聞かれたようで
七菜はイルタが苦手なのか、彼女の声を聴いた途端ずっと下を向いている。
イルタはそんな彼女を見てもその表情を崩すことも、声を荒げることもせず、ただ静かに女神の後ろに立っている。七菜はこちらを向いて下を向いているから、さぞかし背中が気まずいことだろう、だが七菜のほうを向いて座っている私は必然的に彼女と向き合う形になっていて、非常に気まずい。
「……」
まるで教師に怒られて反省文書くまで見張られている生徒のようだ。
「……私」
七菜は立ち上がった。
「帰るね」
そう寂しそうに言った彼女の表情を見たら……カオルは立ち上がった。
「はい、そーですか」
「え?」
七菜を抱き上げた。お姫様抱っこをされた七菜は目をぱちくりさせながらも首に腕を回している。その順応の高さは評価する。
「って、帰すわけないでしょ」
そのまま走り出した。いつもの澄まし面のイルタもこれにはびっくりしたらしい、細い目が大きく見開かれている。
「話し終わったらちゃんと帰しますから―――!!!」
カオルはそのまま走り去っていった。
その様子を見ていたイルタは唖然としたが、少しして小さく笑った。
「あの人は、とんでもない方ですね」
その笑みに見惚れて店の若い店主がこけたのは別のお話。
店から大分離れたところでカオルは立ち止まり、七菜を投げ落とした。
「いったーい」
「耳元で大爆笑しやがって、あー耳ぞわぞわする」
そう言いながら耳をとんとんする。七菜は涙目でまたお腹を抱えて笑い出した。
「あはははは! だって、紀伊さんって本当男前なんだもん! 普通あんな行動しないよ?」
「普通さで言ったらお前も異常だよ」
女神を演じてる一般女子高生に言われたくない。
七菜は笑顔を絶やさぬまま、立ち上がった。
「ありがとう紀伊さん!」
「……イルタと仲悪いってわけじゃないんでしょ」
イルタと会った七菜はテンションが目に見て分かるほどテンション下がっている。しかし、強気な彼女なら苦手な人ほど言い返しそうなものだが
「うん……ただ、似てるから苦手なんだもん」
「誰に?」
「お母さん」
カオルは何も言わず、黙った。
どの世代でも母強し、らしい。
「紀伊さんも、お母さん苦手だった?」
「ハイテンションの時の母は苦手だけど、七菜のいう苦手ならお父さんのほうかな」
「そうだ、紀伊さんの両親ってどんな人? 紀伊さんみたいに行動力半端ないの?」
「てぇい」
「いだっ!?」
チョップされて七菜は頭を抑えながら「なんで?」って顔をしている。
「お前は話を逸らす天才だな」
「てへ」
カオルは適当に途中で作られるのを放棄された石でできた階段に座った。
「で、恋バナだっけ?」
「紀伊さんから略語聞くとなんか激しく違和感ある、えっへへー」
「いま高校時代の略語思い出したんだけど、IKってどう意味か知ってる? 」
「ごめん、じゃあ話戻すね」
七菜はちょこんっとカオルの横に座った。
「前にも言ったよね、王様の息子と結婚するって」
「うん、聞いた気がする」
「エンリル・ニラリっていう皇子なんだけどね。ちょとうまくいってなくて」
「交流はあったんだ?」
「うん、最初に助けてくれたの……、女神としての私じゃなくて、本当の私を見てくれる唯一の人」
信頼しているのか、七菜は小さく微笑んだ。
「でも、最近冷たいの」
「なんで? なんか暴走したの?」
「してないもん。でも、結婚の発表からどこか冷めてて……話しかけてもめんどくさそうだし」
「分かるわー」
七菜に睨まれた。
カオルは誤魔化すように七菜の肩を叩いた。
「いいじゃん、女神は独り身でいるべきなんでしょ? 処女宣言したら? そうしたら結婚しなくてすむよ」
「私は結婚したいの!!」
七菜は叫んだあと、ハッとした顔でカオルを見た。
そしてカーっと顔を赤く染める。
「前微妙って言ってなかったっけ?」
「だから……、結婚できるのは正直嬉しいんだ。好きだから……でも、王族だからいっぱい奥さんいるでしょ。嫉妬しちゃって、そんな自分が嫌なんだもん」
「そんな自分の感情について私に言われても」
人の感情を操る能力なんて備わってないんですけど。
七菜は呆れたと言わんばかりの目でこちらを見た。
「話を聞いてもらいたかっただけだから、それは別にいいの」
「へえ」
そういえばアドバイスは期待しないって言ってたな。女の子の恋についての割り切り方はよくわからない。
「私ウザいのかな……」
「子どもだからじゃない?」
「平成ならともかく、古代は適年齢だもん。あと子どもじゃないし」
そうでした。
「今でも、この世界で何か残すのはいけないことって思ってる?」
七菜の問いに、カオルは少し悩んで口を開いた。
「分からない」
時代の違う人を愛して、その人と生きて、ここで骨を残すことが果たして良いことなのか悪いことなのか、それは分からない。
たとえ悪いことだとしても、もう遅い。
「分からないけど、もう私は決めた。ここで生きる」
「変わったね、紀伊さん」
沈黙が降りた。
お互い何も言わない。鳥の鳴き声が聞こえる。
風に身を任せていると七菜が口を開いた。
「……紀伊さん、私たちはタイムトリップしてしまいました。異国で、しかも古代に」
初めて出会った時と同じ言葉、カオルは七菜を見た。
「紀伊さんは『帰る方法が分かるなら帰りたい』って言ったよね」
「言った」
しかし何故今それを言うのだろうか
「帰る方法があるなら?」
カオルは黙った。
何故、今それを言う?
「七菜、お前は何を知ってるの」
「分からない」
「は? 分からないって?」
七菜は自分の手をぎゅっと握りしめた。
「分からないよ。私はなんでこの世界に来ちゃったんだろ。なんで好きになっちゃったんだろう。なんでこの世界に居たいって思うようになっちゃったんだろ」
知らん。
カオルは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「女神になれるなら、元の世界に戻れなくてもいいって思ってた。でも、今は戻りたくないって思ってるの」
「それは女神になったから?」
「好きになったから。この世界が」
七菜の目から涙があふれた。
「どうしよう、帰りたくないよ」
頬を伝う涙。
七菜の思考の中で言葉の真意があるのだろうが、心も頭の中も読めない私は彼女の感情をぶつけられるばかりで、一切の理解も得られない。
彼女もおそらく混乱しているのだろう。
とりあえず、落ち着かせなければ
「七菜……ッ」
差しのばした手が震えてるのが分かった。
知りたくない、聞きたくない。――――そんな感情が私の中で芽吹く。
(……なんで?)
知ってしまったら、もう……
「カオルちゃんって、女神様と同じ世界から来てたんだねえ」
後ろから聞こえた声、振り返ると階段の最上段でアリーがこちらを見下しているのが見えた。
にぃっと笑う牙が獲物を狙うライオンのようで、ゾッとする。
「いつから……」
「カオルちゃんがイナンナを投げ飛ばすとこから」
「最初っからか」
「あ、勘違いしないでね」
アリーの後ろにイブンが立っている。
「俺たちがここで先に内緒話してたんだから」
七菜がぎゅっとカオルの服を掴んだ。
「そ、じゃお疲れ」
片手あげて笑顔で歩き出すカオル。
後ろからアリーの声が聞こえた。
「別に誰かに言いふらしたりしないよ」
「……言っても、誰も信じないしね」
「手厳しいね、相変わらず」
彼も階段を下りてきた。
「でも、わりと噂話って根も葉もなくても広がるもんだよ」
「脅してるの? あとそれされて困るのは私じゃなくてイナンナだし」
七菜がええって顔してるけど、事実だし。
「君も女神様でしたって言いまわしても?」
「……」
カオルは真顔でアリーを見つめた。それは考えてなかった。
「教えてよ、もっと詳しく。君のことをさ」
そっと頬を撫でられた。
「俺だけに」
「イブンは?」
「アレは空気扱いで」
上でイブンの不満げな声が聞こえた気がした。
これまた、やっかいなことになったようで
「そうね、じゃあ」
アリーの襟首を掴んで、投げようとしたが、手を叩き落とされ、逆につかまれそうになったのを、後ろに回り逃げた。
笑顔でお互い距離をとった。
「私に勝ったら教えてあげる」
「じゃあ、そうしよう」
始まった戦いの火ぶたに、七菜はおどおどしながら叫んだ。
「なんで戦うの!?」
「「そういうもんなの」」
背後でイブンが「それは違う気がしますが」と突っ込んでいたが、私たちは聞こえないふりをした。




