だいっきらいな女
「あんな女、だいっきらい」
探しもの屋のカウンターではき捨てるように呟いたのは、三浦 優花。陽が落ちる頃、探しもの屋に飛び込むように入ってきた。
いつも通りに薫がカウンターをすすめれば、不機嫌を隠す事もなくどっかりと座って第一声がそれだった。
「あんな女、ですか?」
「そう、子供の頃からだいっきらいだったの。なのにいつもいつも私の側にいて、目障りだしうっとうしいし、だいっきらい」
「側に、いたのですか?」
「……妹、なのよ。2歳下だから、中学も高校も同じ学校に通ったわ。妹は、週に一度は私のクラスに遊びに来るの。その度に、私はいい姉のフリ、仲のいい姉妹のフリをしたわ。友人達も私の演技なんて気づくこともなかった」
「そうですか」
悔しそうに呟いた優花に、薫は話を促す事はしない。ここではいつでも、話したいことを好きな時に好きなだけ話せばいいのだ。カウンターの中で優花の為に紅茶を選び始めた。ルナだけが興味深げにカウンターの端から優花を見ていた。
「オレンジ・ペコです。暖かいうちにどうぞ」
「ありがとう……」
注文もしていないのに出てきた紅茶に少し驚いていたが、オレンジ・ペコの香りにつられたのか、そっと手を伸ばした。
「美味しい。紅茶ってもっと渋い気がしていたけど、お店で飲むと美味しいのね」
「そうですか。それは嬉しいお言葉ですね。ありがとうございます」
「あの子は、昔から私の持っている物は全て欲しがっていたの。ぬいぐるみ、ゲーム、ワンピース、数え上げればきりがないくらい。手に入らないと泣いて騒いで、結局折れるのは私。知っているから、とられたくないものは隠すようになったの。それなのに……」
「知られて、しまったのですね」
薫の言葉に、優花はうつむきながら紅茶をすすった。
深い溜息は、毒を吸い込む前の儀式のようだ。優花の周りには重苦しい灰色の空気が広がっている。
優花の2歳下の妹、愛花はその名のとおり愛らしい子供だった。無邪気な笑顔に大人達は心を癒され、子供同士ですら面倒を見なくてはという気になる。誰もが愛花を大切に思い、慈しんでいた。
愛花は愛されることを当然のことと受け入れ成長していった。天使だからこその悪の心と共に。
「お姉ちゃんの折り畳み傘可愛いね。修学旅行の時に貸してくれない?」
「そのワンピース可愛い! 私来週デートなの! 着て行ってもいい?」
「お姉ちゃんの友達のメグミさん、すっごい優しそうだよね? 私も仲良くしてほしい!」
折り畳み傘を貸してしまった優花が雨に濡れたことも、汚れて返ってきたワンピースも仕方ないとあきらめた。誰に訴えても「ごめんなさい」と涙ぐむ愛花に叶うわけがないとしっているからだ。
天使のように可愛らしい妹が涙ながらに反省しているのだ。許さないなんてことはありえない。いつも間にか、他の誰でもない優花自身がそんな風に思うようになっていたのだ。
でも、親友だったメグミと愛花が仲良くするのは嫌だった。優花のいないところで、私の親友と愛花が楽しく過ごすのは、どうしても嫌だった。嫉妬している自分も、楽しそうに愛花の話をする親友も許せなくて、愛花が憎くて、でもそんな醜い自分を知られたくなくて、自分を守るために親友だったメグミを知人の位置づけに切り替えた。
「最近なんか、冷たくない?」
そう言ってくる親友の言葉がひどく薄っぺらく感じた。愛花といる方が楽しいんでしょう?と喉まで出かかっているのに、伝えられない自分が惨めで情けなくて、認める事が悔しかった。
「そうかな? そんなことないけど、ちょっと忙しくて……」
歯切れの悪い言葉でごまかすしかない。自分の言動が、親友だったメグミに対して不誠実だと思うのに、他の言葉が浮かばない。どうしていいのか、わからない。
愛花はなぜか優花の友人と遊びたがった。そのたびに、優花は惨めになる。
何度も何度も繰り返すうちに、優花は大切な人を作らなくなっていった。
―どうせ、とられるし……。どうせみんな、私よりも愛花の方がいいんでしょう?―
次第に、優花は人と距離を取るようになっていった。
距離感さえ間違えなければ、毎日は楽しく過ごせる。踏み込まなければ傷つかないし、傷つけないようにふるまうことも出来る。実家にいるうちは、愛花の笑顔に胸の奥がざわつくこともあったが、独立してしまえばそれすらも忘れていく。
優花は高校卒業後、地方都市にある実家を出て東京で就職をした。2年後に愛花が大学進学のために実家を出るまでは、忙しさを理由に一度も実家に帰っていない。
愛花が実家を出てからも、不定休の仕事を理由に帰省の日を上手くずらして帰るようにしている。妹に会いたくないのではなく、仕事上仕方が無いのだと言う体を守り実家を出てから一度も愛花には会っていない。
「上手く、やっていたのよ。それなのに……」
化粧品メーカーに就職してから数年。駅ビルの化粧品カウンターでビューティーアドバイザーとしての実績も積み、優花とのお喋りと楽しみに来店するお客様も増えてきた。
同じ駅ビルのアパレルブランドに勤める康介からアプローチを受けたときには、もう愛花の影に怯えることは無くなっていた。
愛花と距離さえとっていれば、友人とも恋人ともうまくやれる。私には私の世界があり、そこで楽しく過ごす事も出来るのだと、信じることができたのだ。
付き合いだすと、康介は優花との距離をどんどん詰めてきた。距離感を持って人と接するのに慣れている優花は戸惑ったが、もちろん悪い気持ちではない。
あっというまに康介が側にいることが当たり前になり、康介から「一緒に暮らしたい」との言葉をもらったときには優花はすっかり康介とは離れられなくなっていた。
しかし、一緒に暮らすのならお互いの家族に挨拶をしなければという康介に、優花の顔は一瞬にして曇った。
「うちは、いいよ。私から連絡しておくから」
言葉を濁す優花に明らかに不満そうな康介。
「そういうわけにはいかないよ」
そういうわけにはいかない。
確かにそうなのだろう。一緒に暮らすのに、親に知らせないなどありえない話だ。康介が持っている感覚は世間一般に当たり前の感覚であり、もちろん優花だってそう思っている。
それでも、康介を愛花に紹介するのは恐怖でしかない。
何より辛いのは、この恐怖を誰にも言えないこと、誰とも共有できないことだ。
両親にはとても言えない。愛花が恐い、会いたくないなんて知られたら、どれだけ責められるかわからない。康介にだって、言えない。「取られてしまうかもしれないから妹に会わせたくない」なんて言ったら、康介はどれだけ悲しむだろう、怒るだろう。
わかっているから、誰にも言えない。




