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 「にーさんさ、そろそろこんなところに住むのやめなよ」

 食事を終えて、エルが何気ない風を装って言った。机に肘をついて、エンデレのいないところに視線を向けている。

 エンデレはそれを聞いて、ああ、また面倒くさいことを言ってきたなあと、感じた。


 時間は暗い夜の中、森にある小屋でのことだった。ランプが狭い小屋の中を照らし、静かな森の囁きが小屋の中に入ってくる。エルはときどきこうしてエンデレの住む小屋に泊まりにきて、同じ話題を上げてくる。

 「にーさんも人が嫌いとかなんとか、言ってる場合じゃないでしょ。いつまでもこうして暮らせるだなんて思ってないよね?」

 エルはイライラした様子で喋っている。こんなことは繰り言で、それをエンデレが頑なにずっと拒否し続けていることが業腹だった。

 「……まあまあ」

 エンデレはミルクを飲みつつ、どうやったらいつものようになあなあにできるかなあと考えていた。

 エルはこの森の近くにある街で暮らしている。エンデレと違って、街の人間と交流して、働いて、地に足がついた生活をしている。

 エンデレは働いていない。森の中で食べるものを採取し、その日暮らしでただ生きている。エルは、そんなエンデレが心配で、我慢がならなかった。

 「……まるで父さんみたいだよ」

 エルは少し思い切ったようにその発言をした。

 「……父さんみたいになっちゃうよ」

 「……別にいいだろ」

 エンデレはエルから目線を外しつつ、返した。

 エルはそんな煮え切らないエンデレを見て、増々イライラして、足を小刻みにパタパタと動かした。

 エンデレはその音から逃げるようにそっぽを向いた。

 「……ねえ、私鬱陶しい?」

 「……そんなことない」

 「ならこっち向いてよ。目を見て話して」

 エンデレはそろそろとエルを見て、エルが険しくエンデレをにらみつけていたので、また視線をそらして、口を潤すためにミルクをまた飲んだ。

 「ふーっ……」

 そんなエンデレの様子にエルは大きなため息を吐いた。最近よくため息をついていた。

 森の中の治安はあまり良くない。とても広い森で街から手の届く場所が割合少なく、だから近くの街からあぶれるような人間が好んでこの森に住み着くこともある。

 とても広いから、エンデレはそうした人間に出くわすことが少ないが、それでも少なくともまともな人間に推奨できるような住処ではなかった。

 エルは小さいころまでこの家に住んでいたが、街に出て住み込みで働き暮らすようになった。

 「……本当にあり得ない。人嫌い。偏屈。根暗」

 エルは低い声でエンデレの悪口を呟きだした。

 「……」

 「昔はよかったよね。にーさんもまともでさ、やんちゃな私をちゃんと叱ってくれたよね」

 この兄妹は子供のころはかなり仲が良かった。少なくともエルはエンデレを慕って、エンデレはエルのことを気にしていた。

 小さいころは、エルはお転婆の世渡り上手で、エンデレがエルの奇行を窘めることが多かった。幼い子供にありがちで、エルはエンデレに窘められることを期待して更なる奇行を行っていた節があった。甘えの行動であった。

 しかしエルはいつの間にかエンデレを追い抜いて、子供ながらに自分で金を稼げるほどにしたたかになっていった。飄々としながら街で上手く商売して、そうした金が家の財政を支えているようになっていたから、エルはとても優秀だった。

 「……にーさんってさ」

 ぽつりと、エルはそれだけ口にして、押し黙った。エンデレは続きの言葉を期待するでもなくまだミルクを飲んでいた。

 そのうちにエンデレのミルクが尽きて、お代わりを注ぎにエンデレは席を立った。

 ランプがジジジと音を立てて、少しの間だけ明暗を繰り返した。

 エルは、俯いていた。

 ミルクを満杯にして、席に座ろうとするエンデレに、エルはそっと呟く。

 「にーさんは、私の事嫌い?」

 エンデレは、座りかけの体勢のまま、エルのことをじっとみつめた。

 エルはまるで小さな子供のように、思いつめたような顔をして、さっきとは打って変わって、エンデレから目をそらしていた。

 エンデレは、椅子に座ってから、努めて優しく笑った。

 「そんなことないよ」

 「……嘘つき」

 「なんで嘘だと思うんだ?」

 「……お父さんが死んでから、どこかがおかしくなったんだよ」

 「関係ないよ」

 エルは、溜息をついた。

 重い空気が部屋に漂った。

 するとエンデレはそれを振り切るようにグイっとミルクを飲み干して、それを机にたたきつけた。

 「……よし」

 エンデレは何かを決意したような表情をした。

 エルはハッとしたようにエンデレを見た。何か言うのかとエンデレに期待した。

 エンデレは、エルを優しく見ながらそっと言った。

 「……用を足してくる」

 その線で逃げようとずっと決めていたのだった。

 

 「そ、それはないでしょ! ふ、ふ、ふざけんな! この、ばかにーさん!」

 エルが顔を真っ赤にして、声を震わせて叫んだ。

 「お、落ち着け。ほら、ミルクばっかり飲んでたから。だからほら」

 「に、にーさんは、アレでしょ! 私のことなんてどうでもいいんでしょ!」

 「そんなわけがないだろう。たった一人の妹じゃないか」

 「わ、私が死んだって、に、にーさんは、そうやってふざけるんだ! 悲しくなんてならないんだ!」

 「縁起でもないことを言うんじゃない。たった一人の」

 「うるっさい! うるさい! うるさああああああい!」

 肺の奥からすべての空気を絞り出すようにして叫んで、エルは、ぜえぜえと肩で息をした。机に手をついて、とてもしんどそうだった。

 エンデレはそれを少し心配そうに見ていた。

 「……」

 「……」

 「……今度さ」

 「え、あ、はい」

 エルがぼつりとつぶやく。

 「……山行くんだよね。遊びに」

 「……そ、そうか」

 だから何だと言いたくなったが、エンデレは黙った。

 エルはエンデレを上目づかいにじろりと睨んだ。

 「そこで、木に登ろうと思うんだよね」

 「……おう」

 「……」

 「……」

 「……」

 「……なんで?」

 「にーさんもどうかな? 童心に帰ってさ!」

 エルはいきなり両手を広げて、くるくると回り始めた。

 「だから何でだ?」

 「子供のころみたいに、でっかい木に登って見晴らしのいい景色に感動したいなあ!」

 「いや危ないだろ。子供じゃないんだからやめなさい」

 「心配? 私のこと心配なんでしょ?」

 エンデレは顔をしかめてエルを見た。エルは目が回ってふらつきながら机に寄りかかりながらも、エンデレをじっとりと睨んでいた。

 エンデレは、しばらく間をおいて溜息を吐いた。

 「……ほどほどにな」

 「……あそこにしようっと。あの丘の上の超どでかい木……」

 「……あの丘は、危険な獣が棲んでいるぞ」

 「分かってて言ってるんだけど?」

 エンデレは、さらに大きな溜息をついた。

 「……そこら辺の木でいいだろ。それで満足しなさい」

 「心配なら力づくで止めてみてよ! ほらほら! ほらぁ!」

 エルは両手を広げながらエンデレににじり寄ってきた。それをエンデレがいい加減にあしらう。

 「……もう馬鹿みたいだ。いいからやめとけ」

 「はーん!? 絶対登るからね!」

 「木にたどり着く前に丘の魔物に襲われて死ぬだけだ」

 「エーリ呼んで護衛してもらうし。エーリの魔法は何でもありだからね」

 「……確かにエーリの魔法は何でもありだが、こんなことで迷惑だろう?」

 「友達だから大丈夫だもん。大体友達と遊びに行くのに迷惑も何もないよ。にーさんは薄情だよね。幼いころからの私たちの親友でしょ?」

 「だからこそこんなことで迷惑かけるなと……まあいいや」

 「いいでしょ……」

 エルは、疲れたように長く息を吐いて、ちらりと今の時間を確認した。

 「……もうそろそろ寝ようか。ランプの燃料もそろそろ尽きそうだし」

 「そうだな」

 「私が登るのを見るだけでいいから、一緒に来てよね」

 「本当に行くのか……わかったよ」

 エンデレはやれやれとこぼしながらコップを片づけにいった。

 そんな後姿をエルはこっそりといつまでも睨んでいた。

 「……にーさん」


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