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探しもの見つけます  作者: 麗華
第4章 違う道を選んだ自分
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探しものは


「じゃぁ、今夜は適当にご飯食べてくださいね。あんまり遅くならないようにはしますから」

「一人で勝手にするからいいさ。ゆっくりしてくればいい」

 商店街の奥様方でカラオケに行くという女房を見送って、一人で店のシャッターを下ろす。一晩中明かりがついているアーケードのおかげで星一つ見えないが、暗くて鍵穴が分からないなんて事も無い。便利さと情緒の無さは対になっている。


「こんばんは」

 不意にかけられた声に振り向けば、片手に黒猫を抱いた探しもの屋の店主が立っていた。何度見ても、この商店街には似合わない女だ。

「あ、ああ、こんばんは。アンタ、店は?」

「薫と申します。今日は昼間探しものをしていたので、これから一度お店によって、きちんと閉めて帰ります」

「ああ、そうか。昼間、探しものを……」

「ええ、古澤さんも御用の際は、ぜひ」

「あの、なぁ。探しものって、なんなんだ?」

 飲み込む間もなく口をついて出たのは、ずっと引っかかっていた言葉。『探しもの』とは? 何を探してくれるんだ? なんでも、探してくれるのか? なんでこんな場所で、今?

 後に続こうとした言葉を、古澤は必死で飲み込んだ。

「探しものは、探しものです。一つとして同じものはないので、これというのは難しいですねぇ」

「一つとして、同じものはない?」

「ええ。古澤さん、よろしければお店に来ませんか? いくつかお見せしますよ?」

 にっこりと笑う薫の腕では、夜闇に満月を宿したような猫が古澤をじっと見つめている。不思議と苛立ちはなく、自分でも驚くほど素直にうなずいていた。


「どうぞ。今、電気をつけますね」

 通されたのは『喫茶 はな』そのままの店内だった。ソファーもテーブルも、カウンターも、何一つ変わらない。子供の頃から通った場所、大人になっても何度も来た。はなママは不思議な距離感を持っている女性で、難しい年頃の男の子でも、はなママにならなんでも話す事が出来たものだ。

「なにも、変えていないんだな」

「ええ、大切に使われていたものですから」

「アンタ、はなママと知り合いなのか?」

「知り合い……。ええ、そうですね。もうずいぶん前からの、知り合いです」

 にっこりと笑った薫に、どうしかそれ以上聞くことができなかった。



「ここに来てからの探しものは、これで全部です」

 カウンターに並べられた探しものは、本当にバラバラだ。古ぼけた本、猫の首輪、桜の帯留め、桔梗のヘアクリップ、高価そうな指輪、可愛らしい小瓶に入っているのは香水だろうか。

「これを、探したのか?」

「ええ」

「探したのに、客の手元には返さないのか?」

「ええ。探しものは、見つけることが大切なのです。見つけて、手元に置きたいと思うのなら、それはまだ見つかっていないのと同じこと」

「……なんだか、薫さんの言うことはわからねぇ」

「そうですか?」

 残念です、と笑った顔にどこか見覚えがある気がする。どこだっただろう。いつだっただろう。



「アンタ? 大丈夫?」

 不意に女房の声がした。いつもと同じ自宅の茶の間。いつの間に帰ってきたのか、どうやって探しもの屋を出たのか、全く覚えていない。酒を呑んだわけでもないのに、記憶がすっぽりと抜けているのだ。

「今、何時だ?」

「もう10時を過ぎているよ」

 不思議そうな女房の声に、狐につままれたって言うのはこういう事なんだろうなぁ、とぼんやりと思う。

「お風呂入って、寝たら?」

「ああ、そうだな。そうするよ」

  後ろから呆れたような溜息をつかれたが、ぼんやりとした頭はいっこうに働こうとしない。彼女は狐なんじゃないだろうかなんてことを真面目に考えるくらいに、頭の奥に霧がかかっている。


「大したものは、無かったなぁ」

 お湯につかりながら探しもの屋で見た物を思い出す。どれも古く汚れていたし、特別高価そうなものは見受けられなかった。言ってしまえば、探すよりも新しいのを買った方がいいのではないかと思う様なものばかり。こんな田舎の商店街に必死で依頼に来るほどの価値があったというのだろうか。

「手元に置きたいのなら、見つかっていないのと同じ……」

 薫の言葉が真実ならば、探す事に意味なんてあるのだろうか。




「いいかい?」

 お昼を少し過ぎた時間、探しもの屋のカウベルがゆったりと来客を告げ、少し気まずそうな顔をした古澤が顔をだした。

「ええ、どうぞ。昨夜はお茶も出さずに失礼をしました。今お茶を淹れますね」

 これまで決して好意的ではなかった古澤の訪問に、薫は驚くこともなくニコニコとカウンターをすすめる。差し出されたお茶は、昨日高杉の所で飲んだものと同じ味。高杉は紙コップ、ココではティーカップに入っている。

「緑茶に、このティーカップか?」

 思わず眉間に皺を寄せたが、薫は涼しい顔をしている。

「緑茶も紅茶も、元の葉は同じですから、私は同じものとして扱っています」

 不思議な理屈だが、言われてみればたしかにそうだ。持ちなれないティーカップから立ち上る香りが柔らかい。

 以前と同じ店だが、違う店。緩やかな空気が、時間を止めているように感じる。店の隅にあるソファーから、黄金色の瞳が興味深げに覗いているが、近づいてくる気配はない。黄金色の瞳からそらした視線を追って、薫が楽しそうに笑う。

「古澤さんは、猫がお嫌いですか?」

「嫌い……。そうだなぁ、なんだかぐんにゃりしているだろう? あれがいいっていう人もいるんだろうけどよ、なんだか昔から苦手でねぇ。まぁ、よって来ねぇなら……」

 言葉が分かるかのように真っ黒な耳は不機嫌に伏せられ、黄金色の瞳は閉じられた。こっちだってお断りだとでも言いたげに丸められた身体は、ソファーに置かれたクッションのようだ。

「不思議な猫だな」

「そうですねぇ」

 ティーカップが温度を失うのを防ぐように、両手で包む。止まったような時間が、出来るだけ長く続くようにと願うのを止められない。


「古澤さんの、探しものは何ですか?」

 薫は当然のように言葉を紡ぎ、こちらが口を開くのを待っている。どうしてこの店が気になっているのか、どうしてこの店が気に入らないのか、自分で蓋をした気持ちが表に出たいと訴えるのを、もう止めることができなかった。

「もう、無いんだ。捨てちまったから」



 子供の頃から自分は商店街の八百屋を継ぐのだと思っていた。だから、何の抵抗もなく高校卒業後は進学することも就職することもなく店を手伝い、親もそれを当たり前だと思っていた。それに不満があったわけではない。

 本音を言えば、同じ商店街の子供達が進学や就職をし、新しい世界に出ていくのを羨ましいと思う気持ちも持っていた。だが、自分が育った環境から離れるほどの気持ちではない、ココが俺の場所だということも知っていたのだ。



 結婚して完全に店を継ぎ、子供が産まれた頃に少しずつ景気が悪くなっていった。商店街は昼までもシャッターを下ろした店が目立つようになり、新しい店が出来ては消え、を繰り返している。少し離れたところに出来た大型スーパーに客を取られ、商店街は以前の賑わいを失いかけていた。


「古澤さん、うちはもうダメだぁ」

「古澤さんの所は、頑張ってな」

 そんな言葉を残してシャッターをおろす仲間に、裏切られたような羨むような気分になっていたのは、自分だってもう限界なのだと思っていたからだろう。それでも「もう辞めたい」と言い出せなかったのは仕事への誇りなんかではなく、ただ自分が臆病だからだ。八百屋以外はアルバイトの経験すらない自分に、今更どんな仕事ができるのか。親の営む店で働いているのだから、履歴書すら書いたことがない。大学生ですら就職ができないといわれているのに、いい仕事なんてあるわけがない。自分は『商店街の八百屋さん』にしがみつくより外に、生きる術なんて無いのだとわかっていた。

 そんな行き場の無い自分には、先の無い商店街が似合っているのだとわかっている。だからこそ、商店街から去っていく仲間には、未来があるような気がして羨ましかったのだ。口にすることのできないドロドロとした思いは、シャッターが下りるたびに大きくなっていった。そんなとき、かつての友人が訪ねてきたのだ。


「古澤! なんだ、すっかり八百屋のオヤジだなぁ」

 朗らかな笑い声は良く知っているのに、目の前にいるのは大人の男性だった。スーツに縁のない生活をしている自分にもわかるほどの、高価なスーツを堂々と着こなして大きなシルバーのキャリーバックを手にしている。こんな田舎の商店街では、なかなか見かけることの無い、いかにもなビジネスマンだ。

「田中?」

「おう! 休みが取れてな、今週いっぱいこっちにいるんだ。明日にでも呑まないか?」

「明日? 随分急だなあ。まぁ、良いけどな」

「良かった! じゃぁまた明日、店が終わる頃ここに来るよ」

「あ、ああ」 

 自分の言いたいことを言ったらすぐに背を向けて歩き出すところは、子供の頃から何も変わっていない。


 田中とは、小学校から高校までずっと同じ学校だった。クラスが離れたこともあったし、中学では部活も違ったが、家が近かったこともあってよく一緒に遊んだ仲間だ。しかし、それも高校までだ。高校を卒業し家業を継いだ自分と、大学に進学し学生生活を謳歌していた田中では住む世界が違っていた。少なくとも古澤は、田中と会おうと思えなくなっていたのだ。会えば羨ましいと思ってしまう、妬ましいと思ってしまう。子供の頃からの友人を、そんな目で見るのは惨めだった。


「今の田中君かい? 立派になったねぇ。すっかりスーツが板についちゃって」

 小学生の田中を知っている母の言葉が、胸の中で灰色の霧に変わっていく気がする。『俺だって』言葉が喉までせり上がってくるのを必死で飲みこむ。もうずっと前に捨てたはずだ。この暮らしが自分にあっていると納得して人生を歩んできたのだ。


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