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その5 うらはらな道を探して



 試験結果は桧山先生にも話したとおり、結果のよかったのもあれば悪い科目もあった。英語国語はそれなりに恥をかかずに済んだけれども、理科の公式使う奴で結構しくじった。たぶん順位はガタガタだろう。

「立村くん、数学は?」

 かなりご機嫌よろしい美里に尋ねられ、上総はうなづいた。

「うん、もともと数学は計算に入れてないからさ」

 ちなみに数学の答案には、狩野先生が丁寧に模範回答を書き込んでくれていた。次回の期末テストでは、それを丸ごと暗記して答案に……あっているか間違っているかはともかく……書き込めば、合格点はもらえるはずだ。もっとも他の奴に話すといんちきやっていると思われるのが関の山。美里にも内緒にしてある。

 コートをしっかと着込んだ美里が、三回上総の机を覗き込んだ。なに意味しているかはわかる。自分の茶色いコートをカバンの上に置いて、上総は両手を合わせた。

「ごめん、清坂氏、今日これから呼び出しかかったんだ」

「あれ、本条先輩に?」

「違うよ、先生関係」

 ああ、と納得している様子の美里。追試と勘違いしているんだろう。

「なんか悪いことしたの?」

「してないよ。たぶんだけど」

 詳しい話をするわけにもいかず、上総はもう一度目で合図して、教室を出た。


 生徒相談室にまっすぐ行くのもなんかいやで、上総は図書室で時間をつぶした。一日ずれた一年実力試験。一年生達もようやく解放されたとあって、はしゃぎまくっている。中には小さいボールを投げつけて遊ぼうとする輩もいたりして、図書局員たちは気ぜわしい。

 ──本当だったら評議委員会もあるはずなんだけどな。

 ──そろそろシナリオも作らなくちゃな。

 まだ半分、手をつけた程度の「奇岩城」をぱらぱらめくった。子供向けの本からそのままセリフを抜き出せばいいのだから楽だけど。

 ──まあ、ホームズのセリフと出番をどうやって減らすかが問題なんだよ。

 生徒相談室には、三時半前後に行けばいいだろう。


 コートをもう一度抱えなおし、扉を開いた。

 一礼しようとして、びくんと体がこわばった。

 新井林健吾が桧山先生の脇で、一文字の視線を投げつけてきたからだった。  膝をおっぴらいている。見下したようなまなざしだった。すぐにそらしてくれたのでようやく声が出た。

「桧山先生、この前お話で伺ったものをいただきに参りました」

 鼓動に惑わされないように、あらためてもう一人、確認した。扉のそば、桧山先生とガラステーブルを縦に挟んで向かい合うかっこうで、杉本梨南が座っていた。目が合った。一瞬だけど膝の力が少し抜けた。

「ああ、ちょうどいいところに来てくれたね、立村くん。悪いんだけどな、ちょうど君の後輩ふたりの意見を聞いてもらう時間があるかな。俺の卒論はここにあるよ。時間あるだろ? 君は部活に入っていなかったはずだよな」

 昨日とは打って変わって、よそ行きの口調だった。  わざと親しげな様子を演出しているような。

 扉側の長いソファーが空いている。桧山先生の視線は、いかにもそこに座ってくれといわんばかり。なんどもあごで促す。

「僕がいていいんですか。真面目な話し合いをされているんじゃ」

「杉本、立村くんがいた方がいいだろ?」

 一切上総には視線を向けず、杉本は桧山先生を見据えたままだった。

 代わりに新井林がぐいと上総へ鼻の穴を膨らませるようにして、

「俺はやだね」

 できるだけ新井林とは距離をおいておきたかった。上総が腰をおろすと同時に、ソファーの反対端で踏ん反りがえっている新井林が腰を付け直していた。やわらかいゴムボールのような弾力が、こちらに流れてくるようだった。追い込まれてしまいそうだった。

「新井林、日本語がわかる人がある程度いないとまずいだろ」

 巨大なゴムボールを抱かされたような気持ちで、上総はさとった。

 ──つるし上げなのかよ。


 改めてコートで新井林との間を取り、上総は杉本に話し掛けた。向こうふたりが余裕ありげなのに、なぜか空気が煮詰まってる。

「杉本、どうした、何があったんだ」

「わかりません。いきなり呼び出されました。いつものことです。話し合いさせようとしているみたいです」

 あいかわらず口調はたいら、感情は奥にて微々と震えているだけ。

「それより、立村先輩」

 わずかに上総へ、やわらかい響きが伝わった。杉本の手は、しっかりと握られていた。

「先輩も、新井林と一緒にたぶらかされようとしているんです。安心してください。私があいつらから先輩をお守りします」

 にこりともせず、それでも杉本はささやいた。


 いきなり新井林が立ち上がった。

 上総と杉本の位置を斜め上から見下ろすように、ミサイル攻撃するように。

「これを見ろ」

 用意してあったのだろう。二冊の小冊子らしきものを取り出した。

 見覚えある。よく写真を現像した後、おまけにもらえるような薄いアルバムだった。

 テーブルに叩きつけ、かがみこみ、上総の方まで一気に滑らせた。

 白地と黒地、それぞれ無地だ。

 まずは杉本に渡した。一ページ、黒地をめくり、すぐに閉じた。

「新井林が撮った写真を見るのに何の意味があるのですか」

「よく見比べてみろ。一冊目は小学校時代、二冊目は中学時代。中学のものはみな、俺が撮ったものだ」

「変態、悪趣味だわ」

 杉本の視線はまっすぐだった。

「ああ、惚れた女の写真を撮るのが変態のすることならそう言えばいいさ。だがな、小学校の時と中学の時とどのくらい差があるかを見てみろ。表情ひとつひとつをよっく眺めてみろよ」

 口を開きかけふたたび毒を浴びせようとしたのだろう。じろんとにらみつけ閉ざしたのは桧山先生だった。 「悪いが、先に俺が見ていいか。愛のカメラマン新井林の腕をとくと拝見したい」

「別に、いいっすよ」

 ふっと口元で息をつき、杉本は二冊まとめて上総に渡した。触るのも汚らわしい、いいたげに軽く、手をハンカチでぬぐっていた。その手がこわばっていたのも上総は見た。

 桧山先生に渡そうとし、新井林の膝を丁度掠める形となった。目を合わせず、背中を向けるように努力した。

 腕から心臓が熱い。全身けばたちそう。

 うつむいたまま渡し、自分の座っていたところへ腰をおろした時、耳に心臓の音が鳴り響いた。

 ──さっさと卒論もらって帰ろうかな。

 ついでに黒い表紙の卒論に手をのばしてみた。新井林にもっと近付かないと無理だった。まだどくどくいっていて、今すぐ手にするのは無理だった。


 桧山先生はじっくりとページをめくり続けていた。ところどころ、吹きだしたりしている。微笑ましい写真なんだろう。

 たぶん話の内容からすると、佐賀はるみと杉本梨南の写真関連なのだろう。

「佐賀もこういう顔、するんだなあ」

「幼稚園の頃、ずっとそうだった」

 短い言葉だけど、新井林の声はかすれ、和らいでいた。

「愛が詰まっている第一冊目を置いて、さて二冊目か。うーん、雰囲気ががらっと変わるな」

「どう思う、先生」

「暗いなあ。雰囲気がこわばっているというか」 

「先生も、そう思うか」

「この差はいったいなんだってことだな、新井林」

「そういうことだ。じゃあ続けるぜ」

 ──なに続けるっていうんだよ。

 杉本の様子をうかがいつつ、上総は横目で桧山先生、新井林との様子を探った。

  「この写真の違いはどこだ、答えられるかよ」

 二冊の写真を見開き、新井林が突きつけた。

 あらためて上総は中身をしっかと見ることができた。

 

 一冊目はセーター、トレーナー、ブラウス姿の女子たちが躍っていた。

 二冊目は青大附中の制服を着たひとりの女子だらけ。髪の毛を耳の上でふたつに結わえ、くるりと丸めて中華娘風にあしらっている。

 まぎれもなく、佐賀はるみだった。


「違う写真に決まってるじゃないの」

 あいかわらず棒読みの杉本。

 かすかにまぶたの揺れが垣間見れた。はたして新井林は気付いているのだろうか。  自分の手が脇のコートのボタンをいじっているのに上総は気付いた。

「両方とも佐賀の写真だ」

「下品ね、男の本能丸出しで品がないわ」

「ああ、俺はもともと下品だ。どこかの誰かとは違って、上品ぶってにこりともしない写真ばかり残したりはしないんだ。ちゃんと見るべきものを見て、力の抜けた写真だけ、この中には入ってるんだ。良く見ろ」

 ふだん着バージョンの写真をつついた。

 「たぶんそばにはお前がいるんだろうな。杉本、いつも言ってたな。佐賀に向かって『写真を撮る時笑うと下品な人間になってしまうから、きちんと口を閉じて、正面を見なさい』ってな。菊乃先生あとで大笑いしてたぜ。写真は笑顔で撮ったものが最高なのに、お前みたいなのは非常に損してるってな」

 動かない杉本。喉の奥が震えているのに本人も気付いていないのか。ひたすら上総が指を袖口をまさぐりつづけているだけだった。動悸が激しい。喉が詰まる。どうしてか、自分でもわからない。目の前の桧山先生が落ち着いたまま三人を見つめているのとは違う。ああなりたくて、何度も上総は何かをつかもうとした。

「結婚するまえに子どもを作った人に言われたくないわ」

「じゃあ聞くが杉本、お前これだけ人に好きになってもらったことあるのかよ。佐賀や菊乃先生のように、自分が好きな相手に好きだって言われたこと、本当にあるのかよ。親以外に、惚れられたこと、あるのかよ」

 ──新井林、お前、まさか。

 杉本梨南をあらためて、上総は瞳から喉から口から、すべてを見つめた。

 かすかだけど、揺れた瞳の奥を、新井林も読み取ってるとするならば。

 上総の感情センサーが壊れていないとするならば。

 ──新井林、お前、知ってて、知ってて、言ってるのかよ!


「ばかじゃないの。よく恥ずかしくもなく言えるものね。下品な人間と話すと口が汚れるわ」

「かわいそうに、誰にも好きになってもらわないで、お前は生きていけるってわけか。佐賀のように笑顔でいられるってわけか。言っとくがな、他の女子はお前のことを好きでもなんでもないんだぞ。ただ変わった動物を見てよろこんでいるだけだって、菊乃先生も言ってたぞ」

 なぜ、桧山先生がこの会話を続けさせているのかわからない。何度も瞬きが増えているのを言葉が揺れているのを、大人なら気付かないことないだろう、そう叫びたかった。上総だけではない、見抜いているのが新井林だとしたら。

「恥を知らない人間と話す必要はないわ。先生、こんなくだらないことで呼び出したわけですか」

「新井林、続けろ」

 上総が止め方を見つけられずにいる間、新井林は両方の瞳に毒をいっぱい貯め、発射した。

 

「いいか、佐賀はな小学校時代、いつもこんな顔をしてたんだ。俺は何かがおかしいと思ってた。まあ何もしなかった俺が悪いとはわかってるさ。お前が佐賀を守ってやっていたふりをして、こき使っていたことを見逃していたさ。傍観していた俺も犯罪者だ。卒業してお前から離れるようになって初めて、佐賀は俺を見て笑うようになったんだ。お前と話をしなくなったとたんにだ」

「あんたがはるみにのめりこんでいるのはわかったわ。でもそれと私と関係ないわ」

「俺はただ、佐賀の笑顔を守りたい、それだけだ。佐賀がおびえる何者かをおっぱらいたい、それだけだ。だから他の女子連中については許してやった。お前が佐賀を傷つけさえしなければ、俺は何一つ手出しはしねえ。勝手に来年評議委員長になっていただいてけっこうだ。だがな、一年B組現在の状況はなんだ? 佐賀はクラスの馬鹿女子たちからシカトされ、馬鹿女子たちはお前の言いなりだ。あそこは魔女の巣窟だ」

「私は何もしていない。新井林が勝手に捏造してるだけよ」

 新井林は前かがみになり、唇をゆがめた。

「ああ、そうさ。俺が佐賀にべたべたしすぎるからだって言うな。だがな、もし俺が他の奴みたく、遠くから見ているだけだったらお前が何しでかすかは想像がつく。また佐賀を自分の手下のようにこき使って、写真を撮る時は口をゆがめて人をにらみつけるような顔をさせる。下品だ、馬鹿だ、馬鹿男子と付き合うなんて最低だ、とさんざんわめき散らされる。冗談じゃねえ」

 答える杉本の背筋は伸びたまま。凍っている。

「はるみが私を裏切ったから無視しているだけなのに、何か文句があるの」

「裏切った、かよ。たまったもんじゃねえな。俺はただ、佐賀と付き合いたかっただけだ。しゃべりたかっただけだ。それだけできればあとは十分だ。お前には関係ないだろ。クラスの女子たちに無視させることはないだろ」

「無視させてなんていないわ。みな私に賛成してくれているだけよ。あれだけかばってあげたのに最後の最後に私を裏切って、傷つけて、失礼なことをしたはるみに対しては当然じゃないの」

「かばってあげた、かよ。かばうなんて言葉は大嘘だ。佐賀はずっとおびえていたってことがこの写真で判明しただろ。お前は親を使って菊乃先生をつぶそうとしたり、俺の友だちをふたり、街から追い出したりやりたい放題してたよな。ああ、死んだ猫を三匹お前の家に投げ込んだのは確かに悪かったさ。けどな猫と人間の家とどちらが大切なんだよ。仕事取り上げて追い出すってほど許しがたいことか」

「当然の報いよ。馬鹿な人間に対する正義の鉄拳よ。気付かないでいる人たちがばかなのよ。鵜呑みにしている新井林、あんたが一番馬鹿なのよ」

「そういう馬鹿な相手をどうしてお前は追い掛け回してたんだ?」

 

 とうとう、新井林の表情にはかすかに笑みが浮かんだ。続けた。

「周りは言うな、俺にお前がほれていたから、くっついている佐賀を引き離そうとしたとかなんとかな。悪いが俺は、女の振り方は十分マスターしてるぜ。佐賀以外の女子からつきあいかけられたらきちんと、俺なりの礼儀でもってごめんっていうな。ああ、それが普通だ。つきあえねえけど人間嫌いじゃねえってことだ。だがな杉本、お前のことだけは顔を見た時からへどが出るほど嫌いだった。いいか、お前みたいな女に好かれるとしたら、俺は気が狂うほど気持ち悪かったんだ! うわさが立つだけでも耐えられねえんだ。まあそういうことはありえないと思うがな。それだけでも俺は神経がそそり立っていたんだ!」

「ちょっと顔が人間らしい造型しているからといって何を勘違いしているのかわからない。立村先輩よりもましなことがそんなに自慢したいことなのかしら」

「ああ、お前の好みの顔らしいな。だが俺はお前がこの世で一番憎い。殺してやりたいくらい憎い。抹殺してやりたいくらい憎い。佐賀をいじめる女が一番憎い」

 呪文のように、ゆっくりと。このやり方は、いつだったか本条先輩が教えてくれた技だ。

 ──徹底して嫌いな相手に、もう二度と希望がないというふうに教え込む、最後の手段だって。なんで新井林、そこまで知ってる?

「一生お前を好きになるようなことは、絶対にないだろう。世の中の男でまともな男は誰一人として」


 きっと桧山先生は、とことん杉本の自尊心を壊して、反省させようとしているに違いない。新井林のやり方を大目に見ているに違いない。

 止める気なんて、さらさらないだろう。

 杉本は一切反省している気配を見せないのだから。

 ──どうして杉本、ここで思いっきり泣いてしまわないんだよ。

 もう、杉本も、自分も、勝ち目はない。

 ──杉本が泣かないんだったら。

 次の瞬間、言葉と一緒に身体がふいと浮かんだ。

「新井林、もう止めてくれ!」


 新井林と上総との間に挟まったボールの弾力が、はじけたふうだった。

「なんだよ、あんたには関係ねえだろ」

 一度からだが浮かんだらあとは楽に動いた。コートの端を離し、一歩新井林に近付いた。

「頼む、もうやめてくれ」

 身体奥から、震えるものがある。

 上総は新井林を見据えた。目の前には跳ね飛ばそうとするだけの熱気が立っていた。潰されてはならない、でないと壊れる。

「もう、勝負はついているだろう」


 ──もう勝ち目はないんだ。

 杉本がどんなに暴れても叫んでも、新井林、桧山先生の「正義」には勝てない。

 一方的に攻め立てられ、追い詰められ、叩かれるだけだ。

 あの、声楽の彼女のように。音痴の性格のいい女子を罵ったという罪で、一切の存在を無視しつづけた桧山先生のクラスメートのように。もしかしたら声楽の彼女は寂しい思いのあまりぶつけてしまったのかもしれない。もしかしたら彼女なりのコミュニケーションを取ろうとしてきたのかもしれない。でも、許せないことは許せない。  それは上総が、小学校時代いやと言うほど感じ、ぶつけられてきたことだったから。

 ──杉本がどんなに叫んでも、善意なんだって言ったって、無理なんだ。だったら。


「俺も今まで杉本の話を聞いていただけだし、お前らがどういう繋がりでいろいろいがみあってきたのか一方的にしか知らない。実際見ていないから判断もできない。だが、新井林が恨みを持つ理由は理解できるつもりだ」

「口先だけでよく言うぜ」

「杉本が佐賀さんに対してしたことは、あきらかに悪いと思う。たぶん杉本は純粋に善意だったと俺は見ている。でもそう思えない人だっているのもわかっている。新井林、そういうことだろう?」

「善意であろうがなかろうが、佐賀が六年間ひでえ目にあってきたのだけは確かだ。あんた、もしこの女のしてきたことが善意で本当に佐賀を守るためだったとして、許すことができるかよ。なんとかのためだったら許されて当然だと思っているんだろうな。悪いがそんな甘ったれた料簡は通用しねえよ。傷ついたのは佐賀なんだ。この女がどんなに土下座したって佐賀の六年間は戻ってこねえんだ」

「だから杉本は制裁を受けてるだろう」

 

 今も、おそらくこれからも。杉本梨南は一年B組以外の連中からも制裁を与えられるだろう。

 目に見えるようだった。どんなに杉本が訴えても、佐賀にされた事がつらいと泣いても、親友を失った事が苦しいと叫んでも。

 新井林は桧山先生および、男子一同の「正義」を突きつけて、杉本を徹底して痛めつけるだろう。そして当然のこととみな思うことだろう。上総も、同じ立場だったらそう思ってるだろう。もし自分が佐賀はるみの立場だったら……。守ってくれる新井林に頼るかもしれない。本条先輩のような相手にすがり付いていた自分を思い返せばそれもわかる。

 でも、杉本はこれから、片思いしていた相手に徹底して嫌われ、親友だった相手に同情されるという屈辱を耐えなくてはならない。

 杉本梨南の視線が背中に張り付くのを感じつつ、上総は自分の口が巫女さんのように動くにまかせた。

「小学校時代のことは新井林、君の考えが正しいと思う。だけど、それと今杉本に言ったこととは別だろう。新井林が杉本を好きになれないのはわかった。でも、わかりきっていることをなんで今さらひっぱり出す必要があるんだ」

 いかにもうんざり、といった風に新井林は顔をしかめた。上総の方が一方的に喋りつづけるのに閉口したようだった。

「なあ桧山先生、なんでこいつなんかをつれてきたんだよ。学年違う相手をなんで」


 やっと桧山先生が間に入ってくれた。このままだと自分の方が壊れる寸前だった。上総は素直にふたたび、ソファーに腰掛けた。

「立村くん、ありがとう。新井林も座れ。やはり君は次期評議委員長だな。きちんと一方の意見だけを取り入れず、公正な立場で判断してくれているな」

 ──お世辞言うのもいい加減にしろよな。

 吐き捨てたいのをこらえた。新井林も同じらしく、顔を思いっきりしかめた。

「なんでこいつなんかにありがとうだなんて言うんだよ」

「いやな、今日は新井林とふたりで杉本に、一年B組の現状について理解してもらうつもりだったんだがな。たぶん杉本には理解できない言葉の羅列ではないかと思ってなあ。一番杉本が信頼している立村くんと一緒だったら、きっと杉本も少しは理解しようと努力してくれるんでないかと、期待していたわけだ。本当の目的は立村くんに俺の卒論を読んでもらいたかった、それだけだがな」

 目が全開、壊れる寸前の杉本へ話し掛けた。やはり芝居がかっていた。酔っぱらっているように見えた。

「杉本、新井林の言い分は言い過ぎだったかもしれない。小学校時代のことについては今更何も言わない。だが新井林の言うとおり佐賀が苦しんできたことも事実だ。佐賀が杉本によって『いじめ』られていることも立村くんを始め全ての人が認めているのも確かだ。いいかげんここで、自分の非を認めることはできないか? 自分が何をしてきたか、これだけ話しても理解できないか?」

 杉本は信じられないといった風に唇を軽く曲げた。もう一度にらみつけた。

「ばかばかしい。理解するもなにも、新井林の一方的な話を聞かされているだけです。こんなくだらないことに付き合わされる暇があったら、家で勉強します」

 立ち上がり、コートを抱えた。最後に上総を一瞥した。

「立村先輩、新井林と私との勝負はまだついてません。勘違いしたこと言わないでください」

 ──違うって、だからさ、杉本。

 言葉が出ない。もっと別に言う事があるはずだった。

 慇懃に礼をした後、もう一度上総をにらみつけ、出て行った。桧山先生を見据えていたのと同じまなざしだった。


「すみません。明日、先生の卒論直接職員室に取りに行きます。今日は邪魔してすみませんでした」

 それからのことはあいまいだった。とにかくせせら笑っている様子の桧山先生、および軽蔑しきった風にすわり込んだ新井林に一礼し、廊下を走っていった。コートを忘れそうだった。あぶなかった。

「杉本、待て」

 階段の踊り場まで追いかけた。杉本はすでにコートを羽織り、襟元につけた銀のブローチを触れ立ち止まっていた。

「まだご用があるのですか」

「いや、あのさ」

 息が切れて、上手くでてこない。

「どうせ、私のことをばかにしている男子たちのおひとりだったということがわかりましたので」

「違うよ、杉本、そういうんじゃない」

 上総は「違う」という言葉に精一杯の力を込めた。

「俺が言いたいのは、あのままだったら杉本が追い出されてしまうから、ってことだよ」

「別にあんないかれたクラスにいたいとも思いませんが」

「違うよ、杉本」

 腕をつかもうとしたけど、触れる寸前で手を下ろした。

「俺は杉本の味方でいたいよ。でも、あのまま一年B組の村八分になったらどうする。桧山先生も、新井林も、そうしようとしたら簡単に手を下せるんだ。もう、勝ち目ないんだよ」

「お分かりにならないのですね。私は私の真実を通して」

 口を一文字にする杉本。でも揺れている。まだ見込みはある。上総は回り込んでもう一度早口に続けた。

「このまま杉本の真実を通してたら、新井林も佐賀さんも、お前のことを嫌いになる一方だって、わかってるだろ。杉本くらい頭いいんだったら、わかるだろ」

「別にそれは構いません。私もあのふたり嫌いですし」

「あのふたりも、みんな杉本のことお見通しなんだ」

 杉本の両腕をコート越しに押さえた。力が指先に伝わってくる。暖かい。

「今ならまだ間に合うよ。杉本。今から桧山先生のいるあの部屋に戻って、佐賀さんのことだけでも頭を下げてしまえばまるく収まるよ。もう無視なんてしない、ふつうの話するからって言うだけで済むんだよ」

「先輩、プライドお持ちでないんですね」

「俺にはそんなもん、とっくになくしてる。でないと、生きていけないんだよ」


 上総にはこれから何が起こるか、手に取るようにわかる。

 このまま桧山先生が杉本を、かの声楽の彼女のごとき立場に追い込むことも可能ならば。

 また新井林が、写真の枚数以上に想いを捧げている佐賀のために、どんな手も使うならば。

 そして佐賀はるみの本心がどこにあるのかも。

 杉本の感じていることはたぶん、上総と同じだ。本当だったら、同じにふるまいたかっただろう。夏休みの合宿で起こしたバス脱出事件のことだって、その後起こった貴史と美里とのいさかいだって、すべては自分が頭を下げたからなんとか二年D組にいられるようなもの。もし本音で杉本のようにぶつかっていたら。

 フィルターを通さない感情の持ち主である杉本を、どうしたら守れるのだろう。

 同じように戦って潰せるだけの力が欲しかった。

 でも、今の上総には頭を下げ、ただひれ伏し、涙を流すしかやりかたが見つからない。

 杉本をどうすれば、最悪の事態に追い込まないで済むのだろう。


 そしてもっと悪い事に。

 新井林、佐賀への未練がみなの前でそれは丸見えだ。

 気付いていないのは杉本本人だけなのだ。

 いつか、ふたりが頭を下げて杉本を受け入れてくれると、どこかで信じている。上総だってそう思っていた時期がある。

 でも、それができないと知ってからは必死にフィルターを探すよう努力しつづけていた。

 どうすればいいのか今でもわからない。

 上総は振り切った。頭を一振りして、杉本を見上げた。杉本の両腕を押さえたままだった。


「杉本、どんなに待ったって、新井林は杉本のことを好きになってくれやしないんだ。どんなに佐賀さんを無視したって、佐賀さんは新井林と別れたりしないんだ。杉本の方であらためて、あいさつだけでもいいからしてくださいとか、もう一度佐賀さんと友だちにしてくださいとか、そういわない限り。そうしない限り、桧山先生は杉本をどんどん攻めていくだけなんだよ。まだ今なら間に合うよ。佐賀さんも、まだ杉本と友達でいたいって言ってくれているうちに。俺もついていく。だから、もう一度戻ろう」

「冗談言わないでください」

 声が上ずった。杉本の言葉がだんだん生身にはがれてきた。

「けど、そうしたら新井林だって許してくれるかもしれない。佐賀さんに害を及ぼさない奴だとわかったら、あいつ単純だから、大目に見てくれるよ。佐賀さんだって、かばってくれるよ」

「なんであいつらに頭を下げさせようとするのですか。異様に立村先輩ははるみをかばってますよね。ああいうタイプをばかな男子は好むと聞いてましたが、立村先輩もばか男子のひとりだったのですね」

 

 もうだめだ。

 両手が杉本の腕から滑り落ちた。

 上総は喉からこみ上げるものをこらえながら、最後の言葉を吐き出した。


「俺がもし、佐賀さんの立場だったとしたら、たぶん杉本のことを許せなかったと思うからだ。新井林の立場だったら、きっと同じことをしてたと思う。でも、佐賀さんは杉本を許そうとしてくれてるんだ。それだけは俺と違う。俺なんかより、まだ救いがあるんだよ」


 杉本梨南は背を向けた。階段を下りていく杉本を見送り、上総は杉本の言い残した言葉を反芻していた。

 ──立村先輩もばか男子のひとりだったのですね。

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