第132話『怒る理由』
「で、何で、あんたは、わたしが女王にされそうになっているのを知っているの?」
ここは牢屋の薄暗い通路。先頭を歩き続ける背中に疑問がわいて、わたしはそうたずねた。サディアスは足を止めることもこちらを振り向くこともしない。癖のついた後頭部をさらしたまま、じっくりと間を開ける。そして、話す前によくやる、ため息を吐いた。
「お前が俺を無事に迎えに来たことから考えて、ルルはジルベールに勝利したと察した。そして、ジルベール失脚後、一番王に近いのはお前しかいない。違うか?」
「違わないけど」
相変わらずの察しの良さというか。「俺にわからないものなどない」と言いたそうな感じにイラっときて、歩くたびにぴょんぴょん跳ねる寝癖を掴んでやりたくなる。どうせ怒るからやらないけど。
寝癖に気をとられていたら、ぴょんぴょんが動きを止めた。サディアスの足が止まったらしい。
「サディアス、元気そうね。安心した」
通路の前方からやってきたのはレーコさんだった。親子のような関係のはずなのに、サディアスは「何を呑気な」と切り捨てる。よっぽどレーコさんの言葉が気にさわったらしい。
「全部、あんたのせいだろうが。ひとこと詫びろ、俺とこいつにな」
「ミャーコには詫びたけど、改めて言うわ。ごめんね、ミャーコ。サディアス」
レーコさんが頭を深く下げる。そこから顔を上げると、頬にかかった髪が勢いよく揺れた。
「それにしても、サディアスったら、何を怒ってるの?」
「別に」
「別にって感じじゃないんだけどね。本当に怒ってるでしょ? ねえ、何で?」
レーコさんが詰め寄ると、不機嫌そうなサディアスは「あんたには関係ない」と突き放す。よく考えてみれば、サディアスってわたしのことを「お前」や「アホ面」と呼ぶ。レーコさんでも「あんた」とか「性悪女」だし、誰に対しても失礼なやつだ。
そんな失礼な男にもレーコさんは慣れているようで、ふふと小さく笑う。
「まあ、わかるけどね。大事な人が危険な目に合わされたんだもんね。そりゃあ、怒るわ」
「大事な人?」
サディアスにも大事な人なんているんだと意外に思う。あれ? さっき、危険な目に合わされたって。話の流れからしてもしかしてその「大事な人」ってまさか、わたし? サディアスの顎の辺りを見上げたら、視線は重なることなく、「違うからな」と答えが返ってくる。
「そ、そうだよね」
「大事な人」に「アホ面」はないと思うし、何だ、レーコさんの勘違いか。「何だ」ってわたしががっかりしたみたいだけど、そこは言葉のあやだから。わたしは落ちこんだりしてない。
「えー、じゃあ、何で怒ったのかなー?」
「性悪女の呑気さが無性に腹立たしくなっただけだ」
性悪女と呼ばれても、レーコさんは「あっそ」と素っ気なく返す。こういう話の流し方も長い付き合いだからだろう。わたしにはできないし。
サディアスはふたたび歩き出そうとしていた。レーコさんの横をすり抜けて、通路のあちら側へと行ってしまうのだろう。でも、レーコさんの横に差しかかったところで、いったん足は止まった。
「あんたの企みは成功しただろう。それなら、いい加減、俺を自由にしろ」
「いいよ、自由になっちゃって」
「いいんだな?」
「もちろん」
わたしにはわからないふたりだけのやりとり。
――どうしよう? すっごく嫌な予感がする。このままサディアスが歩き出したら、どこかへ行ってしまいそうな気がする。わたしの手が届かないところに行ったらもう、帰ってこないんじゃないか。
「サディアス!」
「何だ?」
「どこへ行くの?」
「決まっているだろう、自分の部屋だ。寝る」
それはそうだ。あの薄暗くてきのこが生えそうな部屋がサディアスの帰る場所なんだ。
サディアスが黙って姿を消すなんてあり得ない。わたしを置いていくなんてちょっとでも考えた自分が恥ずかしい。まだ心に居座りそうな不安な気持ちを払うように、頭を横に振った。




