親友の思い人は心優しい美少年
(親友のストーカー度が)衝撃的だった情報交換会から数日後。
今日は、杏が初めて秋白朔の道場に行く日ということで、色々と心配だった私は見に行くことにした。家から道場までは、私の足で10分くらいの距離なので一人でも行けたけれど、一応両親には行くことを伝えた方がいいよなぁと思ってそうした結果、母親がついてきた。秋白朔の試合を見に行ったのに倒れて挨拶ができなかった前回の謝罪を、とのことらしい。
杏との出会いやら何やらですっかり忘れてたけど、そういえばそんなこともあったわ、とそれを聞いて他人事のように思い出した。ていうか、その日の内に父親が電話で謝罪してたことも知らなかったよ。まあ確かに、応援に行くとか言ってたのに倒れたとはいえ対面もしてないんだから詫びを入れるのは当然か。別に私から行きたいと言ったわけじゃないけど、見に行くかと問われて頷いたのは間違いないし。
だから、稽古が始まる一時間前に訪ねた秋白家で、秋白親子を前にして謝罪する母に倣って私も畳に手をつけて頭を下げた。
「桃西の奥様も薫ちゃんも頭を上げて下さいな。体調を崩されたんならしょうがないですよ。それよりも大事ないようで良かったじゃないですか。ねぇ、薫ちゃん」
「ありがとうございます。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
頭を下げたまま詫び入れ、母が動くのを待って私も顔を上げる。
そこでようやく私は、濡れ羽色の髪の和服美人と威圧感ある美丈夫、そして我が親友最愛の美少年と顔を合わせたのだった。
その時の感情を、何て表現すればいいのだろうか。
画面越しでもなければ、記憶を通してでもない、生身の秋白朔との初めての出会い。彼の真っ直ぐな瞳を見て、私は感動し、動揺し、喪失感を覚えて、――ぶわっと鳥肌が立った。
「まあ、薫ちゃん、顔が真っ青よ。まだ本調子じゃなかったのかしら。大丈夫?」
「い、いえ。はい、だいじょうぶ、です」
ミカが言っていたのに。
それでもどこかでここは現実じゃないと思っていた私は、何故だかは分からないけれど、今はっきりと解ってしまった。もう、元の世界には戻れないということに。
今更といえば今更なことに、それでも頭が真っ白になってとにかく泣き叫びたくなった私に何を思ったのか、それまで無言だった朔くんが口を開いた。
「庭に行きませんか、かおるさん」と。
秋白家の敷地は広大だ。何せ母屋だけでさえ武家屋敷とでもいわんばかりの立派な日本家屋なのに、そこにプラスして道場も離れもあるのだ。桃西家も一般的な家に比べれば大きい方だけど、秋白家にはとてもじゃないが敵わない。更にただ広いだけでなく、母屋と離れの間にある和風庭園は定期的に手入れされていて常に優美だ。
その、庭園の中心にある池のほとりに、私たちはいた。
てっきり何か言われるかと思っていたのに、ここに連れてきた本人は無表情に正面の池を見つめるだけで中々言葉を発しない。私も、かける言葉が見つからず黙っていた。
そうして、私のささくれた心が凪いだ頃だろうか。まるで見計らっていたかのようなタイミングで、朔くんは話し始めた。
「少し前に、一人の女の子に会ったんです。その子は帰る場所がないと泣いていました。僕は迷子かと思って一緒に親を探そうと言ったけれど、彼女は違うと泣くんです。そうじゃない、自分を知ってる人間は誰もいない、自分は一人ぼっちなのだと」
「それは…っ」
最初はぼんやりと聞いていたその話は、続きを聞く毎に私を驚愕させるものだった。なぜならそれは、ほとんど今の私の心境に近かったからだ。
「彼女は見ている僕の胸が締め付けられるぐらい、ぽろぽろと泣きじゃくりました。言っていることの意味はよく分からなかったけど、僕はそんな彼女を助けたいと、彼女の笑顔を見たいと、強く思ったんです。だから僕は…その時から、彼女が唯一になりました」
「え、と。それはつまり」
「それが秋白の教えなんです。生きている内にただ一人だけ助けたいと思う人を見つけなさい、そしてその人をずっと支え続けなさい、と」
僕にとって、それが彼女だったんです。
朔くんは池から私へと視線を移すときっぱりとそう言った。
……えーと、あれ?いまいちよく分からないんだけど、これもしかして私振られたの?別に私、朔くんのこと好きなわけじゃないし、まだ婚約だって結んでなかったんだけど。でも今の会話からして、どう考えても「好きな子他にいるから君は眼中にないんだ。メンゴ!」ってことだよね。
え、おかしくない?そもそも、これって私を慰める流れじゃなかったの?何で慰めるどころか追い打ちをかけるようなことされてんの?
思わぬ話の流れに、私の頭はパニック状態だった。
だけど朔くんはそんな私に気付いてないらしく、無情にも「だから」と続けた。容赦ないな、この子!
「僕はかおるさんを助けることはできません。あなたの目はあの子と似ているけど…だからこそ出来るならあなたも助けてあげたいけど、残念ながら僕は二人の人間を支えられる程の器ではない。ごめんなさい。かおるさん」
それまでほぼ無表情だった朔くんの顔が、くしゃりと歪む。それは、朔くん自身が泣いてしまいそうな表情だった。
あぁああああ、もう! 前言撤回。この子どれだけ良い子なの。自分にはあまり関係のない人間のことなんだから放っておいてもいいのに。朔くんが悪いことなんか何もないんだから、そんな苦しまなくていいのに。
そもそも、私は朔くんに助けてもらう気なんかなかった。そりゃ慰めの言葉ぐらいはかけてもらいたかったけど、救いを求めていたわけじゃない。そんな、あの親友を敵に回してしまいかねないことできる訳がない。
だから、気に病むことなんて全然ないんだよ。そう思いを込めて笑みを作った。
「いいんです。これは私の問題だしあなたが謝ることじゃない。あなたはどうかその子のことをしっかり支えてあげて下さい。…ただ、少し、ほんの少しだけ余裕があれば私にもあなたのような人が現れるよう願ってくれると嬉しいです」
――私の思いが伝わったのか、朔くんは、ええ必ずと笑って返してくれた。