第66話『改名』
混乱するばかりのわたしに、クラウスさんは「婚約はあくまで親同士が決めた口約束程度です。正式ではありません」と教えてくれた。良かったとホッとする。でも、何でホッとしたのか、自分でもわからない。
クラウスさんが誰とつき合おうが結婚しようが、わたしには無関係ないはずだ。まして、ニーナさんが相手だったら出世とかにもきっといい。だけど、何か嫌だった。クラウスさんとニーナさんが一緒にいるのを想像したら、胸の辺りがちくっと痛んだ。
「もちろん、森の外に出た俺は罪人ですし、婚約は破棄されるでしょう」
「俺って」
クラウスさんの口からはとても似合わない。それに破棄されることを喜んでいるようにさらっと言った。
本当にクラウスさんなのかな。いつもと違う気がする。
わたしが見ていると、黒い瞳が細められる。目尻が垂れて、口元が上がる。クラウスさんの笑顔はこうやってできるんだなあと思っていたら、両肩に手を置かれた。笑顔が近い。
「あなたのことをミヤコとお呼びしてもよろしいですか?」
確かに神子で無くなったということで、敬称をつけるのは変かもしれない。納得はできるけど、クラウスさんの口から聞く「ミヤコ」は恥ずかしい。お父さんやお母さんが呼ぶ響きとは絶対に違うもの。
どう答えようと焦っていたら横から助け船(海賊船並みの物騒な船)が出た。
「それはやめておけ。ミヤコなんてわけのわからない名前は他の村へ行ったときに目立つ。ここは名前を変えるべきだな」
「わけのわからないって、何よ?」
「言った通りだ。ミヤコなんて名前はこちらの世界ではあまり聞かれない。怪しまれるだろうし、うかつには呼べないだろう」
まあ、言う通りだと思うけど、もう少し、言い方というものがある。先にそう説明してくれれば、こじれないのに。
サディアスはいつもそうなのだ。わたしだっていちいち突っかかりたくないのに、サディアスのおかげでいつものパターンになっている。
こちらがまだ引っかかってなかなか先に進めなくても、サディアスとクラウスさんは勝手に話を進めた。わたしを置いてきぼりにしてどの名前がいいか、候補を挙げ始める。
「……フォル」と挙げたのは、サディアス。
「いや、アルスはどうだ?」と、クラウスさん。
どちらも男の人の名前みたい。
「ミヤコ、あなたはどちらの名前がいいですか?」
急に振られてちょっと戸惑った。どちらがいいかと問われると、迷ってしまう。「アルス」はどこかの勇者みたいで格好いいし、響き的には「フォル」がいいかなと思った。
サディアスを選ぶのは嫌だけど、自分がいいと思う名前を選ばないと後悔する。わたしは「フォル」を選んだ。
「ああ、フォルですか。仕方ありませんね」
クラウスさんは苦笑した。サディアスはというと、当然だとばかりに鼻で笑うだけ(本当に失礼なやつ!)。
「よろしくお願いいたしますね、フォル」
「ふん、俺のつけた名に恥じないような行動しろよ」
わたしはサディアスを無視してクラウスさんに「はい!」と大きく返事をした。ミヤコ改め、フォルとなった瞬間だった。




