馬鹿にされたようで
現代では私は早寝早起きの典型的な時間に従う社会人だった。遅刻だって欠勤だってしたことないぐらいきっちりしていた。それはたとえ場所が違っていても、体が覚えているようだ。
夜が明けるとともに人は目覚め、日が沈むとともに人は眠りにつく。古代も現代も変わらぬ習慣のはずだが、そうでない人間もやはり存在するらしい。
「ロスタム」
朝になったのに起きてこない彼を、皆から起こして来いと言われて嫌々起こしに来たカオル。
彼こそ、カオルを家まで運び、この商人家ナサ宅に住まわせてくれている恩人の一人……なのだが
「ロースタームー!!」
彼の体に触れ、怒りと力任せの強引さで肩をつかんでゆするが何の効果も得られない。彼は夜遅くまで活動しているため、朝がとても弱い。一度眠るとなかなか目が覚めないし、目覚めた後もとてもめんどくさい。
自分もそりゃ目覚めは悪いが、さすがにここまでではないと思う。
ため息をつきながら彼の背中おもいっきり叩く。
「私は起こした。だからこれで起きなかったら、もう知らないから」
「ん」
やっともぞもぞ動きながら起き上がったが、目を擦りながらこちらを見て言った一言が
「俺のカウナケスは?」
イラッとする。
「知らないし、子どもじゃあるまいし自分で用意しろ。どこにでも脱いで放置してるから昨日みたいに腰布だけで移動することになるんだよ」
「あ~煩い。お前俺の服用意しておけっていってるだろ」
「どこの王様だよ。ていうか足で踏んでるよそれ。ねえ、人が畳んでおいてあげてんのに、いっつもそうだよね」
カウナケス、とは衣装の名前。ロングスカートで毛房が垂れてみえるように織られた毛織物で、女はショール状に左肩をおおうようにして着用するのがふつう。金持ちは毛皮を使うんだってさ。
ちなみに腰布で上半身裸は夏の季節で暑いときだけらしい。エジプトでならよく見られる光景らしいけど
「なぁ」
小言を言っているのにも関わらず、人の腰に腕を回して、甘えるように頭を押し付けてくるロスタム。
「あ?」
「飯持ってきてくれ」
「動け、自分で。あと離れろ」
離れない彼の頭を叩く。典型的な夜型の人間らしく朝は極端に弱い。起きたなら偉そうにしているが、起きたてはめんどくさがりで逆にこちらがとてもめんどくさい。だから彼の兄妹は私に押し付けてさっさと逃げてしまった。
ちなみに今は時間的に10時ぐらいかな
「今日カリフさんが来るんじゃなかったの? 起きろさっさと」
カリフさんは、ロスタムの父親のお兄さん。つまりおじさんにあたるわけで……たしかヒッタイトを拠点に仕事してるんだったかな?
あと私のショール引っ張るな!
「ううー」
「カオル、兄さん起きた?」
「ホマーちゃん、起きたように見える?」
何か呻きながら服を着ている兄を見ながら妹は肩をすくめた。
「シーリーンがカオルを呼んでたわ」
「姉さん、カオルこき使いすぎだろ」
「兄さんが言えたことじゃないわ」
そういってホマーはべーっと舌を出して逃げるように駆け出した。
「生意気な……っ!」
着替え終わったらしく、部屋を出る。その背が見えなくなる前にロスタムはこちらを振り返った。帽子がずれてるけど、まぁ言わなくていいだろう。めんどくさいし。
「叔父上が来たら俺を呼べ。いつものとこで俺は粘土板の確認してるから」
「はいはい」
「使用人のくせに、敬語も使えないのか」
少し悩んで、ホマーと同じように舌を出して歩き出した。
背後に聞こえた可愛げのないという言葉を無視して……。
「シーリーンさん、何か御用ですか?」
「あぁ、カオル。ね、母様と話していたんだけどどうかなこれ」
青銅でできたブレスレットと、チョーカーだった。
翠っぽい碧い色のそのアクセサリーを滑らかなその腕にじゃらじゃらとつけ、満足そうに微笑むシーリーン。
「綺麗ですね。似合ってますよ?」
「やあね、そうじゃないわよ」
「え?」
腕から外しながら布の上にそっと置く。
「いくらぐらいで儲かると思う? 最近の流行はなんだか雪花石膏で作った壺みたいなのよね。特に、イシュタルが彫られた奴がアッシリアでは高く売られてるんですって」
「あぁ、そっちですか?」
「壺は重たいし、そう持ち運べないからこっちで売りたいんだけど……ヒッタイトでも、こっちよりイシュタル像のほうが売れてるのよね」
「あら、シーリーン。今アッシリアではイナンナのほうが売れてるわよ」
「そうだったわね!」
やんや、やんやと盛り上がる二人。どうやら商品をいかに多く運べ、多く高く売れるか、値段と流行物を考えていたらしい。
……何故よばれた私。そんなこと聞かれても、まだ帳簿しかできないんだけど。正直気の利く接客とか、今の流行とか、そっち系はあんまり得意ではない。
「えーっと、最近そっち系売れてますよね。たぶん」
「エ・クル神殿がまた増築してるから、お祝いに奉納するためでしょ?」
「私たちも、祈りの像を作って奉納しましょうね」
マミトゥの言葉に、私たちは頷く。
イシュタルとは、メソポタミアの愛と豊穣、そして戦を司る女神で、大変人気。壺や柱によく彫らている。
行ったことはないが、エ・クル神殿はエンリルという風と嵐の神とその妻、ニンリルを崇めている神殿らしく、よく改増築されているらしい。ニップル市ってどこにあるんだろう? ……なんか響きがおいしそうだ。
古代人は奉納するさい、神を信仰する人の象を自分の信仰の証として神殿に奉納する習慣があり、自分で作ったり買ったりしている。
イメージ的に、日本の土偶もそれと同じ部類に入るのではないだろうか。
余談だが、やはりどの世界の古代でもふっくらした女性のほうがモテてる。
そんなことやっていると、後ろで「やぁ」と聞こえた。
「まぁ! カリフさん、いらっしゃい。お早いのね」
「やぁ、マミトゥ義姉さん。シーリーン元気だったかい? カオル殿は言葉は慣れましたかな?」
「はい、カリフさん。お久しぶりです」
頭を深々と下げる。そして、あっ、と思い出す。
「今、ロスタムさん呼んできますね」
二人きりの時は呼び捨てにするが、さすがに目上の者がいるときまでは呼び捨てにはしない。
「おぉ、言葉ももうだいぶ慣れたな。ロスタムよりも、アクバルは居るかな?」
「あら、お父様は南に商品の品定めに行ってしまったわ、お会いしなかった?」
と、シーリーンが言うと、カリフは立派に生えた髭を弄りながら考えるようなしぐさをした。
「バビロニアか……? ワシはヒッタイトから下ってきたからなぁ。仕方ない、待つとしよう」
バビロニアはアッシリアからざっくり南にあり、ヒッタイトはアッシリアからざっくり北の方にある。
なんでざっくりかって? 分からないからさ!
「やぁ、叔父上。お帰りなさい。ヒッタイトはもうじき戦争するらしいから心配していたんですよ」
「ハニガルバトで戦だろう。まだにらみ合いだから分からんがなぁ」
ちなみにハニガルバトとはミタンニのこと。アッシリアはハニガルバトと呼んでいる。ヒッタイトの商人と会話したとき同じ会話してるのに別の名前いうから混乱してしまい、笑われた記憶がある。
世間話を聞き流しながら私はこの後どうするかな~とのんきに考えていた。
ぽけっと突っ立っていると後ろからロスタムが現れ、耳元で「呼べといっただろ! 忘れん坊め」と悪態をついてにこやかな笑みでカリフのもとへ歩いて行った。
……知るかってんだ。
むかついたからいい笑顔で、服を裏表逆に着ていることを教えてあげた。
みんな笑っていたから、いい気味だ。