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探しもの見つけます  作者: 麗華
第4章 違う道を選んだ自分
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迷い

 5日間、一人で考えた。田中からもらった時間まであと二日。答えを出さなければいけないのはわかり切っている。


 子供を寝かしつけて茶の間に戻ってきた女房に、田中からの話を切り出した。黙って聞いていた女房は、俺が話し終わるのを待って、静かに口を開いた。

「……転職? したいの?」

「今まで、八百屋しか知らなかった。でも、世の中にはこんな仕事もあるんだと、やってみたいと、思っている」

 自分でも、無責任なことを言っている自覚はある。女房は、結婚前はどこかの会社で事務職についていた。愚痴を聞くこともあったが、同僚とも仲良くやっていたのを覚えている。結婚を機に事務職から八百屋に『転職』することになったのをどう思っていたのか、いまだに俺は聞けずにいる。

 それなのに、この生活に引き込んだ男が、今逃げ出そうとしているのだ。

「安定する保証があるのなら、良いんじゃない?」

 少し考えるようなそぶりを見せたが、大したことは無いというようにさらりと言ってのけた。

「いいのか? お前は?」

「だって、商店街はもう限界だって思っているんでしょう? どうせ違うことをするのなら、早い方がいいでしょう? やってみたいのなら、やってみたら?」

「……」

「ただし、子供の生活もお義父さんお義母さんの生活もかかっているのだから、安定したお給料がもらえるのが条件。しばらくは頑張るけれど、あなたが抜けたら八百屋はずっとは続けられないから、あの店はいずれ閉めることになるでしょう?

そうしたら、お義父さんとお義母さんの生活をどうするかも、考えなくちゃね」

「……そう、だな」

 一人でも、現実は考えていたつもりだった。しかし、女房から言われると、改めて現実の重みが身体にまとわりつく。自分の人生は、自分だけのものではない。そんなことは、この家に生まれた時からわかっていたことだ。

 逃げ出したいなど、別の道を選びたいなど、子供のような我儘なのだ。

 



「そうかぁ、まぁ、いいんじゃないか?」

「そう、ねぇ。若いうちかもしれないからねぇ」

 拍子抜けするくらいにあっさりと認めてくれた両親に、下げていた頭が上がった。

「いいのか、店……」

「やってみたいんだろう? やったらいい。店は、何とかなる。お前の給料分の稼ぎがいらないんなら、今より少し手をぬきゃぁいいんだ」

 あっけらかんと笑う親父に、言葉もでない。良いわけがない。親父では野菜の箱をトラックから降ろすのも大仕事だ。手を抜くと言っても、力仕事は無くならない。八百屋に大根やらキャベツやらが無いわけにはいかないのに。

「後なんて継がないっていう若い子が多い中、アンタはよくやってくれていたよ。やりたいことがあるなら、遅い事なんてない、やってみなさい。商店街もさびれちゃったし、店なんて無理に続ける必要もないわよ」

 おふくろの言葉に、一度決まった想いが、またさまよいだした。少ない年金では両親は店を辞めれば暮らせないだろう。負担にならないはずがないのに、それでも俺の意志を尊重してくれる。そんな思いをさせてまで、俺は自分の思いを優先させるのか。いい大人が、いいのだろうか。



「本当か? 助かる! 歓迎するよ。お前となら、楽しい仕事ができる!」

 田中は、両親と女房の反応を、理解がある素晴らしい家族だと感激して聞いていたが、理解があるからこその重みまでは、わかっているのだろうか。



「とりあえず、スーツとカバン、靴は必要よね? 後は? あなたは何をするの?」

「営業は、とりあえず田中がやる。俺は、ジャケットがあればそれでいいと聞いたが……」

 八百屋以外に経験のない俺では、何が必要なのかもわからない。転職準備の買い物ですら、女房に付き添われないと一人ではできない。

 情けなくも不安でもあったが、知らない世界をひとつひとつ知っていくのは嬉しくもあった。


 出来ることなら出費は押さえたい。大したものはいらない、必要なモノがあれば貸してやると言ってくれた田中に素直に甘え、転職準備はスーツ一式にカバンだけでおさえた。

「全然たりないのに、結構な出費だな」

「そうねぇ。男性の物は高価だから。でも、安っぽい物を着ている男性に、仕事を任せようとは思わないでしょう?」

 一か月分の生活費よりも多いであろう出費に、驚くことなく笑う女房がたくましく、誇らしくもあり、申し訳なくもある。仕事が上手くいけば、こんな罪悪感を持つことは無くなるのだろうか。

「しっかり稼げるようになったら、また買いましょう?」

「……ああ」

 いい女房だと思うのに、どうしてか気分は重いままだった。




「さびれた商店街のオヤジからサラリーマンになろうっていうのに、浮かない顔だなぁ」

 一人焼き鳥屋のカウンターで飲んでいれば、商店街の同士、肉屋の昌平しょうへいから声をかけられた。一人で呑みたくもないが、家族の顔を見るのも気が重い、こんな時に明るく声をかけてくれたのがありがたかった。

「まぁ、なぁ。この年だから、かな?」

「狭い世界から出ていくには、勇気のいる年齢だよなぁ」

 からかう様な声とは裏腹に、その瞳は心配そうにさまよっている。隣に座った昌平は、ジョッキを合わせることもなくビールを流し込んでいく。

「祭りを仕切ってくれたヤツだろう? いいヤツだし、仕事もできる。あんな上司の元ならがんばれるよなぁ」

「ああ、まぁ」

「これから起業なら、今とそう変わらないんじゃないか? きちんと『会社』に入るよりは自営業に近いだろう? 自由にやれて楽かもしれないよな」

「ああ、まぁそうかもしれないなぁ」

「まったくの『会社員』ってわけじゃないし、お前の八百屋もすぐに閉めるわけじゃない、気楽にやってみればいい。駄目になったら、帰ってくればいいじゃん」

「……」

 そういう昌平も、一度会社勤めを経験している。飲食店だったが、それでも決まった給料とボーナスをもらえる会社員には違いない。7年同じ会社で働いて、どういう経緯かはわからないが、肉屋の後継ぎとして収まっている。狭い世界も広い世界も知っている、尊敬できる同士だ。

 だが、『帰ってくれば』の言葉には素直に頷けない。昌平が会社員をしていた頃は、彼の両親が二人で店を回していた。若かったからこそ、それができたのだ。今の自分の両親と女房だけでは、それは難しい。毎日一緒に働いているからこそ、わかっている。それでも背中を押してくれたのに、失敗なんて出来ない。誰が許してくれても、自分が許せないだろう。

 無言を通す俺に、昌平は困ったように笑っている。申し訳ないと思わないでもない。励ましてくれているのはわかっている。それでも、場を繋ぐための言葉が出てこないのだ。


「でも、どうしてお前なんだろうな?」

「……都会の人間関係で、疲れたんじゃないか? だから、昔から知っている俺を信頼してくれたんだろう?」

 昌平の問いに、すぐに答えを出せたのは自分自身が何度も何度も考えていたことだからだ。なんの経験もない自分がどうして? 起業するときに誘うのなら、経験と人脈のある人間の方が良いのは、誰が考えてもすぐにわかる事だ。狭い世界しか知らない自分を誘って、田中にどんなメリットがあると言うのだろう。

 考えても考えても、わからない。考えれば考えるほど、おかしな話だと思うのに、動き出してしまった今、それをはっきりさせることも出来ない臆病な自分がいる。

 結果『都会の人間関係に疲れた』と信じることが一番簡単だった。

「その世界を生きてきて、起業しようなんて男がそんなことで選ぶかねぇ」

 不思議そうにする昌平の言葉はもっともだ。誰よりも自分がそう思うのだから。

 不安と希望、恐れと己を認められた喜び、色々なものが入り混じり、何も考えられなくなっていく。

 こんな不安、俺ではない。

 こんな女々しい俺を、俺は知らない。


「はなママは、どう思う?」

「さあねぇ」

 迷って迷って、頭に浮かんだのは、はなママのコーヒーだった。絞り出した言葉を気にも留めずに跳ね返すはなママは、いつも通りだ。道に迷っている奴には好きなだけ迷わせておけというのが持論のはなママは、なんのアドバイスもしない。

 

 コーヒーの香りと共に、これでいいのかという思いが大きくなっていく。

「いい香りでしょう? アンタ、小さい頃から好きだったものねぇ」

 鼻をひくつかせている俺に、はなママが笑う。まだコーヒーが飲めない頃、親父が頼んだコーヒーを借りて、長い時間香りをかいでいたものだ。コーヒーが冷めるのに、親父は一度だって嫌がった事は無かった。

「そう、だなぁ。いい香りだ」

「どこにいても、何をしても、またウチに来たらコーヒーを入れてあげるから、頑張んなさい。10年たって、後悔の無いようにね。後悔が無ければ、いつだってコーヒーを飲みにいらっしゃい!」

 『どこにいても、何をしても』

 その言葉が、胸の中を灰色に染めていくのはどうしてなのだろう。



「先に帰んな、子供ら待っているんだろう?」

 閉店間際にやってきた喋りたがりの主婦がやっと帰っていった。客が居る間は閉店作業をしないことを徹底しているため、いつもの帰宅時間を大きく過ぎてしまった。帰りを待つ子供たちを気にかけて、親父が声をかけてくれる。これは、家族と働いているから出来ることなんだろうな。これまで当然だったことが、とても貴重なものに思えるのは、新しい世界に行くことに戸惑っているからなのだろう。

「悪いな、そうさせてもらうよ」

 これからは、出来ないのだからこそ素直に甘える。




 遅い夕食を終えても、両親はまだ帰って来ない。二人でどこかに呑みにでもいったのだろうか。付き合いの多い商店街では、帰りに誰かに誘われて呑みに出ることはめずらしくない。

 テーブルを片付け終わる頃に、ようやく電話が鳴り、ハイハイと女房が受話器を上げる。


「え? 怪我?」

 女房の震えた声が賑やかだったリビングに響き、子供達も何かを察して静かになった。

「はい……。はい……。」

「わかりました。気を付けて帰ってきてくださいね」

 電話を置く音に、逃げ出したいと思っているのに身体は動かない。『どうした?』の言葉すらも出てこない。

「お義父さん、入院するそうよ。お母さんは、いったん帰って来るって。迎えに行くって言ったんだけど」

 呆けたような声が聞こえた瞬間、言葉が頭に入って来なくなった。女房が口を動かしているのが見えるのに、何も頭に入って来ない。音がするのが分かるのに、言葉としては少しも聞こえてこない。


「大丈夫よ、すぐに良くなるから」

 女房の声が真横から聞こえる。気がついたら、明かりを落とした部屋で布団に入っていた。頭が全く働かなくても、身体は普段通りに動いていたらしく、シャンプーの香りがする。

「ああ、悪かったな」

「何が?」

「いや、ありがとう」

「どういたしまして」

 言葉と同時に、女房が俺の手を握ってきた。子供じゃないんだからと言っても、離す気配はない。そのまま、手のひらから温もりと安心が上ってくるのを感じながら、目を閉じた。


 これで、良いのだろうか。

 親父が怪我をしたのは、俺の抜ける穴を埋めようと無理をしたからじゃないか?

 女房はこうして俺に安心をくれているのに、俺は女房に安心を与える事が出来るのか?

 これから、店はどうなる? 

 八百屋が無くなれば、女房だって働きに出るようになるだろう。そうなれば、子供達は学校帰りに母親のいる場所に立ち寄る事も出来なくなる。病気の時は? 学校行事は?

 今回は大したことがないと言っていたが、両親の介護が必要になったら?


 手のひらから伝わる温もりは、安心と罪悪感を運んでくる。



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