表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

その11 追い風に躓きかける

 残された猶予は半年だけ。

 ──それまでは俺も評議委員長の顔していられるはずだ。

 どういう展開が待っているのかはわからない。本条先輩の胸三寸にかかっている。クラス評議に選ばれるだけならたやすい。クラスの連中に応援してもらえばすむことだ。委員長は外されても評議委員としては残れるかもしれない。でも、他力本願なやり方を期待したってしかたない。

 半年。期間を区切った。

 ──それならまずは、さっさと動くか。

 他の次期委員長候補たちと連絡を取り、電話番号とクラスを控えてきた。

たぶん他の評議連中は知らないデータだろう。手帳にボールペンで清書した。控えにもう一ページこしらえた。

 

 普段よりも一時間早く学校に向かった。切り付ける風に顔を向け、ざくざくと自転車で切り裂いていった。学校に到着した時にはすでに、部活動関係の連中がジャージとジャンバー姿でうろうろしていた。挨拶しつつ、まずはコピー室に向かい、ビデオ演劇用台本「奇岩城」の第二稿を製本した。二つ折りにして、一枚一枚重ねていき、ステイプラーで留めた。ひとりで紙を折るのに集中していると、ひとり気配がした。

「立村くん、おはよ。手伝おうか」

 美里だった。白い手袋をコートのポケットにしまいながら、コート姿で入ってきた。

「暑いね、暖房効きまくってるって感じ」

「ごめんな、手伝い頼んでしまったみたいで」

 前もって昨日のうちに、美里へ電話を入れ、製本作業を手伝ってもらうようお願いしたのだった。ひとりでコピー機と格闘していたら、いつまでたっても終わらない。その点、要領のいい美里が手伝ってくれると、労働時間が三分の一程度ですむ。

 コートを着たまま美里は、まだ一枚紙のままのコピー紙を、まとめて折り、ぱぱぱっとほぐした。もう一度丁寧に手押しの折り目をつけた後、もう一度束にした。繰り返し、あっという間に出来上がった。

「やっぱり早いよな。すごい」

 上総の持っている分もひったくられ、片がついた。あとは作業台にずらっと並べ、上から一枚ずつ綴じることができるようにまとめていった。一冊ずつ十字に重ねてゆき、あっという間に今度はステイプラーで綴じ始めた。さすがに枚数が多くて、力が要りそうだ。ここでやっと上総の出番だった。美里を隣りに座らせて、ひたすら大型ステイプラーと格闘した。疲れた。

「ごめん、俺ひとりだったらたぶんできないと思ったからさ。無理言って悪かった」

「立村くん、いいよ。こういうのはね、得意な子がやればいいのよ」

「清坂氏、ありがとう」

 まだ八時になるかならないか。二十分くらいここにいても大丈夫だろう。上総も美里の隣りに直角になるよう椅子を持ってきた。出来たての台本を両手で捧げ持った。

「やっぱり、学校の中を使って撮影するの?」

「うん、やっぱり『奇岩城』だから。廊下でイジドール少年が格闘したり、走りまわったりして台詞を言ってもらえれば、あとは教室を一部屋借りるだけですむしさ。できるだけ楽に終わらせられるようにしたかったんだ」

 「奇岩城」の後半は主に、冬休み中の校舎を使用することに決めていた。できれば一月のお正月休みが明けたらすぐに教室を借りて一気に撮影を終わらせたい。家庭用ビデオとビデオテープ、あとはバッテリーくらいだろうか。どうせ台詞は紙に書いてその場で読み上げてもらう形式だ。暗記してもらう必要はない。あとは冬休み明けにその他のシーンを適当に撮り、二月には完成させる予定だった。あとは結城先輩にビデオデッキを貸してもらい、とびとびで撮ったものを順番通りにダビングし、話が通るようつなぎ合わせてもらう。去年の「忠臣蔵」も同じ形で製作した。去年と違うところは、衣裳にも背景にも凝らず、ありのままの教室や廊下を使用して、イメージを膨らませていく形を取っているとこだろうか。よく言えば「前衛的」「モダン」だし、悪く言っちまえば「手抜き」だろう。


 内容については特別何も言わず、美里は一ページ、配役のページをまじまじと眺めた。

 まだ決まっていないので、役名が載っているだけ。下は空欄だ。

「私、ルパンの乳母なのよね」

 最後に出てくるキャラクターだ。怪盗ルパン最愛の乳母を今回あえて、美里にあてがった。出番をあまり増やしてほしくないという願望があったのと、やはり周りの「立村ホームズの見せ場はラストなんだから、そこに清坂ちゃんがいないとしゃれになんねえだろう」という意見に押し切られたのが事実だ。勝手にしろと言いたい。

「で、小春ちゃんがレイモンドで」

「ルパンが天羽、とA組コンビでまとまるってわけだな」

 ここだけの話、二年A組評議コンビがそろそろ、お付きあい秒読み状態らしいという噂が流れている。関西ギャグマニアのA組男子評議がうらやましそうに上総と美里を眺めていたのは気付いていた。二年男子連中の間でも、

「そろそろあいつ行動に出るよな」

との観方が大半だった。

「いろいろあるよな、人間として」

 あまり触れず上総は自分の台詞部分を赤ボールペンで線引きした。

「衣裳考えないでいいから楽よね。立村くんはマント着ていればいいだけだし」

「出るのもほとんど、ラストの場面だけだからな。楽と言えば楽」

「私、立村くんに最後捕まってピストル突きつけられるのよね」

「清坂氏、『奇岩城』読んだことあったのか」

 意外に思えて問い返した。当然と言った風に大きく頷いた。

「頭を使う推理小説って大好きだもん。学校の図書館で大きい文字になってるので、ルパンや江戸川乱歩とかは読んだのよ」

 ──確かに、言えてるな。

 本の好みについては問わずにおこうと改めて思った。

「それはそうと立村くん、イジドール少年はどうするの?」

 決めておいたとおり答えた。

「イジドール少年は、新井林しかいないだろう。受けてもらえるかどうかはわからないけどさ」

 教室の後ろ、ロッカーの前。美里は手もとの台本に目を落とした。

 上総の筆跡で「青潟大学附属中学評議委員会・ビデオ演劇・奇岩城」とだけ筆ペンで綴られている。

「新井林くんかあ。いいかもね」

 言葉が重たかった。

「でも、杉本さんにはなんの役も振らないのよね。どうするの」

「どうするって」

 まだ桧山先生以外に、今後の評議委員人選について伝えてはいない。美里にももちろん口にしてはいなかった。曖昧に答えるしかなかった。

「杉本は、音楽担当と、あと台本の最終見直しをしてもらおうと思ってるんだ。やはり、構成関係は杉本の方が向いてるからさ」

 今回美里の担当が、ラストに登場するルパンの乳母役と衣裳関連なのは納得しているはずだ。もう少しいい役あげた方がよかったのだろうか。男装とかさせて。かなり不満が残る顔をしている。

「うん、それならいいけど、立村くん、おおっぴらじゃない私の担当、知ってる?」

「なんだよおおっぴらじゃないって」

 美里はぎりぎりまで上総の肩に近づいた。耳に吐息がかかるくらいだった。

「立村くんの愚痴を聞く役よ。担当だからね」

 ──俺がそんな愚痴っぽいこと言うかよ。

 目の前にいる美里の、きりっとしたまなざしには文句を言えなかった。

「ありがとう、いざとなったらよろしくお願いします」

 愚痴をこぼしたくないからせかせか動き回っていた。立ち止まるとすぐ落ち込んでしまう。できるだけ考えないですむよう「奇岩城」準備に没頭した。もっともほとんどの実務は二年男子評議連中が手分けしてやってくれている。上総がするべきことはその他、交渉ごとくらいだった。


 すでに桧山先生への話はつけてある。四月以降にちゃんと手を回して、杉本梨南をクラス選挙で落選させるように仕組むだろう。黙っていてもそうなるかもしれない。男子たちの圧倒的多数派および、女子の寝返り組の指示を得られれば、たぶんあっさり決まるだろう。

 確実なのは、杉本は確実に傷つくこと、一点だった。

 ──あと半年のうちに、俺も動かないとな。時間が惜しいよ。

 案はある。たんとある。評議委員会という枠の中では限界が見えているかもしれないが、青大附中にはまだまだ抜け道が用意されているのを上総は知っていた。

 ──本条先輩の教えを二年間受けていたとこを見せてやるさ。


 三時間目前、職員室へチョークと教科書を持って行った帰り、生徒玄関を通り過ぎようとした。

 雪が降ってるっていうのに、グラウンドでサッカーやっていたらしい。ジャージ姿の青い集団がわさわさ駆け上がってきた。いきなり靴箱前のすのこでとんびを切った奴がいた。一瞬立ち止まって眺めた。見事な技に拍手喝采だった。

 やった相手の後ろからけげんそうな視線を投げている奴と、目が合った。新井林健吾だった。

 すぐにそらされた。思うところありか。雪まみれのスニーカーをめんどくさそうに脱ぎ、靴箱に放り込んでいた。どろんこの空気が玄関いっぱいに溜まっていた。

 上総は待った。じっと視線を送り続けた。

 濡れた手を振り払いながら新井林は上総の前に立ち止まった。

 話する気は、あるのだろう。

「あのさ、新井林」

「なんか用っすか」

 なんと新井林、丁寧語を使った。

 けたたましくのど元まで心臓の音が聞こえるがこらえる。搾り出した声でまずは言うべきことを伝えた。

「この前は、悪かった」

「別にあやまってもらうようなことはないけど」

「もう一度だけ、頼みたいんだ。図書室に来てもらえないか」

 新井林は時計を覗き込んだ。腕時計の脇を少しいじって、デジタルの文字を緑に光らせた。着替える時間を気にしているのか。めんどくさそうに返事が返って来た。

「練習これ以上さぼりたくねえけど」

「昼休みでいい」

 もっと言いたいことがあるはずなのに、新井林を目の前にすると怖気づいてしまう自分がいた。あの日、ネクタイを握って手を挙げようと迷った時もそうだった。自分を叱咤した。

 少し間を取って新井林が上総の目をじろっと見た。続く言葉は、またしても丁寧語だった。

「わかりました。すぐに図書館で」

「二人がけの椅子で待っているから」

 わずかに上半身を傾け、上総は目を伏せた。

 自分の腕時計に目をやると、あと一分ほどで三時間目が始まる時刻だ。新井林の視線を背中で感じる間もなく、上総は階段を駆け上がった。

 給食終わったら、次の手の準備だった。先輩だから分かることはたくさんあるのだから。


 午前の授業を適当に流し、昼休み上総は図書館へ向かった。

「どうしよう、ビデオの予約入れるの忘れてた!」

「あ、あとでダビングしてやるよ」

 すでに図書室カウンターでは、図書局員たちがやたらと明るくアニメ話で盛り上がっていた。古川こずえはいなかった。二人がけの椅子を占拠した。

文庫本を書棚から引っ張り出した。うまくページがめくれなかった。

 両膝に手を置き唇をかみ締め、えいやとばかりに身を起こした。

 落ち込んではいられない。もう一度自分にステッキを入れる。

 新井林の口調が妙にやわらかかったことだけがひっかかっていた。

 ごたごたした後だ。本条先輩とあの後何を話したのかは知ったことじゃない。本条先輩と新井林ふたりの問題だろう。

 自分の中で、もう整理はついていた。

 背中からかすかな冷えが昇ってきた。振り返ると一抱えある氷柱が窓辺から顔を出しているのが見えた。


 図書館の扉が開く前から気付いていた。戸を蹴飛ばす感じで足跡も響く。

 新井林健吾は上総に視線を留め、そのまま近づいてきた。側まできて、もう一度上総をにらみつけた。

 ──全く変わってないな。

 腹が据わった。

 言いたいことを言おう。

 すべてをさらけだして、評議委員会から未練を断ち切ること。

 必要なのは、それだった。


「すまない。無理言ったな」

「なんか」

 口篭もるところが、妙だった。今日の新井林はなんかおかしかった。どう答えるべきか迷っているといった感じだった。

「ここでは人がいる。向こうに行こう」

 指差してやった。人のいない図書館の穴場だ。百科事典置き場だった。この前こずえに相談を持ちかけた場所だった。

 奥に進むにつけ、ほこり臭さでむせそうになる。脚立が放り出されていたのは、そろそろ冬休みに向けて蔵書整理でもするのだろうか。できるだけ人気のない場所に入り込みたかった。新井林はどこにもぐりこんでもオーラが出て目立つだろう。静かに越したことはない。

 脚立の踏み台に手をかけた。上総は健吾を静かに見返した。

 本条先輩に張られた頬の痛みを思い起こした。

 ──もう悔いはないさ。

 ブレザーのポケットから手帳を取り出した。生徒手帳ではなかった。父からもらった黒皮の表紙ものだった。そろそろ書き込む空白も少なくなっていた 知られたらまずい機密情報も記入されているけれど、ほとんどはフランス語とドイツ語のちゃんぽんで綴っているので、まず見られても大丈夫だ。


 一 青大附中内の委員会と部活動の関わりについて


 評議委員会……演劇関連と学外渉外関連(来年以降の予定)

 規律委員会……美術関係および写真関係(青大附中ファッション通信の発行など年四回)

 音楽委員会……文字通り音楽関係。音楽関連の大学を目指す人向け。

 保健委員会……医療関係および病院関係、また医学部を目指す人の溜まり場

 体育委員会……体育系部活動関連を一通り網羅。

 学習委員会……文芸部と理科系の部活動を兼ねる。


 その他、文集委員会、美化委員会、図書局、放送局など。

 生徒会は主に渉外活動中心だが、来年以降は評議委員会にも渉外関係の活動を求める予定。


 ──来年、ってあるのかな。

 ちろちろと頬が痛んだ。新井林が火種。唇を痛くなるくらいかみ締めた。なめると血の味がした。新井林へしっかと身体を向け、背筋を伸ばした。

「今回のことは、俺が一方的に新井林へ迷惑をかけたようなものだ。すまなかった。いくつかのことについてできることはみな片をつけておいた」

 ──まだ俺は、新井林に先輩面する権利があるんだ。

 いつもの自分だったらここで弱気になってしまうだろう。卑屈なくらい腰を曲げるだろう。立村上総の保身だけなら、そうする。ためらうことなく卑屈になる。

 でも今の上総には、杉本梨南がいる。おびえた瞳で隠れている。

 ──本条先輩。これが立村上総の、評議のやり方です。

 

「片ってなにを」

 新井林が口を尖らせた。

「たぶん、桧山先生がそのことは、すると思う。それに任せておけばすべてが終わるだろう。そして新井林、お前が俺について聞いてきたことはすべて本当のことだ。先輩と思えないのも当然だ。だからせめて俺のできることだけ、こちらにまとめておいた。俺がお前に提供できるのはこのくらいだから」

 書き込んだ委員長関連の部分を破り取った。きれいにはがれた。そのまま新井林に差し出した。

 手でもてあそびながら新井林は目を落とし、いぶかしげに返答した。

「これってどういう」

「現在の青大附中委員会活動の流れみたいなのをまとめておいた。これからの参考にしてくれないか」

「これからの参考って、いったい」

 声を大人びさせた。新井林と違って、上総の場合声代わりがほとんど気付かれない程度に終わっているようだった。少しだけトーンが高い。

「来年以降は俺が評議委員会を仕切ることになるが、たぶん学校内よりも学校外の活動が中心になると思うんだ。これにも書いたけれど、生徒会と一緒に他の公立中学との交流会を活発に行おうとか、それこそ部活動との兼ね合いも考えようとか、いろいろな案が今出ているところで、俺もちょうど検討してたところなんだ」

 ──言いたいことを言ってしまえばいいんだ。今のうちに。

「新井林、今作っている『青大附属スポーツ新聞』のことなんだが、お前ひとりで続けていくのは正直なところ、かなり困難だと思う」

 先輩面するのは気が引けるけれども、たぶん最後の機会だろう。上総なりに感じた「青大附属スポーツ新聞」についても続けた。

「この紙にある通り、体育系の部活動については体育委員会がかなり詳しい。お前が駈けずりまわって探しまくる情報を、早い段階で手に入れていることが多いらしいんだ。俺も知らないけど。それから写真なども規律委員会にかなりプロはだしの奴がいると聞いた。あそこは実質美術関係についてなら逸材のてんこもりだからかなり面白い面子が揃っているはずだ。それから音楽委員会。合唱コンクールの時くらいしか出番がないと言われているけれど、暇な時にはバンドとかコンサートとか、いろいろ練習していると聞いたことがあるんだ。臨時吹奏楽みたいなこともやりたいと話していたのを聞いたことあるんだ。だから、もし応援などでそういうのが必要だったら、音楽委員の誰かに声をかけてみるといいかもしれない」

 息つかず畳み掛けた。しんどくなってここで息継ぎした。

「あとで次期委員長の名前とクラスもこちらで用意して渡すから」

「なんで、俺に? なんでそんなこと俺に言うんですか?」

 ──こいつ丁寧語使ってるよ。 

 手帳を閉じ、呼吸を整えた。相手の動揺がかすかに伝わってくる。新井林の瞳を逸らさないようにして告げた。

「再来年の評議委員長は、新井林、君を指名したいからだ」

 明らかに動揺している。付け焼刃の敬語が消えている。

 一瞬ぽかんと口を開け、新井林は目の玉が丸くなるくらい見開いた。

「評議委員長、っていったい」

「今の一年の中で評議委員長としてふさわしいのは新井林だけだと判断したってことだ」

「けど、あんたそれでいいのかよ!」

 何かことばを発しながら、上総に真正面から一歩近づいた。身をかがめるようにして、どすを利かせて言葉を吐きかけた図書館の中は静粛にするのが決まりだ。場所が目立たないから気付かれていない。


 胸の奥で、ことりと何かが納まった。

 ひとりだけ宙を浮いて、図書室の天井から見下ろし眺めているような感覚が残った。背中に感じるのは本の持つ体臭のようなもの。かぎ慣れた咽のいがいがしそうな空気。いつもひとりでいる時、ここで本をめくっていると落ち着いてくる。友だちとしゃべっている時よりも楽な空間だった。過去に触れた本のオーラが上総を包んでくれているようだった。

 目の前の新井林がすっかり動揺し、わめくのを上総は抑え、話を聞いた。  

「あんた俺を嫌ってるだろ、あんた俺を殴りたかったんだろ。俺よりもあの女の方を本当は気に入ってるんだろ。なんでだよ、今度はそれでだまし討ちしたいってのかよ」

「違うよ。新井林。俺の判断で、杉本よりも君の方が評議委員長としてふさわしいと思った、それだけだ。まだ俺も正式な評議委員長として任命されてないし、来年果たして評議委員が元のままかどうかもわからない。状況はかなり揺れ動いてる。でも新井林を俺の次にしたいってことははっきりしている。君なら一年連中をまとめるだけの力を持っているし、俺なんかと違って女子受けもいい。新しいことをどんどん切り開いていくだけの能力もあると、俺は思っている。それに」

 言葉を切った。まだ誰にも話していないことを思い切って口にした。

「来年以降、俺としては評議委員会を学内だけではなくて外に出して活動させる方向を取りたいんだ。できれば生徒会とか部活動とかともうまく繋がっていける形にしたい。本条先輩のように強引なくらいひっぱっていくだけの力が俺にはないから、これまで通りのやり方では評議委員会が持たないと思う。学内関係は部活動と一緒に協力して、人数集めて盛り上がっていく方がいいんじゃないかって、前から思っていた。新井林の企画した『青大附中スポーツ新聞』は、いいタイミングだったし、俺も全面協力したい気持ちはある」

 たぶん半分以上耳から筒抜けだろう。新井林の話はしっかり一年B組問題に戻ってきている。たぶん、委員会よりも自分のクラス問題の方でしか、判断つかないのだろう。一年の頃は自分もそんなものだった。

 上総は落ち着いて受け止めた。

「最初は杉本を指名するつもりだったって、それがどうしてだよ」

「半年以上それぞれの性格を考えて、決めたからだ。俺なりに判断したってところだ」

「俺はあんたに相当ひでえこと言ったけど、そんな恨みも捨ててかよ」

「新井林の言うことは、すべて本当のことだ」

 ──お前の方が「ふつう」に感じる人の中では、きっと正しいんだ。

 ひがみではなく、そう思った。

 一年後、二年後、今の上総と同じ立場に立ったとしたら、きっと自分以上の手腕ですべてをまとめていくだろう。自分が一年の頃、ここまで自分のやりたいことをひとりで推し進めていくだけの力はなかったのだから。先は恐るべし。本条先輩の言う通りだった。

 やりたいことを「委員会」のかさなく自分から進めていって、成功させる。行動こそ力。上総は今まで、評議委員長にならない限りやりたいことはできないと思い込んでいた。だからずっと評議委員長という座にこだわりつづけていた。なんて馬鹿な頭なんだろう。本当にやりたいと思ったら、新井林のように、自分から初めてしまえばよかったのだ。本条先輩がそういう上総を見捨てるのは当然のこと。悔しいが、自分にはそこまでつっぱしるだけの力はない。

 でも、新井林のやり方を少しだけつまみ食いすることはできる。

 新井林が「青潟大学附属中学スポーツ新聞」をたったひとりで打ち立てたように、上総はこれから、学外交流関連の活動をひとりで準備することができるはずだった。そのための半年間。評議委員長という肩書きを取り上げられる前に。


 表には出さないことがプライドだった。反り返るように返事を待つ新井林へ、上総はゆっくりと言葉をつなげていった。

「ただふたつだけ頼みがあるんだ。たぶん、このことが判明したら、杉本は冷静ではいられないだろうと思う。俺もかなり気を持たせる言い方ばかりしてきたから、当然だと思う。もしかしたらまた新井林や佐賀さんに、辛い思いをさせるかもしれない」

「そうだな。確かにな。あんた正しいよ」

「桧山先生もあの調子だと手加減をしないだろう。先生たちのやり方には口出しできない。俺も一年のことについては、今のやり方が限界だ。だからせめて、お願いだ。杉本が一年B組に卒業までいられるよう、せめていじめられないようにしてやってもらえないか。仲良くしてくれなんて言わない。ただ、男子連中が無視するだけでいい。存在しないものだと思うだけでいい。手出しだけはしないでほしい、それだけなんだ」

「俺たちにそんなことできるってか」

「今、新井林が一年の野郎連中に対して『杉本に一切手を出すな』っていうあれだ。三年間、有効にしてやってほしい。無視される辛さとか惨めさを味あわせるなとは言わない。ただ、実力行使だけはやめさせてほしいんだ。今、近所では杉本の家を村八分にするような運動が起こっているとも聞いている。もう完全に杉本は制裁を受けているんだ。自分がおかしいんだということをいやというほど言われつづけているんだ」

「じゃあ反省しろって言いてえな。第一あんた、どうしてそこまであの女をかばうんだよ」

 好きだからとか、惚れてるとか、そう言う言葉を求めているのだろうか。 新井林にはどんなに言葉を尽くしても、上総が杉本梨南の想いを感じ取る理由を説明できそうになかった。見えているのは、ただ杉本が新井林への横恋慕ゆえにライバルで親友だった佐賀はるみを無視しているということ。それが女子たちのいじめに繋がっていったということ。杉本をかばうことは一切できないということ。それでも手を下さない新井林を認めなくちゃ嘘だということ。最低女を守りたいということは、恋愛感情が存在しない限り、できないであろうということ。

 ──そういうんじゃない。

 ──俺はただ、わかるだけなんだ。

 ──杉本がどんなにお前や佐賀さんにかまってほしがってるかってことが。

 ──嫌われても、馬鹿にされても、しがみつくしかないってことを。

 静かに上総は答えた。

「俺が杉本について言ったことはみな、俺が毎日感じてることばかりなんだ」

 新井林の肩に少しだけ綿ぼこりが落ちていた。隣りの本棚に視線が向いた。おそらくほとんど棚から引き出されたことがないであろう、旧かなづかいの書籍がずらっと並んでいた。自然と言葉がこぼれた。指差した。

「今棚に並んでいる本、これを数えてもらえるか?」

「はあ?」

 訳がわからない風に顔をしかめ、それでも新井林は数回瞬きをし、指を使わずに本の背を追った。十秒くらいだった。ものすごいスピードだ。

 もう一度、自分の胸奥でかちっと鳴った。

「早いな」

「あたりめえだろ」

 ──当たり前じゃないよ。すごいことだ。

 上総はそっと指を本棚の埃の上に滑らせた。

 小学校の頃から、ものを数える作業でいい思い出は残っていない。班ごとにプリントの枚数を数えて持っていくのを頼まれた時、いつも数が合わずに叱られた。大人がいる時だったらまだよかったけれど、同級生同士だと「きっとわざとやったんでしょ!」と罵られて泣いてばかりいた。今は美里に点呼とかプリントの枚数あわせとかほとんど任せているけれども、たまにしくじって自己嫌悪に陥ることがある。

 たぶん、新井林にはそういう記憶がほとんど残っていないのだろう。

 残るほどのことも、ほとんどないのだろう。

 指先で本の背を触れ、自分の口でひとつひとつ数え、どこまでいったかを忘れないようにしなくてはならなかった。新井林の視線が針のように刺さり、思わず一つ飛ばしてしまった。慌てて数え直す。鼻息で「こいつなに考えてるんだよ」と言わんばかりの軽蔑が伝わってくるようだ。どきまきする。

「いち、にい、さん、しい……ええと四、五、六……」

 ──新井林は二十冊って言ってたよな?

 口では「にじゅう」とつぶやいたはず。でも、数えている途中で指先で一冊飛ばしてしまったような気がする。みぞのところをずずっと滑らしてしまったような感じがする。落ち着かない。変だ。ずれている。

 そっと顔色を伺い、新井林に確認した。

「十九冊じゃなかったよな?」

 あきれはてたまなざしで、新井林は肩をすくめた。

「何考えてるんだよ。二十冊に決まってるだろ」

 ──じゃあ、やはり口で言った数の方が正しいのか。

 新井林はもう一度反り返った格好で視線のみ、計算し直してくれた。

 上総も指で、さっきよりもスピードを落とし、本の背を人差し指と親指でつまみながら数え直した。こうすると本を飛ばして数える恐れがない。最初からそうすればよかったのだけど、変なプライドが邪魔しただけのこと。

 もうばればれの事実を隠しても、しょうがない。埃が指先に溜まり、爪まで黒くなった。

 他の子たちがさっさと終わらせている時、いつも上総はひとりで残されて何度も数を数える練習をしていた。その時もいつも、指が真っ黒いままだった。小学校の頃の記憶は指先で、ひとつひとつ蘇った。埃が身体にまとわりつきそうだった。

「俺はものを数えることが苦手というより、どうしても普通にできないんだ。途中でかならず数字が違ってしまう。遠足の時の整列でも、点呼を取る時に一度も数字が合わさったことがない。だから点呼はいつも、人の肩に手を置いて、どこまで数えたかを忘れないよう口で言いながら数えている」

「それでも自分で言った数字を忘れるってなんだよ」

「そういうことなんだ」

 上総は新井林を静かに見返した。

「いくら自分ひとりでやろうとしても、うまくいかない。普通に数えて普通にあわせようとしても、どうやればいいかが、俺はわからないまま今まできた。だから杉本が、新井林たちの感じる普通というものがわかんないのも、なんとなく俺には通じるんだ」

 鼻を鳴らされた。

「けっ。それが言い訳だってんだ」

「その通りだと思う」

 繰り返し、自分の中ではあきらめ。

「自分がおかしいから、自分の感じ方が普通じゃないからといって言い訳するのは、きちんとした感じ方をする人たちに迷惑だって俺も思う。だから、毎日どうすれば、周りの人たちの迷惑にならないか、どうすればいいかを考えてる。勘違いばかりしてるし、毎日数え間違いを繰り返しているけれど、そうしないと受け入れてもらえないとわかっているから、なんとかしようと思っている。けど、きっと杉本も同じなんだって、思うんだ。どんなに数えても二十冊にならない理由がわからないんだ」

 新井林はしばらく無言だった。上総の指先をちらっと眺め、唇をへの字に曲げそのままでいた。

「きっと杉本は、新井林とふつうの話をしてみたかったんだろう。佐賀さんとずっと友だちでいたかったんだろう。でも、どうすればいいのかが今だにわからないんだと思う。他の人たちに迷惑をかけている以上、杉本が制裁を受けるのは当然のことだろう。それをするなとは言えない。ただ少しだけでいい、杉本に情けかけてやってもらえないか?」

「情け?」

「俺のような数え方をする奴と新井林たちとは、勝負付けが終わっているんだから」

 自然と、頭が下がった。悔しさでもない、惨めさでもなかった。

 新井林と重なって、おぼろげに本条先輩の姿が浮かんでいた。

 ──本条先輩、これが俺の精一杯の答えです。

 新井林はしばらく黙っていた。じっと上総の姿を見下ろしていた。

 完全に声変わりしている。がさがさした言葉が続いた。上総が顔を上げると、敬語なしの穏やかな口調に変わっていた。

 ──何が起こったんだ?

 新井林の周りにも、埃っぽい空気が漂っていた。


「あんた、前から言ってたよな。杉本は精一杯なんだってな。必死に努力して、懸命に俺や佐賀と仲良くしたいから、ああいう嫌がらせをするってな。俺としたらたまったもんじゃねえが、やっとわかったよ。あんたも同じことしてたってことだよな。がむしゃらに俺たちと近づきたかったってことだよな。本条先輩や清坂先輩や羽飛先輩とうまくやりたかったってことだよな」

 頷かないで、ただ新井林の本心を探ろうとしてみた。瞳を見つめるのみ。

「それがあんたの保身のせいだって、この前までは思ってた。ああ、俺もガキだった。噂を鵜呑みにしてたからな。けど、本条先輩から話を聞いて、あらためて今までのことを考えなおしてみて、あんたもまんざら馬鹿じゃないし、頭切れるしって思った。俺を評議委員長にしたいというのが本心だったというんなら、俺もあんたを見直したいって思ってる。少なくともあれだけ俺が言いたいことを言っておいて、うらんでないっていうんならな。けど、俺ももうひとつだけ言わせてもらうってんだ。あんたはな」

 ちらっと横目で閲覧机の方をにらみ、元に戻した。

「人並み以上に、俺たちに受け入れられようとして、努力してるじゃねえか。あの馬鹿女と同じ気持ちを持ってるかもしれないかもしれんけど、本条先輩にも、清坂先輩にも、羽飛先輩にもちゃんと受け入れてもらってるじゃねえか。青大附属の評議委員会にも、二年の連中にも、みんなにさ。そういう努力をしてくれる女だったら、俺も杉本を許せたかもしれねえ。けど、あの女は一切近寄ろうって努力のかけらも見せねえ。佐賀に謝る気もなければ、さんざん悪口言われて塩かけられている親のこと考えて頭を下げようともしねえ。どんなにあんたが一生懸命杉本のために走り回っても、ほら、一切あんたを無視したままだろ? あんたが頭にどういう問題抱えているか知らねえけど、あの女はあんたをかばうどころか自分の武器にして桧山先生を責めたんだぜ。あんた、杉本のどこが気に入ってかばいまくってるんだよ。あの女の性格が悪いことを、わかっていてなんでだよ」

 ──新井林、お前。

 染み入る。すべてが逆転していた。

「俺が徹底してむかつくのは、自分が他の奴と違うことを正当化して押しまくる奴であって、受け入れられる努力をしている人間じゃあないんだ」

 かっちりとした表情、自信を内に込めて、しっかりと踏みしめるような口調。わめくのではなく、穏やかながらも火を抱え持った言い方。

 ──本条先輩と、おんなじだ。

「評議委員長のどうたらこうたらはまだ先のことだよな。だから、今の話は後回しにしとく。けど、これだけは言っとく。あんた、自分で思ってるほど馬鹿じゃねえし、俺が今まで言い放ったような最低馬鹿野郎ではないってな。立村さん」

 タイミングよく鐘が鳴った。唇で小さく笑みをこぼし、新井林はぴんと背を伸ばしたまま、図書室を出て行った。


 ──新井林には勝てないか。

 すでに「静粛」なんて言葉が死滅した図書室の隅で、上総は踏み台の二段目に腰掛けた。手帳をページを眺めていた。

 言いたいことは言った。話はついた。新井林もなんと、前代未聞の、「立村さん」という言葉で敬意を表してくれた。

 新井林の方からは評議委員長の座を奪おうとはしないだろう。自分以上に新井林健吾は大人だった。杉本に対して最低限の礼儀を守ることは約束してくれた。自分よりはるかに出来の悪い二年の先輩に対して、「さん」付けで呼んでくれた。殴り合い寸前までいった相手に対して、きちんと筋を通して水に流してくれた。

 ──そういうとこを、きっと本条先輩は認めているんだ。

 ──俺にはできなかったことを。

 杉本もこんな風に自分から新井林にあやまることなんでできないだろう。佐賀はるみに改めて友だちになってもらうよう頼むことはできないだろう。もう一度仲良くしてほしいなんていえないだろう。自分の痛みだけで精一杯。どんなに新井林や佐賀が筋を通してくれても、完璧な友情と愛情だと感じない限り受け入れようとしない。自分に与えられるにふさわしいレベルの感情で満足しようとしない。

 佐賀はるみの言う通り、杉本梨南はわがままな赤ちゃんなのだろう。

 

 ──俺と同じだ。

 本条先輩から求めた百パーセントの信頼。

 上総が二年間、本条先輩に求めてきたものだった。

 新井林健吾は軽やかにそれを手に入れていた。


 生徒会室の放課後は静かだった。生徒会長だけがひとり、スチール机の上で給食の残りパンをむしっていた。見るからに馬面。のほほんと笑顔。角刈りだが怖くはない。

 他の生徒会役員たちは来ていなかった。ひとりで食うことが慣れているのか、淋しげではなかった。

「立村、追試全部片付いたか」

「なんとかな。冬休みにあとは突入てとこだな」

 一応は次期評議委員長としてのお付き合いをさせていただいていた。話すようになったのは生徒会関連のことがきっかけだけど、実際は次の授業で忘れ物をした時なんかに教科書やリコーダーの貸し借りしたり、メンバーが足りない時はバスケの試合に付き合うとか、そんなお付きあいだ。くそまじめではない。

 緑色の壁。窓のない真四角な部屋。茶室よりは広いが教室よりは狭い。ちゃんと鍵もかかるようになっている。誰が手を伸ばすのかわからないくらいでかい棚には賞状入れの筒が詰まっていた。天井には学校祭や運動会の時にのみ使用される校旗が張り巡らされている。合宿か遠征かわからないが、スナップ写真の集団も小さく自己主張していた。

 パンくずを散らかして食べている会長の顔を覗き込んだ。

「ひとつ提案なんだけど、いいかな」

「食うまで待てよ」

 生徒会長がすべて腹の中に納めるのを待った。

 十月の生徒会改選で、何となく先生たちが手を回してくれて出来上がった組織だ。当然、のんきで取り立てて何かをしようという意欲も感じられないところだった。生徒会のうらやましい点は生徒会室を占拠できるところだ。委員会活動では空いている教室を借りるしかない。溜まり場があると、いざという時に逃げ込める。これはいい。

 まずは最初に、手に入れている情報の確認を取ることにした。

「三学期に、他の学校との交流会、やる予定あるんだろ」

「話がつけばできるかもしれないけど、でもなんで」

「評議委員会もその場に参加させてもらうってできないかな」

 上総は空いているパイプ椅子に腰を下ろした。会長に向かい合うよう椅子をずらした。

「でも生徒会同士のとこにどうやって混じるって」

「うちの学校って、公立の中学と交流すること意外と少ないだろ。留学生とかは結構くるけどさ」

「去年は泊りがけで生徒会同士の交流会に参加したぞ」

 胸を張らなくてもよかろうに。上総は穏やかに続けた。

「公立って委員会活動とかあまり活発でないみたいだからさ。俺も青大附中のやり方しか知らないし、一応俺の立場として」

 言葉を止めた。にんまりと生徒会長が笑う。

「一応、次期評議委員長様だもんな、立村は」

「そういうこと」

 和んだところで、展開開始。

 両肘をテーブルにつけ、前かがみになった。斜めになるので、ちょっと無理なポーズだ。

「俺も本条先輩にはいろいろ教えてもらったりしてるけど、やはり現在の委員会最優先主義には、ちょっとしんどいなあって時、結構あるんだよな」

「ほうそれは」

 青大附中生徒会のわびしい現状を知っているのだろう。生徒会長も頷いた。もう口にはなんも入っていない。

「なによりも、委員が必ずしも変わらないとは限らないだろ?」

「まあなあ、半年ごとに変わるし」

「今はそれぞれの委員が暗黙の了解で持ち上がっているけどさ、俺もいつどうなるかわかんないよ。それこそ、来年規律に回されたりしたら、どうしようかって思うもんな」

「生徒会と違って不安定だよなあ」

 ふんぞり返りつつある生徒会長。彼もかわいそうな奴だ。成績がいいというだけで生徒会へ引きずりこまれ、先生たちに説得されていつのまにか、なのだから。当然信任投票で一発当選。学内では現在「委員会最優先主義」のとばっちりを受けている状態である。楽と言えば楽なのだろうが、やる気なくしそうな立場というのも分かるような気がする。

「だから、俺が考えてるのは」

 上総はゆっくりと言葉のテンポを落とし、先をささやき声で続けた。 

 廊下に聞こえないように。

「委員会がいつ、他の中学みたいなどうでもいい存在になる前に、できるだけやりたい連中を集めてやりたいことができるような繋がりを作りたいんだ。ほら、委員会って今さ、規律ではファッション関係、評議は隠れ演劇部、音楽委員会はバンド軍団、保健はひたすら医学部・看護学校コースって感じだろ? でも、それって他の委員会活動してない奴で、参加したい奴って必ずいるんじゃないかなあ」

「もっともだ、俺もほんとは応援団やりたかった」

 意外な発言に驚くが、心にメモだけ取っておき畳み掛けた。ちなみに青大附中に「応援団」はない。

「もちろん全部が全部じゃないさ。ほら、一年の新井林がいきなり『青大附属スポーツ新聞』とかやり始めただろ」

「知ってる知ってる。あれはフライングだったよなあ」

「部活動最優先主義への革命とか言ってたけど、要は本人がやりたくてやり始めただけさ。けど、やっぱり運動部とか先生たちには大受けしたろ。たぶん来年あたりには、新聞部あたりと共同で発行するって形、取らされるんじゃないかな」

 新井林を褒め称えるしかない。

 会長がやたらと頷き続けるのはたぶん、知っているからだろう。新井林健吾、華のある奴は強い。

「ここだけの話だけど、委員会はだんだん肩身狭くなってきている。たぶん今年の一年クラスで、純粋に持ち上がり委員やってくれる奴は少なくなると思うんだ。公立とおんなじような、委員会のひとつ扱いにされてしまうかもしれないんだ。今までここまでやってきたのに、もったいないだろ。俺はあまり演劇好きじゃないけど、ビデオ演劇とかでいろいろ盛り上がったり、集会の時に派手なイベントやったりとか、そういうのを裏でやるのは楽しいと思う。せっかくそこで覚えたノウハウを委員会の中だけにとどめておくんでなくて、大学のサークルみたいな感じにして伝えていく、ってのはどうかなって思ったんだ」

 一方的にしゃべりまくってしまった。頷きながら聴いてくれている生徒会長。面長の顔が犬っぽい。

「今回、水鳥中学生徒会の交流会に、俺と本条先輩だけでも一度だけ参加させてもらえればいいんだ。あとは有志を募って作って交流サークルみたいなのこしらえてもいいし。学校の公認があった方よければ、学外渉外部を作ってもいい。やりたいことを委員会外のやりたい人がやれるようにしたいんだ。評議委員会、俺の代ではこしらえたいって思ってる。少なくともビデオ演劇以外のをさ」

「ところでどうなん? 『奇岩城』悪役ホームズ様」

 情報が洩れている。そりゃそうだ。かの「シャーロキアン」B組男子評議委員のクラスである。

 シナリオ渡すことを約束した。


 生徒会長はしばらく頷き続けた後、こぶしを平手でぽんと叩いた。

「わかった。交流会に評議委員会を参加させられるかを聞いてみる。たぶん、そんなたくさん人が集まるわけでないんだったらOK出ると思うよ」

「ありがたい、恩に着る」

 人がいないからやれる冗談めいたしぐさ。首脳会談後の握手よろしく、両手で手を取り合い激しく振り合った。最後は体育の体操めいた動きになってしまった。

 ほのぼのと生徒会室を出た。

 ──俺がやりたかったのは、これなんだ。

 

 正式評議委員長就任後に評議委員会として交流活動の話を持っていこう。できればその後も正式に交流できるように活動するつもりだった。

 でも今の上総には時間がなさ過ぎる。

 冬休みに「奇岩城」を完成させ、二月に生徒会の繋がりでうまく交流会へもぐりこませてもらい、三月には三年生を送る会を盛り上げる。その程度しか出来そうにない。

 杉本が評議委員として参加できるのも、半年間だけだ。

 ──杉本はまだ知らないんだよな。

 決定打が打たれる前に上総は杉本の居場所を確保したかった。

 できるだけ女子の面子が揃った中に置いておけば、杉本も今のような問題をそれほど起こさないと思う。新井林と佐賀はるみから離せば、ほとんど問題は解決したようなものだ。ごまかしと思われるかもしれない。その活動が将来の評議委員会、生徒会にとって有意義なものだとうまく言い含めたら。杉本だって自分が嫌われて外されたとは思わないだろう。

 「青大附中スポーツ新聞」をたったひとりで立ち上げた新井林と同じことだ。やりたいことを、上総自身が企画しただけのこと。

 ──大丈夫。評議委員長よりも決して劣らないよ。

 杉本梨南は緻密な計画性でもって物事を組み立ててくれるだろう。たぶん、委員会活動の今後についてとか、他の委員会との交流とか、文化祭関係での合同企画とか、影の企画を立てる仕事をしてくれれば、きっと盛り上がるに違いない。委員会とは別の活動として位置付けしておけばなおよろしい。

 周りの連中を少し集め直して、杉本中心の環境を整えなくてはならないのが面倒だ。そのためには女子関係で誰かよさそうな人を見繕ってもいいだろう。できればあの不良少女花森なつめとか、古川こずえとか。そのあたりを繋ぎに持ってくるという手もある。男子でも、新井林グループとは外れた相手を振ったら、もしかしたらうまくやっていけるかもしれない。なによりも。

 ──俺が評議委員長落ちたら、そっちにもぐりこむって手もあるもんな。自分の居場所も確保できる。一石二鳥だ。

 伊達に二年間、本条先輩の悪知恵を勉強してきたわけではないのだ。 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ