事件発生:2
「場所は佐伯南区3丁目……」
カーナビに住所をセットし車が走り出す。
和泉の車だから当然彼が運転するのだが、実を言うと聡介はあまり運転が好きではない。
どこの現場に向かうのにも、運転は息子に任せて自分は助手席で頬杖をつくのが定番だ。
眠いのもあって無言でいると、ふと遠い過去のことを思い出す。
聡介が若い頃、娘達が幼くて、妻だった女性も健在だった頃のことだ。結婚当初から家庭生活があまりうまく行っていなかった彼は、家にいたくないばかりに非番の日でも何かと理由をつけて職場に出掛けていた。
そんなある日、出かける直前になって警察手帳がないことに気付いた。
何かと反抗的で母親にべったりで、聡介のことを親とも思っていない次女が、悪戯でどこかに隠したのだとすぐに考えた。
聡介は次女を問い詰めた。が、彼女は頑として認めなかった。
その後、実は長女のさくらが、非番の日ぐらいは聡介に一緒に家にいて欲しくて、こっそりと手帳を隠したのだと知った時、愕然としたものだ。
泣きじゃくるさくらを抱きしめ、彼はその日彼女を連れて外に出た。 一日中、車であちこち回った。
我がまま一つ言わず、おねだりも決してしない娘に、何とかして欲しいものを言わせ買い与えた。
さっき子猫が鍵を持って行ってしまったことで、そんなことを思い出した。
「さくらちゃんのこと考えてるんですか?」
和泉が横目で見つめながら訊ねる。
「……なんでわかるんだ?」
「わかりますよ。聡さんって、さくらちゃんのこと考えてる時は独特の表情してます」
どんな顔をしているのだろう? 少し気になったが訊ねるのはやめた。
指示された現場は市内の中心部から少し外れた、広島湾に面した町だった。
海岸沿いには工場が立ち並び、大型電機店やスーパーがあり、それほど背の高くないマンションもぽつぽつと点在している。遺体が発見されたマンションは3階建ての瀟洒な建物で、一人暮らしの女性向けだという。
制服警官が黄色いテープの前で仁王立ちになり、野次馬や報道関係者を制している。
聡介と和泉は手帳を示してから中に入った。
遺体は既に運び出されていた。
鑑識員が写真を撮り、指紋を採取し、忙しそうに動き回っている。フローリングの床上には白いテープで人型が象ってあった。
「よぅ、聡さん」
顔見知りの鑑識員である相原が声をかけてきた。
この道30年のベテランで頑固な職人気質だが、聡介にはいつも親切にしてくれる。
「遺体は運び出されたようだが、被害者の顔写真や素性は?」
「ばっちりよ。今どきの若い者は自撮りとかなんとか、やたらに自分の写真を撮ってインターネットにアップしやがる。ナルシストが増えたもんだ」
ほれ、と差し出されたスマートフォンは誰のものか知らないが、若い女性のアップ写真が映っていた。
こんなことを言うとバカにされるが、聡介には今どきの若い女性は皆同じ顔をしているようにしか見えない。
髪は明るい茶色で、眼がぱっちりしていて、妙に色が白い。
「あれ? この女性……」
後ろからスマートフォンを覗きこんだ和泉が言った。
「知っているのか?」
「以前、どこかで見た記憶があります。どこでだっけな?」
「ガイシャはこの部屋に住む川辺都、24歳。職業は一応タレントとなっている」
「タレント?」
芸能人への興味が薄い聡介はピンとこない。
が、和泉はポンと手の平を打って、
「ああ、どこかで見たと思ったらケーブルテレビだ。広島市内の飲食店を巡ってグルメリポートをする仕事してましたね」
そうなのか。普通のテレビもあまり見ないが、ケーブルテレビなんてもっと見ない。
「けど、それだけじゃ食っていけなかったんだろうな。某有名通販会社のコールセンターで働いていたらしい、社員証が見つかった」
そこへ所轄の刑事と思われる中年男性が入ってきた。
「高岡警部殿でありますか?」
頭が涼しくて腹が出っ張っている、典型的な中年の体型をした男性は熊倉と名乗った。
「自分は佐伯南署刑事課主任の熊倉と申します」
「高岡です、こちらは和泉。ところで……」
聡介は辺りを見回した。今のところ鑑識員以外の捜査員は見当たらない。
「既に到着した刑事達には、周辺の聞き込みをやらせています」
嫌な予感がした。
出動命令は必ず班員すべてに行っているはずだ。
なのに、1課から来ている刑事は今のところ自分と和泉だけだ。
他の連中は何をしているんだ。