第138話『本の部屋』
午後の陽気から日が傾きはじめた頃に、クラウスさんとはそこで別れた。もう少し話したかったけど、彼はまだ仕事が残っているのだという。そんな忙しい合間にわたしの相手をしてくれたんだから、本当にいい人だ。
またふたりきりで話をする約束もしてくれた。おかげで別れなければいけないのかーと沈みかけた気持ちが、上がっていった。別れ際に落とされた手の甲へのキスは、かなり恥ずかしかった。
興奮した気持ちのまま、自室には戻りたくなかった。誰かに聞いてほしい。そう思ったら真っ先にサディアスの顔が浮かび上がる。
護衛の騎士をつけて薄暗くて気味の悪い通路を歩く。胡散臭くてあまり好きじゃなかったけど、またこうして歩けるのは嬉しい。この通路に続くのは通いなれたサディアスの部屋だ。
きっと、「邪魔だ、アホ面」とでも言われるかもしれない。たとえそうだとしても、この嬉しさを聞いてほしい。不機嫌な顔で嫌味しか言わなくても、彼なら聞いてくれると思った。それくらいの信頼はあるのだ。
扉の前に来て一応、ノックをする。勝手に入ってもいいんだけど、ここは王女としてはしたない行動には出れない。後で突っつかれるのも嫌だし。しばらく待ってみたけど、扉の隙間からサディアスの無表情が現れることはなかった。
――いないのかな? 何だか、納得できなくて冷たいドアノブに手をかける。入ってみても大丈夫なはず。騎士にはここで待つようにとお願いして、わたしは部屋のなかに足を踏み入れた。
暗闇に目が慣れてくると、わたしが座っていた席と、サディアスが陣取っていた大きめの机が薄っすら浮かんでくる。そして、奥のほうにある扉が、サディアスの寝起きする場所に繋がっているはずだ。扉の前までやってきて詰めていた息を吐く。
――これは絶対、夜這いじゃない。そう自分に言い聞かせる。
それに、サディアスがいないのが悪い。サディアスの部屋がどんなものか、ちょっと確かめるだけだ。わたしは好奇心を押さえられず、もう1枚の扉を越えることにした。
開けると留め具がさびついているのか、耳障りな音がする。扉を開ききったとき、わたしは想像と違うものに声を失ってしまった。
部屋はまず手前の部屋よりかは薄暗くなかった。引かれたカーテンの下からは明かりが漏れている。図書館で見るような大きくて丈夫な本棚が、いくつも奥へと繋がっている。さすが本好きな彼らしい。
本棚の間を通り抜けて奥へと進むと、やがて、行き止まりになった。カーテンがかかった窓があり、サディアスが寝起きしているだろうベッドと使い古された机が、隅っこに追いやられていた。本棚にスペースをとられてしまい、ふたつの間はかなり近い距離にある。
ベッドメイキングなんかしないのか、ぐしゃぐしゃのシーツに苦笑したくなる。きっと、今朝もこのベッドで寝癖を作って、起きたんだろう。




