決裂したようで
差し出された象牙色の手は、私に向けられたまま。
まるで躰が凍りついたのかのように身じろぎ一つできないままカオルは彼女の目を見つめる。
何を考えているのか、瞳からは読み取ることができない。彼女からは悪意は感じられない。
「はい?」
だからこそ分からない。その手を取る前に私はもう一度聞き直した。
―――手を組みませんか?
彼女が一体何の話をしているのか。
「私たちはタイムトリップしてしまいました。異国で、しかも古代に。ね? その時どう思った?」
「どう? それは不安になったよ。今も、帰る方法が分かるなら帰りたいと思ってる」
「帰る方法がないなら?」
「なら、順応するしかないよ」
彼女はすべてを許容したような調子で、唇だけが勝ち誇った笑みを刻む。
「そう、順応するしかない。でも、私思ったんだ」
ざわざわと心がさざめく。
まるで月のない真冬の夜のような、凍てつくように冷ややかなその眼差し。彼女のその瞳に、わたしが映っている。視線でも逸らせば、この心のざわめきが収まるかと思いつつも、逸らせば敗けのような気がして、逸らせない。
汗が流れ、今は夏だったと思い返す。
「現代では目立たない私が、古代に来て女神といわれてる。これって私が生まれ変わるチャンスじゃないかって。ううん、生まれ変わるんじゃない。私が成長するチャンスじゃないかって思うの」
「……え?」
何言ってるのか私にはさっぱり。
「私、このアッシリア帝国でオリエントの覇権を手に入れる。そして、私は真の女神になるの」
「オリエントの覇権を、ねぇ? アッシリアってオリエント制覇できたの?」
「知らない。某漫画での知識しかないから」
「何それ」
「知らない? 古代にトリップした日本人の女性がイシュタルと呼ばれヒッタイト王子を支えたって話」
「あぁ、知ってる。面白いよね。っておい」
漫画でごまかされそうになったけど、それってつまり漫画と似たようなことしようとしてるってことだよね。
あれ歴史漫画として完成度高いけど、本来恋愛マンガだぞ?
確かに時代背景、女神と呼称され、王族に拾われるという近しい状況に彼女はあるから、そのような考えに至るのは分かる。けれどもだ
「その某漫画風にもしかして覇権を手に入れ、アッシリアの女神になるってこと?」
「最初っからそういってるじゃん」
バカなのか?
私は拳を握りしめた。
「少なくとも、私は一般人にそんなことできないと思う」
「やってみなければわからないわ。私はイナンナとしての発言権を手に入れている。アシュール・ウバリト一世に私を女神と認めさせたのは、私の実力よ」
「ははは、神殿から現れたら女神?」
「……ふふ、ねぇ戦争するって話聞かなかった?」
「戦争?」
確かヒッタイトとミタンニが戦争するって、カリフさんとロスタムが世間話していたような
「ミタンニにアッシリアはヒッタイトに味方し、服属国から独立するの」
「……ん?」
それが何か?
「すこしだけ未来を教えてあげたの。確実にアッシリアはミタンニ王国から抜けれるって」
「なっ……!」
絶句して声も出ない。
「戦争始まったら私ちゃんとそこへ赴いて士気を上げるわ、戦場は怖いけど、大丈夫。きっと私には神補正があるはずだもの」
何を言っているのだろうか、この女。……何を、にこやかに語ってるの? 何、当たり前みたいに誇ってるの? なんで、何の権利があって、そんなことやっているわけ?
過去の時代に、未来の結果を教えるなんて。
「お前は、賢者でもなんでもない癖に、なんてことを」
「だから、女神になるって言ってるでしょ、私が! 女神はなんでも知ってるし、なんでもできる。きっとそのうち、神様が私にチート能力くれるはずだもん。くれなくても、私は女神になるために頑張るし」
その頑張りは現代に帰った時に存分に発揮してください。
口を開き説教をしようとする前に、恍惚の笑みを浮かべた彼女はずっと私のターンといわんばかりに自分の考えを話だした。
「アッシリアがオリエントを制覇するのにはまず、ヒッタイト王国から鉄器の技術を盗んで、うちでもつかえるようにするの。ヒッタイトは貿易で鉄をあまり輸出しないから、こっちで生産するの。そしたらヒッタイトに金を出さなくてもいいでしょ? 売ってよし、使ってよし。最高じゃん?」
鉄、確かに今の時代では鉄はほとんどなく、青銅で作られている。
「それから商人をつかって兵士を紛れ込ませるの、各地に兵士を商人として変装させて配備し、他国のスパイとして設置しておくの、国民の信頼と意識を高めさせるために、法律を民主的なものに変えなくちゃ。愛あっての国でしょ!?」
アッシリア商人のカールム制度を利用しようというのだろうか、その商人たちに及ぶであろうデメリットや危険を考えず、そんなことをさせようというのだろうか
「強国に目をつけられる前に、強国と婚姻関係を結ばないとね、織田信長もよく娘とか送ってるじゃん? あれ? なんていうんだっけ? 政略結婚? みたいな」
それで嫁にやられる姫の気持ちを考えないのだろうか。国のためでなく素性のしれない女のために送られる犠牲者として生きる彼女たちの気持ちを……!
ペラペラととまることの知らないその耳障りなさえずり。
「もう、黙って」
「まだ話は……」
「黙れッ!!!」
私は少女の声をもう、聴きたくなかった。なんと愚かしい話、聞くに堪えない
言葉の一つ一つ、動作の一つ一つ、腹が立って仕方がない。何故だろう。この少女を私は好きになれないようだ。
「たかだか現代でぬくぬく生きてきた、本当の戦争を知らない日本人が、古代の、それも一つの国を、世界をどうこうできるわけない!」
「できるわ。私なら」
なんだその自信。バカなの?
「お前が行う行為によって、未来が変わるとか思わないのか」
「変わることが目的だもの。エジプトと同じようにアッシリアが残るようにするの。西アジア最強国としてね」
「馬鹿か、できるわけない! それで未来に生まれるべき人が生まれなくなると考えないわけ?!」
あとエジプトはアフリカだ。中東・アフリカだから、あれ? 中東って……まぁ、いいや地理苦手だから声に出して言わないけど。アフリカだもん。
七菜は首を小さく傾げ、何を可笑しなことを言っているのといわんばかりの表情でこちらを見つめた。
「未来が変われば、そんな人関係ないし、それはそれで生まれてくる運命じゃなかったってことだよ」
そう言い、なおも強気の笑みを浮かべた彼女は、腰に手を当て、鼻で笑った。
「私、貴女とは違うの分かる? 私はねぇ神に選ばれてるの。だってそうでしょう」
彼女は指を鳴らす。それを合図に今まで潜んでいたのか顔を隠した兵士が私を囲う。
イナンナの権力を手に入れたと口語するだけあって、私兵を与えられていたらしい……日本語で会話していたからおそらく彼らには何の会話か分からないだろうが、前もって教えられた指示に素直に従うぐらいは彼女を女神と認めているのかもしれない。
「貴女は私の手を取らなかった、協力する気がないなら別にいいもん。どうせ女神になれるのは一人」
刃が私に向かう。
「さようなら。ねぇ、本当は死んでもらいたいけど、貴女を連れ出した私を見た証人が大勢いる手前、やめてあげる。でももう二度と私と城には近寄らないでね」
兵士に腕をつかまれ、城の外まで追い出される。
その際たまたまちょうどそこに溜まっていた泥水に顔を突っ込む。あぁ、昨日は雨降ってたなぁ……
憤怒していた気持ちが少し沈んだ。泥によって汚れた服と体を見ながら悶々とする。
「おー。カオル、ちょうどいいタイミングでなんか追い出されたのか?」
ロバを率いてロスタムが私のそばによる。
「……お前、今凄い顔してるぞ」
汚れ的な意味ではないということを、ハニシュとシュルラットの顔を見てすぐに分かった。
というか、ハニシュ口が笑ってるぞ