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探しもの見つけます  作者: 麗華
第2章 選ばなかった幸福
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指輪

―カランカラン

 カウベルが来客を告げ、薄暗い店に外の光が差し込んだ。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの奥から穏やかな店主が顔をのぞかせるが、来客は中々店内に現れない。不安そうに顔だけをのぞかせた女性が、小さな声で問いかけた。

「探しものを、見つけてくださると聞いたのですが」

 本当でしょうか? の声は飲み込んだようだ。綺麗に化粧をしスーツを身に着けた、キャリアウーマンといったいでたちの女性。その姿とは不釣り合いに、声は不安そうに揺れており店内に足を入れるのを躊躇っている。

「ええ、まぁどうぞ」

 少し低い、穏やかな店主の声に安心したのか、女性は覚悟を決めたように店内に足を踏み入れた。カウンターに腰を掛け、落ち着かなさそうに店内をきょろきょろと見まわしている。

「どうぞ」

 静かに差し出されたコーヒーから立ち上る深い香りに、女性は思わず大きく息を吐いた。

「探しもの屋、さん……」

 小さく呟いた声に反応するように、黄金色の瞳が開かれた。ゆらりと揺れる尻尾は、まるで早くしろと催促をしているようだ。そんな催促に気付く事も無い女性はカウンターの上に組んだ自分の両手をただ見つめていた。


 窓から入り込む日差しの角度が代わり、カウンターに紅い光が広がっていく。紅い光が両手に届くころに、ようやく彼女は口を開いた。

「婚約指輪を、探してほしいんです」

「婚約指輪、ですか」

「はい」

「差支えのない範囲で構いませんが、どちらで、なぜ失くされたのでしょう?」

「失くしてはいません。捨てたのです。自分の意志で……」

「ご自身で? 」

「はい」

 女性はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「彼とは、社会人になってからお付き合いを始めました。会社の先輩に誘われた合コンで知り合って、意気投合。よくある話です。付き合い始めたのは社会人になって3年、仕事も面白くなってきたころで、私はまだ結婚なんて考えられなかった。当然、彼もそうだと思っていました」

 冷めてしまったコーヒーに口をつけて、大きく後悔を吐き出した彼女は、堰を切ったように激しく先を続ける。


 彼とのお付き合いは、とても楽しかった。学生時代はハンドボールをやっていたという彼は友人も多く、いつも大勢で遊園地に行ったりキャンプに行ったり、それまで春奈が経験したことの無い賑やかなデートに連れて行ってくれた。なかなか休みの合わない二人だったが彼がそれを不満に思っている様子もなく、お互いに自分の時間を大切にしながらいいお付き合いをしていると、ずっとこの関係を続けたいと思っていた。


「それが、付き合って2年がたつ頃、突然プロポーズされたんです。年齢的にも私が頷くことしか想定していないような顔で指輪を渡されて。喜ばなくちゃいけないと思うのに、どうしようどうしようって頭の中はそればっかり。なんて言ったら彼を傷つけずに断れるだろう、どうしたら気まずくならないで帰れるんだろうって、グルグル考えているうちに涙が出てしまって」

 感情が高まると涙がでる性質なのか、今も赤くなった目元をハンカチでぬぐっている。そんな彼女を、黄金色の瞳が退屈そうに見つめていた。

「その日は泣いてしまって何も話しなんてできなくて。でも、彼はその涙を勘違いしたみたいで。気がついたらどんどん話が進んでいくんです。結婚式は秋がいいとか、早く子供が欲しいから仕事はパートにしたらどうかとか。私の事なのに、私の気持ちはどんどん置いて行かれてしまって……」

「それで、捨ててしまった?」

「……はい」

「後悔を、しているのですか?」

「……わかりません」

 言葉を選びながらも、もう少し先でもいいのではないかと何度も伝えた。どうしたら彼の気分を害することなく話を聞いてもらえるのか毎日考えた。

 何とか止めたくて必死だったのに、そんな気持ちに気づくこともなく、結婚に向けて動き出そうと親への挨拶や、新居探しまで始めた彼。時間だけが過ぎていき、私の焦りも苛立ちもどんどん大きくなっていった。やっと大きな声をあげた時は、もう止まらなかった。


 まだだれかと家庭を持つ自信がない。今の仕事が好きなのだ、仕事をしたい、まだ結婚なんてしたくはない。仕事以外に大きなものを抱える自信なんてないと泣きながら必死に訴えた、つもりだったのに。

 彼はそんな恋人の姿を見て、マリッジブルーだと一蹴した。俺が養うのだから働く必要なんてない。結婚して、子供を持ったら仕事なんて辞めてよかったと思えるよと笑った。

 瞬間、頭からスゥっと血の気が引き、目の前にいる人が誰なのかわからなくなった。

「ああ、この人は私の事なんて見ていないんだ、と思ったら無性に腹が立って、つい……」

 その場で窓から指輪を投げ捨てて『あなたと結婚なんてしたくない!』と泣きながら叫んだ。

 そこまでして、やっと彼は彼女の言葉を受け入れたのだ。その後は、泣きじゃくる恋人を必死にをなだめようとして、自分が悪かった、急ぎすぎたと謝ってくれたが、もう彼とやっていく意志はなく『別れてほしい』の一点張りを通した。深夜まで話し合って、彼が引く形で話し合いは終わった。

「部屋から出ていった彼をみて、ホッとしたんです」

 しかし、その後に襲ってきたのは大きな後悔だった。彼と別れたかったわけではない。結婚までは考えられなかったが、出来れば恋人として側にいたかった。傷つけるのが嫌で、上手くやりたいと思ってここまで来たのに、結局彼を一番傷つける方法を取ってしまった。もっとうまく伝えられる方法があったのではないのかと、何日も何日も後悔に襲われた。


「探して、やり直すのですか?」

「もう何年も前の話ですから、そんなことは考えていません。ただ、彼が私を想ってくれた心を、もう一度側に置きたいと思ったんです」

「かしこまりました。必ず、探しましょう」

 薫の言葉を聞いて、女性はカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。まるで、迷う気持ちも一緒に呑み込むようなしぐさだった。


「よろしく、お願いします」

 深く頭を下げ、寂し気なカウベルの音と共に薄闇に包まれた世界へと出ていった後ろ姿を黄金色の瞳が見つめている。彼女の残り香がカウンターに広がる。それは決して不快なものではないがこの店にはそぐわないような甘い香りだった。艶やかな長い尾がユラユラと揺れ、彼女の置いて行った名刺を薫の方へと動かす。

「相葉 春奈さん。化粧カウンターのチーフのようですねぇ」

 言葉を聞き漏らすまいとするように三角の耳が薫の方へと向かう。

「ルナは、あまり気に入りませんか?」

 薫の苦笑に、黄金色の瞳が細められるが当然ながら返答はない

「それでも、心からの探しものをしているお客様ですからね。仲良くしてください」

―ンニャア……ン

 わかっているとでも言いたげな気怠い声が静かな空気に溶けていった。薫は満足そうにカウンターに座り彼女の使ったソーサーに名刺を置き、何度も何度も名刺を指でなぞる。まるで名刺から、全てを読み取るかのように。


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