正しい愛し方なんて知らない
私にとって貴方は劣等感の塊だった。
貴方の双子の片割れとして産まれ、共に生きてきた日々は愛しいと感じる前に苦痛でしかなくて。貴方は私にとって、憎い存在でしかなかった。
先に産声を上げたのは私。後に産声を上げたのは貴方。たった一秒の違いで私は努力して知識を掴む力を得て、貴方は努力せずとも知識を掴む力を得た。
その結果、私が努力して掴んだ百点という大きな結果は、貴方の一度で取った百点の陰に隠れて見えなくなる。
運動だってそう。一等を取る為に積んだ練習なんて貴方の力の前では無意味。私はどれだけ頑張っても貴方の陰にしかならない。
私が一つ成果を上げればあの子は既に一つ成果を上げていて、 あの子が一つ何かを褒められる度に私は一つ何かを貶された。
褒めてほしい。認めてほしい。必要としてほしい。愛してほしい。
そう思っていただけの幼い日々は、差し出した努力の証と精一杯の愛は、受け止めてもらえる事も無く大地へと叩き落された。
粉々に砕け散ってしまえば掻き集めて、もう一度形を整えて差し出した。まだ大丈夫。きっともう一度、今度こそ頑張って期待通りの結果を出せば、私の欲しい物を与えてくれる。
信じた末路は変わらない。何度も叩き落されて砕かれる。差し出す両手はいつの間にか垂れさがって持ち上がらない。砕けた心の破片は既に塵の山。修復なんて、最初から不可能だった。修復できたとしても、それが元通りになるという事は無い。
私の心は、もう、戻りはしないのだと――気付いた時には遅すぎた。
泣く事を忘れた。笑う事が出来なくなった。生きる意味を無くした。努力の必要性を、失った。
傷ついたという事が、もう、分からない。そんな風にしたのは、その切っ掛けを作ったのは、貴方。貴方がいなければ、私はもっとちゃんと、誰からも必要とされて人間として生きられたかもしれないのに。
今の私は、ただの抜け殻。貴方の陰に置き去りにされた、貴方の抜け殻。
でも、そんな抜け殻を貴方は掬いあげた。手を差し伸べて、私が欲した物を全て与えてくれた。
認めてほしいと叫んだら、
「大丈夫、僕はずっと君を見てるから」
褒めてほしいと望んだら、
「いつもずっと頑張ってたよね。偉い偉い」
必要としてほしいと願ったら、
「君がいなくちゃ、僕は寂しくて死んじゃうよ。だから、傍にいて?」
愛してほしいと縋ったら、
「愛してる。君だけを、ずっと愛してるよ――姉さん」
掬いあげられた掌の中、甘やかな毒に浸された私は皮肉にも救いを得たのだ。
けれどそれは本当の意味での救いじゃなかった。私にとって憎くて憎くて仕方ない貴方に、繋がりを解けない双子という名の弟に、劣等感しか見出せないままの救いなど、結局は私の心を更に砕くけだった。
それでも毒に慣れてしまえばその毒の甘美さに酔いしれて、他のものを口に出来なくなる。禁断症状に苦しんでしまう程に、私は貴方の毒を愛してしまった。
過ちだと、犯してはならない罪だと、禁断の領域だと、叫ぶ心は私の中から消えていた。いや、最初から無かったのだろう。
心なんてとうの昔に砕けて消えていたのだから。
溺れるように貪った。その毒を与えてくれるのが例え憎い貴方であったとしても。欲していた私は与えられるままに望んで、求めて、呑み干して――いつの間にか、それを摂取しないと生きられなくなっていた。
貴方の与える救いは甘過ぎる中毒性を秘めていて、私のなけなしの心を砕きながらも生きる為に本能が求めて止まないのだ。
あぁ、本当に皮肉な話だ。貴方だけが私を認めてくれる。貴方だけが私を褒めてくれる。貴方だけが私を必要としてくれる。貴方だけが私を愛してくれる。
貴方だけが――貴方だけが、その手を差し伸べてくれる。
伸ばされたその手が私を掬いあげる度に軋む心臓はもう、痛みを感じない。憎いと訴えた感情すら、冷たく凍ってしまって何も語らない。
それでも、貴方は私にとって永遠の劣等感の塊なのだ。
貴方が私を掬いあげ、掬う度、私の中に宿る貴方に対する劣等感は産声を上げる。眠りについた憎しみすら一時の目覚めで絶叫を上げる。
どうして私はこんなに貴方を憎んでいるのに、貴方の手に縋らなければ生きられないのだろう?
こんな生き方、本当は正しくないって知ってる。何処かで止めなきゃいけない事も分かってる。だけど、止めてしまえば私は生きられない。生きていく自信が、無い。
長年飢えた本能は今だけの現実しか見つめられないのだ。貴方が与える救いこそが真実と、それ以外を見ようとしない。そして貴方も、それ以外を見せようとしない。
そうやって私を掬いあげては救ったフリをして見下しているんでしょう? 私の滑稽な姿を見て、嘲笑っているんでしょう?
あぁ、憎い。憎くて、憎くて、大嫌いだ!!
どうして貴方が私の片割れなの? どうして私は貴方の片割れなの?
双子として産まれて、私はいつだって貴方の陰にしかなれなかった。貴方はいつだって私の光――いいえ、最初からずっと、貴方は光だった。私だけの、光じゃない。貴方だけの光だった。
でも私は違う。私は貴方だけの陰。私だけの陰になる事は許されず、光になることすら出来はなしないのだと叩き潰される。
私は貴方じゃない!! そう叫ぶことすら許されない。許してくれない。なら私は何なの? 貴方の陰である私は、一体誰なの?
貴方という存在にすらなれない、私は一体誰なの!?
双子というだけで比べられる。出来のいい弟、出来の悪い姉。いつだって優遇されるのは出来のいい弟で、出来の悪い姉は見て見ぬフリか、存在そのものを知らんぷり。
傷ついた、だなんて言えない。もう、その傷跡すら見えないから。そもそも、傷跡なんてあったのかどうかすら、分からないのだ。
だって、心という形が私の中から消えてしまっているのだから。
砕けて塵になった心は新たな心を産み出すけれど、それすら形が見えないまま。心という名前を背負っているだけの、ただの、塊。まるで私のようね。そう思ったら、少しだけ哀せる気がした。
でも、愛せる気はしないの。だって、私は愛なんて知らないもの。欲しても与えられない愛なんて、知らないの。
貴方が与えてくれる愛は知っていても、それが正しい愛だなんて思わない。思えない。
貴方は私を愛しているというけれど、それは正しい愛し方じゃない。
本当に正しく私を愛してくれるのなら、私を掬いあげて、そのまま、私の手を離してくれることこそが、愛なのだ。
これはただの依存。麻薬依存症にも似た、中毒患者の求める毒なのだ。
滑稽な皮肉が私を掬った。掬いあげられた私はようやく息を手に入れて、掬いあげた主を知っては絶望する。
憎らしい、憎悪の塊をぶつける相手であり、劣等感の塊でもある貴方がくれた救いこそが、私を生かした毒であっても、それを認めるわけにはいかないの。
受け入れて、溺れてしまったあとでは言い訳にもならないと知っている。でも、過ちを犯した私だからこそ、もう、終わりにしなければいけないと分かっているから。
もうこれ以上、私は貴方の毒はいらない。いらないのよ。
「だから、もう、私を愛さないで」
しゃがみこんだまま切々と語る私の声は、貴方に届いたかな?
聞く耳を持たないと首を横に振る姿なんて見たくないから、私は俯いたまま。
貴方の答えなんて待つつもりはない。でも、立ち上がる事も出来ないから、どうか、貴方から私の元を去って。消えていなくなって。
どうか、私を本当に愛しているというのなら、どうか――あぁ、どうか、私に愛しいだけのさよならを、ください。