シルクのハンカチーフ
お召しを受けてわたくしは御前へ。
御前とは我が国、サントワ・シモン国の第一皇子にして未来の皇帝、
シャルマン・ソワール太陽皇太子殿下の御前であります。
お側にはこれはまた綺羅びやかなご学友の面々、騎士団長の、更には大司教の、それぞれのご子息達、この学園のオールスターキャストにして我が国の最高指導者となられる方々。
その中でもひときわシャルマン皇太子殿下のお側に寄り添うのがアシュリー・ポアマン男爵令嬢。
表情は終始不安そうに、チラリチラリと皇太子殿下を伺い、わたくしからは視線を外そうとするものの、それでもやはり気になってか目が合ってしまう。
「リリ・レイオス公爵令嬢!」
それはわたくしの名前です。
今から何やら重大なお沙汰がくだされようというのでわたくしも神妙に控えております。
「リリ・レイオス公爵令嬢!!」
二度もおっしゃられなくても充分聞こえておりますが、この重々しくわざとらしく威厳を込めた口調からすると相当重要なお沙汰のようです。
わたくし、リリ・レイオスと御前におられるシャルマン皇太子殿下の間柄とはいわゆる婚約者というものでありますが、ここまでの物々しい扱いというのも初めてのこと。
皇太子殿下の表情も紅潮し、なんでしょうか、普段よりも……。
「リリ・レイオス公爵令嬢!!よいか!!」
なんでしょうか。
「貴殿との婚約は解消することにしたぞッ!!」
そうです。普段よりも可愛いのです。しかし今は高らかに婚約破棄を宣言なさって、口角をあげられますので、わたくしはひとまずガックリとしおれてみせます。
「わたくしにいかなる……」
「ならば聞かせてやろう!!」
皇太子殿下は勝ち誇った顔を作っておられますが、側近の皆様は不安の色を隠せません。アシュリー令嬢などはもう気の毒なほどに縮こまっておしまいです。
ご自慢のブルーネット、そのしなやかかつサラリとした髪にきゅっとした猫目が印象的な、一見すればしっかり系令嬢でありながら、口を開けば、行動を起こせば、ちょっと常人には考えもつかぬようなおとぼけの数々、これはもう同性のわたくしから見ても保護欲をかきたてられるお方。
セント・ゼスティン学園。我が国の貴族の子女は皆この学園に通わなければなりません。確かに外界から隔絶された異空間ともいえそうですが、そこはそれ、貴族同士が集まるとなれば身分差は厳然と存在し、これを考慮せずに行動することは、将来を考える以前の問題であります。
「なんというか、その、貴殿は!こ、公爵令嬢、そして皇太子の婚約者という身分をカサに着て!このアシュリーに!数々の!なんというか、い…嫌がらせというものをだな、を行った!と、言うではないか!!」
身分をカサに着て!?
アシュリー令嬢がたまらず、真っ赤な顔で何か言い出そうとしますが、周囲の御学友たちが必死に制止いたします。あたかも庇うかのように立ちはだかり、わたくしの視界から遮っておしまいになられます。
そうしてわたくしに対して口々におっしゃるのです。
「アシュリーに嫉妬してるんだろ!」
「それが貴族令嬢のすることかい!?」
「まったく殿下の婚約相手などとは認められないねえ」
なんですか、なんですか、これは……?
申しましたようにアシュリー男爵令嬢はその猫目のスラリとしたクールビューティーに反して、これがもうなんともいえずそそっかしく、つまりは可愛らしいお方で、こうなると皇太子殿下を初めとして、男性陣としてはほっておけないようで、何かと見守っては手を差し伸べてしまう。
そこで当然彼女のことを「作ってる」だの「あざとい」だのといって、良く思わない方々がそれなりにいらっしゃいました。華やかに見える貴族社会の裏側にはそういった闘争がつきまといます。
アシュリー令嬢がそのような御方ではないことはわたくしは十分承知いたしておりましたし、そのような本来の貴族らしいおおらかさは必ずやこの国を、将来の皇帝陛下、つまり現在の皇太子殿下を支える力になると思いましたから、その婚約者として親しくお話しすることで周囲の彼女に対する誤解を解きたい、また、彼女に何らかの目的をもってお近づきなさろうとする向きには、やはり公爵令嬢として、皇太子婚約者として、直接お話させていただいたこともありました。
嫌がらせと思われていたなんて……。アシュリー令嬢からすれば、自分から友人たちを奪う存在に思えた、とでも言うのでしょうか?しかしその「友人たち」はアシュリー令嬢のおおらかさを利用するために近づいてきた面々だったのです。
「婚約が破棄されたからといって……。」
もうこれからは皇太子殿下やアシュリー令嬢のことに無関心でよいとは思えません。
わたくしにはこの国の貴族として国家に貢献する義務があるのです。
なぜ貴族に生まれたか?なんてわたくしにはわかりかねます。ただそこには何らかの天命の存在があることだけは理解しております。貴族同士の婚約というのも、その存在の前ではただそれきりのものに過ぎない、そんなふうに思っていました……この日までは。
「お沙汰は以上でありましょうか?」
「お、おう」
「忝なくも直々のお沙汰恐悦に存じます。しかと承った次第であります」
わたくしはそう言って殿下および御学友たちに一礼いたしますと、かつてないほど優雅にくるりと背を向けて見せました。
「では、ごきげんよう、皆様」
スタスタと立ち去ろうとするわたくしを呆然と見送っておられた皇太子殿下がお声掛けになられます。
「お、おい!」
御学友たちも何かしら大慌てです
「リリ!ちょっと待てって!」
とうとう殿上から降りてこられてわたくしの腕をおつかみになられる。
なんでしょうか?自ら婚約を破棄しておきながら、それでいて必死に追いすがる。そんなシャルマン様を見れば、さすがのわたくしもこんなことを申し上げたくなる。
「恐れながら皇太子殿下。臣下の女人に気安くお触りになられるのはお控えなさったほうがよろしいかと?」
「臣下ってお前……、それに皇太子殿下なんて」
「臣下でありましょう。それが畏れ多くも皇太子殿下のご尊名を馴れ馴れしくお呼びするわけにはまいりません。婚約者でもあるまいし。」
「そんなお前、何ていうかその、反論があるんじゃないのかよ?らしくないぜ?」
「そうでございましょうか?臣下たるもの、皇太子殿下のお沙汰には逆らえません」
「何かひとことあるだろう?婚約者としての、その、プライドだってあるだろ?」
「プライド?わたくしはそのようなものを持ったことは一度もございません。これも崇高なる神々より賜ったわたくしの天命と思えば、ただ皇太子殿下と国家国民の為を思い行動してきたまでのこと、これからもその気持ちが変わることはございません」
そう言って振り払おうとするとシャルマン様は困り切った表情でなんとか言葉を絞り出されました。
「リリ……。リリにとっては、俺のことなんて、そんなものなのかよ?」
お気の毒なほどにうなだれておしまいになられます。
「殿下っ、もうよしましょう、こんなこと!素直におなりになられたほうが……」
アシュリー令嬢が飛び込んできました。先ほどまでの落ち着かない表情はどこにもありません。
いざというときにはお強いお方なのです。御学友たちも駆けつけてきます。
「もう!だから言ったじゃないですか!」
「リリ様はこんなことでお気持ちが揺さぶられるような御方じゃないって!」
はてさて……、どうやら話が見えてきたようです。
シャルマン様が立案し、御学友たちに反対されながらも、なんとかして実現したかったこの『大作戦』。
腹が立つより……。
わたくしの表情が緩むのを見て、アシュリー男爵令嬢が恭しく、まさに貴族令嬢としての潔い態度で謝罪の言葉を述べられました。
「全く申し訳次第もありません。リリ様におかれましてはいつも面倒を見てもらっておきながら……。さりながら皇太子殿下のお気持ちを思うとお断りすることもできず。」
「アシュリーの言う通り。だけど殿下のお気持ちを思うとね。」
「いやはやまったく相済まぬ。すでにお見通しのとおり、全ては台本だ。」
「それにしてはデキが悪すぎるが」
御学友たちもそういってシャルマン皇太子殿下を見やります。
アシュリー男爵令嬢が一歩前に出られます。
「リリ様。皇太子殿下には貴女ほど相応しい御令嬢はおられません。これからも、どうか殿下を支えてあげてください」
「ほら、殿下!!」
後はアナタだけですよ!皆に背中を押されたシャルマン様は、実に言いづらそうに、しかしわたくしから目を逸らすことはなさりません。わたくしもしっかりと受け止めます。
「ああ、なんていうかさ」
「はい」
「俺たちって婚約者だよな?」
「ええ、こんな小さな、子供の頃から」
「なのに、お前との間は、なんていうか距離があるように思えてさ」
「はい」
「はいって肯定されてもだな、その……、やっぱり、俺はお前と、その」
殿下頑張って!御学友たちの声が飛ぶ。
「まったく男らしくないよな。こんなことで大丈夫かと、いつも思う」
「はい」
「うむむ、いやはや、別の女人が現れたら、少しは嫉妬してくれるかと……。」
「嫉妬……ですか?」
むしろ可愛いと思ったのですが、しかしそれはそれで、何故にそんな気持ちになったのか?
思わず考えこんでしまうわたくし。そんなわたくしの両肩をつかむ皇太子殿下、そして瞳をじっと見据えるから、わたくしも受け止めてしまいます
「すまなかった。本当にすまなかった」
「もったいないお言葉」
「お前の愛は国に向けられたもので、俺へのものではないなんて、皇太子の身分にありながら、
そんなことを気にしてしまう俺は本当に小さくて情けない男だ」
「そんなことはないですよ」
「シャリウィードの森で遊んだこと、覚えているかい?」
「そういえばそんな偶然もありましたわね」
「あの時から、婚約者になる前から、俺はずっとリリのことが好きなんだ」
「シャルマン様……」
わたくしから離れるものの、尚も真剣な眼差しのシャルマン様。
「わたくしは……。シャルマン様との出会いは天命であり、これに殉ずるのが貴族女人としての勤めであると、まずは思ってまいりました。」
「うん」
「でもそれからそれなりに色んなことがあって、今回のようなこともあって、だけどそれ以前からわたくしは……」
なんと申し上げたらよいのでしょうね?「可愛い」なんて、殿方に対する褒め言葉なのでしょうか?
もっとふさわしい言葉があるような気もします。
だけどシャルマン様を見ていると、なんだか全てを許せる気持ちになるのも事実。
「わたくしは……。」
ようやく言いかけるとそこでシャルマン様が遮る。
「いやいや、もういいんだ、本当の気持ちを聞かせて欲しいなんて、俺はまったく相変わらずのガキのままだ、そんなことを聞いてどうしようっていうんだろう」
「だけどそんなシャルマン様だからこそ、国のために、貴族として、なんて、
こんなわたくしでも思えるのだな、と」
これは今気づいて、そして素直に言えるわたくしの本当の気持ち。
「シャルマン様だからこそ……。」
そういった時、自分でも本当に不思議なのですが、わたくしは涙を流していました。
自分や周囲が思っているより、わたくしだってまだまだ子供っぽくて、めんどくさいことは、自分が一番よくわかっています。
シャルマン様が王家の紋章が入ったシルクの純白ハンカチーフでそっと拭ってくださいました。
「国を思ってくれることが俺を思ってくれることでもあるのだろう。改めて、リリ・レイオス。
この俺の愛の全てを、お前とこの国に捧げよう。こんな俺だが、これからもよろしく頼む!!」
「ああ、なんともったいない。こちらこそシャルマン皇太子殿下、こんな不束者のわたくしですが、
お国のため、貴方様のため、精一杯に尽くします、これからも大切にしてやってください」
そう言って跪こうとすると皇太子殿下はその尊き御身を寄せられ、わたくしをお姫様抱っこに抱え上げられました。
「だけどいつの日か、最高の皇帝になって、俺だけを見つめさせてやるからな」
「まあ!」
わたくしはシャルマン様にぎゅーっとしがみつきました。
おやおや、いつのまにやら御学友の皆様はこっそりと退出しておられたようですね。
お礼を申し上げるのは、またの機会に……。




