祭り
祭りの日は朝、もとい夜のうちから大騒ぎだった。前日まではどこの店でも通常通りに営業をしていたのだから、閉店してから祭りの準備だ。飲食店なら長テーブルだけ出して、食べ歩けるものを店内で作る程度だが、他はそうはいかない。それでも、『各店舗、自店の物で祭りらしいものを』という田中に従って、衣料品店は売れなくなった衣料品をリメイクした小物を並べ、おもちゃ屋は昔ながらの輪投げにくじ引き、何も浮かばなかったのだろう本屋は大きな敷物を敷いて絵本を並べ『子供の遊び場』などと張り紙をしていた。
肉屋はハンバーガーを作っていたし、八百屋であるうちは、野菜ジュースを作って歩きながら飲めるように蓋つきの紙コップを用意した。とにかく、どこの店舗でも深夜と言われる時間から準備に明け暮れ、子供神輿が始まる頃にはぐったりと疲れていた。
それでも、商店街を歩く子供神輿について歩き、神社で青い空を見ると寝不足で霞がかっていた頭はスッキリと晴れ、背筋が自然と伸びていくのを感じる。
「どうしてか、どんなに疲れていても途中でしゃんとなるんだよ、それが、何よりも楽しいんだ」
顔をあげた俺に、田中が嬉しそうに呟いた。
「そう、だなぁ」
田中は、自分の仕事に誇りを持っている。この仕事が好きだと、自信を持って言える。毎日をただ繰り返すだけの八百屋とは違う面白さがあるのだろう。妬みも嫉みもどこかへ消えて、ただただ田中が羨ましい。
「おつかれ様でした~」
2日間の祭りを終えて、屍のようになりながら片付けをしていれば、少し離れた場所から田中の声が聞こえる。
どこの店でも、今回ばかりは家を出た子供や友人に手伝いを頼んでいたが、『喫茶 はな』には頼む先が無かったらしい。祭りの下準備も、売り子も、片付けすらもはなママが一人でやっていた。いつもニコニコとしているはなママだが、今回ばかりは溜息を隠せそうにない。隣の店が手を貸そうと申し出ているにも関わらず、一人で大丈夫だからのんびりやらせて欲しいと辞退したのは、はなママらしさなのだろう。そんな中、商店街の一員ではない田中だけが、はなママの手伝いをしていた。祭りが始まってしまえば自分はもう仕事がないからと言いながら、日に何度も『喫茶 はな』の出店を手伝っていた。当然、片付けもだ。どこにでも馴染めて、さりげなく手を貸せるのは、昔から変わらない田中の特技だ。
「よう、お疲れ」
『喫茶 はな』の片づけが終わると田中はまっすぐに古澤青果店にやってきた。嬉しそうな顔をして、楽しかったなぁと笑う田中に中学、高校の学校祭を思い出す。
「楽しいだろう? 考えてみる気に、ならないか?」
「……ならないな」
考える気がしないのは、魅かれているからなのは自分でわかっている。やってみたいと、田中のように仕事をしてみたいと思ってしまっている。考えてはいけない。俺なんかに出来るわけがないのだ。商店街の八百屋しかやったことの無い俺が、外の世界でやっていけるわけなんてない。身の程をわきまえているからこそ、店をたたむことも出来ないのだ。
「まぁ、考えてみてくれよ」
「……」
田中が帰ってからずっと、不安そうにこちらを見ている女房に気づいていたのに、声をかけてやる余裕すらもなかった。
祭りから1週間が過ぎる頃、屍のようだった商店街の住人は少しずつ生き返り、商店街にはこれまでとは違った空気が流れていた。
今まで大手のスーパーで買い物を済ませていた若い主婦たちが、小さな子供の手を引いて商店街を覗きに来るようになり、制服を着た学生たちが総菜屋のコロッケを片手に歩くようになった。昔のようにとまではいかないが、少しずつ人が増えてきているのだ。
「すごいもんだなぁ、田中君は」
行きかう人を眺めながら、親父が呟く。その声は、俺の胸のざわつきを煽るのには十分すぎた。『考えて』見ても良いのだろうか。何も出来ない、何も知らない俺でも『やってみたい』と言ってもいいのだろうか。この店はどうする? すでに年金をもらっている両親や、子供を抱えた妻では出来ない仕事もある。力仕事は、俺でなくてはいけないのだ。人を雇う様な余力はこの店にはないし、店を閉めるわけにもいかない。上手くいくかもわからない新しい生活に飛び込んで両親を含む家族を養うことなどは出来やしない。『やってみたい』と『できるわけがない、諦めろ』の言葉が頭の中をグルグルと回り、息苦しさを感じた。
「アンタ、顔色悪いよ? 疲れているんじゃない? 今日はお義父さんとお義母さんと私だけで大丈夫だから、もう帰って寝たら?」
心配そうにのぞき込む妻に申し訳なさと苛立ちが募るが、このまま仕事をする気にもなれずに素直に甘えることにした。アーケードをでると、灰色の空が広がっていた。どんな空でも、アーケードよりはずっと高く、遠い。
「どうだ、考えてみる気になったか?」
家についたのを見計らったように田中からの電話が鳴り、胸がざわつくのを抑えられなかった。
「お前は、すごいよ。祭りもここ数年で一番の賑わいを見せたし、商店街にも人が来るようになった。本当に、すごいと思う」
「楽しかっただろう?」
「……ああ」
楽しかった。何かを作り出す事、その後の成果。商店街に活気が戻っていくのが嬉しくて、楽しくて、疲れたがそれ以上に楽しかった。でも、それは……。
「普段していないことをしたから、かもしれないなぁ」
「そうだ。イベントは毎回違う。同じイベントでも年が変われば流行りも変わる。新しいもの、変わらないものを見極めて作るんだ。辛い事も疲れることもあるけど、楽しいときは絶対にやめられないと思うぐらいに楽しい。波は大きいが、やりがいはあると思うぞ」
聞けば聞くほど、今の自分とはかけ離れた仕事だ。毎日毎日、市場の価格と買い物客の財布で折り合いのつく金額をはじき出して、野菜を並べる。客との付き合いだって日々の積み重ねでできている。商売の波はあるが、全く違う仕事をするなんてことはない。
頷けば、今の自分とは違う自分が待っているのだろう。
でも、だからといって。。。
「俺が違う仕事をすれば、八百屋を続けるのは難しい。お前の誘いに乗って、家族を養えなくなったら……」
「そうかぁ。まぁでも、今の時点で仕事の目途は立っている。とりあえずの仕事に困る事は無いし、すぐに生活が出来なくなるわけでもないとは思う。心配なら、朝は遅めの出勤、週休3日でどうだ? アルバイトになるから給料は大して出せないが、休みの日には店に出ればいい。そのぐらいなら、お前が居なくても何とかなるんじゃないのか?」
「お前は……」
昔から変わらない楽観的な物言いに、心地よい強引さが胸のざわつきを抑えていく。週に4日程度なら、出来るかもしれない。朝が遅いなら出勤前に市場には行けるし、力仕事は手伝える。八百屋がつぶれなければ、俺が失敗しても……。
「1週間、時間をくれないか?」
「わかった。俺からは1週間連絡をしない。お前は、気になる事があれば連絡しろよ。なんでも聞いてこい」
引き際はあっさりとしているのも昔から変わらない。こちらにゆだねた以上、どんな結果になっても文句はないと言ったところか。