「On the road」
「ある物が然るべき場所にある」これはごく当たり前の風景で、普段意識していない分それが突如崩された時、人間の思考はたやすくオーバーヒートし、一日そのことばかり考えてしまうという負のループに陥ってしまいます。
デスクの上にパソコンがある。当たり前の風景です。しかしどうでしょう?便座の上にパソコンがある。おい、おかしいだろ。なんで?どうして?わかんない!!または八百屋の商品棚にバナナが置いてある、当たり前の風景です、しかしどうでしょう?靴箱の中にバナナがある。もってのほか!いよいよ分かんない!いくら考えても、私にはどうすることもできません。まあ、これは極端な例えですが、実際に体験した「不可解な風景」をお話ししたいと思います。
道路って歩きますよね。道路に落ちていて当たり前の物。小石や吸い殻(ゴミや吸い殻を捨てる人は回し蹴りしたい位大嫌いですが)夢や希望が落ちていることは良くあります。
私は、通勤時にウォーキングがてら、片道30分(往復60分)歩いています。電車を降り、商店街をぬけ、運動公園で季節の花を見て、住宅街を通り過ぎるルートです。好きな音楽を聞きながら、春には桜、秋にはイチョウを見ながら歩くのは、デスクワークの私にとって大切な時間になっております。しかし雨の日は、バスを使います。
先日の事です。その日は雨が降り、戦友と「バスで帰ろうぜー」と。バス停への道は、ウォーキングルートとは逆で、いつもは真っすぐ行く信号を右に曲がり、高校の外壁を沿って歩いて行きます。あーだこーだ話しながら歩いていると、落ちていたんです。洗濯機が。洗濯機が…。落ちていたんです…。はあ…。洗濯機が…。
キタ――(゜∀゜)――!!
洗濯機キタ――(゜∀゜)――!!
なんでー!うっそ!
どうしてーー!!ひょーー!!!
と一通り興奮し、写真をとり、戦友と観察を始めました。その洗濯機は、いわゆる普通の洗濯機。容量4.5kg。見た限り新品に近い状態でした。何か柔軟剤の開封防止シールみたいのが貼ってあります。これが、二層式の古いタイプだったら、捨てられていたと思ったかもしれません。
しかし、仮に捨てられていたとしても、何でこんなところに捨てる??駅前ではないけれど、そこそこ人も車も通ります。住宅街なら、粗大ごみ回収待ちなんだろうなと思うし、百歩譲って山道なら、とんでもねえ輩が棄てやがってと憤慨のしようもあります。でもなぜ…そこにあるの…。
とりあえず、私と戦友はいくつかの仮説を立ててみました。
①何かのはずみでトラックから落ちた。
②盗んだ人がここに置いて行った。
③ただ単に忘れた。
④白昼堂々、棄てた。
なんだかどれもしっくりこず。ああ、考えれば考えるほど、負のループに陥ってしまいました。私は「落としたんだと思う」というと、戦友は「いや、棄てたんですよ」と。議論はヒートアップし、今にもつかみ合いの喧嘩になりそうでしたが、そこは二人とも一応大人の女です。「当事者じゃないと分かんないよね」と話をまとめました。
次の日の朝、私はウォーキングで出勤しました。例の信号、ふと曲がり角を見ました。まだありました。あの洗濯機が。一晩経過しても、同じ場所・同じ格好で。不思議ですが、愛おしさすら感じていました。自席につき、朝の挨拶もそこそこに「あったね」とアイコンタクトをしました。正直な話、私と戦友は「道路に洗濯機がある」のは然るべき当然の風景であると思考が変わりつつあったのです。戦友はこれを「世界七不思議に任命しよう」ととても前向きになっていました。
その日も私のデスクにはパソコンとくまのぬいぐるみ3体、飲みかけのコントレックスとピンクのカップが当たり前のように置いてあります。疲れもたまる午後、ふと、あの洗濯機はどうなっているのだろう?と、どこか寂しげな洗濯機の姿が脳裏を過りました。そんな事を思いながら、窓から外の空を見つめ就業時間を待ちわびていました。
私と戦友は定時でキッカリ上がり「まだあるかな?」と子供のようにはしゃいでいました。戦友は「あると思います!アメちゃん賭けます」なんつって。焦る気持ちを抑え、小走りで洗濯機のもとへ…。………洗濯機の…もと…、そう、もうその姿はありませんでした。夢か幻か、そこには最初から洗濯機など無かったかのような日常が流れていました。
あの日、雨が降らずに歩いて帰っていたら…。バス停まで行っていなかったら…。こんな貴重な体験をすることは無かったのでしょう。雨よ、そして戦友よ、私は心から言おう。「ありがとう」と。
いずこへ…。