美しいようで
「誰かいるか」
草むしりをしていたカオルは顔をあげた。
こんなところまで、誰か来たらしい。手を洗いエプロンを脱いで畳み、椅子の上にかけて早足で声のするほうへ向かう。
「はい」
立派な御髭の体格のいい中年後半って感じの男性が仁王立ちで立っていた。カオルも背筋を正し、尋ねた。
「どちらさまでしょう」
「私はグレゴリウス。先日は私のエロメノスがお世話になった。礼をいいたい。主はいるか」
「今お呼び致します」
カオルは踵を返し、主のもとへ行った。途中彼と出会い、再び戻る。
「ローマ人ですか」
「えぇ、先日来まして」
「私のエロメノスがお世話になりました」
彼がそういうと、彼の後ろにいた美しい少年が横に並び、そっと頭を下げた。ガイウスは立って話すのもなんですからと、家の中へ招き入れ朝食をともにすることにした。
急にお客様の分も作ることになったカオルにとって若干迷惑だと思ったのは内緒。
先日やってきた美しい少年の名前はイリアスといって、彼のエロメロスだとか
(エロメロスってなんだろう。ガイウス様は分かってるみたいだけど……ラテン語?)
聞いたことない響き、誰に聞くもできず、用があるまでぼーっとしていると。
「あぁ、そうだ。お礼にともってきたワインがあったのです。サヴァス」
彼が連れてきた奴隷が手にしていたワインを主に渡す。
「ほう、いい香りですね」
「お分かりですか。このワインはマスカットでできていて」
ワイン談義が始まった。長くなるなぁと遠くを見つめているとワインを持った奴隷、サヴァスといったか、彼がカオルのほうへ近寄ってきた。
「お礼にお持ちしました他のワイン、どこへ運べばいいでしょうか」
「あぁ、運びますので」
カオルが手を出すと、彼は驚いた顔を見せた。
「いえ、男が運びますよ。案内お願いできますか」
「えぇ、ガイウス様。少し外れますね」
「分かった」
「グレゴリウス、僕もついてっていい?」
「ガイウス殿、よければこの屋敷を見せてもらっても?」
「どうぞ、引っ越したばかりで何もありませんが」
そういってガイウスはカオルのほうを向いた。
「彼らに案内を」
「はい」
といっても、見せるようなものはないが。と思いつつとりあえずワイン蔵へ案内すべく歩き出した。
去る前につまみを置いて行ったカオルの背を視線で見送った後、グレゴリウスはガイウスのほうへ向く。
「よくできた奴隷ですな。遠目からだと子どものように見えたが、しっかりした女性だな」
「えぇ、よくしてもらってます」
「イリアスもあのぐらい芯がしっかりしていれば……」
語りだした彼に、ガイウスは苦笑いを浮かべた。
そのころカオル達は
「あの、すいません……えっと」
「キィです」
本当はカオルですと思いながらも自己紹介すると、イリアスは興味をひいていたのかカオルの目の前に立ち、顔を覗き込んできた。
「肌珍しい色ですね。顔立ちもなんだか変わってる」
カオルはにっこり笑った。
「地中海のほうから来たので」
「シリアの人?」
「いいえ」
美しい瞳が目に映る。どうでもいいけど近い。カオルは口をへの字に曲げた。
「好奇心強いのは良いことですが、地下では危ないのでお退きください」
イリアスは舌を出してごめんなさいと退いた。素直でよろしいと思っていると後ろでイリアスの小さくむうっという不満げ声が聞こえた。
「僕と話すのはつまらない?」
「いえ、私は聞いての通りラテン語が得意ではないので……それに私の話など聞いてもつまらないでしょう」
ワイン庫に着き、サヴァスにワインを入れてもらっていると服を控えめに引っ張られた。
「じゃあ、キィ。僕に何か聞きたいことある?」
「……エロメロスってなんですか?」
「エラステスによって立派な戦士になるために鍛えられる稚児だよ。エラステスは僕らみたいな稚児を愛し慈しんで育ててくださる敬愛すべき徳のある年輩者だよ」
にこにこしながら語る少年。だかカオルが理解できたのは先生と弟子という構図だけだった。
(……正直どうでもいいや)
サヴァスが出てきたのが分かったので歩き出す。
「庭園をご案内します、この庭園は前住んでいらしたご婦人が丁寧に育てていた花がとてもきれいなんですよ」
美しい庭園に嬉しそうに駆け寄る少年、彼の美しさをより一層引き立たせるように花は日の光に輝き、風に揺れた。
(何食べたらあんな綺麗な容姿になるんだろう。遺伝か。まぁ、綺麗すぎて逆に……あら)
にゃーっと猫が入ってきた。普通に見ていたが、急にカオルはハッとしだして走りだした。
「可愛い!」
生まれたばかりの子猫三匹が親猫に連れられよちよち歩いていた。
お客様案内なんて頭の端っこに追いやってしまったカオルはしゃがみこんで一生懸命歩く子猫を温かい目で見守る。
「あれ?」
花の匂いを満喫していたイリアスは振り返った。
先ほどまで案内していたはずの女の奴隷さんがいつの間にか消えている。
「んん?」
サヴァスのほうを見れば苦笑いで探し人のほうを指差した。
「?」
覗き込めば床に座り込んで猫を愛でていた。
「……」
いつもなら放っておいても女人のほうから声をかけてきたり、触ってきたり、イリアスの美しさを讃えていたりしていた。
けれど、彼女はそうでない。愛おしそうに猫を見つめ微笑んでいる。
イリアスの中で女の様な意地が生まれた。
「キィ」
後ろから彼女の頬をさりげなく触れるように近寄り、横に座った。
「ねえキィ」
どうすれば自分が美しいか知っている。グレゴリウスは僕を情報内通者にするために体を鍛えるほか、女ならず男を落とす術を教えてくれているんだ。
耳元でささやくように名を呼ぶ。
「キィ、僕のことどう思う?」
「は?」
たいていの人はそれだけで気を持っているのだと勘違いして、勝手に舞い上がり僕の思い通りになるのに、彼女は違った。
「え?」
「……どう思う?」
「うん」
笑顔を固めたまま考えているのは一目でわかった。逆にそれがショックだった。
(考えなきゃ分からないなんて!)
「…………それはあなたにしか分からない」
「え?」
この人本気で言ってるの?
後ろでサヴァスが笑う声が聞こえた。
「っ」
立ち上がり、歩き出した。
「グレゴリウスのとこに戻る!」
僕の美しさにひれ伏さないなんて!
イライラしたように歩き去ったイリアスの背中を見送り、カオルも立ち上がった。
「私たちも戻りましょうか」
「キィさんでしたっけ?」
サヴァスが横に並んだ。背が高い肌が日焼けて健康的に見える、そしてどことなくアリーを思い出した。
「面白いですね。イリアス様を前に惚けない女を初めてみましたよ」
「美しすぎて、私には別世界の人間のように思えて、恐れ多いだけです。こうみえて、触られたりしてびびったんですから」
それこそ脳の思考回路が停止するぐらい。
「ぷっ、あはははは」
サヴァスは笑った。
「あのいけ好かない坊ちゃんにはちょうど良かったかもしれませんね」
「聞かれたら私たち即、地獄逝きですよ」
「それは怖い、っははは! キィさん」
手を掴まれた。
「お互い仲良くしましょう」
「ご縁があれば」
何故だろう。この人……そんなに好きになれそうにない。
カオルは適当に流し、歩き出した。
「色んな人間がいるもんだ」
変わり者が言う、独り言。
猫は歩くことをやめただ庭の中でじゃれまわって転げていた。




