不思議な店
いつからあるのかわからないぐらいに古い商店街。
不景気のあおりを受けてところどころシャッターが閉まっているが、昔ながらの『一皿いくら』を守っている八百屋に、揚げたてコロッケを店先に並べてある肉屋、こだわりが強すぎてお洒落なものは一点も置いていない職人の靴屋。普通に会社勤めをしていればもうとっくに定年を迎えているような年配者も元気に店先で声をあげ、買い物客はところどころで井戸端会議を始めている。慣れたもので、長話をしても問題がないように主婦たちはアルミのエコバックに保冷剤まで準備している。
そんな明るい商店街の外れに、つい最近開店した異色の店がある。
その場所は、もともとは商店街の主のようなお婆ちゃんがやっていた喫茶店だ。その年代にしては珍しく幼い子供を抱えて亭主と別れ、この商店街で喫茶店を切り盛りしながら女手一つで子供二人を育て上げ、その後も「商店街のお母さん」をしていたのだが、ある日突然にゆっくりと隠居したいと言い出して40年以上も続けた喫店を閉めてしまったのだ。憩いの場を失った商店街は嘆き、同じ場所に同じような憩いの場が出来るのを心待ちにしていた。
だが、開店のあいさつに来たのはモデルのような長身の女性。ある日突然寄り合いに現れた女性は、金色の瞳をした艶やかな黒猫を片手に抱き、片手には有名洋菓子店の焼き菓子を持ってにっこりと笑った。
「喫茶店じゃありませんけど、いつでもいらしてください」
女性にしては少し低くて太い声に言葉を失っていれば、開店準備があるのでと笑って帰ってしまった。古い体制の商店街で、礼儀知らずとも取れる行動とあいさつに配るには少し高級すぎるのではというぐらいの美味しい焼き菓子。新しい風を歓迎しない町に入り込むには少々強引な姿に、商店街一の古株である古澤の眉間に皺が寄っていき、今年役員を引き受けた高杉は『ハズレ年』だったなと溜息をついた。
何度かシャッターを開けて掃除をしていたのは見かけたが、開店前にあいさつ回りをすることも、入り口に花を飾ることもなく、いつの間にかひっそりと開店していた。以前の喫茶店の看板の上に木製の看板が張られているのに気が付いたのは開店から随分だってからだろう。
看板に書かれているのは『探し物見つけます』の文字。出入りをしている客は、制服を着た高校生から杖を突いた老人まで幅広いが、これまでこの商店街では見かけなかった顔ばかり。
『探し物みつけます』が店の名前なのだろうか、何を売る店なのか、もしかしたら探偵事務所のようなものなのか、商店街では新しい風の話で持ち切りだった。
「なぁ、高杉さん。あの店どう思うよ?」
「そうですねぇ。組合費はきちんと納めていますし、寄り合いにも参加はしていますし、今のところ特に問題はないですよ」
新参者を気に入らない古澤が隠すことなく舌打ちをする。でも、ここで古澤に同意してしまえば『高杉さんも言っていたんだけどな』などとアチコチで言いふらされるに決まっている。役員は一年ごとの持ち回り。何とか誰ともぶつかることなく無事に任期を終えたいと思う高杉は、出来るだけ新しい風にも古い風にも関わりたくはない。
「そういう事じゃなくってな、ちょっと礼儀知らずだとは思わねぇかい? 開店の挨拶もしねぇ、寄り合いに来た時だってすぐに帰っちまう。大体挨拶に持ってきたの焼き菓子だろう? 腹が立ったりはしないのかい?」
ひどい言いがかりだ。確かに高杉は洋菓子店だが、挨拶にくるのに商店街の物を買ってくる馬鹿もそうそういないだろう。商店街には薬局もあれば手芸屋、雑貨屋もあるので挨拶に配る品を商店街では扱っていない商品にするにも無理がある。高杉の店は、年配者でも食べやすいように甘さ控えめのプリンやババロアなどを多めに作っており、焼き菓子は少ない。たまに食べる高級店の焼き菓子は正直とても美味しかった。
狙っている年齢層が違うのだから作っている物も味も違うのは仕方がないし、勝負にならない事は高杉自身がはなから知っている。
「僕は気にならないですよ。むしろ美味しい焼き菓子で、勉強させてもらった気分です」
困った顔で笑う高杉に、いら立ちを見せた古澤が立ったままで貧乏ゆすりまで始めた。
「ああ、そうか。でもな、今年の役員はアンタなんだからしっかりここのしきたりってのを教えてやってくれよ」
『しきたり』なんてものがあったのか。そう言いたいのを堪えて、のらりくらりとかわそうとする高杉を、古澤は許さない。
「じゃぁ、今日これから行ってみてくれねぇか? まずは様子見ってことでよぉ。店はもう奥さん一人で大丈夫だろう?」
「は?」
何を言っているんだと顔をあげると、古澤は『頼んだよ』と笑ってすでに後ろを向いていた。
「ハズレ年だったなぁ」
溜息をつきながら店に戻れば、妻がショーケースの前でオロオロしている。古澤が来た時点で、なんの話かなんて高杉も妻も気づいていた。その上で、勝ち誇ったような古澤に、肩を落とした夫を見てなんとなく話の流れはわかったのだろう。
「ちょっと、様子を見てくるようにって。今から行ってくる」
「そう」
「手ぶらってわけにもいかないよな」
必死で溜息をこらえる夫の代わりに大きな溜息をついた妻が、一番人気のプリンと、いくつかのケーキを箱に詰めてくれた。
「行ってらっしゃい」
いつもよりも少し暗めの声を背中に聴きながら店をでる。
商店街は、十年以上前に作られたアーケードのおかげで雨に濡れることは無くなったが、代わりに空を見る事なくなった。商品も店も日に焼けないが、こんな気分の時に高い空を見上げることも出来ない。高杉はとぼとぼと商店街の外れ、かつてよく通った『喫茶 はな』に向かった。
カランカラン
以前から使われていたカウベルはそのまま残されており、店内にある猫足のソファーも時代に合わない低めのテーブルもそのまま。壁にかかる写真すらも以前の物がそのまま残されている。今にもカウンターから明るい声が聞こえてきそうだと思ったが、耳に届いたのは少し低い、落ち着いた声。
「いらっしゃい、ませ?」
どうして疑問形なのか、聞くまでもない。何を売っている店かわからないが、商店街の古株が自店のケーキを持って一人で現れれば、客ではない事は誰でもわかる。だが、遊びに来るほど親しくもない。悩んだ末、普通の客として招いてくれたのだろう。
「ああ、すまないね。客ではないんだ。一度ご挨拶をとね」
どうぞ、とケーキの入った箱をカウンターに置くと、背の高い彼女はにっこりと笑ってコーヒーメーカーのスイッチを入れた。
「コーヒーで良いですか?」
「はい」
コーヒーメーカーからコポコポと音がしたと思ったら、店にいい香りが広がり張り詰めていた高杉の身体も少し緩んだ気がする。この店の穏やかさは店主が変わっても継続しているらしい。
「どうぞ」
「ありがとう」
カウンターを挟んで立っている新しい店主は、おそらく高杉よりも背が高い。整った顔立ちに、鎖骨よりも少し長い艶やかな黒髪、とても癒しになるような見かけではないのに、醸し出す空気は穏やかだった。古澤の言う様な礼儀知らずには見えない。が、偵察を頼まれたのだから、なにも収穫がありません。では自分が古澤に睨まれるのは目に見えている。この商店街で、平穏無事にやっていこうと思ったら、古株の言うことは聞くに限る。
「ここは、何のお店? 喫茶店?」
「喫茶店ではないですねぇ。コーヒーも紅茶も、お客様には礼儀としてお出ししますがね」
店主はさも可笑しそうに笑う。 見た所メニュー表もないし、コーヒーはコーヒーメーカー。食器も、『喫茶はな』で使っていたのをそのまま利用しているようだ。違うだろうな、とは思いつつも他に何一つ浮かばなかったのだ。
「それでは、何を?」
高杉は、すでに古澤に頼まれたことよりも自分の好奇心の方が大きくなっていた。不思議な店主の不思議な店。何も売っている気配もないのに老若男女を問わずに客が訪れる。
「『探しもの屋』です」
「探しもの……。探偵のようなものかね?」
テレビで見たことがある。生き別れになった親子やら、脱走してしまったペット。はては昔売ってしまった家宝まで探しだす探偵が居た。だが、あれはドラマの話。実際には探偵なんて浮気調査ぐらいしかできないと聞いたこともある。
「探偵……。そうですね、近いかもしれません。失くしてしまって後悔しているものを探すお手伝いをしています。高杉さんもお困りの際は是非」
にっこりと笑い高杉の持参したケーキをほおばる店主。いつの間にかカウンターの隅では黄金色の瞳の黒猫がちょこんと座っていた。
「ああ、ルナ。カウンターの上はダメだったら。高杉さん猫はお嫌いですか?」
すみません、といいながらカウンターから猫を下ろそうとする店主を、高杉は慌てて止めた。
「いえ、いいんです。猫は好きですし、アレルギーもありません。ただ、あまり慣れていないので」
「そうですか。ルナは、貴方が気に入ったみたいです。次に来た時は、触ってみてくださいね」
「はぁ」
『次』があるのだろうかと思いながら黒猫を眺めていれば、カランカランとカウベルが鳴り、勢いよくドアが開いた。
「『探しもの屋』って、ここですか?」
額に汗をにじませている女子高生に、にっこりとカウンターを勧める店主。女子高生からの早く帰れという視線を感じ取った高杉は早々に退散した。結局、よく分からなかったというのが感想だが、それでも古澤に何も報告しないわけにはいかない。古澤の営む八百屋に顔を出せば、満面の笑みで出迎えられた。
「どうだったい? 生意気な女じゃなかったかい?」
「ううん。ちょっと変わった雰囲気はありましたけど。ただ、こういう商店街にはなれていないみたいだから、わからないのかもしれないですねぇ。悪い人じゃなさそうですよ」
「そうだろう、世間知らずなんだよ! 世間知らずのガキがこんな所で店なんて持つなら、やっぱり礼儀ってものがな」
自分に矛先が向くのは嫌だが、彼女を差し出すのもどうも寝覚めが悪そうだ。精一杯のフォローをしたつもりだが、古澤には中々意図は伝わらない。
「まぁ、今日はお客様がいらしたので退散してきました。また今度行ってみますよ」
嬉々として人を悪く言う年配者に付き合っていい事など何もない。高杉は早々に話を切り上げてその場を立ち去った。『探しもの屋』だなんて商売をどういったら古澤のような者にわかりやすく説明できるのだろう。自分の任期のときに変な事になってしまったと、持ち回りの役員制度を恨みながら高杉は甘い匂いのする自分の城に帰っていった。