女同士
「詐欺、ですか?」
「はい。私は結婚を望んで参加して、結婚を前提にとお付き合いをしていました。それが、まさか既婚者であり、子供もいるだなんて……」
「……」
「先日初めて聞かされてすぐにお別れをしました。当然、連絡も取らないようにしていたんです。今日は、これ以上連絡をするのなら訴えると言いたくて。でも、奥様が謝罪を要求するのなら、私は彼を詐欺で訴えます」
「……既婚者だと知らなかったと、言うのですか?」
一瞬の困惑の後、そんなはずはないと言わんばかりの口調で美菜を責めようとしている拓海の妻。女なら、誰もが加害者ではなく被害者でいたい。痛いほどによく分かる『守られる女の理屈』だ。
美菜は努めて冷静に、ゆっくりと話した。
「ええ。彼が奥様になんと言ったのかは知りませんが、婚活パーティーで彼から渡された連絡先があります。婚活イベントとわかる表記もありますが、お見せしましょうか? 彼とのメッセージのやり取りもありますが、既婚者を匂わせるような記載はありませんでした。いえ、あったのかもしれませんが彼を信じ切っていた私には、感じ取ることは出来ませんでした。ああ、でも奥様なら、わかるのかもしれませんね。見ますか?」
返事を待たずに拓海の携帯に証拠の写真を何枚も何枚も送った。訴える意志がある事を示すために、スクリーンショットではなく印刷したものを写真に撮って送る。その場で確認したらしき拓海の妻が息を飲む音が聞こえる。
「このままお別れしようと思っていたのですが、気が変わりました。既婚者に騙され、奥様からは理由の無い謝罪の要求をされる。この後は慰謝料の請求もあるのでしょうか? でも、私は彼に騙された被害者です。私は、彼とあなたを訴えます。彼からの謝罪と、慰謝料を請求します」
「は?」
「だって、そうでしょう? 結婚を焦った女に独身と偽って近づき、既婚者とバレたら奥様を使って私から慰謝料を請求するなんて。男女が逆なら美人局ですよね? 私は既婚者とわかってから一度も会っていませんし、連絡も取っていません。しつこく連絡をしてきたのはそちらですよね?」
「……」
「彼は、私のことをなんと言っているのですか? 結婚しているのも子供がいるのも知っていて付き合ってくれている都合のいいオンナだとでも、ただの遊びだったとでも言っていたのでしょうか?」
「……」
図星だったのか。拓海の妻は黙ってしまい、お互いに無言で携帯を挟んで威嚇しあっている。拓海は、妻に何を言ったのだろう。美菜を、どうするつもりなのだろう。
「奥様には残念でしょうが、私は拓海さんと真剣にお付き合いをしていると思っていました。本気で、彼を愛していました。もちろん、独身だと思ってのことでしたが。拓海さんは、私との関係をなんと説明したのですか?」
「美菜、ごめん」
急に電話の相手が拓海に変わった。妻に携帯を取り上げられたのだろうに、どうして毎日この時間なのかと不思議に思っていたが何のことは無い。携帯は拓海が持ち、帰宅してから妻に渡して一緒に美菜に連絡をしていたのだ。
仕事でも携帯を使うのだから、完全に取り上げてしまうわけにはいかないとの判断だったのだろう。そして、取り上げなくとも拓海が美菜に連絡を取るなんてはあり得ないとの自信があるのだ。美菜に連絡を取ればどうなるか、拓海はわかっているはずだから。
拓海は、我が身の保身に美菜を妻に売った。妻が美菜を責める事が分かっていながら、美菜の連絡先を削除することもせずにそのまま帰宅し、求められるがままに妻に携帯を渡した。考えが及ばなかったで済む話ではない。これ以上妻を怒らせることが無いように、怒りの矛先として美菜を差し出したのだろう。
拓海にとって妻と子供は、美菜よりもずっと、守るべき相手なのだ。これまで我儘を言わずに精一杯の癒しを与えていたつもりの美菜は、子供とその母にあっさりと敗北した。
わかっている。そんなこと。
美菜は、誰にも守ってもらえない。
幸せにしてもらえないと、知っている。
それなら、美菜は自分で自分を守らなければならない。
「何に対して、どんな気持ちで、ごめん? 今奥様も聞いているんでしょう? 私を、なんだと思っていたの?」
「君に、嘘をついたこと、本当にごめん」
電話の向こうから、女性の嗚咽が聞こえる。拓海の妻も聞いているのだろう。
「私を、なんだと思っていたの?」
「……逃げ出したかった。責任とか、家庭とか、何もかもから。美菜には、申し訳なかったけど」
答えになっていないが、それが答えなのだろう。家庭から逃げた先で、結婚に焦った軽い女が引っかかった。二人目が産まれて、もう逃げられないと悟り美菜を切ろうとした。でも、もう少し逃げたい。そう思ったのが、あの日だったのだ。
「最後にあった時、あなたは奥様と上手くいっていないと言っていましたよね。そして今日、あなたは私に嘘をついたことを認めました。詐欺ですよね?」
「それは…… そんなつもりじゃなくて、ただ」
「そんなつもりじゃなくて、ただちょっと遊びたかっただけ?それなら、結婚なんて考えることの無いもっと若い子を狙ったらよかったのに。どうして私だったの? 」
電話の向こうからかすかに聞こえる妻の嗚咽に無性に腹が立つ。守られているくせに、守るものもあるくせに、どうして泣くことができるのか。たった一人で戦う美菜は、泣くことすら出来ないと言うのに。
「……あなたを、詐欺で訴えます。この会話もこの間の会話も録音していますから」
電話の向こうで何か言っていたが、美菜は無言で通話を切り携帯の電源を落とした。美菜が拓海の自宅を知らないと言うことは、拓海も美菜の自宅を知らない。家に来られる可能性はないのだ。
本当に詐欺で訴えるかどうかなんて決めていない。別に、訴えなくてもいいのだ。守られるべき女が、守ってくれるはずの夫のせいで悩み、泣けばいい。
自分が産んだ子供たちとの生活も辛くなるぐらいに、夫に似ている子供を憎むぐらいに、苦しめばいい。
拓海は、元々妻から、家庭から逃げようとしたのだから戻る事なんて考えずに本当に逃げ出せばいいのだ。好きなように逃げて、癒されて、また暖かい家庭に戻ろうだなんて生ぬるいことを言っているから苦しむのだ。逃げて、逃げて、一人になればいい。
美菜はもう、冷たく激しく吹雪のように荒れ狂う心を止められない。いや、止めようだなんて考えもしなかった。
誰もが憎い。
美菜に逃げ込んだ拓海も、守られているのに悲劇のヒロインのように泣いていた拓海の妻も、拓海を縛る子供達も、幸せを望んだだけなのに非難されるしかない自分自身すらも、憎かった。
「一歩外にでれば、子供も妊婦も、誰かの夫もたくさんいるでしょう? その人達も全部全部憎かったの。息が出来なくなるぐらいに、憎かった……」
「お辛かったでしょうね」
冷めた紅茶を飲む美菜を、黄金色の瞳が興味深そうに見つめている。
「でも、仕事には毎日行っていたの。私は一人だから、誰も頼れないんだから、自分で生きて行かなくちゃって、あんな男の為にこれ以上不幸になんてなりたくないって」
毎日のように拓海からメッセージが届いた。内容はいつも同じ『本当に申し訳なかった。一度会って、ちゃんと話しをしよう』拓海からのメッセージなのか、妻からのメッセージなのかはわからない。
拓海にとって美菜は、ちょっとした気まぐれで遊んだオンナで、拓海の妻にとっては夫の浮気相手、結婚に焦って既婚者に騙された馬鹿なオンナ。
妻が夫に灸をすえるために連絡を取ってみたら、既婚者に騙された、訴えると騒ぎ立てている惨めで面倒なオンナだ。




