彼女も不運なようで
ごとごと、揺れる馬車の中。
乾いた口と目を固く閉ざし、女神とあげられた少女はうつろな瞳で壁にもたれかかる。
「……」
「女神様、もうしばらくのご辛抱を。ヒッタイトまでまだまだあります。さぁ、ワインでも」
「……いらない」
「そうですか。せめて果物を一口でもお召し上がりください」
「いらない」
イルタはため息をつき、ナナの膝のもとに果物の入ったバスケットを置いた。
「では、お召しになる気になりました時に」
ナナは置かれたバスケットをすました顔のイルタに向かって全力で投げつけ、今自分がどんな想いでいるか、外にも聞こえるように大声でわめき散らしてやろうかと思ったが、そんな気力もなくただ唇をかみしめては一筋の涙を流した。
(まだ……まだ、大丈夫。落ち着くのよ)
数回深呼吸をする。
ヒッタイトに行けばおそらく生贄として、本当に天界へ召されるだろう。けれどその前にミタンニの戦が終われば、その前にヒッタイトの病気が収まれば
……それはすべて『運が良ければ』だ。奇跡にも近い運が向くのかどうか
(大丈夫、私は神に愛されている娘……トリップしてきたんだもん。それって選ばれたってことだよね)
神様に選ばれたのなら死にはしない。そう、人生なんだから死にそうになることなんて、何度もあるはず。
特にこんな風に戦争ばかりの時代ならなおさら。甘えてはいけない、泣いてばかりもいられない。
これから起こるだろう展開を先読み、行動に移さなければ
(ただ待ってるだけじゃ、女神になんてなれない)
窓枠の外を見る。
どうしたもんかと思案していると、ふと歩兵の一人と目が合う。
女神の護送を守る大勢いる歩兵隊の中から、あえて彼と目が合うなんてなんという皮肉だろう。
(紀伊さんを、助けたという商人さん)
ぱっと見なんとも思わなかったが、こうしてみると結構優男な顔をしている。あのときの輝いた表情とは違い、今はとても重々しい顔をしているが。
(汚れてる……そりゃそうだよね。だって、戦争だもん)
私が、つついて興させた戦争だもの。その事実に心がずん……っと重くなる。
――お前は、賢者でもなんでもない癖に、なんてことを!
彼女の声が耳の中で響き渡る。
――それで未来に生まれるべき人が生まれなくなると考えないわけ!?
あの時は何も思わなかった。今その言葉の意味を理解する。
私は勘違いしていた。
「っ……」
「まだ、安全圏ではございません。カーテンを開けませんよう」
窓際から離された。
彼は、どんな気持ちで今を生きているのだろう。
「未来に生まれるべき人が生まれなくなる。つまり……」
「はい?」
――誰かの人生を、命を、二度奪うということ……
ごめんなさい。ごめんなさい。
でも、もう止まらない。
ここまで来たら、突き通すだけ。……けど、どうやって進むか、それすら分からない。
戻ることも、もうできない。
「!?」
馬車の中が突如音をたて大きく揺れた。
「きゃあっ」
イルタが体を支えてくれたおかげで、なんとか頭を打たずに済んだ。
「女神様、どうやらミタンニの追手に追いつかれたようです」
「つ、つかまっちゃうの?」
「いえ、今は応戦の状況ですが……。念には念を、失礼をいたします」
巻いていたヴェールを奪われ、イルタが巻いていた布と取り換えられる。
「いざというとき、ワタクシが敵のスキをつきます。その折、お逃げください」
「そんなっ」
ごとんごとん、足場の悪い道に差し掛かったらしく中は揺れに揺れる。
「くっ、橋で待ち伏せか。女神様をお守りしろ!!」
喧騒が激しくなっていく。心臓が高鳴り鼓動も早い。
「女神様、このままでは籠ごと押し落とされるかもしれません。外へ!」
「や、矢で撃たれない!?」
「その時は私が盾になりましょう」
イルタは冷静に対応し、扉を開けた。
河の流れる音と、人の呻き声と雄たけび、そして、錆びたような血の匂いが風に乗って流れてくる。橋の先から剣を赤く塗らし、ミタンニの兵がやってきた。
「ヒッタイトに奴らを運ぶな、女神を殺せ!!」
明確な殺意。純粋に怖いと思った。
「ひっ」
「女神様、堂々となさってください。怯えてはいけません、他の者の敷も下がってしまいます」
イルタは私の腕に、シンプルな腕輪をはめた。
「もし、何かあればこの腕輪にはめられた宝石を売り、お金に換えてください」
「え? そ、そんなっ、もしもってなに?! あるの?」
「あれば、です」
矢が雨のように、留めなく天を駆け巡り降り注いでくる。
「女神様!」
「ぎゃあああ!!」
「ぐあああ」
そばにいた兵士が七菜の前に立ち、壁となる。
「い、や。いやああぁあ!?」
「落ち着いてください。くっ……もうじきヒッタイトの援軍が来るはずです。それまで」
橋が揺れた。背後にふり返ればひときわ目立つ大男が走ってきた。
「きゃああああ!!」
「危ない」
七菜の前にあの商人が立ち、大男に向かっていった。が、その戦力差は圧倒的だった。
イルタが紐を使い、大男の片足を紐で縛る。
「引っ張って!!」
複数の兵士と一緒に引っ張ると、大男はバランスを崩し、河へ転落した。
その際
「うぉぉ!!」
「え? や、きゃああ」
七菜に向かって手を伸ばした。
「女神様!」
「くっ……危ない!」
どん……っ、体が前に浮く。
「う、わああああ」
「商人さん!」
手を伸ばすが、届かない。
そして、背後から鈍い痛みが与えられ、意識が遠のく。
私の記憶は、そこで途切れた。




