討論するようで
「……」
日の光がまぶしいぜ。
なんてカオルは考えながら噴水の前に置かれたベンチに座り、空を仰いで遠い目をしていた。
そこそこ資金もある、目的地もある。けれど結局のところその移動方法が分からなければ意味がない。誰かに聞こうかと思ったけど、みんななんていうか……
「……」
ゆったり木陰に座って3、4人ぐらいで集まり雑談していた。まぁ雑談程度ならいくらでも会話に乱入できるんだけど、なんかすごい真剣な顔で……はいりずらい。
「イリアス様に聞けばよかったなぁ」
なんか無駄にかっこつけて私一人でやります風にいっちゃった分、とても戻りずらい。
「んー……よし」
カオルは決意した。
「聞くは一時の恥! 聞かぬは一生の恥ってね」
立ち止まっていても仕方ないし、聞きに戻ろう!!
「ん?」
さっそく行動しようとすると、不思議な会話が聞こえた。
「アリストテレス先生はこうおしゃった。奴隷は財産である、ただし生命ある財産である。と、これから奴隷は生きた物として捉えることができる」
「ふむ、異論はないが。逆に人であるという定義を説いてみないか」
「それは難しいな」
「うむ。奴隷は売買される。市民権があるのなら売られることはまずない、売買される対象ということは人であるとは言えないということだ」
何言ってんだろうこの人たち。
カオルはゆっくりこの輪に近寄り、声をかけてみることにした。ちなみにこの時点ですでに当初の目的を忘れている。
「あのー。何のお話ですか?」
「ローマの国で、奴隷と人の違いを論じていたのだよ」
みな若いとは言い難い見た目で、白い立派な髭を撫で微笑んだ。どうやら話好きな集団らしく男も女も特に気にしない人たちらしい。
「奴隷は人でしょ?」
「違う」
即答かい。カオルは首をひねると一人の老人が指を天に向けて話し出した。曰く、奴隷は人としての権利がなく、自由もない、その上売買されその家の財産となることから、人というカテゴリーではないという。
しかし、長年仕えたり、主が死んだりした際、自分の所有者が己に『解放宣言』をされれば、市民権を得ることができ、奴隷でなくなるということ
さらに、その奴隷だったものの子は生まれながらに『市民権』を得ているため、奴隷ではないと言える。
(うん、さっぱり分からない。そしてギリシャならギリシャ内の奴隷問題について言えばいいのになぜローマ)
「しかし権利がないと人でないというのなら。女性はどうなる? ローマでは女性に選挙権はないぞ」
「商業の権利はあるからな、大小問わず商業での権利は男性と大差ないし、そこにおいては奴隷とは違い『自由』がある」
「その自由は誰が決めるんですか?」
自由、自由って勝手にこの人たち言ってるけど、自由が『ある』『ない』と他人が決めつけるのはもはやそれは『自由』と言えないのではないだろうか。
「自由という意味はいろいろあるが、どの自由のことを言っているのかね? 『商業の自由』『自己の自由』『生命の自由』」
「決める決めないということではないが、自由といえば『リベラル・アーツ』を知っているかね」
「さっぱり」
「そうだろうな」
「ううむ、説明するのは難しいな」
(聞いておいてそうだろうなって)
意味は分からないけど、私の質問内容から離れたことはなんとなくわかった。
カオルは怒りが沸いてきたが、相手は年寄。我慢して話を聞くことにした。が、ふと思う。なんでこんなことしているんだっけと
日差しがちょうど雲に隠れ涼しい風が髪を撫でる。
「……何の話していたかな」
「ちょ」
やけに静かになったと思ったら忘れたようだ。
「……奴隷は人であるかどうか」
「あぁ、そうだった。お嬢さん、お嬢さんはどう思う?」
「人ですよ」
カオルは即答した。
「ほう、何故」
「私もあなたも、何も変わらない。奴隷とカテゴリーに位置づけされただけで人であることには変わりありません」
「そうか、なぜ奴隷は奴隷なのだと思う?」
「……何故?」
そう尋ねられるとは思わなかった。のんびりとした口調で老人は腰に手を当てこう言う。
「奴隷が奴隷なのは、我々が奴隷にしたのではなく、奴隷が己自身で奴隷になったのだよ」
「は? 奴隷になりたいと思う人間なんていないでしょう」
「そう。奴隷になりたいと思う『人間』なぞ『いない』だろう。しかし、奴隷が奴隷なのは奴隷自身の『意思』である」
「どういうことですか」
「ワシが説明してやろう」
別の老人が前に出て説明した。
「奴隷は己自身を金で買い戻すことができるし、長いこと働けばあるいは主に気に入られ『解放奴隷』として奴隷の身分から逸脱することができるやもしれん。しかし、ほとんどの奴隷がそれを行わない。それを行うには長い労働と時間を要するから諦めたほうが利口と考えるからだ」
こうして聞いていれば、いかにガイウスが良い人だったのか良くわかる。
しかし、カオルには納得できない。
「それで、さっきの会話の意味とどういう関係があるんですか」
「最後まで聞かんか」
まさか怒られるとは。カオルは口を閉ざし続きを待つ。全然楽しくない会話だけど、なんとなくムキになってきた。もともと負けず嫌いなところがあるカオルは相手を論破したくて堪らないのだ。
「つまり、奴隷とは己自身が奴隷であると認め、己から市民権すなわち自由、人格のない被保護者になっているのだ。『人間』であるということを放棄した人は人とはいえん。だから人ではないのだ。生命あるモノなのだ」
「オカシイ。絶対オカシイ」
しかしそんなに頭がよくないカオルには彼らを納得させれるような言葉は思いつかない。正直何がおかしいのかさえも分からなくなってきたが、認めたくないという意地だけで否定する。
現代で培った平等の道徳の勉学の賜物がカオルの古代人の価値観を全否定するが、やや不真面目だった学生時代の態度が祟り、対抗文が一切浮かばない。
「何がおかしいのかね」
「あーえー……なんというか」
「なんだね」
どんな言葉が出てくるのかワクワクしている老人たち。どうやらカオルの食いつきが面白かったらしい。完膚なきまでに論破してやると顔がいっている。なんとも嫌な老人たちだ。
「逆に、『人間』が『人間』である定義ってなんですか」
「……」
「……」
「あれ?」
思いのほか他の人たちは黙った。苦し紛れに言った言葉はどうやら彼らの中では難題だったようだ。
「人の形をしているから人。だとしたら銅像も人といえる。が、そうではないな」
「四肢を使うのが人というなら、サルもまた人と言える。が、むろん違うし」
「言葉を発し、会話を成り立たせることが人なら、そうできない赤子は人ではないと言えるが、では赤子はなにんだというもんだいになるな」
「靴や衣服を纏うものが人ならば、裸であるときの人はなんであるか」
なんか、黙って聞いているとこの人たちバカなんじゃないかと思えてきた。なんで物事を簡単に考えられないのだろう。
「人間とはなんだろうな」
「アリストテレス先生は『人間とは自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体によって善く生きることのできる共同体をつくることで完成に至るという自然本性を有する動物である』とおっしゃった」
「しかしそれは人間が単に社会生活を営む一個の社会的存在であるという意味合いではないし、彼女の質問とはやや違うぞ」
ややどころかカオルの頭の中ではかけ離れている。
正直めんどくさくなったきたカオルは適当にこの会話の中から離脱することにした。
「私もう去りま……」
「おう、なにやっとんじゃ?」
後ろに立つガタイのいい老体。見上げればうっすらと誰かを思い出しそうになったが、いったい誰だったか
「五月蠅いのが来たのう」
「あぁ、全く脳筋馬鹿の相手するのは疲れる」
「おいワシの相手してからそういうことは言え」
確かに出会ってそうそう言われればなんも言えないだろうな。そうカオルが考えていると誰かがぽつりと言った。
「アレシャンドレが居たらのう」
「残念だったな!! アレシャンドレはヒッタイトだとかいう国へ流浪医師として去ったわい」
「ヒッタイト!!」
カオルは男の腕をつかんだ。
「あの! ヒッタイトの行き方知りませんか!?」
「知っているが、招待がないと国を渡れんと思うが」
「作ってもらえませんよね……?」
「無理じゃな」
きっぱり断った。
しかし、カオルは負けじと掴んだ老人を見つめる。そして、ふと気が付いた。
「アレク先生……?」
「なんだと?」
アレク先生に似てる。え、ヒッタイトに行った医師って、もしかしてアレク先生? あぁ、そういえばなんかギリシャがどうのこうの言っていた気がする
「何故お前が、ヒッタイトでの兄の呼び名を知っている?」
「えぇえええ!? アレク先生ってアレシャンドレって名前だったの!?」
なんか御洒落……。
「良くわからんが」
掴んでいた腕を外され、肩に腕を回された。
「兄のこと知っているようだな! なっはっは!! 酒付き合え。飲みながら話そうじゃないか」
ずるずる引きずられていく。
その際も気にせず老人たちは人についての論争を繰り広げていた。それを見送りながら―――正しくは離されていきながら、カオルは呟いた。
「水面に映る自分を見ればいいのに」
それは真理だな。とアレシャンドレの弟さんは嗤った。
古代の人間が実際どう考えていたか分かりません。
でも現代人とはきっと違っていただろうな…という話
書いてるうちに分からなくなったのは、よくある事ですよね




