第105話『それでいい』
何でこんなやつに緊張していたのかわからない。サディアスなんかに気をつかう必要もなければ、嫌われたって平気だ。なのに。
「あんたとなんか言い合いしたって楽しくないから、別に」
「そうか?」
「わたしは怒ってるんだからね、楽しいわけないでしょ!」
自分で言ったことが頭のなかで繰り返し再生される。ムキになったら、ますます墓穴を掘ってしまうのに。サディアスに突っつかれると思って構えていたら、ふっと笑う声がした。
「フォル、お前はそれでいい」
「え?」
サディアスが笑っている。それも驚いたけど、もうひとつびっくりしたことがある。サディアスは男なんだ。
馬車の窓から差しこんだ光が赤毛を明るく照らす。そして、男らしい顎や鼻筋なんかを浮かび上がらせた。
しかも、この男はいくらか優しい声で、「お前はそれでいい」なんて、否定的じゃない言葉を吐いた。あ・の・サディアスがだ。
いきなり言われても反応に困る。どうしたらいいか考えていると、ふんとお馴染みの笑い方が聞こえてきた。鼻で笑う、例のあれだ。嫌な予感がした。
「どうだ、俺の嫌がらせは?」
「へ?」嫌がらせ?
「アホ面、これが見たかった」サディアスが失礼にもわたしの顔を指差してくる。
「はあ?」
やっと、この男のたくらみがわかった。わたしをアホ面にさせたいがためだけに、わざと優しい言葉をかけたのだ。目の前にあるサディアスの人差し指を潰すように握ってやった。
「あんたねえ!」思わず言葉の勢いとともに立ち上がってしまう。
「うるさいやつだな、馬車のなかで暴れるな」
「うるさいのはどっちよ! 人の心を簡単にかき乱したりして、ムカつくのよ! あんたの無表情も何考えてるかわかんないし!」
自分で何を言っているのか、自分ですらわかっていなかった。とにかく目の前のサディアスにぶつけたかったのだ。しかし、立ち上がったのが悪く、馬車は揺れだした。
もちろん、わたしの足腰ではどうにもならない。バランスを崩して倒れる!
その時、わたしの体は強い力で何かにぶつかった。誰かがわたしの腕を掴み、引き寄せる。腰の辺りに腕が回された。




