愚かだったようで
カオルは床に正座しながら遠い目をしていた。
冷めた空気を醸し出し、口から魂を出しそうなほど意識を飛ばしているカオルに対し、周りは楽しそうにがやがやと熱く盛り上がっている。
汗と食べ物と時々清涼な風と色んな匂いが入り混じり、気分を悪くしながらもカオルは死にそうな思いでただひたすらそこにいた。
ここはコロッセオの観戦席。
「どうだキィ! すごいだろう」
「えぇ、すごいですね。白熱し過ぎて熱中症になりそうです」
「ワインを飲め! ほうら、給仕が来たぞ!」
「髪の毛は口じゃないですよ」
興奮気味のレントゥティスに頭から液体をぶっかけられた。ちょっと酸っぱいからポスカかな。
わああああ!!
歓声が上がる。カオルは耳をふさいだ。
――― 最悪だ。
名も語らなかったあの海賊の頭のじいさんがいって居たように、コロッセオではいろんな戦いが繰り広げられていた。
朝は野獣狩り(ウェーナーティオー)が催され、闘獣士たちがゾウやら虎やらライオンやらの猛獣をを狩り殺してゆくとう趣向なのだが、何が面白いのか。
(というかゾウを倒せって原始人かっていう話。バカじゃないの)
どちらの悲鳴かなんてわからないけど、そんなものを聞いてしまったらきっと耳にこびりついて離れなくなるだろう。
「帰ってもよろしいでしょうか」
もう降参です。こんな朝からグロテクス・ホラーなことがあっていいのでしょうか
お手上げで主を見れば隣の老人と何やら大声で会話していた。フレンドリーなのはいいけれど私のほうを向いてください
「コロッセオがただの娯楽だと思うのは庶民の考えだぞ」
「皇帝の権威の象徴か?」
「いいや、これは国民に人の死を慣れさせるための目的があるらしいぞ」
「へえ。面白い」
「……」
「キィ。生きてるか?」
剣闘士となる者の大半は戦争捕虜や私の時のように奴隷市場で買い集められた者たちがほとんどで、徴募された奴隷や自由民たちは興行師が所有する剣闘士団に所属し、その剣闘士養成所で長期にわたって訓練を施されてから闘技会に出場するらしい。
野獣と闘っている闘獣士たちはその養成所での訓練についていけなくなり落伍した者たちだとか
「次はなんだ、やけに若いな」
「歳いった奴は慣れちまって面白くないから新人をつっこんだらしい」
「殺す気だな。猛獣は虎だろ」
カオルはそっと顔をあげて中心を見た。地下から虎がのっそのっそとゆっくり上がって来るのが見える。逃げ腰の若者たちは盾を前に必死に槍で威嚇している。
「……あ」
カオルは目を見開いた。闘獣士としている彼らの中に、見知った人間が居たからだ。
「ジノヴィオス、ソロン」
よく覚えていたと自分を褒めながら身を乗り出すように彼らを見つめる。ギリシャ人の船でややお世話になったとてもフレンドリーな兄弟
てっきり地中海の海に沈んで死んでしまったのかと思っていたけれど、彼らもまた奴隷となりローマに売られていたのか
「おぉ、どうしたキィ。やっぱり若い男のほうがいいのか?」
「知り合いがいます」
「……無視か」
虎は気まぐれ動きまわった後に素早く彼らに飛びつき、鋭い牙をたて首に噛みつきその肉を抉った。咀嚼するわけでもなく、ただ顔に赤い鮮血を浴びる。訓練されたのだろう、めんどくさそうに彼らと距離を取る。
「……助けなきゃ」
どうやって? どうしようもない、そんな考え思いつかない。ここから飛び降りて助ける? 丸腰ではただのバカだ。丸腰でなくても虎に勝てるわけない。
どうする? どうしよう
「……」
松明が目に入った。
「これだ」
虎が二人に目を向けた。観客が手を空に突き上げて叫んだ。
殺せ!!
「させるかああああああああ!!!」
松明をやり投げの要領で思いっきり投げ飛ばした。火が消えるかと心配したが消えず、それは二人の前に綺麗に刺さった。
虎は火を見て悲鳴を上げて下がる。
会場はざわつく、カオルはとっさにしゃがんだ。
(やばい、かも?)
「誰だ皇帝主催の会場を汚す不埒な輩は!!」
皇帝の横にいた兵士が厳かな声で叫んだ。
レントゥティスも低い姿勢でこっちにこっそりよってくるとカオルの頭を殴った。
「なんてことをしたんだ! お前だけでなく、私まで危ないではないか!!」
「そこまで考えてませんでした……。でもちゃんと私は拒否しましたよ」
「なんという愚かな」
顔を真っ青にさせながら焦る彼には悪いけど、本当、何も考えてなかった。
自己嫌悪しながらも正直反省はしていない。
「分かりました。私を殺して下さい」
死んで償えるとは思わないけど、古代でここまでよく死ななかったものだと自分をほめたい。
「私がやったんです。宣言します。あなたは奴隷の主として私を殺して下さい。そうすればあなたは助かるはず」
古代事情知らないけど。
主は少し悩んだそぶりを見せた後、首を横に振った。
「そう簡単に済むことではない」
ざわつく会場。構えている兵士、トラは兵士たちによって地下に追いやられている。どうやら一時中断らしい、二人の兄弟は涙を流して抱き合っている。
バカだ、私。一時的に助けたって、その場しのぎにしかならない。
(奴隷だから……奴隷だからって)
カオルは立ち上がった。
「こらっ」
「なんか腹たってきました。どうせ死ぬなら皇帝殴ってから死にたい」
「バカなことを言うな! 皇帝のもとへ行く前に死ぬわバカ」
バカバカ言い過ぎですよ。しかし、彼の言い分も正しい。カオルは頭を抑えて座り込んだ。だめだ熱くなりすぎてダメなことしか思いつかない。
わああああ、悲鳴か歓声か分からない声が響いた。
「反乱だぁぁぁ!!!」
「奴隷が武器を持って攻めてくるぞ」
国民が立ち上がり、出口へと向かって逃げ出した。
「お前が呼んだのか?」
「まさか!」
都合よすぎるでしょう。そう言い返す前に腕をひかれ走り出した。
「逃げるぞ」
「いいんですか? 私切り捨てたほうが早いですよ」
「バカ言うな」
彼は振り返り私の頬をなでた。
「奴隷は財産の一つだ。それに、私はお前を意外と気に入ってるんだ」
「旦那様……」
「子ザルの次にな。世話役が居なくなると困る」
「……」
嬉しいような嬉しくないような。
走り出し外へ出ると喧騒の中奴隷たちが兵士たちと剣をふるって殺しあっていた。恐ろしいが、どこか客観的に見てしまう光景。アニメや漫画でよく人があっさり死んでいくのを見るが、現実はもっとなんというか
(重い)
命が消える瞬間。血が飛ぶ瞬間、人が叫ぶ瞬間。全部全部重いんだよ。命は重いんだ。
当たり前のことを平和の中で忘れ、軽く捨ててしまえるような世の中に現代は進みつつある。自分の命、他人の命、どんなものであれ、重いんだ……
(忘れていた)
考えもしなかった。
「……旦那様」
「なんだ? おい、お前金を多く払うから急ぎ馬車を出せ」
カオルはレントゥティスに掴まれた手を握り返し、涙声で小さく絞り出すように言った。
「ごめんなさい」
知らなかったわけじゃない、忘れていた。命の重さ、奴隷になって自暴自棄になっていたのかもしれない、そんな私を『財産』と言ってくれた。
なのに、私はあなたを金をもった傲慢な支配者としか思っていなかった。
古代には古代のルールがある。彼らには彼らなりの、ルールやこだわりがあったんだ……
「キィ。お前は異国から来たんだったな。国が違えば考えも違う。それはあたりまえのことだきっと仕方がないだろう。だがな時代に流されるのとその場に流されるのは違う」
「……」
「お前は己だけの感情で流れた。もう少し冷静になれ。そして知れ」
「何を?」
彼は馬車に乗り込んで真剣な顔で前だけを見ていた。
「この世をだ」
その言葉の真意はカオルには分からなかったが、黙ってうなずいた。……そしてすこしだけ、彼を見直したのだった
そろそろローマを出る……かな?
命の重さは時代によってすごい違いますって話
それに凄くカルチャーショックを受けてちょっとらりっているカオル




