起業
「田中君は、元気だったの?」
若干の二日酔いを残しながら昨夜の空き缶を片付けようと早めに店に行ったのに、すでに母が空き缶をゆすいでいた。振り返る事のない肩は、楽しい時間ではなかったことを知っているのだろう。
「ああ。しばらくこっちにいるってさ」
「そう、賑やかになっていいわねぇ」
ゆるゆると交わされる会話がどうしようもなく不快だった。人が増えれば町は潤う。どんな理由であれ、この町に若者が増えることは喜ばしい事なのだ。でも、そんなことを喜んで本当に友人と言えるのだろうか。
『また呑もう』交わした言葉は社交辞令などではない。それなのに、忙しいのだからと自分に言い聞かせ、連絡をとれずに気がついたら2週間の時間がたってしまった。
「よう。この間は、悪かったな」
突然店に現れた田中は、以前よりも随分明るい表情をしている。
「いや、元気だったならそれでいいさ」
取り越し苦労だったのなら、友人としてはそれが一番だ。田中は、元気になればまた都会に戻っていける力がある。それなら、古い友人として今回の話はしばらく胸にしまっておいてやってもいいかと思っていた。
「なぁ、ちょっと話があるんだ。今夜時間あるか?」
「あ? ああ、いいけど」
「じゃぁ、今夜俺の家に来いよ。場所わかるだろう?」
なんの話だと聞けば、今夜話すと言って笑って帰っていく。元気そうになったが、また何かあったのかと、その日は一日うわの空で仕事にならず、何度も釣銭を間違えて常連達に笑われた。
「おじゃま、します」
住宅街の中の一軒家。畑があったはずの場所にはいつの間には小さなアパートが立っており、犬小屋があった場所には小鳥の餌場が置かれてある。
「変わった、なぁ」
「そりゃぁな。お前、小学校以来来ていないだろう? 変わらない方がおかしいさ」
「そうか。そうだな」
2階にある田中の自室は、覚えているよりも幾分大人っぽくなっていた。小学生用の学習机とランドセルは消え去り、代わりにシンプルなデスクに部活用の大きなバッグが置かれている。
「高校の時のままって感じだな」
「まぁ、高校までしか住んでいなかったからな。帰ってきたときに使うのなんてベッドだけだから、そのままにしている」
「そんなものか」
「そんなものだ。お前は、実家で同居か?」
「ああ」
「出る気は、ないか?」
「は?」
何を言っているのかと言葉を探していれば、田中は少し気まずそうに笑いながらローテーブルにカラフルな紙を広げていく。大型スーパー、アウトレットモール、どこかの駅前広場、様々な場所で行われるイベントの広告だが、内容はバラバラだ。フリーマーケットに移動動物園、占いにハンドマッサージと女性や子供の好きそうなものばかりだった。
「俺が手掛けたイベントだ」
「そう、か」
田中が何を言いたいのか、何を言って欲しいのかが全く分からない。そういえば、こいつは昔からこうだった。突然何かを思いついて、突然何かを言い出すんだ。いつもいつも、周りは何を言いたいのかを探すだけで精一杯だった。今も……。
「それが、俺が家をでることとどうつながるんだ?」
「お前も、一緒にやらないか?」
「……」
屈託のない笑顔は、昔のまま。放課後のサッカーに誘う様な気軽さで、とてつもなく大きな事を言い出した。
「俺は、八百屋だぞ」
「一生、か?」
一生といわれると、自信はない。これまで続けてきた、だから、明日も明後日も同じ仕事をするのだと思っていた。だが、一生、なのか?
「俺の仕事は『この場所でこんなイベントをやったら人が集まって活気がでる、売上が上がる』っているのを考える事、実現することだ。その為のコネはある。会社を辞めたって、個人的に持っているコネは使える」
「……」
「でも、一人では限界があるんだ」
だからって、どうして俺に? 疑問はありすぎて言葉にならない。
「商店街ってさぁ、客との距離が近いんだよ。世間話しながら好みとか家族構成とか覚えてるだろ? 人の感情にも敏感だ。たとえば、子供が店の前を通れば、商店街で遊んでいるのか、迷子になっているのか、喧嘩して帰ってきたのかまですぐにわかる。お前には当たり前のことかもしれないが、たくさんの人を見ていなくちゃ出来ない事だ。観察をしてきた、経験がなせる立派な技術だ」
「それは……。狭い世界に毎日いるからだ。商店街に来る人の数なんてたかが知れている。毎日見ていれば表情だって読めるようになるさ」
「読めない奴は、読めないさ」
胸が、勝手に早鐘を鳴らしている。思わぬところを認められるのがこんなに嬉しいなんて、知らなかった。それでも……。
「そう言ってもらえるのはすごく嬉しいよ。でも、家族がいるんだ。俺の気持ちだけで、仕事を変えるなんて考えた事も無いんだ」
『褒められて嬉しい』からと言って仕事を変えるくらいなら、元々八百屋を継ごうなんて思っていない。シャッター街になったって、俺の職場はあの商店街なのだ。
「そうか」
放課後のサッカーを断られた程度には残念そうにする田中を、惜しいと思った。もう少し話をして欲しい。もう少しだけ、違う人生への夢を見たい。
それが我儘だとは、わかっているのに。
「でもまぁ、俺が起業して初のイベントは商店街でやるつもりだったんだ。手伝ってくれな」
空気を変えるような明るい声が部屋に響く。昔から、サラリを空気を変えて、自分の気持ちも一緒に変えるヤツだった。
「それぐらいなら、もちろん」
商店街でイベントをやるなら当然、商店街の八百屋としても手伝うだろう。友達が企画するのだから、少しぐらい多く手伝う事には何の異議もない。家族経営の気楽さも手伝って二つ返事で引き受けた。
田中が戻ってきて2カ月もたっただろうか。急遽行われた商店街の集まりに、田中の姿があった。宣言通り、商店街でのイベントは田中の初仕事になった。地元とはいえ、この金のない商店街がよくイベントを依頼したものだと、その営業能力に素直に感心した。
商店街の端にある小さな神社で行われる秋祭り。毎年商店街では、のぼりを立ててお祭りムードを出し、神輿や催し物の手伝いをする程度で、どちらかと言えば町内会がメインとなって動いている。年々出店も参加者も少なくなって、子供神輿すらもやっとで人を集めている。
そんな閑散としたイベントを、どうやって盛り上げるのかとみんな興味津々に見つめている。
「古澤、約束だからな」
「……わかっているさ」
その日から、田中は毎日のように商店街を歩き回っている。祭りの日は、神社と商店街をひとくくりとして、神社で神事を行い、商店街で賑やかな祭りを楽しませようとしている。外部からの出店は、商店街で店を出しても場所代は神社に収めると言う事で話を付けたようだ。神社にとっては面白くない話だろうが、何とか話をまとめてきたのは流石と言えるだろう。商店街では各店舗がひとつずつ何か出店を出す事を強いられた。年齢を持ち出して渋る者もいたのに、うまく丸め込んでいく田中の手腕は流石だと噂に登るようになっていった。
「面倒でも、先の売り上げに必ずつながります。祭りで店を出すのは、売上の為じゃなくて、楽しいと思ってもらう為です。人間、楽しかった場所には自然に足が向かうようになるんです」
自信をもって力説している田中は、もうすっかり立ち直っていた
「古澤、ステージの高さ、通常よりもちょっと低めの方がいいか?」
「客がステージに上がることがあるなら、少し低いよりも選択肢の中で一番低いぐらいがいいんじゃないか? 階段の幅は広めで。客が上がらないなら、通常の高さで大丈夫だ。みんな座っているから高い方が見やすいだろう?」
「駅にチラシを置こうと思っているんだが、どう思う?」
「駅を利用する世代は、チラシを持ち帰ることは少ないかもなぁ。子供と年寄りが多いから、駅には大きめのポスターを張る程度にして、チラシは児童館とか碁会所に置いたらどうだ?」
「子供たちが多いなら、無料で楽しめるものが欲しいなぁ。スタンプラリーをして、景品は子供に小さなお菓子と、大人に商店街の割引チケットもいいなぁ。イラストを描くとか、昔の遊びの体験とかもいいかもなぁ」
「割引になると面倒だ。いっそ〇日~〇日までに来てくれたら無料で渡す景品があった方がいいかもなぁ。神社側にある雑貨屋は子供好きだなぁ。市でおもちゃの修理をするイベントをやっているんだけど、そこではちょっとした有名人らしいぞ」
夜になれば毎晩のように店の休憩室にやってきた。自宅でやればと言う両親と嫁に、ココが良いのだと笑う田中は、すっかり都会の営業マンだった。
「いい商店街だよなぁ。どの店も、一癖も二癖もある人がやっていて、それでもうまく言っていて、いい場所だ。もっと賑やかにしたいけど、このままでもいて欲しい」
星の見えない商店街から出ると、決まって田中は振り返って長く続くアーケードを眺めていた。
この町から離れた田中の本音に、少しの苛立ちとたくさんの羨ましさを感じる俺は、心がせまいのだろうか。