離れてしまった友人
次の日から始まった露骨な仲間外れ。すでに大人に近い陽菜たちは、流石に『イジメ』と名のつくようなことはしない。狡猾に、少しずつ傷をつけていく。
グループから外すようなことはしないが、絵美の言葉には誰も反応しない。お弁当も一緒に食べるが意図的に絵美のわからない話で盛り上がり、駅までは一緒に帰るのに駅についた途端、絵美にむかって笑顔で手を振り他のメンバーだけで遊びに行く。
そんな毎日が続き、陽菜は絵美の笑顔を忘れてしまった。もういいのでは?と思うのに、すでにどうやって止めたらいいのかわからなくなっていたのだ。
やられた絵美だって、大人しくしていたわけではない。すでに『彼氏』となったクラスメートと一緒にお昼を食べ、一緒に登下校をするようになった。『彼氏』の友人も交えて他の女子と仲良くしていることもある。要するに、幼稚な嫌がらせをする陽菜達を切り、新しい世界を手に入れたのだ。
陽菜にしてみれば、自分達が外しても平気な顔をして別の場所で笑っている絵美が許せなかった。約束を破ったのは絵美なのだから、困って、反省して、許しを請うべきなのだ。それなのに、どうして笑っていられるのか。
楽しそうに彼氏と笑う姿に、腹が立って仕方がない。絵美の事など嫌で嫌で仕方がないのに、目が離せない。
スクールバックにつけられたヘアクリップが、陽菜の怒りをさらにあおる。一緒に買ったヘアクリップ。どうしてまだ持っているの? どうして持っているのに私に許しを請わないの?
情けなくてやるせなくて、自分も絵美なんて捨ててやりたかった。
「絵美がちゃんと持っているのなら、私は捨ててやろうと思ったの」
苛立った陽菜は、絵美と二人で買ったヘアクリップを見事なぐらいに壊し、朝一番に教室のゴミ箱に捨てた。ゴミを捨てに行った絵美が一瞬息を飲んだ気がしたが、次の瞬間にはもう彼氏と笑っている。
「自分でも、何がしたかったのか全然わからない。今でも、何がしたいのかわからない」
すっかり冷めたミルクに視線を落としながら呟いた陽菜を、ルナの黄金色の瞳が見つめる。
「初めての彼氏に浮かれた絵美さんに、それを羨んで嫉妬していた陽菜さん。どっちもどっちですね」
クスクスと笑う店主に陽菜の瞳に怒りが戻ってきたが、言葉は出てこなかった。
「言いすぎましたね、ごめんなさい」
「いえ、いいです」
瞳は怒りに満ちているのに、声は情けないほどに小さい。陽菜はごまかすようにルナの艶やかな被毛を撫で始めた。
「それで、同じようなヘアクリップを探してどうするつもりですか?」
「……いつも通り、スクールバックに付ける。壊れたヘアクリップは、私のじゃなかったことにしたいの」
「それは、素晴らしい案ですね」
呆れたような声が店に響き、陽菜は黙って唇を噛んだ。どうしてだろう。この店主に怒りを向けることが出来ない。
壁にかかる振り子時計が、止まることも戻ることもない時を打ち、陽菜の胸では後悔だけが大きくなっていく。誰が悪いのかなんて、本当は陽菜が一番よく分かっている。
「陽菜さん。あなたが探したいものは何ですか? 同じようなものを手に入れて、ごまかせたらそれで良しとしますか?」
ごまかす事なんで、出来るわけがない。あの日、お互いへのプレゼントにしようと言ってそれぞれ相手の物を選んだのだ。たっぷり20分かけて露店の品を一つ一つ手に取り絵美が選んでくれたヘアクリップ。桔梗の花の下に、どういうわけか小さな猫がいた。猫が好きな陽菜の為に選んでくれた、一点物。
「絵美が選んでくれたヘアクリップを、探したいです」
聞き取れないぐらいの小さな声に、ルナの耳がピクリと動き勢いよく尻尾が上がる。
「かしこまりました。必ず、探しましょう」
穏やかな声が陽菜の耳に響く。探せるはずなんてないと思うのに、もう大丈夫だとも思う。濡れてしまった頬を手の甲でぬぐいながらカップのミルクを飲み干した。
「今日は、もう帰ります」
しっかりと頭をさげて席を立った陽菜を見送り、カップを片付けようとする店主の手をルナの尻尾が叩く。
「随分と、気に入ったんですね」
クツクツと喉の奥で笑いをかみ殺し静かに店の明かりを落とすと、ルナの黒い姿は闇に溶けていった。今夜はもう客は来ない。来たとしても、もうしばらくは仕事を受けることは無いだろう。
『探しもの屋』の扉にも『close』のプレートがかけられて、商店街はすっかり静かになった。
翌日、『探しもの屋』の扉には『臨時休業』のプレートがかかっていた。
「陽菜さん。良かった、今日は学校に来ていないのかと思いました」
下校時間を少し過ぎた校門で陽菜に声をかけてきたのは、『探しもの屋』の店主。大きめのグレイのパーカーに細身のジーンズ、片手に黒猫を抱いた彼女の姿は制服の高校生の行きかう校門ではかなり異質な存在だった。いつから待っていたのか、少し恥ずかしそうにホッとした笑顔を見せた店主と、校舎玄関から警戒の色濃くにらみつける体育教師に混乱して、陽菜は思わず店主の手を取り歩き出した。
5分も歩いただろうか。駅とは反対方向になる小さな児童公園にたどりついた陽菜は、やっと彼女に向き直った。
「どうして、あんなところに? 」
「絵美さんを、見たいと思いましてね。そのままお待ちしていました」
「私、あなたに学校名なんて言いましたっけ?」
「名前は聞きませんでしたが、制服を見ればわかります。実は、私もここの卒業生なんです」
「……ここを、卒業したの?」
「はい、だから懐かしさもあって、ちょっと見に来てしまいました」
「そう、ですか」
店主の年はわからないが、卒業してから10年は立っていないだろう。突然やってきたことにはかなり驚いたが、卒業生なら確かに懐かしくなったのかもしれない。
「それと、『あなた』ではありません。『薫』といいます」
「『薫』?」
「はい。依頼主と『探しもの屋』の関係ですが、名を呼んでください。ちなみにこちらは『ルナ』です」
よろしく、と改めて差し出された手は躊躇うほどに大きかった。陽菜が一瞬その手をとり、ごまかすように柔らかなルナの被毛に逃げると黄金色の瞳が勝ち誇ったように細められる。
「絵美さんも、随分疲れていましたねぇ」
「絵美、が?」
陽菜から見た絵美は毎日楽しそうだ。彼氏と並んで登下校をし、仲間外れにされた絵美に同情する彼氏持ちの女子達の輪に入り、化粧もして陽菜と一緒だった頃よりもずっとずっと可愛くなっている。
「そうですね。正直あの写真よりもずっと可愛らしくなっていました。でも、人は変わる時、ひどく疲れます。見えていたものが見えなくなるぐらいに」
「変わる時、疲れる……」
「ええ、それは陽菜さんも同じです」
確かに陽菜は疲れていた。どうしたいのかも分からない苛立ちに襲われ、毎夜自己嫌悪と寂しさに押しつぶされるのに、次の日にはまた同じことを繰り返す。もう忘れたいのに、何もしたくなどないのに、気が付けば余計な事ばかりをして笑いたくもないのに笑っている。今の自分は、随分と醜いのだろうなと気づいた時にはもう自分では止められなくなっていた。
「大丈夫。疲れてもいいように『探しもの』を見つけましょう」
「……はい」
薫の言っている意味はよく分からないが、不思議な勢いに思わず素直に頷いた。胸の中には、いつの間にか黒猫のルナが収まりゴロゴロと喉を鳴らしている。