んだって思ったらそれがそのまま一か月ぐらい続いただけだよ。
で、病気の治療に専念するってだけ聞かされてやめていったな。何の病気かは知らないけれど」
それだけ聞ければもう完ぺきだった。
「で?で?これがどうつながってくるのかな?
もしかして敬子ちゃんが愛ちゃんを殺したってことなの?」
野次馬スタイルなのか今度はモヨコたちに質問してくるみどりを久子と絢香がしどろもどろになりながらもかわしてくれている。
おかげでモヨコは思考に没頭することができた。
幽霊は正木敬子とのつながりをわざと隠していた。その確信を持つには十分だった。
幽霊の部屋から発見されたノート、『悪魔祈祷書』。知らぬ存ぜぬを通してもその書き手がクラスメイトでもあった正木敬子が書いたものであるのだからまったく知らないなんてことはないはずなのだ。
ならばどうして幽霊は知らないふりをしたのか?
それはたぶんノートには教えたくないこと、が書いてある。つまり幽霊にとっての不利な情報だ。
その不利というのがどういうことを差しているのだろうか?
復讐を誓う幽霊を無理やりこの世から払う方法だろうか?
あるいは復讐をカモフラージュにした別の目的、でもあるのだろうか。
そしてそれは秘密裏に勧められなければならない?なら幽霊からの犯人を捜してくれ、という依頼も表向きでモヨコたちは幽霊に利用されていることになる。つまりモヨコたちは何らかの仕事を行っていることになるのだろうか?
結局しばらくみどりに絡まれた後何とか3人はパスタ店を出ることができた。
駅までみどりを送るとちょうどよく隣の県行きの電車がついたところなのでついでに見送る。
木造の外観をした古い駅は通勤タイムでも1時間に2回しか電車が止まらないのでなかなかのグッドタイミングなのだ。
まぁ電車を交通手段と認識しない大人なら一人一台の車を所有する田舎ならではの感覚である。
ホームから電車が出て行ったのを確認して盛大に3人はため息をついた。
絢香などそのまま待合室のベンチに座り込んでしまう。それに倣ってモヨコも久子も座る。
「モヨコ、どうだった?」
「正直最初はきれいで優しそうな人だなって思ったけれど途中からはもう情報さえ教えてくれればどうでもよくなったわ…自覚しない悪意っていうのは本当に厄介ね。
わたしだって誰かがいじめられていたら止めるなんてこと、できるかわからないわ。だからそこでみどりさんを責める資格なんてないのは十分わかっているのだけれど。
でもそれを笑いながら話したりなんてことはきっとやらないし、どうみたって今でも話題性が充分な殺された同級生、の新しい話のタネを聞きに来たようにしか思えなかった。
でもいなくなってからこんな風に悪口いうんじゃあだめね。己の弱さを知った感じだわ」
「わたしは住んでまだ2か月もないけどモヨコがなんであんなに都会生まれをディスるのかの気持ちがちょっとだけわかったよ。ほんとナチュラルにわたしたちとこの町見下してるのが鼻につくんだもん」
「井ノ口さんはオリジナル△△町民じゃないからって思ったのだけれどやっぱりそう感じてしまうわよね」
「で、ねぇねぇ、モヨコ、どうだった?なにかヒントになりそうなことはあった?」
「ええ、少なくとも愛さんの言うことを何でも信用してはいけないってことが分かったわ。
しばらくは重要かもって思われることは家の外で日中話し合った方がいいかもしれないわね」
「ふふん、なんなら今日のこの会をセッティングした久子ちゃんをもっと褒めてくれたっていいし!
お姉ちゃんに聞いた甲斐があったって感じ!」
「犬神さんのおかげだわ。とにかく右往左往するにしても示唆する材料がたくさんある間は無駄足は踏むかもしれない。
けれど立ちすくむことだけはないもの。とにかく時間もあとどれだけあるかわからないからこれは本当に重要なことね。
ありがとう」
「ふ、ふふんっ!
ってなんか縁起でもない言葉がちょっと聞こえたんだけど…あんまり時間って残ってないの?
あとどれぐらいだったりするわけ?」
「はっきりしたことはわからないけれど井ノ口さん呪いは進行している、と思うわ」
「呪いが進行してるってどういうわけ?」
「あのノートには実は貼り合わせたページがあったの。そこを開いてみたらちょうど描いてあったわ。まるで井ノ口さんの呪いのような塊が。
井ノ口さんの頭の上に呪いと思われる球体がわたしには見えるのだけれど、その絵に状態が近づいているように思えるわ」
「なるほど…それってどのぐらい絵に近づいているってわけ?」
「あの絵が完成の状態なのかもわからないけど…」
改めてモヨコは絢香の上の呪いに目をやった。あの表面上に浮かぶ線がはっきり見えている状態がノートには書いてあった。それから推測するに。
「半分ほどは進んでいるように思えるの」
「え、ちょっと絢香それって大丈夫なわけ?あれって絢香のなんかを吸い取ってるって前に言ってなかったっけ?
しなびたりひからびたりとかしてない??」
「久子、それって心配してくれてるつもりなの?バカにしてるように聞こえちゃうんだけど」
「あれ、ちょっとまって。アンタほんとに大丈夫なの?」
「どう、いうわけよ」
久子は素早く絢香の額に手を当てた。
「なんか冷たい、気がする。というか顔色もなんか青いし、真っ先に椅子に座ったし、ほんとは調子悪いんじゃないの?」
「そう、見える?別に動くのがつらいって程じゃ…」
「井ノ口さん、ほんとはきつかったの?そういうのははっきり言ってもらわないと…
ごめんなさい、わたしが真っ先に気づくべきだったのに。だったら今日はわたしだけで行くって方法もあったのに」
「や、だってほら、モヨコだけだときついでしょ?この前まで久子ににらまれてたわけだからさ」
「それはそうだけど、でも井ノ口さんが無理するぐらいだったらわたしはそれでもかまわなかったのに」
「とにかくすぐ帰るし!あのね、絢香はまだ死んじゃいけないってわけっ!久子ちゃんにモテカワメイクを教えるまでは絶対に、それをちゃんとごぞんじ?」
「自転車で帰れそうかしら?それともおうちの人に迎えに来てもらった方がいいのかな?」
「車を呼ぶって言っても自転車があるからとりあえず乗っていくしかないし。
モヨコもしっかり絢香を見といて。やばそうだったらそっから押して歩いて帰るから」
絢香は大げさだ、と言っていたけれど呪いの影響がどれほどか誰にもわからない。大げさかどうかなんて言いきれない。
結局絢香は井ノ口邸まで自転車で帰ることができた。が心配なのは変わらないのでそのままみんなで井ノ口邸に押し掛ける。
親御さんはいないのでそのまま絢香の部屋まで上がっていきドアを開ける。
「あ、お帰り~今日はお客さんたくさんだね~」
絢香の部屋に置かれた14型の小さなテレビ、少し絞った音量。その前に幽霊はちょこんと正座をしている。浮いたりもできるのになんで正座をしているのだろう。たぶんテレビを見ている、という雰囲気を出すためとしか思えない。
いつもより漂っている火の玉の数が少し増えているような気がした。数えていたことはないからはっきりとしたことは言えないけれども。
やってる番組は昼下がりの時間帯なせいかワイドショーで芸能人の不倫だとか今ちょっと話題になっているマナーの悪いドライバーが起こした事故のニュースとかをやっている。絢香が不在の時は幽霊は暇を持て余してしまうのでこっそりテレビをつけてもらうのがいつの間にか井ノ口邸のルールになっていたのだった。
「愛さん…一人じゃ何もできないからってでもそのくつろぎようはどうかと思うわ。こっちは大変だっていうのに」
「とりあえず絢香はベッドの方にいくし…それとも先に着替える?」
「え、あれ、絢香ちゃんどうしたの!調子悪いの?」
「誰のせいだと思ってるのよ…とりあえずこのかっこでいいよ、座るだけでいいから。
なんも出せなくてごめんね」
「あ、あの水とかとってきた方がいいのかしら?大丈夫」
「そんなにおろおろしなくて大丈夫だって」
「とりあえず、これ。開けてないやつだし」
久子は手にしていた小さなバッグから500mlのミネラルウォーターを取り出す。
モヨコは真っ先に絢香の体調不良に気づいたのも、水を出す気遣いをしたのも久子ということに自らの気の利かなさと無力さに悲しくなった。しょげてしまいそうな心をお兄様にそんな姿見せられない、と奮い立たせる。
「ついでだから進捗の確認をしておきましょうか」
小さなテーブルを囲む。絢香はそのままベッドに座ったままでいいってことにした。
「ねぇモヨコ、愛さんってどっちに座ってるし。もうこの前みたいな目にあいたくない」
「あ、そうね、犬神さんには愛さんが見えていなかったものね。わたしの隣に座っておけば大丈夫だと思うわ。
愛さん、今わたしの正面にいるから。
愛さん、この前みたいにふざけて変なことしないでね」
「チっ反省してまーす」
「その柄が悪いのはいったいなにキャラなのかしら」
「で、絶対探偵呉モヨコ殿!こうやって会合を開くってことは犯人の目星はついたってことですかな?」
オッホンと咳をして見せる幽霊。
「疲れてるからそういうのはいいって…っていうか幽霊さー、あんまりにも行き詰ってるから幽霊のクラスメイトに今日話を聞きに行ったんだよね」
絢香はベッドに座って壁にもたれている。自室に帰ったせいかきつそうなのを隠そうとしない。
それは帰る途中に打ち合わせた内容だ。幽霊の様子を探るために。
「え、ほんと?へー懐かしいなー。だれだれ?誰にあったのかなー?」
にっこり笑っている幽霊がそれが本心か動揺しているのか全く読めない。モヨコは聞こえていない久子に一応こんなことを言っている、と耳打ちする。会話の流れを崩さないように、だ。
「高校の時のクラスメイトの人だよ。久子のお姉ちゃんに電話だけ変わってもらったから名前は聞いてないんだけど」
あまりいいイメージのない緑でもうかつに名前を出してしまうのは避けた。もし、そんなことはさせないと誓っているけれども絢香の次の呪いのターゲットが彼女になってしまってはいたたまれないからだ。
「で、まぁ幽霊に恨みを持っている人っていなかったかって聞いたんだけどね」
「それで?」
「いや、答え合わせしたいんだよね。もう一回聞くけど幽霊って本当に自分が殺されるような心当たりってないの?」
「絢香ちゃんひどいよーわたしが誰かの恨みを買うように見えるのー?
今がつらい悲しい苦しい、こんな思いは生きてて初めて!」
「いやあなた死んでるじゃない」
「心が生きている!そしてもちろんみんなの心の中にも永遠にエル=ラブリが刻まれているんだよー?」
「あ、はい」
「まぁ、そういうことね、電話の人もクラスで少し浮いてたけど特に誰かと仲が悪いとかそんなのはなかったって言ってた」
「ちなみに今も浮いてるよ?」
と床からちょっとだけ浮き上がる。
「となると操作はまた進まなかったことになるわね。やっぱりあのノートの秘密を探るしかないのかしら。
どう見ても井ノ口さんの呪いと関係があるものにしか思えないし…」
「あ、そういえばノートは今モヨコちゃんが持って帰ってるんだっけ。
なにかわかったりした?」
「なんにもわかってないのと一緒だわ。
よくよく見たらノートに名前が書いてはあったのだけれど名字だけで下の名前は塗りつぶされていたもの。
それに正木っていう珍しくもない名字だけじゃどうしようもないし、ね」
後半は幽霊の一挙手一投足、見逃さないようにだけど気づかれないようにさりげなくモヨコは観察する。
「正木、正木かー…クラスにいたっけな…そんな人…」
幽霊は考えるように視線を右上に這わす。
そこでモヨコは少し気になることができた。
「そういえば一つ聞きたかったのだけれど愛さんの記憶ってどうなの?
生きている時と変わりなく、完全に覚えているものかしら?
それとも殺された時のショックとか2年ほど眠っていたせいとかでぼんやりしているの?」
「わたしの記憶…?
ん~たぶん、生きている時と一緒だよ。
でも普段からすべての記憶、覚えてます!なんて言いきれる人いないんじゃないかなー。結局思い出すにはきっかけが必要だもんね。高校の時、中学の時、小学校の時、保育園の時もちろんそれぞれどんな風に過ごしてたかってのなんとなく覚えてるよー。
だから死ぬ直前まで残っていると思うんだー。
まぁ犯人の顔は見ていないんだけど、ね!」
「そこさえ覚えてくれていればもっと簡単にお話は進んでいくのにほんと不便ね」
「ごめんね?」
これ以上はもうどうしようもない。絢香の調子も悪そうだし今日はもう休んでもらうことにしてモヨコと久子は帰ることにする。
井ノ口邸を出るとモヨコと久子は示し合わせたわけでもないのになんとなく自転車を押して歩き始めた。
小学校が同じだったように二人の家は案外近いので帰るのも同じ方向だ。ただモヨコが久子に苦手意識を持ってからは遭遇しないように登校時間とかをずらしていただけで。
十分に井ノ口邸を離れたことを確認してモヨコは振り返った。幽霊の姿は見えない。
「モヨコ、結局どうだったし。やっぱり幽霊って怪しいわけ?」
「はっきりと言えないし死んだときのショックで記憶が混乱しているのに気づいていないって可能性もあるけれど何か隠しているのは確実だと思うわ。
誰にも恨まれていないかって聞いたのにいじめの話をしなかったもの。
みどりさんが言うには愛さんはクラスのボス女子に疎まれていたわけでしょう?あのような仕打ちを受けて全く心当たりがないなんて言えないと思うわ」
「それだけじゃ微妙だし。
いじめられていたってことはさー、ふつうそんなのばれたくないって思うし。
ましてやウチらは愛さんの後輩みたいなものじゃん?
こう、いい方は悪いけど愛さんの中ではウチらより愛さんの方が立場上なわけだし、だったら下の子たちにいじめられたとか気づかれたくないっしょ。恥ずかしいじゃん」
「…そういうものかしら?」
モヨコは小首をかしげる。
「仮にモヨコがウチと絢香からいじめられたら誰かれ構わず言って回るってわけ?
お父さんにもお母さんにも小学校の時の下級生とかにも」
「それはさすがにたぶん言わないと思うわ。
もちろん身の危険を感じるほどのものではないという条件付きではあるけれど」
「それと同じことだし。
親とか教師ならまだしも下級生にそんな話するって恥ずかしさとか自分のしょぼさ?感じるっしょ」
「え、ええその通りだわ」
実際わたしも犬神さんにいじめられはじめてからそれを誰かに言ったことはないし、という言葉は飲み込んだ。
ここ最近久子と行動することも増えたおかげでだんだんと緊張せずに話せるようになってきた。といっても数年が生んだ溝は簡単に埋まるものでもない。不思議なのはモヨコに久子を恨もうという気持ちがわかないことだ。昔は仲は良かったしやはりきっかけはモヨコが変なことを言い出したせいだ、と責任を感じている部分があるからだろう。
「なんかこうやって一緒に帰るのって小学生の時からやってないような気がするし…」
久子も同じことを思っているのを知ってモヨコは自分の今感じているのが気のせいじゃないんだな、と安心が広がる。
「ええそうね。犬神さんとはしばらくちゃんと話してさえいなかったし」
「っていうかモヨコいつまでその犬神さんって続けるわけ?昔は久子って呼んでたし」
「それはその…えっと」
「まぁ悪いのはウチだったから無理に直さなくてもいいけどさ。でも呼んでもいいなって思ったら戻してくれると嬉しいし」
「え、ええ頑張るわ…ひ、犬神さん」
「そこは久子ちゃんって呼ぶとこだしもーっ。ほんと頑張って欲しいし。
そういえば小学生の時で思い出したんだけどモヨコ、今もウチには黒いやつ見える?」
「いえ、今はそういうものなにもないわ」
「気を使ってるわけじゃないよね」
「ええ」
「でも結局その見えるやつってなんなのかわからないし。
ケガする人全員に見えるってわけじゃないっしょ?
でも幽霊の呪いは見える。
これってどういうことだし…」
正しく久子の言葉はモヨコの脳を揺さぶった。今までぼんやりと考えていたことがはっきりと輪郭を見せ始めたような感覚。思考の渦にやみくもに突っ込んでいた手に何かが引っかかる感触がするのだ。
「ごめんなさい、犬神さん。もう一度言ってもらっていいかしら?」
「え、なになにウチなんかむかつくこと言ったし」
「そういうことではないの。なにかさっきの言葉、重要な気がするのよ。お願い」
「お願いされたら断れないな。
見えるやつが何なのかわかないけれど怪我する人全員に見えるってわけじゃない。
でも幽霊の呪いは同じよう見える。
これってどういうことだし…
これでいいってこと?」
「え、ええ。
つまり今までわたしが見てきたよくないもの、は幽霊の呪いと同じ、ただしそれが弱まったもの…そういうことになるんじゃないのかしら?
そしてわたしはよくないものは見えていたけれど一度も幽霊なんて見たことはなかったわ。
わたしには愛さん以外の幽霊は見えていないの。
これって愛さんもよくないもの、と同じ種類ってことになるのかしら」
「つまり愛さんは悪霊ってわけ?」
「人を呪ってる時点で善い霊とはとても言えないわね」
「あ、それもそっか。っていうかウチには見えてないし良いも悪いもあんまり印象ないんだけどさ」
「愛さんを悪霊と決めつけてしまうのもなんだけれど悪霊って珍しいものなのかしら?
仮に悪霊やそれが振りまく呪いだけが見えるのがわたしの視力だとしたらこの14年、一度ぐらい他の悪霊を見ててもおかしくないと思うのだけれど。
誰かに殺されたりしなくても交通事故とか病気とかでも何かを恨んで死ぬことって十分あるって思うのよね」
「それはさすがの久子ちゃんも死んだことないからわからないし。
でも仮に殺されたってわけじゃなくても恨んで死ぬことも十分あるのかも。あいつのせいで死んだとか俺の方が先に死んだのがむかつく、とか。そう考えると世の中いっぱい悪霊っているのかもしれないし。
もうこれってなんでもいいから情報集めるしかないって思うわけ。今でもよくないものって見えてるなら例えば学校だと誰に見えてるかとか」
「小学生の時は結構ちらほらいたけれど中学に上がってからあまり見ることなくなったわね。
だから成長していったらいずれ見えなくなるものって思ってたのだけれどそれが違って他に原因があるのかもしれない」
「つまり若ければ若いほど見えるってわけ?」
「あとは中学でたまに見かけるのはほとんど男子ばかりってことかしら。
髭野君や松浦君とかたまについているのが見えるわ」
「なるほど同じ小学校の奴らじゃん」
「あ、言われてみればそうかもしれないわ。
ついているのはほとんど同じ小学校だった子ばっかりだったような気がする」
「これって怪しくない?絶対なんかあるし」
「わ、わたしもそんな気がするわ。といっても今から検証するにはもう遅いし…どうしたらいいかしら」
「とりあえず明日は学校で誰に見えたか覚えてけばいいって思うわけ。あとは放課後小学校に行ってみればまだ誰かしらグラウンドで遊んでるっしょ。そしたらハッキリするし」
「でもわたし、あまり他のこの名前わからないし…あまり遠いと誰が誰だかわからないわ」
モヨコは夜遅くまで勉強し始めたせいか本当は眼鏡が必要なほど目が悪い。でもメガネはかわいくないからそんな姿お兄様には見せられないしコンタクトを目に入れるのは怖いしということで自室以外では裸眼で過ごしているのだ。なるべくしかめっ面にならないようにという涙ぐましい努力も忘れない。
どこに誰がいるかはっきりとわからない学校生活でもそこまで困ったことが起こらないのはひとえに友達が少ないという不断の努力のなせる業である。数少ない友達の絢香はパツキンだからどこに至って目立つアンカーみたいな子だし、久子に至ってもプチヤンキーは言ってて髪をちょっと染めてるのと長い付き合いなのでぼんやりでも誰だかわかる。
「しょうがない、明日は休み時間久子ちゃんがつきっきりでいてあげるってわけ!
ウチはモヨコと違って大体の名前わかるからさー、から明日は休み時間になっても勝手に教室から出ないこと!おわかり?」
とたいそう嬉しそうに頷く。
「わたしはそれで構わないのだけれど犬神さんは大丈夫かしら。
だって犬神さん、もともと」
とモヨコは言いよどむ。それはつい最近まで久子が周りを巻き込んでモヨコを無視する体制を敷いていた絶対暴君だったことだ。つまり久子の取り巻きからしてみれば最近の久子の様子はおまいう(実際はお前がそれやる?なのだが)状態である。
がそんなことお構いなしに久子はいい笑顔を崩さない。
「大丈夫だから言ってるっしょ!」
「ならそれで」
多分言おうとしたことに気づいてないんだろうなぁとは思ったけれどモヨコはあえて何も言わなかった。どっちにしろ結果は変わらないと思ったからだ。