地中海のようで
「地中海の海って綺麗ね」
内海であるため、比較的波が穏やかでカオルは酔うことなく船に乗れていた。沿岸は複雑な海岸線に富んでいるため良港に恵まれ、3つの大陸を往来することができるとアリーに聞いた。確かに港に近づくにつれ他の船がちらほら見えるようになってきた。
アクアマリンの宝石のように美しい青色に澄んだ波音、温かい太陽の光に身をゆだねていると、暇になったアリーが手で海水を掬い上げ舐める。
なぜ舐める……。
「塩分濃いから、舐めてみる? 辛いよ」
「……やめとく」
さぁ、もうすぐヒッタイトだ。
「タルズィー港につくですよー」
「ありがとう」
船が港につき、大地を踏みしめると、シリアの旦那が手を振って帰って行った。お礼を言い見えなくなるまで手を振っていると、ふと服についた匂いが気になった。
地中海の潮の匂い。嫌いではないが、どちらかというとカオルは海よりも大地に匂いのほうが好きだった。
しかし貿易が盛んな場所なだけあって朝にも関わらずわいわいと人が溢れており、市場もにぎわっている。
「ここが、ヒッタイト?」
「は?」
アリーが何言っちゃってんのこいつみたいな声を出した。
「違うの?」
「ここはキッズワトナ王国だよ。ヒッタイト・ミタンニの両大国に挟まれた小国。そんなんも知らないの?」
「馬鹿にしてるわね。知らないことのほうが私は多いわ」
自慢することではないけれど。現代の世界でも地理が苦手で沖縄がどこにあるかすら分からなかったのだから、古代など微塵も分からない。
アリーは笑顔にはなったけど、笑い転げることはせず、地面に地理なようなものを描き始めた。
「このとおり地中海に面してるだろ? これは海路の貿易にとって重要な国で、利益しかない。そんな国を他国がほっとくわけないよね? ヒッタイト・ミタンニ両大国に狙われててね~いい争いの対象で、大分苦労してると思うよ?」
「でしょうね」
価値がある、力の持たない国は大変だ。己の力で成す術もなくただ流されなければいけないのだから。
「……で、詳しいのねアリー」
「まぁね、わかりやすかったでしょ?」
「貴方なかなかいいところの坊ちゃんなんじゃないの?」
「なんで?」
「堂々としすぎ、あと調子に乗ってるから」
肩に置かれた手を払いのける。
「キッズワトナを通ればヒッタイトに行けるのは分かった。すぐに首都につかないのも。だから」
「だから?」
「さようなら、アリー。貴方がどこいくか知らないけれど一緒にいる理由はないでしょ」
「一緒にいちゃマズイ理由もない。俺もハットウシャに用があるんだ」
「あら、私はカルカミスに行くのよ」
「へ? カルカミス?」
「えぇ」
「ならシリアから船乗って地中海渡らなくても、よかったじゃん」
「?」
「カルカミスって、シリアとヒッタイトの要塞都市じゃん?」
アリーが何言ってるか分からない。
ため息をつきながら再び地理をかかれた、今いる場所を並行して東に行けば、カルケミシュがあった。
シリアからユーフラテス河を上れば、意外と近かった。というか確実に早かった。うん、早かっただろう。
「……」
「……」
バカな人を見るような目で見られた。
カリフさんが送ってきた書簡をみる。『ヒッタイト国境側カルカミスにいる。カルケミシュの要塞を通れば早いだろう。安全第一に来なさい』だと
だって、カルケミシュって……凱旋門みたいなものだと思ってたんだもの……。
「どうせ私は馬鹿よ!」
「逆切れ!?」
「だって、だって、シーリーンさんが地中海の船で行けって!!」
「商人用のルート言っちゃったんじゃないの? 女は普通そんな国渡ったりしないからなあ~。娼婦は別だけど」
「にゃあああ!!」
「うわ、痛い痛い! ひっかくなって!?」
八つ当たりしていたが虚しくなってやめた。
「……貴重な体験ができたと、自分を慰めるわ」
「そう思ったほうがいいよ、うん」
もう攻撃されたくないアリーも頷く。
「なんか、むかつ……っぎゃ!?」
「色気のない声……何? あぁ、ネズミね、ネズミみて驚くとこは可愛いね」
「鼠!? ……大きい~」
「え、無視?」
黒い、男の人の拳ほどのサイズのあるネズミが船から飛び降り、どこか隅のほうへ逃げて行った。
田舎で見たネズミよりも大きかった気がする。噛みつかれたらひとたまりもないだろうとゾッとしながら、カオルはふと、違和感に気が付いた。
「あれ、アリー」
「何?」
「貴女の母親ウガリット出身なんでしょ? じゃあなんでハットウシャに用なの?」
「…………」
アリーは「あ」という顔をした後、胡散臭い笑みを浮かべた。
「俺のことよく覚えてるねー! やっぱ俺のこと好きなんだ?」
ごす。
「いってぇえ! 無言で足のすね蹴らなくても!!」
「ごまかさなくてもいいわよ、深く突っ込まないわ。どうせもう会わないもの」
路銀を手に馬を貸してくれる馬屋を探す。
「欲しいな」
「何?」
腰を強くひかれ、抵抗もできず振り返ると、口に温かいものが触れた。
ぺろりと、なめられる。
「また会おうな! カオルちゃん」
手を振って去って行ったアリーを唖然としたまま見送る。
「!」
正気に戻った時にはもう姿は完全に見えなかった。
「……やられた」
口をぬぐい、ため息をついた。
「全くロスタムとは全然似てないわ」
助けるんじゃなかったかしらと、一人ぼやきながらカルカミスへと向かうのであった。




