その12 か細い悲鳴がつんざく
「奇岩城」準備は着々と進んでいた。冬休み年内には台本を一年生に送りつけることができるだろう。正月三が日空けてから一度、準備として集合をかけてみようか。もちろん一年を集めて、という前提で。
上総の計画は予定通り消化されていた。終業式までの一週間、ほとんど授業はおなざりに進んでいた。菱本先生もあきらめているのかご自分も嬉しいのか知らんが、ひたすらクリスマスの予定について語りつづけている。毎度毎度の長たらしいお説教である。
「いいか、お前ら。クリスマスを前に浮き足立ってるんじゃないぞ。ちゃんと今年のうちに真面目に勉強しておいて、正月休みをしっかり取る。日本のお正月を楽しんで、それから改めて三学期へターボをかける。だから今からちゃんと宿題を片付けるよう、準備しとけよ。まあなあ、俺がお前らくらいの時は、人のこと言えなかったがな。おい、羽飛」
貴史が「ほおい」と手を挙げて立ち上がった。
「お前、クリスマスはどうするんだ?」
「うちでケーキ食って、それから友だちのとこで雪合戦」
小さく「雪合戦なんてださすぎ」との声。女子だ。
「ほお、雪合戦か。清坂とか?」
「あ、誘ってねえや。美里、お前も入るか?」
いきなり誘われて驚くと思いきや、美里は意外と冷静だった。
「やめときます。だって、貴史……羽飛くんは本気で雪球固めて投げるんだから怪我したらしゃれになりません。先生、知ってますか。雪玉を水でぬらして堅くするんですよ! 凶器だと思いませんか」
「いいじゃねえか、お前だって去年やったろ」
「うるさいわね! 男子連中がそうするから仕方なく」
笑い声響き渡る。その陰に「なあに、男とべったりしたがってるんだろうね。やらしい」と、女子の一声が混じっていたのを聞き取っていた。
──クリスマスか。
あれから南雲には、「彼女もちのクリスマスについて」のレクチャーを受けていなかった。きっと奈良岡彰子がらみで胃が痛いのだろう。一緒に過ごせず落ち込んでいるのだろう。気兼ねしてしまう。
──クリスマスってプレゼント、用意するもんだよな。
美里の喜びそうなもの、想像してみたが今ひとつぴんとこない。
素直に隣りの古川こずえにリサーチをかけた方がいいのかもしれない。
──だめだ。一発でばれちゃうよな。
口の軽さは確認ずみ。同じく貴史にも言えること。下手なことは口走らないほうがよさそうだ。仕方ない。自分でなにか考えよう。とりあえずは大人に聞いてみたほうがよさそうだ。
──「付き合い相手」だから、ただの友だちよりも、レベル高いものでないとまずいんだよな。今月は小遣いに余裕があるし。調べてみよう。とりあえず明日にでも、「おちうど」のおばさんに聞いてみようかな。
「羽飛、清坂、ほんっと仲いいなあ。ふたりっきりでデートなんかしないのか?」
「するわけねえだろ、先生。だってさこいつにはこれがいるだろ?」
「うるさいってば!」
また爆笑。
──俺の方をじろじろ見るなよな。
貴史と目が合い、不機嫌にそらした。どうせ周りからは、
「それにしても立村くんなんかとどうして付き合ったんだろうね、美里」
声が響いてくるのが見え見えだからだ。
四時間目の鐘が鳴った。
終業式までの三日間は午前授業が続く。遊び放題。宿題も出ているけれども知ったことじゃない。
「じゃあ、いちゃつく奴は手加減しとけよ。おい、立村、お前もいろいろ大変だろうが、がんばれよ」
──あんたに言われたかあねえよ。
毒づくのは条件反射。心の中に納め、他の連中に挨拶して教室を出た。これからしばらくは評議委員としてのの仕事から解放される。本条先輩と顔を合わせないでもすむ。
扉を開けっ放しにしたまま窓際でコートを着ていると、うっすらと石鹸っぽい匂いが漂ってきた。冷たい空気には似合わない、あたたかい薫りだった。
振り返ると、真っ赤な唇を震わせながら駆け寄る気配がした。
「あれ、花森さん」
一年の花森なつめがずるずるのコートをひきずりながら上総の腕を掴んだ。
「立村先輩、ちょっと聞いてよ!」
今日の爪色は深紅。ちゃんと伸ばしている。両手を握りしめている。赤がちらつく。あいかわらず校則違反の常連だ。いつもならからかってやるのだが、いやな予感あり。廊下の窓辺に呼び寄せ、小さな声で尋ねた。
「どうした」
「杉本さんのこと、聞いてないでしょ。先輩」
「杉本がどうかしたのか?」
「あの馬鹿野郎にひとりで吊るし上げられてるのよ! なんでなの?」
──杉本が吊るし上げられているってかよ。
動揺を隠し切れていないのが自分でもわかる。声が上ずった。
「あの馬鹿野郎って誰だ。また新井林か」
「あいつもそうだけど、桧山よ桧山。何考えてるんだか。ぶっ殺してやりたい!」
「落ち着いて最初から話してくれないか。それと、杉本のことで何があったかをさ」
目が潤んできていた。花森の顔には頬の所に人工的な赤い線がひかれていた。近くでみると露骨に見える。でもそこをこすりながら、今にもこぼれそうな涙を押えている。化粧が落ちる、というよりも濡れてはがれていく。
「桧山の奴が、杉本さんをいじめの首謀者だと決め付けてさんざん馬鹿にした挙句、評議委員から来年下ろすって言い出したのよ! 私、昨日学校に居なかったから何にも言ってやれなかったの」
うっと声を詰まらせ、真っ正面に顔を向けたまま。
両目からしたたるしたたる。
「花森さん、そうか」
ポケットから上総はティッシュを取り出し、そのまま丸ごと渡した。激しく被りを振って受け取らなかった。
「立村先輩、杉本さんを助けてあげてよ。先輩しかいないんだから。杉本さんはただ、佐賀さんに馬鹿にされたから怒っただけなんだよ。図に乗った他の女子が無視しただけで杉本さんにみんな押し付けるなんて。なによ、ひどい、ひどすぎるよ」
後からぞろぞろ出てきた二年D組の奴ら。視線がきつい。一瞥のみですぐ階段に向かうのが幸いだ。
「また立村くん、一年の女子といちゃついてるよね。清坂さんも早く別れちゃえばいいのにね」
またまた女子の悪口が耳に入る。言い返したくなったけれどもがまんした。
「花森さん、もう一度、分かる範囲内でいいからさ、教えてくれないかな」
しゃくりあげながらも、分かりやすく端的に花森は答えてくれた。
いつものように桧山先生は杉本に「佐賀はるみをいじめるのはよくないことだ」と指導したらしい。
「いじめられていると思い込んでいる自分の身を反省しろ」と叱りつけ、「いじめをする人間は評議委員としてふさわしくない」それゆえ「人間の心がよくわかるように保健委員を勤めよ」と命令したという。
──こんな早く手を回すなんてさ。
曇ったガラスを指でかき回し、一言上総は吐き捨てた。
「保健委員イコール人の心がわかるってのが、安易だよな」
「だよ、そうだよ! 先輩、許せないよ!」
たまたま花森は学校をさぼっていた。もしそこに居たのだったらためらうことなく、桧山先生に暴力一発ふるって退学してやっていただろうと言う。
「花森さんのためには、そこに居なくてよかったな」
「冗談じゃないわよ。それでさ、調子に乗って新井林と佐賀さんの陰険カップルがよけいなことし出したのよ!」
「新井林? 佐賀さんも?」
ふたりは打って変わっていきなり杉本をかばうような発言を繰り返したという。もちろん新井林が優しくなったわけではなく、単に今まで繰り返した「無視はするがいじめはしない」の延長上にある発言だったらしい。
「どういう風に?」
「来年の段階で杉本さんが反省したかどうかをクラスの男子全員で見極めて、審判下すって。もし、ごめんなさいって言うようだったらお情けで評議委員にしてやってもいいけど、もしその気がないようだったら無理やり保健委員やれって言うのよ。何様のつもりさ! あいつら人を裁けるって勘違いしてるよ! 桧山の奴、B組の女子を目の仇にしてるから。男子が馬鹿な女子をかばってやった、騎士道精神万歳だって勘違いしてるのよ。新井林が杉本さんを許してあげたって思い込んでるの。ほんとはこれでまた杉本さんを物笑いにしようと思ってるくせに! いっぱい苦しんでるのは杉本さんの方なんだよ、それなのに」
──そうか、新井林、情けかけてくれたのか。
花森の思い込みが実は反対だと説明することができなかった。
新井林は新井林のやリ方で、杉本に「情け」をかけてやっているのだということを。
杉本がやったことは新井林的には許せない。でも、「情け」をかけてやることはできるのだということを。
──俺にはまだできないんだ。
自転車で突き落としたことのある浜野のことを思い出した。まだ、今でも傷がうずく。許せない。
「先輩、どうにかしてよ。かわいそうだよ。杉本さんただでさえ、お母さんにすっごくいじめられてるんだよ! 手のひら返したようにひどいことばかり言われてるって。あのやさしいお母さんが、鬼になっちゃったって。学校ではずっとがまんしてるけど、評議委員から下ろされるなんてことになっちゃったら、杉本さんもう立ち直れないよ。自殺しちゃうかもしれないよ。私、今から桧山のところ言ってきて、文句言うから、立村先輩も一緒にきてよ!」
上総は目の前にいるまっすぐな瞳を見つめ返した。
唇を震わせている。唇の皮が赤くむけていた。
「花森さん、それはできない」
自分の声が詰まっていた。鼻かぜをひいているわけではないのに、かすれた。
「どうして!」
「杉本を、下ろすように言ったのは、俺だ」
よく聞き取れなかったのか、花森は口を「オー」の形に丸めたまま動かなかった。
「杉本を、次期評議にしないように桧山先生に頼んだのは俺の判断だ」
廊下には人通りがわずかだった。コートの襟にしがみつくように花森は身体をぶつけてきた。窓辺に押さえつけられ、首筋から冷たい風が流れた。
むしゃぶりつかれるのは覚悟していた。
殴られるのも当然だと思っていた。
花森はひたすら、上総のコートにしがみつき叫んでいた。
「なんで、立村先輩、そんなことしたの。杉本さん、クラスで誰も味方がいないんだよ。私だったらまだいいさ、外で友だちたくさんいるもんね。でも杉本さん誰もいないんだよ。家に帰ったらお母さんにいっぱい嫌味言われて、外に出たら近所のばばあたちにせせら笑われて、学校では新井林たちに罵られて、これって、いじめじゃなくてなんだと思う?」
瞳から流れる涙から、上総は目をそらさなかった。「あの子、私のことを堂々とかばってくれてたんだよ。別にかばってもらわなくたって好き勝手なことするつもりだったからよかったけどさ。入学した頃、彼の車で学校に来た時だって、全然いやな顔しないで彼に挨拶してくれたんだよ。『花森さんとはずっと友だちでいたいので、退学させるようなことはしないでください。とりあえず、避妊はきちんとしてください』って。馬鹿男子連中がさんざんやらしいことばっか言う時に、そんなこと、覚悟なくっちゃ言えないよ」
──大声で言うことじゃないだろうって。杉本も全く……。
上総の力でも押えられた。そっと片手に触れた。
「もういい、花森さん、俺の話を聞いてくれ」
壁にもたれず、背を正した。唇を曲げたままの花森なつめに告げた。
「杉本は、学校にまだいるのか」
「休んでる。病院に行ったって桧山が言ってた」
「風邪かな」
「そんなの違うって。あいつ、杉本さんに精神科行けって言ってたでしょうが。それなのよきっと。勝ち誇ったように言ってたもん」
そうとは決め付けられないが、杉本がインフルエンザにかかって寝込んでいるという可能性はなさそうだ。
まさかこんな早く桧山先生が「評議委員失格」の烙印を押すという切り札を出すとは思わなかった。そして新井林や佐賀の対処も。見事だ。見事すぎるくらいきちんとした秩序の構築だ。
いじめ問題について、担任たる大人が断固たる反対の姿勢を見せ付け、いじめた本人にそれなりの処罰を与える。同級生たちはそれでもいじめた生徒を許そうと「努力」する。いじめられた生徒も、「広い心」の元、許そうとする。暖かいクラスの輪。ハッピーエンド。学園ドラマのラストだ。その奥に隠れたせせら笑いを感じるのは、たぶん杉本と、上総くらいだろう。
杉本に与えられた台詞は「私が悪かったんです。許してください。もう二度と佐賀さんをいじめたりなんてしません。反省してます」それだけのはず。あとは新井林の言う通り、四月の審判を待つのみだ。
花森は上総が、杉本梨南を見捨てたと思い込んでいる。
そう思われてもしかたないだろう。
でも。
──誰が見捨てるかって!
目の前の花森なつめが、化粧をぼろぼろにしながら涙を流している。
──大丈夫だ。杉本は、生きていける。
「今から花森さん、杉本のうちに行こう」
「え?」
いきりたっていたはずの花森が、か弱げに首を振った。もう一度涙ぐみながらつぶやいた。
「無理だよ、私、入れてもらえないよ」
「なんでだよ」
「杉本さんのうち、厳しいんだよ。先輩知ってるよね。お嬢様とかそういう人でないと友だちと認めないんだって。私みたいな格好してたら、入れてもらえないよ」
「じゃあ、家に行ったことないのか?」
真っ赤な爪にうっすら脱色した髪。でも花森から流れている涙だけで十分、杉本の家に押しかける権利はあるはずだろう。
「でも、心配しているってこと、伝えるなら悪くはないだろう」
「そうしたら、杉本さん、さらにいじめられちゃうよ。お母さん、杉本さんをすっごく責めてるって話だもん。これ以上そんなことされたら」
言葉にならなかった。花森は杉本のために泣いていた。
冷静な口調を取り戻すと、上総は少し花森の目線にあわせかがみこんだ。通りすがりの人も好奇の視線を向けていく。上総が次期評議委員長ということも関係しているのだろう。向けられた波動であまりいい噂でないことは感知していた。
「花森さん、落ち着いて。今の杉本に一番必要なのは、花森さんだと俺は思う。大丈夫だよ。杉本の住所は俺も知っているから、一緒に行こう。杉本が今ほしがってるのは、嘘でもなんでもない、本当の味方なんだからさ」
「けど……」
上総はコートのボタンを一つだけ開け、ブレザーのポケットから手帳を取り出そうとした。かばんを床に置いて、もさもさと探していた時だった。
「私、杉本さんの住所と電話番号知ってるよ」
花森の視線が上総の肩越しに向かっている。振り返る前に声の主が誰だか気付いていた。
──清坂氏か。
さっきから後ろでうごめいていた人の気配。暖かかった。右隣りに来た。
「杉本さんのうち、学校からすぐ側だよ。けど立村くん方向音痴だからひとりでなんてたどり着けないよ。大丈夫。花森さん、私も付き合うからね」
手を斜めに突っ込んだまま、上総は美里の口をぼおっと眺めていた。早い早い、口を挟む暇なんてない。 まずは、とばかりに美里はノートの白紙部分を破り、壁に当ててボールペンで書く準備をした。
「花森さんの言う通りだよ。もちろん杉本さんにとって花森さんが、一番大切な友だちだっていうのはわかるよ。でも、杉本さんの両親は、なんってっか、先入観持ってる人みたいだよ。今、花森さんが直接杉本さんの家に行っても、誤解されてしまうかもしれないよ」
口を開きかけたが、目で制された。
「かと言って、立村くんがひとりで杉本さんの家に行ったら、さらに誤解されるに決まってるでしょ」 ──清坂氏、鋭い。
盲点だった。上総もただ杉本の家に行って直接話をしたい、としか考えていなかった。それはそうだ。花森の外見を気にする親だったら、娘の先輩とはいえ男子がいきなり現れて「お嬢さんに会わせてくれ」と言ったって門前払いされて当然だろう。
納得顔を見てとったのか、美里は少し間を取って、続けた。
「だから、私と立村くんがふたりで杉本さんの家に行くのはどう? 花森さんもそれほど遠くないんでしょ。家で待機しててもらって、杉本さんが落ち着いた頃に電話で連絡を入れてもらうってのはどうかなあ。たぶん、今の杉本さんは、話を聞いてもらいたいのか、放っておいてもらいたいのかのどっちかだと思うんだ。さっきちょこっとだけ、話聞かせてもらったけど桧山先生もやることひどいよね。あれは許せないわ。学校休みたくなっても責められないよ。責任はどうも、この人にもあるみたいだし」
じろっとにらまれた。その通りなので言い返せない。
「だから、安心してね。大丈夫よ。ちゃんと立村くんに責任とってもらって、それからいい方法考えるからね。花森さん大丈夫」
いつのまにか花森の背中に回って、美里はそっと抱きかかえるように背中をさすっていた。用意していたポケットティッシュを取り出して、顔を拭いてあげた。しゃがみこみ、どこから持ってきたのか細いリップクリームのようなものを手渡していた。微笑を浮かべ、何度も頷いていた。
花森が横目でもう一度、上総を見上げた。
「立村先輩、杉本さんを見捨てるなんてこと」
「誰が見捨てるかって!」
立場の弱さが情けなくってつい、吐き出し加減の言い方で返した。
美里が階段のところまで花森を送っていくのが見えた。何度も振り返り、確認するように頷く花森に、上総は目だけで頷いてみせた。伝わっていると、いいのだが。
戻ってきた美里の顔は険しかった。花森をなだめている時とは大違い。緊張でぴくりとした。
「あの、清坂氏、ありがとう、あのさ」
「詳しいことはあと。教室に来て」
腕を引っ張っていき、二年D組の教室へ引きずり込まれた。美里が自分の席について上総を手招きした。誰もいないのが幸いだ。腹の虫が鳴くのをごまかしながら、美里の前の席に座った。
「詳しいこと、聞かせてちょうだい」
──観念しろ、ってとこだよな。
美里の表情を恐る恐る伺った。特段、怒ったという風ではない。一度激昂したところを目の当たりにしたことがあるので、今のところは身を堅くしなくてもよさそうだ。
真っ正面から上総の瞳を捕まえようとする。その辺逃げられそうにない。
しかたなく上総は横座りの格好で美里に首だけ向けた。片手だけ机に載せたまま。
「どこまで聞いた」
「立村くんが杉本さんを、評議から下ろしたってとこからみんなよ」
「そうか、その通りなんだ」
どう説明していいか、皆目見当がつかなかった。
美里よりも花森よりも、誰よりも杉本にこのことは、自分の口から説明したかった。
半年の間に、生徒会がらみで他中学との交流組織をこしらえ、杉本の安住の地を用意し、その上で説明するつもりだった。いきなり「お前が新井林よりもレベル低いから下ろすのだ」と言われても、杉本が納得するわけなかろう。きちんと杉本の顔を立てて「他中学との交流グループの中心になってほしい。だから、評議は他の人に譲ってほしいんだ」という風に持っていきたかった。
杉本をこれ以上傷つけたくはなかったという本音だ。
──桧山先生のやり方は読めなかった。甘かった。
口に出せない悔しさを唇に押し込めた。
「なに唇、変にしてるのよ。ちゃんと説明しなさいよ」
美里の声が尖った。怒られるのかもしれない。身を竦めて小声で答えた。
「だから、杉本を評議から下ろすように、この前桧山先生のところに言いに行ったんだ」
「だからどうして」
手を握り締め、目を閉じた。美里に言ってもかまわない範囲を探した。
「来年の評議委員長、俺じゃないかもしれないから、なんだ」
息を少し吐き出す気配あり。じっと上総の目をにらみつけるように、わずかに顔を前に突き出した。
「新井林が評議委員長、やるかもしれないからなんだ。いや、たぶんその可能性が高いんだ」
両手をふたつ、握りこぶし作り、美里はきちんと揃えた。上総を見据えた。
「だって、本条先輩、評議委員長はあんたしかいないって言ってたじゃない」
「俺よりも新井林の方が上だと、判断したみたいなんだ。それは本条先輩の判断だから仕方ないよ」
「けど、みんな立村くんが指名されたこと、知ってるんだよ。そんないきなり、一年生に評議委員長決めちゃうなんて、そんな変だよ」
震える声。美里の方がかさかさした声だった。しっかりしなくては。
声にぴんと張りを持たせた。
「もし俺が評議委員長に指名されたとしても、その次はやはり、新井林しかいないだろうし。杉本と新井林、どちらがいいかずっと考えてたんだけど、今の様子を見ると、やはり新井林の方が向いているって思ったんだ。杉本はそんなこと耐えられないよ」
「女子を甘くみるんじゃないわよ! 杉本さん一生懸命じゃない。新井林くんに委員長取られたって、もしかしたら頑張るかもしれないじゃない! なんでそんな勝手に決め付けたりするのよ!」
響かない声で、でも両手を握り締めたままだった。上総は目をそらさずに、ゆっくりと続けた。
「評議委員長にはできないってことだったら、そうしたかもしれない。けど、それだけじゃないんだ」
美里は怒鳴らなかった。怒ってはいるようだけど、なんとなく言葉に詰まったようすだった。
「評議委員からいきなり外されるってこと、どれだけ惨めなことか、立村くんわかるよね。想像つくよね。あんた失格、って言われたようなもんなんだよ」
「わかってる。だけど、これ以上あの二人が同じ委員会にいたら、まずいんだ」
「喧嘩するから? 男子と女子が仲悪いから?」
──どう言えばいいんだろう。
「だから、杉本は本当は……」と言えればいいのだろうが、まだ時期が早すぎる気がした。第一自分で感じているだけであって、杉本はそれを認めていないのだ。このままだと杉本がずたずたに傷つくことを避けたい、それだけを言いたいのに、美里の前では言葉を選ぶ。
美里はこぶしを二回、軽く打ちつけた。
「いいよ。立村くん、杉本さんを評議から下ろすってこと、したくて決めたってことじゃないことくらい、わかってるもん」
「そうだ。うん、清坂氏の言う通り」
──でもまだ、今は言えない。
生徒会長に話を持ちかけた段階の計画を話すわけにはいかなかった。たぶん応援団志望の生徒会長は、一発気合を入れて先生に持ちかけてくれるだろう。ぜひ、交流会に評議委員を参加させてもらえるよう、口を利いてくれるに違いない。成功する可能性は八割、と見た。
まだ種蒔きの段階だ。杉本にも、美里にも言うことはできない。
「なんか隠してるよね。立村くん、いつものそんな顔してる」
「え、なんだよそんな顔って」
「ほら、ここに出てる」
微妙に指先が触れる寸前まで、美里は上総の頬に人差し指を突き刺そうとした。手の温度で頬がぬるんだ。思わず頬をこすった。
「いいよ、信じるから」
あきれた風につぶやき、美里は数回咳払いをした。
「立村くんきっと、杉本さんのために、そうしたんだよね」
上総がふたたび言い返そうとするのを、もういちど人差し指攻撃で制した。
「だから、さっきも花森さんと一緒に杉本さんの家に行こうって話したんだよね」
触れるか触れないか、ぎりぎりだった。
「私、おせっかいなこと、言ってるかもしれないけど」
「いや、そんなことはないよ」
「だったら聞いて。最後まで」
──怒ってはないみたいだな。
コートの襟を立て、足を組み直し上総はそっと美里の方に向きなおした。
「杉本さんの家に行って話をするのは、いいことだと思うんだ。でもね、花森さんも言ってたけど、杉本さんってお嬢様だからうちの人が友だちをすっごく選ぶと思うんだよね。たぶん佐賀さんみたいな子がいい友だちだって決め付けてるところ、あると思うんだ」
美里の言いたいことはわかる。上総はすでに花森の家庭事情を知っているので、いざとなったらそのあたりを並べ立てればいいと思っていたのだが。やはりパーマとマニキュアっていうのは、学校側からの警告プリント「不良化の兆し」を地で行っている。
「でしょでしょ。杉本さんも、花森さんをうちに連れて行ったことないって言ってたのはそこだと思うんだ。あんな不良とは遊ぶんじゃない、とか言われそう」
「確かにな。人は見た目で判断される」
「よくわかってるじゃない。でね」
美里はさらに続けた。
「杉本さんのうちに今まで男子が遊びに来たこと、あると思う? ただでさえあれだけ嫌われてるんだよ。なのにいきなり立村くんひとりで家庭訪問したって、びっくりされて追い返されるのが関の山じゃない。出入り禁止になっちゃうかもよ」
全く持ってその通り。上総も頷いた。
「だから、私が女子の先輩として心配だから、様子見に来ましたってことにしてね。立村くんが刺し身のつまとしてくっついてくってのはどう? それだったら自然だよ。二年の評議委員男女コンビってことだもん。それにまだ立村くんは次期評議委員長なんだから」
「そうだな、それは言えてる」
細かく頷いて上総はつぶやいた。痛い言葉が響く。
「そこで杉本さんと話ができればいいよね。あんたがどういうこと話すつもりなのかは聞かないけどね。でも私がいれば、お母さんも安心して三人だけにしてくれるんじゃないかな。安心して立村くんも、杉本さんに言うべきこと言えるでしょ。私だけお邪魔虫かもしれないけど、そこだけがまんしてくれれば、ね」 ぐいと上総の顔を覗き込む。目が合うと大きな瞳があどけなく光った。
「清坂氏、けど、どうしてそこまでやってくれるんだ」
「前から言ってるでしょ。私は立村くん担当の愚痴聞き係。それに、女子同士のことは、女子が一番良く知ってるの!」
すくっと立ち上がり、美里はかばんを胸に抱えた。上総の袖をちょんとひっぱった。
「おなかすいたまま家に行くのは失礼だから、まず学食でなんか食べていこうよ。それから私が杉本さんのうちに電話かけて、今から行っていいですかって聞いてみる」
「そうか、そうしないとまずいか」
「あたりまえよ。いきなり行ったら怪しまれるに決まってるじゃない」
さすが女子のことは女子が一番知っている。
素直に上総は頭を下げた。
「すごいよな、やっぱり清坂氏は。もし清坂氏が評議委員長に指名されていたら」
思いっきり左肩を叩かれた。美里がかばんで思いっきりぶつかってきた。
「いいかげんにしなさいよ!」
胸に美里のかばんが載ったまま。両手でそれを抑え、美里が再接近していた。
「本条先輩がなんって言おうと、新井林くんが指名されようと、私があんたのこと、絶対認めてるんだから! 今しようとしてることだって、他のことだって、みんな、あんたしか出来ないことしてるんだからね! いい、泣き言なんて絶対言わないで! 評議委員長じゃなくたって、そうなんだから!」
手をぶらんとさせたまま、上総は黙って美里の言葉を聞いていた。
──泣かしてる、か?
目が潤んでいるように見えたのは錯覚だろうか。もう一度軽く突き飛ばした後、美里は跳ね返るボールのようにたったと扉を開け放して出て行った。追いかけないとまずい。美里がいないと、たぶん上総は杉本梨南のうちにたどり着けないだろう。どうしようもない方向音痴だってことを、美里は長い付き合いゆえにすべてわかってくれている。
言われるままに大学の学食へ寄り、軽くおにぎりを並んで食べた後、上総は電話をかけに走った美里を眺めた。何度もこくこく頷きながら緑色の公衆電話にかじりつき、時折上総の方を見やる美里。受話器を置いた瞬間、両手でピースサインを出してを見せた。OK、即、杉本家へ向かえってことだろう。
「覚悟は、いいわね」
もう一度上総に問いただす美里。
「ああ、もちろんあります」
雪がちらついてきた。夕方は大降りだと聞いていた。まだ二時十分前だ。
「すぐ近くだから、私の後ろにくっついてきてね」
「わかりました。清坂氏にお任せします」
「ほんと、私を信じててよ」
美里の言葉を聞き流しながら、上総は空を仰いだ。まつげに冷たいものが乗っかったようだった。かすかな重み。細かい雪。目をこすりながら、上総はもう一度自分に覚悟を求めた。
──俺は杉本を見捨てはしないって。
美里の横顔にもう一度、礼を送った。
──清坂氏と同じことを、するだけだ。
立ち漕ぎしていた美里には気付かれなかったようだった。