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前編

 光を落としたコクピットの中、計器類の発する色とりどりの光が、目まぐるしく瞬いている。


 特別あつらえの重力波検知装置が、不気味に警告音を上げ始める。さあ、これからが勝負だ。


 レーダーには、前方をすっ飛んでいくライバル船の光点が映っている。がっつきやがって。俺は片頬を歪め、声を出さずに嗤う。速ければいいってもんじゃないんだ。


 この宙域は、メイフと呼ばれている。冥府だ。つまり、あの世とやらにもっとも近い。浅ましい賞金レースのコースには、ぴったりのところだ。大小のブラックホールが群れをなし、あらゆる物質をその<事象の地平>の彼方に引き込もうとする。光すら脱出不可能な、重力の檻。もうどれくらいの船がその中に囚われたことだろう。


 だから、ここは本来なら航行禁止宙域だ。それが「注意」にとどまり、禁止にまで至らないのは、ひとえに、太陽系方面からリゾート惑星シャングリラへの近道に当たるからにほかならない。ありとあらゆる快楽を提供する楽園、シャングリラ──冥府を迂回すれば、その五倍の時間がかかる。


 そんな危険な宙域が、宇宙ヨットのレースコースに選ばれたのはなぜだろう?


 ──ふん。コクピットの狭い窓の向こうの闇を見ながら、俺は独り鼻を鳴らす。わかってるさ。人間は危険が好きなんだ。それも、自分じゃない誰かの、他人のな。スポーツの名の許に、昔からどれだけの命が危険にさらされてきただろう?


 古代ローマ時代、民衆は巨大なアリーナの中で行われる、奴隷と猛獣の死闘に熱狂したという。スポーツ観戦の、それが初めだ。このレースの模様も、銀河系の全惑星に配信されている。そして、シャングリラがその全配信権を握っているのだ。


 取材船が伴走するなんてことは、もちろん危なくてできやしない。だから、このレースに出場する高速宇宙ヨットには、船首にカメラを搭載することが義務付けられている。ヴィジスクリーンの前の視聴者は、それでリアルな臨場感を得ることができるという寸法だ。貪欲なブラックホールどもが、近くの星系から絶えず奪い続けているガスが全天に長く尾を引き、黒い宇宙をまるでレースのように美しく飾る。そのさまを星明りが照らし出し、言葉に尽くせぬほどの壮大な光景が見られる。


 これは天国と地獄レース。おきれいな正式名称はあるが、俺たち宇宙ヨット・レーサーはそう呼んでいる。レースの結果が文字通り天国と地獄に別れるから。


 勝てば天国だ。高額の賞金が手に入る。当然だ。命と引き換えの金なんだから。負ければ地獄──冥府に点在する、ブラックホールに吸い込まれる。決まった回数周回して、最後まで重力場に捉えられなかったヨットが勝利者だ。


 もちろん、重力場に捕まった船の救助活動は行われる。大部分は<事象の地平>のずっと手前で救助船に捕捉され、牽引ビームで引っ張られる。


 “ずっと手前”なのは、近すぎれば救助船までブラックホールの重力に捕まってしまうからだ。手前より向こうにすっ飛んだヨットは、だから見捨てられる。


 俺は、前後左右上下あらゆる角度から刻々と投げかけられる、大小のブラックホールの重力の強弱とその方位を計器から読み取り、なかば無意識に船を操りながら、光偏移感知器に眼をやった。後方で、赤方偏移を示す光がある。


 やりやがったな。俺は無感動に呟く。


 あれは、重力赤方偏移だ。後続のヨットが、コースを選び損ねてブラックホールに捕まった。光は、重力によって低い周波数に移行する。つまり、波長が長くなって赤方偏移を起こす。強い風に出会い、勢いを失う鳥の翼のように、光は速さを失うのだ。


 この偏移の強さからすると、船体は分解しただろう。よくあることだ。この宙域のように強力かつ複雑な重力の働くところでは、早く飛べば飛ぶほど船体にかかる応力が複雑に干渉しあい、分解しやすくなる。


 と思う間に、俺の前を飛んでいたヨットの光点に異変が起きた。つっと横滑りするようにレーザーレンジから消える。そして光偏移感知器に、新たな赤方変移が感知された。<悪魔の尻尾>にやられたな。俺は息づまる緊張の中、転針するタイミングを計りながら頭のどこかで考える。レーダーに、救助船らしき光点がきらめき、消えた光を追うのが見えた。


 <悪魔の尻尾>は、極微のブラックホールだ。何光秒かのあいだで、振り子のように揺れ動いている。これだけのスピードで航行していると、重力波探知装置のモニターを流れる数値を見ているだけでは、尻尾の動きから逃げることはできない。ある種のカンのようなものが必要だ。そして、俺はそのカンには自信があった。


 今だ! 


 俺は危うく転針する。だが、目の前はいきなり<鬼火の淵>だ。再度急転針。そして機首を進行方向に戻す。最終ラップ。もう、俺の前を飛んでいるヨットはいなかった。これでもう焦る必要はない。そこそこの速度で、最後の周回を終える。


 前方に美しい星が見える。シャングリラ。速度を落としてその周囲を巡り、ウィニング・ランならぬ、ウィニング・フライ。


 点けっぱなしだった通信機から、興奮した実況アナウンサーの声がようやく耳に聞こえてくる。


 ──<黒い天使>、またまた優勝です! 圧倒的な強さ。今回のレース、参加ヨット五十機のうち、たった一機のみ、今、最終ラップを周回し終え、生還いたしました!


 カチリ。俺は通信機のスイッチを切った。


 そう、俺は<黒い天使>と呼ばれている。本名で呼ぶ人間など、もういない。初めてこのレースに参加するようになってからこのかた、俺は負けたことがないのだ。


 今回の優勝賞金、一億クレジット。それが俺のものとなった。俺は、声のない笑い声を上げる。喉だけがひくひくと動く。嬉しくも可笑しくもない。重力緩衝ベルトを引きはがし、シートに仰け反って、痙攣したように身体を引きつらせ、笑い続ける。


 誰もが俺を羨ましがる。灼けつくような、羨望と嫉妬の眼差し。だが、レース仲間の死の上に君臨する黒い翼の天使に、もはや近寄る者はいない。


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