事件発生:1
翌朝早くに、携帯電話の着信音で起こされた。何か事件が起きたようだ。
寝ぼけた頭で聡介は、捜査1課長である大石警視の声を聞いていた。
佐伯南区何番町のマンションの一室で女性の変死体発見、現場に急行せよ……。
聡介は昨夜久しぶりに和泉と将棋盤を挟んで、夜遅くまで対局していたので、今朝は寝不足である。
眼を擦りながら起き上がり、欠伸をしながら寝室を出た。
「おはようございます」
和泉はもう起きており台所で朝食の支度をしていた。
彼の足元には、昨日出会った隣室の住人が飼っている子猫が丸まっている。
「どうしたんだ? その猫」
「勝手口にペット専用の出入口があるみたいですよ。今朝早く、侵入したみたいです」
そんなことより、
「事件だ、彰彦。出動するぞ」
「わかりました。きっと美人の死体が聡さんのごりん……臨場を待っていますよ」
「お前、今ご臨終って言いかけただろう? それに、どうして被害者が女性だって知ってるんだ?」
「なんとなく言ってみただけです。それより、朝ご飯食べますか?」
テーブルの上には久しぶりと言っていいだろう、まともな朝食が整えられていた。いつもは朝食べないか、食べたとしても栄養補助食品をかじるか、いつ買ったのかわからないような古い食パンを焼いて、コーヒーで流し込むぐらいだ。
急いで現場に行きたい気もするが、まずはちゃんと食べてからにしようか。そうは言ってもかなり急いでかきこむようにして食事を終え、身支度を整えた。
家を出ようと聡介が鍵を取り出した時だ。
家の鍵には猫じゃらしにも似たストラップが着いている。
手元が滑って鍵を床に落ちてしまう。
それを拾おうとして聡介がしゃがみ込むより早く、子猫がストラップ目がけて飛んできた。
「あ、こら!!」
子猫はまるで犬のように鍵を銜えると、ぴゅーっと勝手口に向かって走り出した。
犬もそうだが猫も元は狩猟を生業とする生き物だ。
獲物を咥えて主人のところに自慢しにいく性質があると聞いたことがある。
子猫を追いかけ勝手口に向かうが、悪戯っ子はベランダを伝い既に隣の部屋に戻ってしまったようだ。
「彰彦、合い鍵は?」
すると和泉は鼻を鳴らして、
「だから鍵を貸してくださいって昨日言ったのに、結局貸してくれなかったじゃないですか。持ってませんよ」
「……」
聡介は腕時計をちらりと見た。
隣の部屋の住人は起きているだろうか?
家の鍵につけているストラップは娘のさくらが高校生の頃、修学旅行のお土産に買ってきてくれたものだ。今ではすっかり汚れて黒くなってしまっているが、何年も大切に使っている。
代わりはない、大事な宝物なのだ。
聡介は思い切って、隣室のチャイムを鳴らしてみた。
すぐに応答があった。
「朝早くに申し訳ありません、505の高岡です」
待ってください、と声がして昨日の女性が出てきた。
既に起きていたようで、しっかりと身支度を整えていた。
「お宅の猫、そちらに戻っていますか?」
「ええ、いますけど……あ、もしかして?」すぐに話しが通じたようだ。
女性は一旦奥に引っ込んだが、すぐに聡介の自宅の鍵を持ってきてくれた。
「申し訳ありません、とんだご迷惑をおかけして!!」
娘にどこか似た女性は恐縮しきりで、何度も深く頭を下げる。
「いや、いいんですよ。そんなお気になさらず」
そんなことより早く現場に向かいたい。
女性は何か言いかけたが、聡介が急いでいるのを察したようだ。
「どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ」
礼を言って聡介は鍵を閉め、和泉と共に車に乗り込んだ。