ほころび
「『探しもの屋』って、ここですか?」
制服を着た少女が怒り心頭、といった雰囲気で勢いよく店のドアを開けた。普段は穏やかな音を奏でるカウベルが壊れそうな勢いで鳴っている。
「ええ。どうぞおすわりください」
少女の怒りを気にもせずにカウンターを勧めて笑う店主に面食らったようだが、怯むことなくカツカツとローファーを鳴らして店内に入ってきたかと思えば、カウンターに座った中年男性を一睨みしてドカッと座る。睨まれたほうの中年男性はすごすごと席を立ち、弱々しくカウベルを鳴らして帰っていった。少女は、その後ろ姿すら気に入らないというように窓ガラスに映らなくなるまで睨みつけている。
「ここ、何?」
睨みつけながらの不躾な質問にも、店主は穏やかに答える。
「さっきあなたが言った通り、『探しもの屋』です」
「なんでも、探せるの?」
「あなたが本当に探したいと思うなら」
店主の言葉は、少女の怒りをさらに増幅させた。
「探したいからこんなところまで来たのよ。家から2時間以上かかるのよ? 駅からだって遠いし」
滝のように押し寄せる見当違いの怒りに、店主は全く動じずにただただ笑う。
「それは、わざわざありがとうございます」
冷蔵庫から出したパックの牛乳をマグカップに注ぎ電子レンジへ入れる。喫茶店ではないので、美味しい飲み物は必要ないと思っているらしい。
「どうぞ」
電子レンジで温められたホットミルクに、スティックシュガーを3本入れてかき混ぜる少女を黒猫のルナが見つめている。近づく気もないようだが逃げる様子もない。ただ、真直ぐに見つめていた。
「この子がつけているヘアクリップを、探してほしいの」
店主を睨みつけながらカウンターに置かれた写真には、少女が数人の友達と一緒に写っている。修学旅行だろうか、制服を着てどこかのお寺で笑っている。小さく映っているヘアクリップは、桔梗の花を描いたちりめんでできているものらしい。
「これは、京都で買ったのですか?」
「そう。お寺の側にあった露店で売っていたの。露店の人は、自分で作っているから全部一点ものだなんて言っていたけど、絶対同じようなデザインのものがあると思うの。だから、探して!」
何がそんなに気に入らないのか、少女は怒りを隠そうともせずに一気にまくしたてる。それでも店主は少女の怒りなんて気が付かないというように『そうですか』なんて写真を手に取って眺めているし、大きな声が嫌いなはずの黒猫は欠伸をして香箱を組み始めた。自分の怒りに反応してくれないこの店に、少女のいら立ちは更に増していく。
「探せないの?」
「一点物、と言ったんでしょう?」
「だから、同じようなデザインでいいの!」
「それでは、探せません」
きっぱりと言い切って写真を返した店主に、少女は呆気にとられたように口を開けたまま固まっている。
「うちは『探しもの屋』です。本当に探したいと思うものしか探せません」
お帰り下さい、とドアを指す店主からは先ほどまでの穏やかな空気はかけらも見当たらない。店主の迫力に負けた少女は、スゴスゴと店を出ていった。
「困ったお客様ですねぇ」
店主に話しかけられたルナは、不服そうにユラユラと長い尻尾を振って黄金色の瞳を閉じた。
店主は一人、カウンターに置かれた2つのカップを片付ける。
陽も沈み、商店街に並ぶ街灯がオレンジ色の明かりを灯す。店の半分はシャッターを下ろし、アーケードの下は帰宅を急ぐサラリーマンぐらいしか通らなくなった。
―カラン、カラ、ンー
恐る恐るといったカウベルの音が探しもの屋に響き、先ほど帰ったはずの制服姿の少女が顔を出した。
「おや。おうちは遠いのでしょう? こんな時間までここにいて、大丈夫ですか?」
先ほどのやり取りなどすっかり忘れてしまったような店主の穏やかな声に、少女は小さく息をついて、そろそろと店内に入ってきた。
「あの、さっきはごめんなさい」
カウンターの前で小さく頭を下げた少女に、店主よりも先にルナが『にゃぁん』と返事をした。
「いえ、気にはしていませんよ。まぁどうぞ」
カウンターに座った少女の前に、湯気の立つホットミルクとチョコレートケーキが置かれた。
「あいにく料理は苦手でして。いただきもののケーキですがよろしければどうぞ? この時間ですからお腹が空いているでしょう?」
「……ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
チョコレートケーキが少女の口の中に消えていくのをルナの黄金色の瞳が見つめている。お皿の上が綺麗になるのを見届けるとゆっくりと立ち上がり、長い尻尾をゆらりゆらりとさせながら迷いなく少女の膝にストンと飛び乗った。少女も猫が嫌いではないのだろう、驚く事も無くごく自然にルナの頭から尻尾までを撫でている。
「ルナ、気に入りましたか?」
「え? ええ、猫は好きなので」
そういった少女の顔は昼間よりもずっと穏やかだった。
「まずは、お名前を聞いてもいいでしょうか?」
「あ、はい。陽菜です。佐々木 陽菜」
「陽菜さん、ね。もう遅いけれど、ご両親は心配しないの? 連絡くらい入れたら?」
「大丈夫です。親も、仕事が遅いので」
「……そう」
店主はカウンターに乗せられた写真を改めて眺めて、溜息をつく。
「陽菜さん。あなたが探したいのは、本当にこのヘアクリップですか?」
「……」
「さっきも言った通り、うちは『探しもの屋』です。本当に探したいと思っているものしか探せません。本当に、探しているのは何ですか?」
「探しているのは……」
目を泳がせて口を閉じた陽菜を、店主はまっすぐに見つめている。
「探しているのは、これじゃないかもしれない。でも、これじゃなければ何を探したらいいのか、わからない」
湯気の立っていたホットミルクに膜が張る頃、陽菜はゆっくりと口を開いた。
ちりめんのヘアクリップは、陽菜の友人である絵美のものだ。陽菜と絵美は保育園で4年間一緒だった。小学校も中学校も離れていたが偶然高校で再開し、懐かしさからすぐに仲良くなったのだ。2年生になっても同じクラスで、修学旅行でも同じ班を勝ち取り、一生に一度の修学旅行はすごく楽しくて、ずっと笑っていた思い出しかない。『全て手作りの一点物』のヘアクリップを見た時、絵美は陽菜に、陽菜は絵美にと一生懸命に選んで選んで、購入を決めた。『この世にこれと同じものは二つとない』ことがたまらなく魅力的だったのだ。
修学旅行が終わり、大きな荷物を持ったままの解散。疲れ切った身体で荷物を持って、なんとなく同じ方向の者同士で電車に乗り込む。絵美は同じ中学出身の人と、陽菜は自分よりも少し先の駅に向かう人達と一緒に、最後まで賑やかな就学旅行を楽しんだ。
修学旅行の翌日、9時過ぎに目を覚ました陽菜はいつも通りに絵美に連絡を入れる。せっかく平日が休みなのだから、いつもは混んでいて入れないような場所に行きたいと、修学旅行の前から計画をたてていたのだ。
それなのに、絵美はいつまでたっても既読もつかない。苛立ちもしたが、疲れて寝ているのかもしれないと思いなおし『つかれているならゆっくり休んで、テスト休みの時には絶対行こうね!』とメッセージを送る。他の友人達と一緒に高校生には少し場違いなホテルビュッフェを楽しみ、映画を見たいと言った友人の言葉に素直にうなずき映画館に向った時には、まだ絵美と陽菜は親友だったのだ。
「映画になんか、行かなきゃよかったのにね」
映画館の受付に、絵美がいたのだ。すでに映画を見た後だったのだろう、少し頬を紅くして映画のポスターを指さしている。隣にいるのは、昨日絵美と一緒に帰ったクラスの男子。
「あれ? 絵美じゃない?」
陽菜の視線に気づいた友人たちが絵美を見つけるのは一瞬だった。女同士の約束を破って、連絡も取れなくなったと思ったら男子と映画。絵美がとった行動は、高校生の友情にほころびを作る愚かなものだった。