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天国と地獄

 昔語りなんてもんはジジイの専売特許で――、と、それは戯言としても、うだうだと回想ばっか語るのも腹が立つので現在のことを話そう。そもそもことの発端が二年前だと言っても、何かが目に見えて起こったのはこの春なのだ。


 さて――、その日、登校したばっかの俺は朝から腹が痛かった。


 朝食に掻き込んだ昨日の夕飯の残り物のカレーが悪かったのか、それとも昨晩の脂っこいカツカレーが悪かったのか、その両方が悪かったのかなんてことは知りようもないが、兎角腹が痛かったのは確かで金輪際カレーなんぞ喰いたくもないと思いながら俺はトイレに向かっていた。


 しかし、だいぶ嫌な汗が噴き出してきやがる、これは一時間目の授業をサボって長期戦コースだなと決め込みつつ俺は個室のドアを開いた――ところでなにやら気配を感じた。


何カニ見ラレテイルヨウナ。


 霊感なんてものはさっぱりな平凡人間の俺であるが、そのときばかりは、これは気配というか視線というものを感じたのだ。しかし男子トイレの個室だぞ? 盗撮魔も覗き魔も流石に入るはずないだろうよ、と思っていたのだが――

「まおー、こんなところにいたんだーっ」

 個室の上から降ってきたのんびりと間延びした声はそんなわけのわからないこと言って、――俺は反射的に見上げる。


 驚いたね。


 死神。


 黒ずくめのローブというか、マントというか――そんなとても一般的とは言えないだぶっとした黒衣を身にまとって、手には大鎌を持った、これを死神と言わなければ何を死神と言おうと言うべき恰好をした可愛らしい幼女が、個室トイレの仕切りの上にガーゴイルが如くちょこんと乗っていた。


「まおー、あーそぼっ」

 そいつはにこやかにそう続けて、


「ひっ!」

 破砕音。間一髪。後ずさりしていなければ間違いなく人生終了コースだったろう。

 彼女の持っていた大ぶりすぎる鎌は洋式便器を易々(やすやす)と貫いて、硬そうなタイルまで掻き切ってコンクリートを露出させていた。


「マジ――かよ」

 こういうとき咄嗟に何か気の利いた事を言えたらよかったんだけど――生憎そんなウィットを持ち合わせていない。


 いや、それよりだ。


 この状況。


 身体のどこにもそんな怪力なんてなさそうな華奢な幼女の()(くだ)した一撃で洋式便座が粉微塵に、配水管がただのスプリンクラーに拉げてしまったこの状況は――一体。

「これは、夢じゃないよな?」

夢見心地のまま俺は訊く。よくよく考えてみれば俺を殺しかけたやつに尋ねるなんて全くおかしなことだったが、けどそんなことまで考えが回るはずないだろ?


「なにいってんの? バカになったの?」

 期待した返事は帰ってこなかった。


 確かに夢にしては映像が鮮明すぎると思ったんだ。夢が急にフルハイビジョンになるわけないもんな。だとするとだよ、つまりこれは――現実。

 そう判断したところで俺は全力で踵を返していた。


 なんやかんや言ったところで俺はまだ人並みには現世に執着があるのさ。それに痛い思いをするのは御免だし。

 そう落ち着き払ってみたものの、身体は危機を危機と認識しているようで今までサボりにサボっていた運動不足の身体はここぞとばかりにフル稼働していた。つまりは全力疾走していた。


 トイレから続く直線状の廊下を、ともかくあのわけのわからん死神幼女から逃げるためだけに疾走する。大体なんだよあのデカい鎌。口裂け女でもあるまいし。

 そういや、このとき俺の腹の痛みはすっかり引っ込んでいた。

 と――。

「もうっ、どこへいっちゃうの? まおー」

 行為とは裏腹に口調だけは可愛いその少女は、いつの間にやら俺の進行方向に高々と大鎌を構えて仁王立ちしていた――ってちょっと待てよ。おかしくないか?


 どうやって先回りしたんだ?


 トイレからこの廊下は一本道のはずで、トイレから飛び出したのはどう考えても俺が先なのだから、あいつが俺より前にいるなんてことは物理的に不可能なはずなんだが――。


 しかし、結果として答えは出なかった。いや、その答えをゆっくりと考えていたらきっと俺が絶命していただろうことは想像に難くない。なぜなら矮躯の前で尻餅付いた俺のすぐ頭上を白刃が一閃したのだからな。


 そして――だ。運はどうやらもう敵の方に寝返ってしまったらしい。万事休す。万策尽きた。尻を地面にぺたんと付けてしまっているこの状態からじゃあ次撃を絶対にかわせないなんてことは、想像力を働かせるまでもなく容易に理解できたね。おそらくは正中線で真っ二つだろうよ。


 やれやれ、

 さよなら俺の人生。十七年間ってのは案外短いもんだったな、あばよ。

 そう最後くらいはキザったらしく人生に暇を告げつつ、

「一つだけ訊かせてくれ」

 せめて疑念無きままに死にたいものだと、そう願い出た。


 血も涙もない彼女はしかし、流石に命を奪う前に質問だけは許してくれる情けはあったらしい――、振りかざした鎌を収めると、

「どーしたの?」

「お前は一体誰だ?」

 何だ? と尋ねた方がよっぽど正しかったのかもしれないが。いずれにせよアノニマス少女に殺されるのは癪に障る、名前ぐらい知っておかないと化けて出ることも出来ないだろうし。できることならば住所も聞いた方が良かったかもしれない。


 けれど彼女はびっくりしたような表情をするのだった。

 信じられない、とでも言いたげに。

「わたしのこと――知らないの?」

 お前みたいな赤の他人をいきなり鎌で襲うヤツは知っていても知らない、……というか普通に知らなかった。


 ――って、その質問は一体どういうことだ? 俺はこの少女を知っていて当然だとでも言うのか? じゃあなんだ、まさかお前は俺のことを知っているとでも?

「うん、知ってるよ? まおーでしょ?」

「それはたぶんとんだ人違いだな」

 クラスメイトに陰で俺がどう呼ばれているかは知らんが、少なくともマオーなんて俺の名と何の関連性もない名前では呼ばれていないと思う。というかマオーってなんだよ、ヌオーの進化形か?


「きっとそいつはこの学校にいないと思うぜ」

 いくらキラキラネームが席巻している世の中とはいえマオーはいないはずだ。っていうかそのマオーさんと俺が一体全体どうして間違えられなきゃといけないのかね。


「だって……、すっごく似てるもん。顔とか――気配、とか」

「ドッペルゲンガーだなそいつは」

 間違いないね。


「どうかそのマオーさんに出会ったら俺の近くには来ないように言ってくれ。ドッペルゲンガーに出くわしてしまうと寿命が短くなってしまうらしいからな」

 とは言ったものの、寿命うんぬんより俺は今ここで殺されてしまうことを危惧すべきだったか、――と思い至り、

「ところで――どうだ? 俺は(くだん)のマオーさんでないみたいだから、わざわざ斬る必要はないわけで――つまりこの場は見逃してくれないかい?」

 尻餅を付いたままそう提案すると、その少女はしばらくの思案の末「うん」と首肯する。と――、すとん。膝を付いて鎌を傍らに置き、三つ指付いて額をリノリウムに擦り付けた。

「とんだ無礼、ごめんなさい」

 たどたどしい謝罪ではあったがしっかりと躾けられているのか、良家の生まれなのか、幼い容姿の割には慇懃なそれだった。もっとも本当に躾けられているのならば突然他人に斬りかかるなんてことはしないだろうけど。

 三秒ほどそのままで、それからこれまたいきなりすっくと立ち上がると――踵を返してよたよた歩き始めた。その小さな背中に俺は声を掛ける。

「お前、当てはあるのか?」

「……ううん」振りかえることもせずそう力なく頭を振って、

「じゃあ、その――マオーさんにはなんの用があるんだ? 仇討か?」

「仇? ……違う。ちょっとあそぼーと思っただけ」

 一体マオーさんはプロレスラーかなんかなのだろうか。それともドMか?


 全く世の中にはすげえ遊び(プレイ)をする人もいるもんだと感心していると――まるで、地の底から聞こえてくるような――いや、事実として地の底から声がした。母性を感じさせるような、甘い声が。

「お待ちください。その方は魔王様です」

 何を確信してかその声はそんな言葉を紡いで。声の主と思われる美少女は天から降ってくるでもなく、地から湧いた。のったりぬったりと、トンネル効果でもあったかのように床をすり抜けて這い出てきやがった。


「何だ? また変なヤツが出てきたぜ……」

「変なヤツ――、とはつまりどういうことでございましょう? 魔王様」

 背中には黒い翼をたたえ、ハート型に尖った黒い尻尾を持つその悪魔のような少女――、悪魔のような風体をした少女は、折り目正しく一礼しつつ俺に向かってそんなことを言って柔和に微笑んだ。


 まさか俺に向かって、魔王様って言ったのかこいつ――。

 ってことはさっきのマオーってのは魔王って意味なのか?


「え、じゃ、これほんとはまおーなの?」

「ええ、おっしゃる通りでございます。お嬢様、服装や髪形が変わっていますが魔王様で間違いないかと」

「そーなんだーっ。もうっ、まおーの嘘吐きぃーっ」


 蚊帳の外に放置された俺はとんとん拍子で進んでいるらしい話の傍らで、ぽっかりと――本当にぽっかりとバカみたいに口を開けて佇んでいることしか出来なかった。


 ようやく昇天しかけていた意識を取り戻したとき、目の前には、――とはいってもずいぶんと下の方だったが、死神幼女のむっくりとした膨れっ面があった。お餅みたいにぷっくりと膨らませた頬は、とてもじゃないが殺人未遂犯とは思えないくらいに愛らしい。


 むにぃ。

 だからこうやってその死神幼女のほっぺたをつまんで引っ張ってしまったのも、迸る内なる父性の所為(せい)で――詮ずる所致し方の無いことなのである。


「にひひぃ」

 これは俺の笑い声ではない、死神幼女のものだ。てっきり怒られると思っていた俺は、予想を裏切ったその笑顔にびっくりして――びっくりした拍子についうっかりその柔らかなほっぺたを揉んで、揉んで、揉みしだいてしまった。

 揉みまくってしまった。


「えっと……」

 流石にこちらの方が気不味くなって、俺はおずおずと手を学ランのポケットにしまった。あの悪魔少女も何か言ってくれればいいのに……。そんな、にこやかな表情で微笑ましそうに見るもんじゃないぜ、あの状況は。


 けほん。

 咳払い一つ。

「それで――? 諸君らのロジックを聴聞させていただこうか」

 先刻の準犯罪行為への罪悪感というか、居心地の悪さからことさらに衒学的な言い回しになったなあということが今になってみればよーく分かるね。


「ロジック……というほどのこともありませんけれど」

 口を開いたのは悪魔少女だった。

「貴方様が魔王様であるという証拠なら、右肩にあるかと存じます。ええと、右肩に大きな傷跡がございますよね」

 ――ある。

 全くどうしてか知らないのだが、そいつは俺の体のことを隅々まで熟知しているようだった。いや、隅々までかは知らないけどな。


「しかしそれがいったいどうして俺が――その、魔王だってことになるんだよ」

 あまりに馬鹿げていて、魔王なんて口にするのはちと恥ずかしかった。その――俺にもいわゆる中二病っていう時期があってだな――。疼くんだよ、そんなワードを耳にしちまうと。


 だが、死神少女は果たして俺の質問に答えなかった。答えない代わりになにやら一人得心入った面持ちになって、ぽんと手を打つ。

「記憶喪失でございますね」

「何がだ」

「貴方様が――、でございますよ?」

 なるほどね、つまり俺は魔王だった頃の記憶をすっぽりと失くしているわけだ――なわけあるか。


「残念ながら俺には記憶がある、物心ついたときからずっと。十数年分しっかりと、それこそ一年の欠けもなくな」

「では記憶障害です」

 彼女は断言した。

「すっぽりと抜けた分の記憶を後から補ったにすぎません。貴方様の思っている過去は偽物です、嘘です、作り物です」

 言ってくれるじゃねーか。


「お気を悪くさせてしまったのならば平身低頭お詫びいたします。しかし、ですよ。現状から判断するに、鑑みるに貴方様は魔王だった頃の記憶を失って、代わりに人間として記憶を補填したという風にみるのが最も適切なのです」


 ふーん。

「――いや、待てよ」

 危うく相手のペースに飲み込まれるところだった。

「そもそも――だなぁ。つまるところ君らは何者なんだい? それを知らない限り、俺は君らの話をまともに聞けないってものさ」

「そうですかやはり――」


 やはり――、何だろうか?


「いえ、こちらの話です。気にすることはありません」

 そう言われて気にならないほうがおかしいというものだ。隠されるから気になってしまうと言うのはどうしようもなく男の(さが)だぜ? とはいえ、ここで食い下がったところではぐらかされて終わりだろうからひとまずは口を噤んだ。


「わたくしたちは見ての通り、悪魔と死神です」

 見ての通り、ねぇ。

「残念ながら見て分かったのは君らがヘンテコなコスプレ好きの、おかしな奴ってことくらいだね」

 これには流石に悪魔少女も目に見えて機嫌を悪くした。顔に出さないようにしているが、一瞬表情金が引きつったように見えた。


「ではさっきわたくしが床をすり抜けて出てきたのはどう説明なさると?」

「何かの見間違いだろ」

「……なるほど」

 ため息交じりに言って。

「これは――長期的な療養が必要ですね」

 沈痛な面持ちで額を抑えながらそんな結論を下すのだった。


 長期的療養? 何だよそれ、と思ったのは俺だけでないらしく――。

「ちょーきりょーよーって?」

 死神幼女が舌足らずに訊いた。

「簡単なことです」

 そんな前置きをしてから語られる説明を、俺はどこか他人事のように聞いていた。


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