鮮やかなようで
ロスタムと結ばれたのは嬉しいが、いまさら気恥ずかしいものがある。
彼を直視できないまま分かれ、今は客人用にと用意された個室でただボーッと天井を眺めている。
外はまだざあざあと音をたてて雨が降り注いでおり、一向に上がる気配がない。外にも出れず、内にいてもやる事がないという……。
雨によってできたたっぷりの湿気で髪の毛が膨らんでいく。暇つぶしがてら指で弄っていると何かが視界に見えた気がした。
「ん?」
なんとなく壁に目がいく。
「紀伊さーん」
「カオルさま!」
うるさい七菜と従順なルシアが、果物が入ったカゴと、なにやら小さな黒い実のようなものが入った小さなカゴをもってやって来た。
壁をよく見ようとして近づいていたカオルの体制をみて、二人は不思議な生き物を見るような目で見つめてくる。
気持ちはわかるけど、その目はじみに傷つくかな。
カオルは何事もなかったように立ち上がった。
「んんー? 何見てたの?」
「壁に掘られたレリーフ」
カオルが見ていたものを、七菜も見つめる。
「錨の模様?」
「どっちかっていうと、扇子っぽくない?」
剣葉の葉のように広がるような模様の中に、鱗状の模様が細かく掘られている。またそれの横にある掘られたものは、どことなく小瓶のようにも見えた。
ふたりで不思議そうに見ていると、ルシアがカゴを置きながらこちらにやって来る。
「それは『植物模様』ですよ」
にっこりと微笑むルシア。
カオルは首を傾げた。七菜もそうなのだろう、植物をまったく連想できなかった二人はもう一度しげしげと掘られた模様をみた。
「昔専属の職人さんがいらっしゃったと聞いたことがあるので、その人の名残なのではないでしょうか」
扇子のような模様を指さした。
「これは『花』です。この扇形に広がるようすが柔らかな花の輪郭線を表現しています」
「花……」
「柔らかな……」
芸術のセンスがない二人が眉をひそめた。
「こちらが、『蕾』になります。これは主体よりも縁飾りの役割を果たすことが多いと思います」
「ルシアが何言ってるか理解できないよ」
「珍しく七菜に同意」
ルシアは苦笑いを浮かべた。
カオルは壁から離れて座り直しながら、二人に問う。
「んで、なんかよう?」
七菜は葡萄を咀嚼しながら、ゆっくりと頷く。
「暇つぶし」
「それは用事のうちに入るのか?」
ルシアに「果物どうぞ」と勧められたので、カゴに手を伸ばす。
彩り綺麗な果物をいくつか食べて、ずっと気になっていたそれを指さした。
「これなに?」
黒い小さな実のようなもの。
「カジュールです。美味しいんですよ」
「へえ」
「えっとね、これねナツメヤシだよ」
口に入れようとしたカオルは七菜の方を見た。
「たぶん。昔にこれっぽいのでドライフルーツ食べたことあるもん。あれ正しくはナツメヤシじゃなくてナツメだったと思うけど」
「……椰子違い?」
「まあ平たく言えば」
カオルは口に放り込んだ。干しているだけあって甘い。ちょっと硬いけど普通に美味しい。
なんとなく干し柿が食べたい気分になったが、口にナツメヤシを入れて急いでその想いを払拭する。
「ところでロスタムさんとちゅーしてたけど、どこまでいったの」
口に入れていたナツメヤシが飛んでいった。
「な、な!?」
「みちゃったんだよねー」
にまにまと目を細めながら口に手を当てて笑う七菜。
なんかムカつくのはなぜだろう。
「ねー、どこまでいったのー? いつから両思い? アリーとはどうなったの? ねえねえ!!」
「大人のことに首突っ込むなマセガキ」
「いいじゃん、恋バナだよ! 楽しいじゃん!! ロスタムさんとアリーと紀伊さんってなんかいい感じに三角関係? 昼ドラっぽいね! なんか」
「アリーとはどういう関係でもないっつの」
「めっちゃグイグイ迫られてたじゃん! 乙女なら胸キュン!! ってならなかった?」
時々こいつが女子高生だったということを忘れるが、七菜の口から飛び出る略語を聞くと、いやでも思い出す。
そしてイラつく。
なぜだろう、道端で「えー? まじでー? うけるんですけどー」とか言ってる女子高生を見ても何も思わなかったのに、こいつが同じように言っているのを想像しただけでイラつく。
きっと色々な積み重ねが繋がっているのだろう。
カオルは七菜のせがむ声を無視してナツメヤシを食べていると、ルシアがそういえばと呟く。
「ナツメヤシはよく生命の樹や、富みの象徴として、よく描かれていることが多いんですよ」
「へえ、詳しいねルシア」
「ボク、そういった彫刻とかみるの好きなんです」
照れるルシアに、七菜は何かを思いついたのか、にーっこり笑って歩いて行った。
「……なんか企んでるなあれは」
「どうしたんでしょう……?」
首をかしげていると、七菜は早く戻ってきた。手には粘土板と棒。
「どんなものか、描いてみて!!」
「出た無茶ぶり」
「えぇええ!! 僕なんてそんな恐れ多いですよ!!」
両手で否定しているルシアに、七菜は口を尖らせた
「いいじゃん、別に! 女神命令」
くだらない女神の命令にカオルは呆れる。
「ルシア、嫌なら別にいいよ。七菜も、無理強いさせるようなことすんな。女神命令とか……調子に乗るなよ」
凄むと七菜は肩をすくめ、怯えたような顔でこちらの顔色を伺う。
怒られても怒られても反省しない七菜に、カオルは諦めと呆れと、ある意味で図太い精神の彼女に感心していた。
「……」
落ち込んでしまった七菜を見て、ルシアは決意した顔で頷いた。
「ぼ、ぼく描きます!!」
(描くだけなのにすごい決意のある顔だ……)
何とも言えない表情でルシアを見ているカオルに対し、七菜は目を輝かせた。
「さすがルシア!! はい!」
粘土板と木棒を渡す七菜。驚くぐらい本当に開き直りが早い。女神のためにいそいそとなにかを掘り始めるルシア。
熱中しているルシアの気を散らすのもなんなので、見ないように待っている間だけ、七菜とあっちむいてホイをして遊ぶカオル。
「あっちむいて、ほい」
「きゃあ」
「じゃんけんぽい……あっちむいて、ほい」
「ああん」
「……じゃんけん、ほい。あっちむいて……おりゃ」
「にゃんで!?」
さっきから勝ちまくっているが、いちいち負けた時の七菜の声と顔が癪に触ったので、指を平手に変えて軽く七菜の頬を叩いた。
「できました」
ちょうどできたらしく、「解せぬ」と深刻な顔で頬を抑えながら七菜がルシアの手の中のものを覗きに行く。
ルシアは照れながら、粘土板を見せてくれた。
なんとなく木というのはわかる。
ただ、これから生命の樹やら、富みの象徴やら言われても……たぶん、分からない。
「あー……えっと、よくできてるね。うん、いいと思う」
「うんうんー。いいと思うー」
無難な答えをカオルは言う。
「む、むかし見た感じを思い出して、一生懸命描いてみました!!」
「そっかー。ありがとねー」
七菜のやる気のない声。描かせたもののさほど興味がなかったのだろう。
こいつはそういうやつだ。
カオルはルシアの頭を撫でた。なんでも一生懸命で七菜の要望に答えようとする健気な子に同情する。
「ルシアって、偉いよね。ほんと」
「え? え?」
「ね、やることないしお昼寝しよ」
人のベットの上で寝転がる七菜。
心の底から思う、あいつにルシアの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいと
「ルシア、あれ持ってきて」
「は、はい」
言われたまま粘土板を胸に抱えて走っていくルシア。絵について触れられるの短すぎる。そんな気はしていたが、やっぱり可哀想だと思った。
「お前、残酷だな」
「なにが?」
ルシアがなにやら木をもって帰って来た。
「なにそれ」
「香木だよ?」
「今日は雨なので、あまり匂いは上がらないかもしれませんが、いいですか?」
「いいよ」
ルシアが時間をかけて火をつけると、ゆらりと小さな香煙が上がった。
カオルは座ったままそれを眺めながらふと思う。
「室内でこれって大丈夫なのかね」
今はなんせ空気が少ない。
ルシアは香木の前に座ったまま頷いた。
「だ、大丈夫です。むかし香木で窒息死した王様もいるみたいですけど、僕が見張ってますから」
「何が大丈夫なのかな」
見張ってるのはともかく、なんちゅう物騒な話をさらっというのだろう。
ふと横をみると七菜はすでに夢の中に落ちていた。
こいつはこいつで何なんだ。
「……はあ」
呆れてものもいえない。
「カオル様」
ルシアが目を閉じたまま、笑顔を見せた。
「ぼく、幸せです」
「?」
「奴隷として売られて、ずっと一人だったんです。でもカオル様に助けていただいて、イナンナ様にお仕えできて、イルタとも再開できたし、イナンナ様は僕を一人の人間として扱ってくれますし……ぼく、本当に幸せなんです」
小さく涙ぐむルシア。
ここから見ても幼い彼は、きっといろんなことを経験してきたのだろう。現代で生きてきたカオルよりもずっと残酷な大人の光景をみて、七菜よりもずっとややこしい心境を抱え込んでいたに違いない。
なのに、自分は今幸せだと泣く子に、カオルは胸がしめつけられるような想いを抱いた。
「ルシア」
カオルは立ち上がり、ルシアを抱きしめた。
「ルシア……。……」
かける言葉が思いつかない。胸にあるこの想いをなんと伝えよう。
悩んでいると、もぞりと七菜が動いた。
横たわったまま眠たそうな目でルシアを見て、にっこり微笑んだ。
「ルシア……だーいすき」
そう言って重い瞼を落とす七菜。
カオルもため息をつきながら、笑った。
難しい言葉で表現しなくていい、そう素直に……
「ルシアありがとう」
「お、お礼をいうのは僕の方で」
「頼りにしてる」
そういって頭を撫でれば、彼は再び涙を流した。
「こ、光栄、です。僕なんかには、勿体無くて……でも、う、嬉しいです」
小さな肩を震わせ泣く彼を、カオルは落ち着くまで抱きしめ続けた。
そして、眠りほうけた七菜が目覚めるのはご飯になってからだったという。




