やりばのない苛立ち
「ねぇ、あの古い喫茶店閉めたんじゃなかったの?」
聞くともなしに耳に入った言葉に、どうしてかイライラが募る。
子供の頃からこの商店街で育った。
活気がある商店街は賑やかで、働いている父母はいつも人に囲まれて楽しそうにしていた。高校を卒業したら、当たり前のように店を継ぐのだと思っていたしそれに不満も不安も無かった。同じ頃に店を継いだ仲間もたくさんいて、一緒に盛り上げよう、商店街は日本の文化だ、大型スーパーなんかに負けるものかと躍起になっていた頃もあった。
それが、現実に負けてしまったのはいつからなのだろう。商店街での不安定な生活に嫌気がさして店を退いて就職したもの、かろうじて続けてはいるが潰れさえしなければそれでいいというもの。もう、真直ぐに前を向き、上を見あげていた青年たちはどこにもいない。古澤とて、日々赤字が出なければそれでいいと思っている。
もちろん、成人して家を出た子供たちに後を継いでほしいなんて、ほんのひとかけらすらも思えない。
今どき、野菜は八百屋、肉は肉屋で買うなど面倒なことを好んでする客などほとんどいない。車で大型スーパーに行ってまとめて買った方が、はるかに安いし楽なのだから。仕方がない。それも含めて、時代なのだ。
もう、自分たちの代でこの商店街は終わりだろう。終わるときは、皆一緒だからアーケードもまとめて取り壊そうなんていいながら酒を呑んだのはいつだったろう。
だからとって、仕事が嫌いなわけではない。
市場で上手く仕入れた商品や、古くから付き合いのある農家で出た不揃いの野菜が売れていくのを見るとガッツポーズが出るくらいには嬉しいし、今夜のメニューに悩む人の相談に乗るのも好きだし、お使いに来ていた子供が就職したと聞いた時には我が子のように嬉しかったものだ。
毎日、生きている、誰かと関わっているのだと実感できる仕事だが、残念なことに未来は見えない。
そんなやるせなさを抱えている商店街の憩いの場だった喫茶店。閉店すると聞いた時には、仕方がないと思いながらも、やっぱりそうなのか、もうダメなのかと勝手に嘆いたものだった。
もう、これからは減っていく一方だと覚悟を決めたというのに、ひょいと店が開いたのだ。にぎやかだった商店街の時代を生きた「はなママ」が切り盛りしていた喫茶店。時代に取り残された者が集い、肩を寄せ合い慰め合い、奮起してきた喫茶店に、どんな場所でもやっていけるだろう若く美しい女性が、店を開けた。商店街に生きる者のやるせなさなど、欠片も知らずににっこりと笑っている。
気に入らない。
八つ当たりなのは、誰よりも自分が分かっている。それでも、気に入らないものは気に入らないのだ。
古株と呼ばれるようになった自分には、新参者のアラを探す権威ぐらいあるはずだと言わんばかりに、今年の役員である高杉に何度も店を見に行かせている。そうして、自分はあの店を気に入らない、と皆に伝えたいのだ。
早く出ていけばいいと思っている。ここは、未来ある若者が店を出すような場所ではないのだ。
「『探しもの屋』に入っていく人って、みんな今にも死にそうな顔をしているわよねぇ」
銀行から帰った女房が、何十年と付き合いがある客と店のすぐそばで井戸端会議を始めたのが耳に入った。歩いている人みんなが知り合いのような場所なのだから、まっすぐに帰れず、店が見えているのにそこここで立ち話を始めるのはいつもの事だ。だが、探しもの屋の話しをしていると思うと途端に苛立ちを抑えられなくなった。苛立つのに、聞きたくてどうしようもない気持ちもある。結局、店の外で女房に背中を向けて商品を並べ始めた。苛立ちを伝えながらも、話しを聞ける絶妙な位置だ。
「何を探してくれるのかしらねぇ」
「猫とか、生き別れの家族とか?」
「ああ、テレビで見た事あるわ。じゃぁやっぱり探偵みたいなものかしらねぇ。こんな商店街に、探偵なんてねぇ」
「ううん、不釣り合いかもしれないわねぇ」
それより、とすぐに別の話題に切り替わってしまった。自分も知っている程度の事しかわからなかったことに、何故だかさっきよりも苛立ちが募る。
「ちょっと出てくる」
それだけ言って高杉の営む洋菓子店に向った時には、まだ自分が何をしたいのかわかっていなかった。
「高杉さん、いるかい?」
洋菓子店のカウンターに立つ高杉の妻は、苛立ちを隠そうとしない古澤を見て明らかにおびえていた。この妻は、都会のマンション育ちと聞いた。もし高杉と一緒にならなければ、一生こんな古びた商店街に縁は無かったのかもしれない。いつまでたっても馴染む姿を見せないのならいっそ店になど立たなければいいのにと何度思ったか知れない。高杉を待つ間、自然とつま先が地面をたたき続ける。
「古澤さん? どうかしましたか?」
困ったような高杉の声が、さらに古澤を苛立たせる。
「どうもしねぇさ、どうもしねぇと来ちゃぁいけねぇのかい?」
「そんなことはありませんが……」
目の前の男が自分を得意としていないのは良く知っている。探しもの屋と同じように、長く続けていた洋菓子店がシャッターを下ろしてしばらくして入ってきた男だ。あいさつ回りに来た時に、この近くに祖母がいるので昔からこの商店街を知っていたと聞いたが、詳しい話ははぐらかされてしまった。新参者が古株に聞かれたことに素直に答えないだけでも気に入らなかったというのに、古い商店街を盛り上げようでも、都会に出て行こうでもない覇気のない男に苛立ちを覚え、ことあるごとに嫌味の一つも言っていたのは確かだ。だが、のらりくらりと商売をしているように見えるのに、いつの間にか『商店街のケーキ屋さん』としての立ち位置を定着させた高杉を大したものだと思っていることも事実だ。
「お茶を入れましょうか。事務所へどうぞ」
苛立つ古澤を妻から隠すように事務所のドアをあけて中へ促す。愛妻家というのは噂だけではないようだ。
「事務所、なんてものがあるんだなぁ」
通された部屋は、3畳ほどの空間にPCデスクと3人掛のソファーとローテーブルが詰め込まれており、テーブルには小さなケトルが置いてある。高杉は紙コップに粉末の緑茶を入れお湯を注いだ。
「事務所というより休憩室ですけどね。どうぞ、粉末ですが味は悪くないと思いますので」
来客に紙コップか、という言葉を飲み込んで口をつけると、確かに味は悪くない。家で飲む出がらしのお茶よりもずっと緑茶の味がする。
「旨いもんだなぁ」
「ええ、佐藤さんの所のお茶ですから」
「そうか、佐藤さんの……」
商店街の隅でひっそりとやっているお茶屋。急須でお茶を淹れる者が減ってきたとボヤいていたが、いつの間にか粉末のお茶を扱っていたのか。商店街の仲間の努力に、何故か胸が重くなる。
「探しもの屋さんの事ですか?」
「……」
古澤に言われるたびに探しもの屋を訪ねる高杉は、商店街で一番探しもの屋に詳しくなっている。必要以上に口を開かない上に言葉を濁す男だが、その分口にした言葉は真実なのだろう。
「あの店にくる客が、みんな今にも死にそうな顔をしているって聞いてな……。そんな深刻な悩みをこんな田舎の商店街に解決に来るヤツなんて、危なくねぇのかよ、て、なぁ」
自分でも、理不尽な事を言っている自覚はある。だが、他にどういったら良いのか、自分は何を知りたいのかもよく分からないのだ。とにかく、探しもの屋について何か知りたい。不思議だが、彼女を一目見てからずっと気になっているのだ。
「死にそう、ですか? 確かに深刻な顔をした方は見ましたが……。危なくはないと思いますよ。帰りにウチでケーキを買ってくださった方もいますし」
「そうかぁ、危なくは、ねえかぁ」
そんなことはわかっている。何を探しているのかはわからないが、こんな田舎の商店街にある探しもの屋に頼みに来るほどに切羽詰まってるような者が、自分の探しもの以外が目に入るはずなんてないのだ。
「……一度、行ってみませんか?」
「は?」
「ですから、古澤さんも一度行ってみませんか? 居心地のいいお店ですよ」
「居心地?」
古澤が子供の頃からあった喫茶店。商売の忙しかった頃、夕食を取らせてもらったことは一度や二度ではない。店を継いで、商店街を盛り上げるのだと張り切っていたときも、商店街から出ていく仲間を見送ったときも、あの店で何時間も語りあった。何も言わずに笑うはなママの店が、どれだけ居心地が良かったか、高杉は何も知らないのか。
「以前の喫茶店の空気を残しているようで、とても居心地がいいんです」
顔に出ていたのであろう。高杉が困ったように笑いながら付け足した。
「以前の空気、ねぇ。そんなら、まぁ居心地はいいんだろうなぁ」
そんなはずない。あの空気は、はなママが長い時間をかけて作っていた空気だ。言いたい言葉を飲み込んだ古澤に、高杉は今から行ってみないかと声をかけた。
「今から?」
「ええ、うちはもうケーキ作りはないので、家内だけでも大丈夫です。古澤さんのお店も、もうピークは過ぎているでしょう?」
確かに、夕食の買い出しに来る主婦はもうあらかた帰ってしまった。仕事帰りに商店街で買い物をするような人は少ないので、ここから先は片付けと明日の準備がメインになる。行けないことはない。だが……。
「今日は、止めておくよ。女房に何も言ってねぇんだ。また今度な」
はなママのいない喫茶店には、どうしてか足が向かない。喫茶店の形を残しているのなら、なおの事だ。
「そうですか。では、気が向いたら一度行ってみてください。感じのいい方ですよ」
穏やかに笑う高杉は、人当たりが良い。高杉が相手ならば、大概は「感じのいい方」になってしまうのだろう。
「そうだなぁ、そのうちに……」
大した収穫もないのに、ここに居ても仕方がない。生クリームのたっぷりとのったケーキを買って店にもどれば女房があきれ顔をしている。
「そんなに気になるんだったら、自分で行って来たらいいでしょうに」
ブツブツと言いながらもケーキの箱を受け取り奥に入っていく後ろ姿は、頼れる女房だ。